RETRO少年の懐古録 (original) (raw)

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〇登場人物

・俺

・N

・S

・T先輩

・その他

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中学の時の同級生に、面白い奴がいた。

侠客のような男で、何事にも筋を通す男だった。

ソイツのことを、任侠のNを取って、Nと呼ぶ。

筋を通すとは、決していい意味ではない。

・担任の先生に頭を下げて平謝りしていたと思いきや、先生が去ったのちにチクった女子を特定してぶん殴る。

・自分の陰口を言っていた奴の家に行き、親にまで抗議に押し掛ける。

・ある教師の高圧的な指導に暴発し「生徒指導部長つれて来い」と怒鳴る。

……

「こいつは大物になるな」と思いつつも「表社会では無理だろうな」と、よく横で見ていたものだ。

それでも、Nは真面目な男だったため、先生の授業は食い入るように聴き、テストもいつも高得点だった。

素行不良だが、模範的な側面もある。

教師側としては、非常に扱いにくい生徒だっただろう。

一匹狼のような性格のNは、あまり同級生とつるまなかったが、とは馬が合った。

それでも、1日にかわすのは、おはよう、お疲れ、じゃあな、その他雑談程度である。

喧嘩するほどではないが、全く口を聞かない奴に比べれば、仲良しだっただろう。

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中学を卒業し、Nも、隣町の高校に行くことになった。

隣町ではあるが、同じ高校ではない。

通学路がほぼ同じであるため、進学先を異にしようと、中学の頃以上に縁故が深くなった。

よく、ファストフード店で、夕食を共にしたものである。

そんな時「友達ができた」と、Nから連絡が入る。

それが、「S」だった。

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S……

果たしてどんな奴なのかと、俺は非常に気になった。

ファストフード店で顔を合わせたその男「S」は、予想以上にパッとしなかった。

丸メガネの小太り……

ドラえもんのび太くんを足して2で割ったような男だった。

(なんか……Nが友達になってあげてる感じだな。ほかに知り合いいなさそう……?)

Nの手前、俺は軽く自己紹介をしたが、あまり気に留めておらず、ほぼほぼNとしか喋らない会合だった。

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それからしばらくたったある日……事件が起こる。

Nから着信。

すぐに出る。

俺:「どうした?」

N:「今、隣町でSと一緒なんだが、変な奴らに囲まれてる。20人以上いる」

俺:「マジ?」

Nがいくら傍若無人な側面を持つといえど、チンピラ集団の恨みを買うことは無いが、恨みを買った奴がチンピラ集団に報復を頼んだとなれば、話は別である。

俺:「T先輩に頼むか?」

N:「……」

俺:「……」

Nも俺も、一旦黙り込んだ。

T先輩なる人物は、中学時代の番長のような存在で、アウトローを地で行くような、あまり関わりたくない男だった。

N:「頼む」

俺:「……分かった」

言い遅れたが、当日は花火大会で、警官はパトロールに出張っていたと、Nも俺も予想したのである。

ただし、おかげで、T先輩も、テキヤ連中の仲間と隣町にいたのである。

俺はT先輩に連絡をかけた。

俺:「T先輩、お世話になってます。実はNが……」

T先輩:「場所は何処だ」

俺:「隣町、△の裏通りです」

T先輩:「おけ!」

俺は現場に向かった。

T先輩が仲間を連れてくるまでに時間を稼げないかと思ったのだが、相手が20人以上というのが本当なら、意味がない。

当時は慌てていたため、まともな判断ができていなかった。

しかし……

俺:「はっ?」

現場には、パトカーや救急車が何台も止まっている。

それだけでも驚きだが、何より驚いたのは、平然とNがそこにいたことだった。

N:「おう」

俺:「どうした?」

N:「T先輩には俺から断っといた。後で……後で詫び入れに行こう」

平然と……というのは訂正しよう。

Nはゼエゼエと肩で息をしていた。さらに、夕陽でよく分からなかったが、身体が真っ赤だった。

その日は何も言えず、俺たちは無言で帰った。

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次の日……

当時「事務所」と言われ、T先輩はじめチンピラ連中が詰所として利用していたコンテナハウスに、果物の詰め合わせを携えて、俺とNは向かった。

N:「T先輩、昨日はすみませんでした」

俺:「すみませんでした」

気に障らない限り、目上の人間には腰が低いNも、T先輩相手にはさらにへりくだる。

T先輩:「いいよいいよ、気にすんな。しかし、何があったんだ?」

N:「お話しします」

そこで俺も初めて、何があったかを聞いた。

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……

……

……

Nが異変を感じ、俺に連絡した直後、ちらちらとこちらを見る奇妙な集団に、NもSも警戒していた。

その時、何かが光った。

N、Sは、弾かれたようにそちらを見る。

柱の陰に隠れてた女が、

「やばッ……」

といい、逃げたらしい。

N:「野郎ッ!待てえ!」

その閃光が、女が持っていたカメラのフラッシュだと気づいたNは、声にドスを利かせ、古ビルに逃げ込んだ女を追いかけた。

逃げ回る女を、Nは3階にまで追い詰め、胸倉をつかみ、カメラを取り上げた。

しかし……気づく。

N:(罠だ……)

Nは、Sを一人にしてしまった。

やばいと思い、窓からSを見た時、Sは大勢に取り囲まれ、羽交い締めにされ、腹をどつかれていた。

Nは窓から飛び降りようとしたが、ここは3階である。

脚でも怪我しようものなら、非常にダサいことになる。

その時、近くに生えてる木が目に入った。

正確には、木の枝についている、ハチの巣が目に入った。

木を伝って降りる、というアイディアが浮かぶ前に、Nはハチの巣をつかみ、Sの方向へぶん投げた。

ハチの巣は、チンピラ集団の真ん中で爆裂四散、さらに、蜂が飛び出して、現場は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

……

……

……

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T先輩:「そりゃ災難だったな……」

N:「死ぬかと思いましたよ」

俺:「刺されなかったのか?」

N:「俺もSも無事だったよ。Sはどつかれたから、いま治療中らしいが……」

その時だった。

T先輩:「S!?」

T先輩の顔色が変わる。

俺・N:「ん?」

Nは、友人が……という説明をしていたので、T先輩にSの名前を言ったのはその時が初めてだった。

Tは、その場にいた別の先輩と顔を見合わせる。

T先輩:「Sって、もしかして〇〇市出身か?」

N:「そうですね、〇〇市の××中出身と言ってたので……」

T先輩:「マジか……」

T先輩は、これまで見たことないような神妙な表情をした。

こんな人でも、こんな顔をするのかと、こちらも面食らった。

……

……

……

〇〇市は、山向こうにある町で、地形だけでなく交通事情等の関係で、地図上で見ると近いが、遠い場所なのである。

T先輩曰く、不良界隈において、そこは絶対騒ぎを起こしてはいけない地域らしい。

そこは、神職の一族によって仕切られる町であり、暴力団でさえも近づくのを避けるとか。

昔、〇〇市で抗争を起こした不良チームの上層部が、相次いで不審な死を遂げた。

〇〇市を仕切っていた神職の主が、生き残った組織のNo.2に問いかけた。

この街を去るか、呪い殺されるか選べ

片方は条件を呑み、もう片方は反発したという。

ベタな展開だが、反発した方は、奇妙な自損事故で命を落とした。

車で岸壁に突っ込んで大破したのだが、その車や、その距離で出せないはずのスピードで突っ込んでいたという。

その神主の名前は、Sと同じ苗字だった。

……

……

……

T先輩:「元警察の知り合いがいるんだが、その事故を調べてる。車で突っ込んだってよりは、何か巨大なものに捕まれて、叩きつけられたとしか思えないってよ。もちろんそんな報告できないから、突っ込んだことになってるらしい」

俺もNも、震えていた。

鬼のような巨大な何かが、車をつかんで叩きつけている様子が思い浮かんだのである。

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後日……

俺・N・Sで、食事の予定を取りつけ、親の職業を会話のテーマに据え、それとなく、Sの親の職を聞いてみた。

S:「それがよく分かんないんだよね。親父は、朝にスーツ姿でどっかへ出かけて……夜に帰ってくる。お金には困ってないから、働いてると思うんだけど……そういや何してるんだろう」

恐らく、知らないというより、はぐらかしているのだろうと、俺もNも感じた。

ハチの巣をつかんだNも、ハチの巣が爆散した一番近い場所にいたSも、一切ハチに刺されず済んだのは、"そういう力"が働いたからではあるまいか。

俺もNも、身震いした。

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〇更新記録

・2024年9月24日 記載

・2024年10月8日 更新

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仮面浪人……

俗に、大学の籍を保持しつつ、別大学に入り直すために受験勉強に勤しむことを言う。

俺も、やった経験がある。

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〇2017年3月

地獄だった。

高校を卒業したが、浪人の選択肢を取りたくはなく、かと言って行きたい大学も受かっていない。

高2の時に自分を虐めていた側の人間が、東大に進学したと聞き、眠れないほどに嫌な思いをした。

苦しい・辛いを通り越し、最早痛かった。

現実逃避以外に何もしていない、地獄絵図だった。

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〇2017年4月~7月

大学入試に失敗し、浪人もしたくなかった俺は、しぶしぶセンター利用で受かっていた私大に進学を決めた。

入学手続き、住居の下見、住居選択、住居契約、家具の購入、全て親が主導権を握った。

振り返ると、俺の親は過保護な毒親だった。

大学に進学してはいけなかった。

入学式の日は、ピクリとも笑えなかった。

ここで4年間やっていくという事実を飲み込めない、受け入れられないまま、上半期が過ぎる。

連日、針のようなストレスが、自身を蝕み、とうとう、浪人はやりたくないという自身のポリシーが崩壊し、仮面浪人に踏み切った。

編入学と言う選択肢もあったが、編入はそもそも、大学を卒業した人間か、あるいは専門学校・実務経験等でその学問分野の基盤を持った人間が学士を得るためのルートであり、学部生に開かれた門ではない。

だから、当時の俺の内情を振り返ると、仮面浪人をする以外に自身を保つ方法が無かったと思う。

6月頃、仮面浪人を決め、授業の合間を縫って、情報収集・受験勉強に勤しんだ。

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〇2017年7月~9月

夏休み中は実家に帰って宅浪し、2度、オープンキャンパスに行って士気を高め、模試を受験した。

だが、全く成績は上がっていない。

はっきり言って現役時代以上に落ちこぼれていた。

そして、その事実を受け入れられず、隠した。

最悪だ。

最悪だ。

最悪だ。

勉強が作業になっていたのである。

勉強をする振りをしているだけで、一切身になっていないのである。

それでも、月1度ぐらいのペースで模試には行き続けた。

本人は、れっきとした浪人生のつもりだったのだろう。

はっきり言って、ただの引きこもりだった。

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〇2017年10月~12月

大学の秋学期が開講。

だが、俺は授業を受講しなかった。

履修登録もしなかった。

しかし、無履修届を出さなかったせいで、担当教員、両親に連絡が行き、俺は大目玉を食らった。

だが、俺は逆に両親へ怒鳴り返した記憶がある。

この生きづらさは、両親のせい。

それは今でも否定しない。

休学をするなり、履修登録をした上でバックレるなり、方法はあった。

このあやふやな選択のせいで、100万近い学費を無駄にしたことになる。

当時の精神状態を顧みると、やはり病名のあるものだったと思う。

本音を言えば、当時の俺を絞め殺してやりたい。

週6で大学の図書館に赴き、勉強をした。

模試にも行った。

だが、受験生の振りをして自身を保っているだけで、内実はただのプータローだった。

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〇2018年1月:センター試験

センターは、現役時代同様の5割5分。

はっきり言ってまともな人間の取る点数じゃない。

大学に行くより、精神科に行くべきだったのではないかと、強く当時の俺を卑下する。

当時の俺を卑下するどころか、あきれてものが言えない。

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〇2018年2~3月:滑り止め&二次試験

・私大1

・私大2

・私大3

・国立1

・国立2

全敗だった。

受けるまでも無い。国立に関しては、足切りされなかったのが幸運過ぎる。

また、2017年度と同じ春休みを繰り返した。

BAD ENDLESS END

それでも「あの時の俺のようにならないようにしよう」という思いが、今とこれからの俺を支える柱の一本になっている。

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〇更新記録

・2024年8月14日記載

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あれは、2020年1月……とは言ったものの、本当の元凶は、もっと昔から存在していた。

小さい頃、まだ子供と呼ばれる時期だった頃から、爆弾が生じ、それが膨らみ続けていた。

そして、それは顕在化したのが、2020年である。

当時のトラブルは、あくまで、爆弾の導火線に火をつけたと、それだけの事だった。

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俺は逃げた。

いや、逃げることは出来なかった。

積年の間に身体と精神とに張り付いた爆弾を引きはがせば、結局爆発する。引きはがさなくても、結局爆発する。

環境からは、物理的に逃げたのだが、それがまずかった。

「物理的に逃げる」という行動が、起爆を呼び込んだ。

結局、爆弾の最適な処理方法は、爆発させるしかない。

何故、爆弾が小さい内に、処理することが出来なかったのか。

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逃げ続け、およそ1年・・・駄目だった。

何を聞こうが、見ようが、嗅ごうが・・・どんな情報を入力しても、当時の俺の脳は「死ね」と出力することしか出来なかった。

飯も食えず、眠れず……

排泄さえも、ほぼ限界にならないと動けなかった。

加えて「気晴らし」すら、気を曇らせ、乱す結果になる・・・史上最悪の精神状態である。

当然、病院には行っていた。

だが、そこにいるのは、精神科医心療内科医という肩書を持ってるだけの、ただの人間である。

こちらの苦しみをどれだけ伝えても、伝わるはずが無い。

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そうして、2021年3月……

気づいたら、俺はICUにいた。

「君は、大変なことをしてしまったんだよ?」

眼鏡の先生にそう言われたが、俺は何が何だか分からなかった。

鏡を見たら、首にはどす黒い紐状のあざがついていた。

そう、衝動的に、俺は自殺を図ったのである。

あとから聞いた話。

同居人が、部屋で失禁した状態で倒れている俺を見つけ、心肺蘇生を行ったらしい。

救急車が呼ばれ、俺は運ばれた。

それから、腕を振り回し「ウーウー」と、うなっていたらしい。

身体の機能の中枢をつかさどる脳は、血液循環によって酸素を供給される。

その循環を止めたからこそ、異常な行動を起こすのは当然のことである。

脳死寸前だったという。

呼ばれた肉親は、もう復活の見込みはありませんと断言されたらしい。

俺が病院にいる間、部屋には警察が押し入ったらしい。

薬物や遺書などは無いかなどの調査だったとか。

相手が自分とは言え、殺人未遂に他ならないのだから当然のことである。

加えて、俺を担当していた精神科医には、警察と、ICUのあった病院から「担当のお前は一体何をやっていたんだ?」とお叱りがあったと聞いた。

精神科医はさじを投げ、俺はさらに大きな病院を紹介された。

実は、これは2度目の転院なのである。

うつ病の恐ろしさはそこだと思う。

プロが何人雁首揃えようが、助けられないのである。

助けられたのかはさておき、俺は運命に命を救われる形になった。

1院目でさじを投げられ、

2院目でさじを投げられ、、、

3院目で、俺は大きな病院に、とうとう入院した。

はじめは数日だけの経過観察入院だったが、俺はまた自殺未遂をやらかした。

布団のひもで、首を詰めようとしていたのである。

「ダメだダメだダメだ!!!」

何処から見ていたのか、ガタイの良い男の看護師が3名俺の病室に入って来て、止めた。

放心状態だった。

結局・・・経過観察入院から、医療保護入院となり、それから約4ヶ月入院した。

その間、2度、保護室に入り、最重要管理下に置かれていた。

拘束帯で、身体の自由を奪われていた。

いつ、俺が自殺に走らんとするか、俺本人でもコントロールが効かないのである。

しかし、何をきっかけにするというわけでもなく、俺は徐々に人間味を取り戻した。

落ちるとこまで落ちたことで、爆弾が爆発しきって、逆のベクトルのエネルギーが働いたのだと思う。

退院後、俺はバイトに勤しんだ末に、ようやく社会復帰した。

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あれから、あっという間に2年。

俺は、生きている。

死ぬ以上の苦痛を味わったから、もう、あの頃のような精神状態に戻ることは無いだろう。

いや、あってはならない。
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〇更新記録

・2023年8月30日 記録

・2024年6月11日 更新

・2024年8月3日 更新

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【備忘録】My 論文の作法

自分の経験の元、論文の作り方をまとめる。

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〇論文作成プロット

・題名(作者名)

……論文の顔なので、一番大事かも。

最初に一応ベースを作っておき、内容に応じて、変革すべき。

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・要旨(=Abstruct)

論文の最初のページに書く内容だが、最後に作成する。

そのまま要旨を述べればよい。

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・はじめに(=Introduction)

……先行研究とその要点とを書き並べ、背景を明確にする。

その上で、研究に着手した理由を述べる。

動機ではないので要注意。

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・方法(=Method)

……そのまま、方法を記すのだが、「いつ・どこで・何を・どうやって・何を使って」を述べる。

論文を読めば誰でも同じことが出来るくらいの再現性が必要

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・結果(=Result)

……淡々と結果だけを述べる。

画像や表などを利用。

間違えがちだが、自分の考察を混ぜない。

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・考察(=consideration)

……結果から考えられることを述べる。

結果にも書いてある内容を繰り返さない。

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・結論(=conclusion)

……そのまま、結論を述べる。

考察に書かれていないことを書かないこと

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・出典(=Source)

……先行研究、書籍、HPなどの引用元を書き記す。

この引用元は、書いてある情報の正確性を裏付ける信用度合いを示すので、言わずもがな重要で必須である。

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〇あとがき

とにかく、この一連を一貫させ、飛躍や矛盾が無いようにする。

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〇更新記録

・2023年9月28日 作成

・2023年10月23日 更新

・2023年11月17日 更新

・2024年7月1日 更新

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画像引用元:デマ・架空ポケモン図鑑 | コード&攻略法 - 楽天ブログ

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ポケモンGBA全国図鑑の作成計画(※平成の江戸編集)

幼い頃には、これらゲームに心を燃やしていた時代もあるので、きまぐれで、何となく作成してみた。

モノは手元にあるので、3連休にでも実施したい。

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〇御三家対策:全GBAソフト共通

貰う→通信交換→データ削除→データ作成を3回繰り返す

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リーフグリーンファイアレッド(カントー地方・ナナシマ地方)

カントー地方ポケモンはこの2つのソフトがあれば揃えられる。

殿堂入り終了後、ネットワークマシンの作成が必要

だが、「**エンテイライコウスイクン**」の3匹を捕まえるためには、どうしても3つのデータが必要になる。

ソフトは合計で3個必要。

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〇ルビー・サファイア・エメラルド(ホウエン地方)

ホウエン地方ポケモンはこの3つがあれば可能。

ラティアスラティオスも入手可能

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ジョウト地方ポケモン対策

ジョウト御三家

……ポケモンコロシアムから移動するのが得策

チコリータベイリーフメガニウム

ヒノアラシマグマラシバクフーン

ワニノコアリゲイツオーダイル

ジョウト三犬

ライコウ

エンテイ

スイクン

〇ナナシマ地方に生息

・オタチ→オオタチ

レディバレディアン

イトマルアリアドス

・ネイティ→ネイティオ

マリルマリルリ

ハネッコポポッコワタッコ

ヤンヤンマ

・ウパー→ヌオー

ヤミカラス:FRのみ

ムウマ:LGのみ

アンノーン

ノコッチ

ハリーセン:FRのみ

ヘラクロス

・ニューラ

マグマッグマグカルゴ

ウリムーイノムー

テッポウオ→オクタン:LGのみ

エアームド:FRのみ

デリバード:FRのみ

マンタイン:LGのみ

ゴマゾウドンファン

ヨーギラスサナギラスバンギラス

ポケモンエメラルドで入手可能

・ホーホー→ヨルノズク

チョンチーランターン

メリープ→モココ→デンリュウ

ウソッキーバトルフロンティア「アトリエのあな」へ行く場所の途中にいる

エイパム

ヒマナッツキマワリ

キリンリキ

クヌギダマフォレトス

グライガー

・ブルー→グランブル

・ツボツボ

ヒメグマリングマ

・デルビル→ヘルガー

オドシシ

ドーブルバトルフロンティア「アトリエのあな」に生息

ミルタンク

〇その他

クロバットゴルバットのなつき度を上げる

ピチューピカチュウのタマゴから孵化

・ピィ:ピッピのタマゴから孵化

ププリン:プリンのタマゴから孵化

トゲピートゲチック:6のしま最北西「みずのめいろ」の離れ小島でもらえる

キレイハナ

ニョロトノ

・エーフィ:

ブラッキー

ヤドキング

ソーナンス

ハガネール

ハッサム

サニーゴ

キングドラ

ポリゴン2

バルキー

カポエラー

ムチュールルージュラのタマゴから孵化

エレキッド:エレブーのタマゴから孵化

・ブビィ:ブーバーのタマゴから孵化

ハピナス:ラッキーのなつき度を上げる

〇難所

・ルギア:裏技→へそのいわ

・ホウオウ:裏技→へそのいわ

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全国図鑑に不要なポケモンと、一応の入手方法

・ミュウ:裏技→さいはてのことう

セレビィ:イベント配布→不可能, 改造しかない

ジラーチ:イベント配布→不可能, 改造しかない

デオキシス:裏技→たんじょうのしま

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〇更新記録

・2024年7月1日 作成開始

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【趣味】ゲーム戦績&記録まとめ

たとえ娯楽でも仕事のように、たとえ仕事でも娯楽のようにやるのが、自分の生活スタイルである。

というわけで、戦績を並べる。

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ポケモンシリーズ

ポケモンGBAエメラルド

・ストーリー:全クリ

ラグラージ・ルンパッパ・リザードン:100レべ

ホウエン地方図鑑:未(あとルナトーンだけだったが、サファイアを持ってる友人がいなかった。

全国図鑑:未

ポケモンGBAファイアレッドリーフグリーン

・ストーリー:全クリ

カントー地方図鑑:全クリ

全国図鑑:未

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ロックマンシリーズ

・MM1

・全クリ(イエローデビルはタイム連打)

・6ボス豆玉で撃破

・MM2

・全クリ(ヒートマンステージで2号使用)

・全クリ(ヒートマンステージで2号未使用)

・8ボス豆玉で撃破

・クイックマンステージでタイムストッパー使わずクリア

MM3

・全クリ

・8ボス豆玉で撃破(シャドーマン相手に120人死んだ)

・MM4

・全クリ

・8ボスCバスターで撃破

・MM5

・全クリ(かれこれ6周)

・8ボスCバスターで撃破

・MM6

・全クリ(かれこれ3周)

・8ボスCバスターで撃破

・MMM

MMU(Mega Man Unlimited)

・Easy全クリ

・MMRF(Mega Man Rock Force)

・Easy全クリ

ロックマンVS魔戒村

www.youtube.com

・クリア

ロックマンVSメトロイド

www.youtube.com

・クリア

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〇Syupro-DXから配信のゲーム(iOS版)

彼女は最後にそう言った

・全クリ(100%)

終わらない夕暮れに消えた君

・全クリ(100%)

あなたってよくみるとドブネズミみたいな顔してるわね

・EASYのみクリア

ココロインサイド

・ストーリー1のみクリア

どうして勇者様はそんなに弱いのですか

・全クリ(100%)

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〇立体四目

・CUBICONN4

・2023年6月18日(勝率約45%)

・2024年5月12日(勝率約72%)

・2024年7月1日(勝率約72%)

・2024年8月15日(勝率約73%)

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〇諸注意

大した潤色を加えてません。即ち、当事者なら分かってしまう内容です。何処で誰が何時見ていて、誰と誰が繋がっているのか分からないため、他に言及しないようお願いします。
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〇本編

これは、現在(2023年8月15日)より10年以上昔の話……

中学受験に落ちた末、心を塞ぎ込んでしまった12の俺は、受験戦争に散ってしまった自らに捧げる弔い合戦かの如く、勉学に心を燃やし続けていた。

落ちた末に行くことになった公立中学において、定期考査でも、業者テストでも、とにかく校内順位3位以内を守り続けることを第1信条とした。

しかし……

1位を獲ろうが、満点を獲ろうが、中学受験に受かった世界線にいる、理想としていた自分に追いつくことは叶わない。

色々なことに手を出し、青二才なりに藻掻いたが、満たされることはなかった。

悲しいことに、その幻の志望校は、中学受験以外に入学する道が無かったのである。

はじめは帰宅部を希望したが、それでは心の狭い人間になると両親に止められ、一番練習時間の短い卓球部に入部。

部活3:勉強7といった学校生活だった。

学校生活において発生する、様々なストレスを勉強に昇華した。

だが、その勉強でさえも、勤しめば勤しむほどに、自分の散華した中学受験での精神的負債を増幅させてしまう、デススパイラル。

晴れだろうが雨だろうが、朝だろうが夜だろうが、夏だろうが冬だろうが、心の中はいつも真っ黒で、寒かった。

桜の咲かなかった、文字通りの「**沈黙の春**」が、悪夢の方がまだ良かったと思える、不合格宣告から、ずっと後を引き続けていて、終わる兆しが無かった。

だが、高校受験が近づくにつれて、当時の俺は、次第にこの溜まり溜まった負債をこの場(高校受験)で返そうと、前向きになれたのである。

同級生の存在は大きかった。

そこそこ頭の良い部類であるため、勉強を教えてもらいに来る同級生のお陰で、承認欲求を満たすことが叶ったのである。

また、公立中学とは言えど、一人一人のアイデンティティを尊重してくれるその校風は、非常に心地がよかった。

荒んだ心は次第に平穏に、沈黙の春は次第に歓喜の夏に向かって行った。

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しかし、ある時ある期間を境に、下り坂に差し掛かる。

中学2年の後期、いわゆる3年0学期と呼ばれる時期から、校内恋愛が流行り出したのである。

普通なのか異常なのかは測りかねるが、学年の生徒の3人に1人が、彼氏彼女のいるような状況だった。

それも、心からお互いに信頼関係を築いている純愛と客観できたのは一握り。

「来たるべき受験から目を背けて、カレカノと一緒に現実逃避しましょー!」といったカップルが溢れたのである。

その事実を目の当たりにして、吐き気を催した自分は、恐らく性徴が周りより遅れていたのかもしれない。

それらをきっかけに、男子高への進学を強く希望するようになった。

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両親には止められた。

帰宅部への入部を止められた時と同様、異性と言う存在を遮断してしまうことで、視野の狭い人間になりかねないという理由だった。

そして、在住していた県内には当時、そもそも男子校が存在しなかったのである。

両親の反対は、ここにも理由がある。

だが、条件付きで、OKを貰うことが叶った。

「この家を出て男子校に通いたいのならば、この県内での最高偏差値を越える高校への合格通知を獲得しろ」

親父にそう言われた俺は、勉強方法を切り替えた。

当時、県内の最高偏差値の公立高校は、偏差値73・・・

だから、74~76の高校(男子校)を4校選んだ。

いずれも、全国的に有名な学校ばかりである。

ちなみに、県内最高偏差値の学校においては、中2の時点で、既にS判定を獲得していた。

偏差値の高さは最低条件で、この男子校4校は個性を尊重し選んだ。

4校とも、第一志望だった。
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~~~諸々端折る~~~

結果、その4校に全落ちした。

手ごたえはあったと踏んでいたのだが、そもそも層が違う。

全然別の地域にある学校を、同じ物差しで測っていた。

その時点で、当時の頭の悪さがうかがえる。

当時の俺は、勉強の良しあしと、頭の良しあしは次元が違うことにすら、気づけていなかったのか。

それが、中3年明け2月初旬のこと……最後の要である公立入試まで、残り3週間ほどだった。

4つあった第1志望をすべて失い、もう完全に人事を尽くしていた。

頭の中が真っ白。

自習時間も、ペンを持っているだけで終わった。

県外の高校を受験したことは誰にも口外しなかったため、孤独だった。

そんな時……

「あたしと同じ高校行こ?」

彼女は、隣のクラスにいた女の子「サクラ」

良くも悪くもない仲だったが、快活で気丈で、満ち足りた女の子であり、陰キャラの自分にとっては、高嶺の花のような存在だった。

高嶺の花が、急に目の前に咲いたのである。

既に、県内トップ高への出願は済んでいた。

だが当時は丁度、出願した志望校を、変更できる期間内だった。

トップ高は、行くつもりも受けるつもりも無かった。

正確には、行くつもりの無くなった「第0志望」だったからである。

「行く」

瞬時に心を決めた俺の、抜け殻となっていた受験戦意に、再び炎が灯った。
サクラが灯してくれたのである。

両親は、志望校変更に納得してくれた。

その時話した理由は適当なこじつけであったが、恐らく内に秘めた本気と闘志を推し量ってもらえたのだと思っている。

彼女が志望した高校は、トップの高校と比べて、3~4ほど偏差値を落とした学校である。

不合格可能性はほぼ0に近いと判断した当時の自分が立てた目標は「首席合格

約3週間、彼女とともに、勉強に勤しんだ。

俺はもちろん彼女を「女」としてではなく「戦友」として接した。

本音を言うと、彼女に対しては恋愛に近しい感情を抱いていたが、俺はそれを逆手に取り、自己研鑽の手段として利用したのである。

――― ――― ―――

……

……

……

もう、オチに察しがついている方もいるだろう。

結果、俺は合格したが、首席合格は取れなかった。

それだけならまだしも……彼女は不合格だった

首席合格は取れず、高嶺の花も散ってしまう、執拗なダブルパンチ……

彼女がいるからこそ、この高校を受験したのである。

彼女がいないのならば、本末転倒であった。

結果、合格はしたものの、受験には失敗してしまった。

3年前の中学受験での敗北が、さらに拍車をかけた。

こんなことならば、初めからトップ高を受験しておけばよかったのではないか。

もっと早く、県外への進学を視野に入れていたら良かったのではないか。

……

……

……

たら、ればばかりが錯綜する、沈黙の春に引き続く、地獄の春だった。

彼女は、俺とは目を合わせず、会話もなくなり、別世界の人間になった。

合格した立場とあっては、フォロー出来ない。

無言、無視、沈黙を決め込むその有様に、俺は腹立たしさを痛感したのを覚えている。

当時、感情に任せ、まるでストーカーのように、電話やメールを送り付けたが、返答は無かった。

結果、暫くの間、女性を、加えて女性にうつつを抜かしていた自分を強く軽蔑するようになった。

だがその腹立たしさは、大切な戦友として彼女を高く信頼していたことによる、レバレッジによるものだった。

忌まわしき中学受験敗北以降のたゆまない努力は、形式上実ったが、桜は咲かない。

あの時代の葛藤を思い出す度に、当時の自分が不憫で不憫で、涙が流れる。

――― ――― ―――

〇後日談

彼女と俺の関係は、察されていたかもしれないが、公にはなっていない。

戦友「サクラ」について、彼女と仲の良かった友達に、それとなく話を聞いてみた。

すると、知らない情報が得られた。

各試験における、校内での平均順位が15位~4位くらいの上位層を中心に「1~3位打倒グループ」という派閥があったらしいのである。

それはあくまで名目だけの勉強サークルに過ぎなかったが、戦友となった彼女は、彼らの勧誘を頑なに蹴っていたという。

1~3位なんて眼中にないよという意味だったのか……それとも、その逆か。

よく考えれば、彼女は中学3年間、ずっとその学園を志望高として設定していたのである。

それを、3週間前に志願先変更したような俺が、合格を手にした。

もし、彼女の立場なら、合格を横取りされたような気分かもしれない。

事実、俺が彼女を蹴落としたのかもしれない。

それなら、俺の存在が恨めしく、忌まわしいかもしれない。

いや、忌まわしいだろう。

あくまで、推測憶測にすぎないのだが。。。
――― ――― ―――

月日が経ち、同窓会を迎えた、20の冬。

彼女は現れなかった。

人づてに聞いたら、遠い街で、母親になっているとのこと。

これからも、俺は消えた彼女を想い続けるのだろう。

人生の墓場を迎えたのは、俺の方だった。

この世にもあの世にも、、、俺が愛した戦友は、もういない。

10年以上尾を引く失恋の話 完
――― ――― ―――

〇更新記録

・2023年8月15日 記載

・2024年2月28日 更新

・2024年4月22日 更新

・2024年7月1日 更新

――― ――— ―――

――― ――― ―――

〇前置き

この記事の主なテーマは、「障害者」と「健常者」

……前置きするが、かなりセンシティブな話題に触れる。

言葉尻ばかりに突っかかり、一切本質を理解しない頭の悪い人の目に触れないことを願う。

……そうじゃないと自負している人は、逆に怪しいです。

――— ――― ―――

〇本文

生まれて初めて「障害者」に区分される人間を見た日のことは、色濃く覚えている。

中学1年の時だった。

父親と、隣町にある、大型ショッピングモール内のスポーツ用品店に行った。

中学で卓球部に入ったので、自分の卓球の用具を購入するためだった。

目的の物品を購入し、いざ帰途に着こうと思っていた矢先、大きな車いすに乗った人を見た。

初めは、双子用の乳母車だと思った。

しかし、乗っているのは、大人と思しき人。

(ん……???)

正直、訳が分からなかった。

ふざけているのかと思った。

その大きな車いすとともに、何やら寂しげな顔をした老夫妻が買い物をしている。

いや、買い物というより、なんだか、ただただ車いすを押しているだけのように見えた。

それは、生まれて初めて見る、奇妙な光景……ただただ狐につままれたような気分だった。

得体の知れない光景に、恐怖すら覚えていた。

ここで仰天したのは、親父が、その老夫妻と知り合いだったことである。

「おう……!」

親父が、老夫妻に呼び掛けた。

「おう、久しぶり」

「いや、今日な、倅の部活の道具買いに来てな……」

……

軽い挨拶が交わされたのち、

「あ、どうも。こんにちは」

12歳の俺は軽く、老夫妻に挨拶をした。

しかし、この謎の状況……

特に、車いすに座る……というより、横たわっているような謎の人物への、不快感にも似た感情感覚は、確実にくみ取られていたと思う。

隠せなかった。

見ないようにした行為が、逆にその本性を克明に表していたと思う。

その時……

「おう?元気か?久しぶりだな?」

親父が、横たわるその何かの肩をポンポンと叩き、呼びかけた。

どう言語化していいのかよく分からないまま文章に書き起こすが、とにかく衝撃だった。

慣れ親しんでいる親父が、生まれて初めて見る奇妙なモノとコミュニケーションを図ろうとしているそのことが、衝撃というより、新鮮過ぎた。

「あ、アア……」

その何かは、口を半開きにして、声を上げる。

言葉ではなく、声でしかなかった。

その人は、喋らないのではなく、喋れないことが、本能的に分かり、心が凍り付いた。

喜怒哀楽の、どの感情も感じ取れなかった。

半開きにした口からは、涎が垂れていた。

そうそう、他人の涎なんか目にするものではない。

怖いもの見たさ……と言うと失礼なのだが、目を背けていた俺は、いつの間にか、食い入るように見つめていた。

その時の俺は、まるで汚物を見るような眼だったかもしれないと、申し訳なく思う。

そのまま、軽い挨拶をして、買い物に戻った。

卓球用品は既に購入した後だったが、もし購入する前だったら、俺はそれが頭から離れなくて購買に集中できず、買うに買えなかっただろう。

――― ――― ―――

12の俺にとって、それら一連の出来事は、あまりにも衝撃だった。

帰宅し家についたのち、2時間ほど死んだように眠っていた。

はっきり言って、トラウマだった。

夕食が出来たと呼ばれても、食指が進まない。

様子のおかしい俺の内情を、親父は推し量ってくれた。

そして、詳しい事情を話してくれる。

……

……

……

あの老夫妻のうち夫は……何と、親父の同級生だという。

やつれていて、髪の毛は真っ白。

親父より、20歳年上だと言われても、疑えないほどだった。

そして、その車いすの上に横たわっていた人物になされた説明は、これだけ。

「あの子は、生まれつき脳に障害がある」

生まれて初めて、障害者の存在を意識した。

幽霊を見てしまったような感覚で、俺は暫く、学校以外の外出を避けるようになってしまった。

小学校にも中学校にも、そんな人はいない。

授業で習ったはずだった、障害者の存在……だが、それは机上の空論に過ぎない。

本物を見たことが無かったのである。

「百聞は一見に如かず」という名言における「一見」が無かったのである。

視界に入ったことはあったのかもしれないが、気に留める機会が無かったのである。

――― ――― ―――

25歳の今、14年も昔となってしまったあの事を振り返る。

それ以降、老夫妻に会ったことはない。

現在どうしているのかも分からない。

親父の同級生とは言っても、あまり関わりが深いわけではないらしい。

半日、それも半時間にも満たないあの出来事は、俺にいろんなことを考えさせたし、今でも考える。

脳の障害は、生まれつきだと聞いた。

年月を遡って想像する。

あの夫妻が結婚し、奥さんが妊娠し、赤ちゃんが生まれる。

ごく当たり前な、そして幸せな日常を、夫妻は想像していたはずだろう。楽しみにしていたはずだろう。

夫妻だけに限らず、周りの友人や親類も、きっとそうだったに違いない。

もしかしたら、周りの人物の中には、親父もいたかもしれない。

我が子の脳の障害というものの存在は、恐らく生まれた後に分かったに違いない。

その時の夫妻の心情は、どうだろうか。

歓喜だとは思えない。

恐らく負の感情……それも想像を絶するものに違いない。

とても、自分目線で考えられなかった。

考えれば、涙が出てくる。

夫妻の間に生まれた我が子は、喋ることが出来ず、動くことも出来ず、歩くことも出来ず……

その周りの人たちも、あまりよくは思わないのではないか。

――― ――― ―――

本人はどうだろうか。

苦しいのだろうか。

生まれてから、ずっと同じ状況なら、いわゆる健常というものをしらない。

障害がある状況が当たり前なのだから、本人の場合は、障害=健常なのである。

もしかしたら、苦楽の概念そのものを持たないのかもしれない。

しかし、あるとしたら……

世の中には、予期せず障害者となってしまう人がいる。

・うっかり地雷を踏んでしまったり……

・事故で脊髄を損傷してしまったり……

・視力を失ってしまったり……
……

彼らは、健常を知っているわけなのだから、当たり前ではない日常が、半永久的に続く、健常との乖離を味わわねばならない。

何か、悪いことをしたのだろうか。

悪いことをした結果、そのような障害を抱えてしまう人もいるかもしれない。

では、先述した彼は?

前世で、何かをやったのか?

前世の苦しみを引き継いだのか?

夫妻はどうなのか?

夫妻の親戚はどうなのか?

夫妻の関係者はどうなのか?

俺の親父はどうなのか?

俺自身は……?

考えが無限に湧いてきて、考えることにエネルギーが消費され、疲れてくる。

――― ――― ―――

それから約14年の間、様々な障害者と会ってきた。

関わってきた。

正確には、関わらざるを得ない状況に立ってきた。

そうして、弾き出した持論がある。

この世に障害者じゃない人間はいない

誰彼、何かしらの障害を抱えている。

正確には、人生を進むうえで、数多の障害と対峙する。

障害があるのは人間の肉体にではなく、人間の人生の動線上にである。

今25の俺に、これから先どんな障害が降りかかってくるか分からない。

ただ、俺はこれまで四半世紀だけでも、かなり巨大な障害を経験した。

あくまで体感ではあるが……

恐らく、きっちり障害と向き合えず、迂回ばかりの人生を歩んできた結果、その付けが回って来たのだろう。

これからは、向かってきたら、きっちり対峙し、連れ添っていきたい。

障害は、人生の職。

きっちり向きあい、連れ添う事で、人間の魂を、もっと上のステージに磨き上げてくれる。

あの夫妻は、それを体現していたんだろう。

頼むから、もっと幸せになってくれ。

人生の職の本質は苦しみではなく、苦しみと連れ添う、又は乗り越えた先にある”幸せ”なんだろうと持論する。

いや、そうあって欲しい。
――― ――― ―――

〇更新記録

・2023年11月26日 記載

・2024年2月28日 更新

・2024年4月22日 更新

・2024年7月1日 更新

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【備忘録】同級生が亡くなった

昔、交通事故によって、同じクラス、それも席がすぐ前の同級生が亡くなった。

中学1年、それも終わりかけの時の話。春休みまで、あと2日だったと記憶している。

その日、自分は残雪に滑って派手に転倒し、遅刻寸前に教室に駆け込んだ。

当時の自分は時間にルーズだった。

滑ったから遅刻寸前になったのではなく、遅刻寸前だったからこそ、焦って滑ったのである。
――― ――― ―――

教室に入ると、何故か中3担当の先生がいた。

HRも、その先生が担当だった。

……異例である。

何かしらのイレギュラーで、担任の先生が対応できない状況にあることは、ポンコツの13歳の頭でもよく分かった。

中3担当の先生からは、生徒の1人が交通事故に遭ったらしいということだけ伝えられた。

接触事故くらいにしか思ってなかったので、あまり気に留めなかった。

だが、クラスの男が一人、いないことに気づく。

ムードメーカーのようなポジションで、風邪をひくようなタマではなかったため、事故に遭ったのはそいつだと皆が察した。

――― ――― ―――

イレギュラーはあったものの、皆あまり深くは考えず、1時間目~3時間目~給食~昼休み~4時間目と平然と過ごした。

だが、4時間目終了後、副担任の先生より、5、6時間目が削れ、体育館に来るように指示が飛んだ。

そこで、ほぼ全員が察したと思う。

だが、誰も恐れてそれを口には出せなかった。

「まさか……?」

皆が、恐ろしい形相で顔を向かい合わせていた。

起こったのは、そのまさかだった。

――― ――― ―――

1学年が全員、体育館に集合。

そしてその日初めて、担任の先生の顔を見た。

いつも通りだった。

「あ、先生普通だわ」

皆が安堵した。

そして、交通事故に注意喚起を促す通知が配られた。

「午前〇〇時〇〇分ごろ、うちのクラスの〇〇が事故に遭いまして、それから病院に救急車で運ばれるってことがあったので、皆さん最低限気を付けているでしょうけども、今一度交通安全に気を引き締めて臨んでもらいたいという連絡です」

それだけだと思った。

それだけであって欲しかった。

しかし……それだけを連絡するのなら、わざわざ体育館に一学年集める必要はなかった。

「○○は、午前××時××分………………

3秒にも満たないこの沈黙は、長かった。

……亡くなりました

物凄い衝撃が心臓を走り抜けた。

先生の顔が苦痛に歪み、涙がポロポロと零れていた。

「もう、○○は帰ってきません……だから、○○の死を、無駄にしないように、これから……」

寂しいことに、先生の言葉を一字一句は記憶していない。

衝撃は鮮烈に覚えている。

それが、奴の亡くなった当日の事だった。

――― ――― ―――

それから3晩……魘された。

奴が車に撥ねられ、死ぬ瞬間が想像された。

もちろん想像に過ぎないが、きっと本物は何よりも凄惨だったに違いない。

奴が無念を晴らすために、友人を連れに来るのではないかと。

暗闇が怖かった。

振り返ったら、半透明になった奴が、地獄の形相を浮かべているのではないかと。

――― ――― ―――

その後、告別式の日程が組まれ、皆で参加することとなる。

自分は、中学校に進学して初めて奴に会ったが、小学校の6年間、更にはそれ以上昔から、奴と知り合っている縁故の深い者もいた。

そのような者のほとんどが、顔面蒼白……

まるで死人のような顔色だった。

喜怒哀楽のどれとも名状しがたい……能面のような顔がいくつもあった。

例え縁故が深くなくとも、一台の車が一人の人間の命を吹き飛ばしたというニュースは、ショッキングである。

――― ――― ―――

のちに、詳しい話を聞いた。

風で飛ばされた自転車の反射板を取りに行き、不注意の車にはねられたという。

救急車が呼ばれたのち、丁度道を通りかかったという元看護師の方のサポートを受け、あらゆる蘇生手段を試みたらしい。

それでも意識は戻らず、胸部を切開し、心臓を直接マッサージするという方法まで取られたようだが、奴はそのまま目覚めなかった。

ほぼ、即死状態だったのである。

――― ――― ―――

供え物をするため、現場に赴いたこともある。

奴の命が吹き飛んだ場所は、一目で分かった。

道端に何本も直立していた木の杭が、1本だけ異常に傾いていたからだ。

恐らく、車に弾き飛ばされ、この木の杭を直撃したのだろう。

人間って、こんなあっさりと死んでしまうのか。

――― ――― ―――

奴とは、出会ってまだ1年経たず、決して親友とは言えない間柄だったが、同じクラスにいて、必ず1授業に1度はコミュニケーションを取ることになるような、憎めない奴だった。

死んだと聞いたその時その瞬間には、何の感情も出なかった。

その、心臓に楔を打ち込まれたような鋭く重たい衝撃や、涙をポロポロ流しながら、生徒にそれを報告する先生の姿は、今でも、心臓にも脳裏にも焼き刻まれている。

それから……

――― ――― ―――

奴があっちの世界に行って、足掛け12年……

今になって当時の奴を振り返ると、凄く人間性の卓越していた男だったことに気づく。

頭もよく、運動も出来て、コミュ力も高い。

決して芸に長けた部類ではなかったが、バランスの高さは素晴らしかった。

奴は中1の時から、進路となる高校を、本質的かつ多面的に模索していた。

中学受験の失敗に心を砕き、陰で荒ぶり、点数ばかりを追いかけていた思春期の自分とは、全くの大違い。

生きていれば、大人物になっていたのではないだろうか……

ベタな結びとなってしまうが、あの日吹き飛んだあいつの分も、同級生一同、命を燃やしていきたい。

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〇更新記録

・2023年9月3日 記録

・2023年10月23日 更新

・2023年11月17日 更新

・2024年7月1日 更新

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【趣味】資格狩り

趣味なのか、それとも業務なのか、線引きの曖昧なところだが、いずれにせよ「資格を取ること」そのものを目的としている。

学生の肩書を捨て去ってもなお、そのように勉学に関心が向くのは、恐らく受験に心を燃やしていた12年の名残であろう。

これら資格と取得の過程は、必ず未来の自分を助けるはず。

もしかしたら他人も助けられるかも。

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☆戦績・予定など一覧

〇情報系

・ITパスポート:不合格(2019, 2024)/勉強・能力不足。

MOS:欲しい

基本情報技術者:資格の名前以外知らない。

応用情報技術者:受験予定なし。

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実用数学技能検定

・4級:合格(2011年)

・3級:合格(2013年)

・準2級:受験予定なし

・2級:未受験(勉強中)

・準1級:未受験(受験予定)

・1級:高校数学から省かれた内容が含まれるため、受験予定なし

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実用英語技能検定

・2級:合格(2016年)

・準1級:不合格(2016年)、2級合格から3か月ではそもそも無理があった。

・1級:不合格(2024年)、LRWのいずれも水準に達せず。勉強方針は合ってた。

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日商簿記

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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〇FP技能士

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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ビジネス実務法務検定

・3級:未受験(勉強中)

・2級:未受験

・1級:未受験

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日本漢字能力検定

・4級:合格(2011年)

・3級:合格(2012年)

・準2級:合格(2013年)

・2級:不合格(2019年)、メンタル不調でそれどころではなかった。

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〇法律系

・宅地建物取引士:未受験(30歳までに欲しい)

貸金業務取扱主任者:未受験(すぐ欲しい)

中小企業診断士:未受験(40歳までに欲しい)

行政書士:知ってるだけ

司法書士:雲の上

・司法予備試験:雲の上(合格率1桁とのこと)

・司法試験:雲の上

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〇更新記録

・2024年7月1日 記載

・2024年7月3日 更新

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〇プロローグ

この世に生を持ってから、足掛け12年……

それまでずっと、甘やかされ続けてきた。

満11になって、初めてそれに気づいた。

あの年は、暑い暑い夏だった。

それからさらに14年経ち、25になった今でも、その熱気をまざまざと思い出せるような、生々しい夏のことだった。

祖父さんが死んだ。

祖父さんは、しばらく前から身体を壊し、入院していた。

しかし、死ぬなんてことは、考えていなかった。

訃報を聞いてなお、実感が無かった。

目の前に横たわり、そして棺桶の中に運ばれる、生気のない祖父さんの亡骸は、亡骸に過ぎず、別の物体のように思えた。

実感が沸かないというのが主たる理由ではあるが、悲しみは無く、涙も出なかった。

しかし、それにはもっと別の要因がある。

祖父さん……

俺にとって約10年、当たり前のように一つ屋根の下に位置していた存在が、煙のように消えていなくなる。

祖父さんは、”消失”と引き換えに、とんでもない遺産を俺に相続させたのである。

強烈な問題意識

祖父さんを失ったことで、当時の俺は当時の現状に対し、物凄い反感を覚えた。

甘やかされてきた過去……

祖父さんが旅に出た現在……

いざ顧みて、今までの当たり前が、当たり前ではなかったこと、さらに、その当たり前は未来にあり得ないことを痛感したのである。

予想にも出来ない、恐ろしい未来……

これが、忌まわしき「受験地獄」への誘いだった。

――― ――― ―――

〇中学受験編

祖父さんが死んだ時、俺は小学6年生だった。

その夏……

何とか現状を変えないと……と思った当時の俺は、がむしゃらに自主学習をやった。

計画性の欠片も無い。

ただただ、持っていた教科書や問題集を片っ端から見直し始めたのである。

あろうことか「中学受験」という選択肢が克明に降ってきたのは、その時だった。

受験本番まで、半年も無い。

それまで、やらされる以外の勉強の手段を持っていなかった俺には、あまりにも厳しい状況だった。

だが、世間知らずの当時の俺にとって、そんなことは関係なかったのである。

井戸の中の蛙は、自身を大海にいる者と勘違いするものである。

何かに憑りつかれるように勉強していた。

中学受験を視野に入れない生徒がやっているような、基本的な学習はもちろん、過去問演習に加え、能力向上のために百ます計算などに勤しんでいた。

受験ルーキーの江戸を駆動していたその何かは、恐らく祖父さん死去と引き換えに得た「問題意識」であろう。

そうして6か月……

翌年1月某日の、受験日……

国語……

算数……

理科……

社会……

とにかく、残された期間で、出来る限りのことをすべてやり、人事を尽くした。しかし……

残念ながら不合格です

ネットのHPに映し出されたその10文字は、当時の自分にとって何よりも残酷だった。

心臓に楔を打ち込まれたような衝撃は、長らく続いた。

はっきり言って、祖父さんが死んだ時以上にショックだった。

何度、受験番号を打ち込んでみても、同じ10文字しか出てこない。

当たり前の事なのだが。

そこから、小学校を卒業するまでの2ヶ月は、不毛だった。

細かい事情をあまり記憶していないのだが、当時の自分は、同級生をあまりよく思っていなかった。

6年間連れ添ってきた仲であるのにも関わらず。

だから、彼らと同じ公立中学……受験しなくても行ける学校に行くことに、物凄い抵抗を覚えた。

「彼らを始めとした他者を見下し、蹴落とす以外に、自分を立てられない」

この忌まわしき性格が、長らく自分を蝕むことになる。

それは、十数年経過した今になって、ようやく分かったこと。

問題の真ん中にいると、問題が見えないのである。

火中に巻かれて、火元が見えないのと同じである。

ちなみに、家から通える範囲に、他の学校はなかった。

あったとしても「公立中学に行きたくないから」なんて曖昧な理由で、中学を受験している時点で、その受験は失敗している。

落ちたくない理由はあっても、受かりたい理由が無いからである。

しかし、自然と心は高校受験に向いた。

県内トップの高校に受かり、この失敗を清算する

下向きになったモノの、後ろ向きにならずに、前の目標を創れたのは良かった。

だが、この計画も、既におかしいのである。

なぜなら、受験失敗を人生失敗と飛躍している。

どうして、この不合格を失敗と言いきれたのだろうか?

――― ――― ―――

〇高校受験編

・1学年前期

同級生の皆がやっていない時期に勉強をやっていたのであるから、学力水準は当然高い。だが、あくまでそれは、1公立中学校の1学年内というだけのことである。

やってない人より、やった人の方が当然できる。

だから俺は、”やる”子ではあったが、”出来る”子ではなかった。

新入生テストは、1位だった。

すれ違う同級生の誰よりも点数が高い。

当時はやはり、奢り高ぶった。

俗に小学校と言う時代は、学業において、明確に序列をつけるようなことが無かったので、1位を獲るという経験が非常に新鮮だったのである。

だから、その2か月後、中間テストでは14位に降格。

これは、奢り高ぶったのが原因と考え、気持ちを改めた。

第1学年第1学期末テスト……これが問題だった。

英・国・数・理・社に加えて、技術家庭・音楽・美術、保健体育を加えた9教科。

学年順位4位だった。

14位からの4位とくれば、傍から見れば一見凄くも見える。

だが、俺は、期末テストまでの3週間、出来る限りの努力をすべてやったのである。

断然トップの1位を獲得していると思っていた。

しかし、テスト個表を開けてみれば4位……途方にくれた。

努力の仕方や、勉強の仕方が、良くなかったのだろう。

どれだけ復習しても、このテストの点数は変わらない。

そうして夏休みに入る。

ここで、目標を少々切り替えた。

数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験を目指したのである。

――― ――― ―――

・1学年後期

数学検定4級、漢字検定4級、英検4級のトリプル受験……

この目標について、良くなかったのは、がむしゃらであったこと。

手当たり次第に問題を1周しただけで、試験に臨んだのである。

さらに良くなかったのは、受かってしまったことだった。

英検4級、数検4級、漢検4級に合格したが、特に喜びは無かった。

ここで、落ちていれば、俺は根幹にある姿勢と過ちに気づいたかもしれない。

そして、幸の形をした不幸は、どんどん重なっていく。

実力テスト、定期考査は、2回連続で5位……

今振り返ると、これが3連4級合格の喜びを相殺したのだろう。

――― ――― ―――

・1学年終末

俺はまた、狂ったように猛烈に勉強を重ねる。

がむしゃらだった。

勉強をして何かを成し遂げるのではなく、勉強をすることが目的になっていた。

狂っている。いや、狂っていた。

冬季の、学力診断テストは1位

「素晴らしいです」

先生の言葉を覚えている。

だが、やはり満足できなかった。

その後、インフルエンザに罹患。

そのせいではないと思うが、学年末考査では、2位だった。

しかし、この結果を喜んでいた気がする。

1位になることより、4位→5位→2位となったことに、達成感を覚えたのである。
――― ――― ―――

・2学年前期

この辺りから、嫉妬心が深くなった。

勉強は出来ると自負していた。自負というより、自画自賛だ。

本当はやるだけで出来てはいないのだ。

ただし、社会人が良く言うように、テストの点数で人間の価値は決まらない。

この辺から、人間力を視野に入れるようになった。

日記をよく取るようにした。

委員長や、班長などの、リーダー職を務めるようにした。

ただし、ここでは受験対策の勉学に焦点を置く。

2学年前期の主たるイベントは、**漢検3級と、英検3級**である。

先に言うが、どちらも一発で合格した。

漢検に対しては、ほぼノー勉で合格した。

ノー勉とはいうが、正確には出来なかったというのが正しい。

計画性に欠点があったのである。

いつもやっていた、新聞や書籍の読解が、ノー勉の非を埋めてくれたのだろう。

しかし、どちらも受かってしまったことで、その計画性の悪さは、明るみに出なかった。

英検3級は、計画的だった。

漢検が疎かになったのはこれが理由だろう。もちろん理由にはしなかったが。

一度解いて、分からなさに悶絶。

それが「語彙」の欠如によるものと察した俺は、3年の分野にまで視野を延ばし、単語数を増やした。

そうして一次試験を突破した。

二次試験は、先生方他二名による手厚い修行により、合格点の二倍に近い点数を取ることが出来た。

※現在、社会人として英語を使うことが出来るのは、この恩師2名のお陰である。

――― ――― ―――

・2学年後期

学習相談、部活1、部活2、塾、宿題……

忙しい夏を経たが、夏にためた勉強貯金は、実力となった。

中間テスト、実力テストにおいて、2回連続で学年1位を獲得。

……その後、何故か2位どまりで、1位に上がれなくなった……

そして、ストレスが溜まる。

そのストレスは、追いつけない自分に端を発しているのであるから、並の方法で取り除くことが出来ず、更に根絶も出来ない。

当時は、そんな余裕のない精神状態だった。
――― ――― ―――

・3学年前期

中学受験失敗に端を発する、強烈なストレス。

今振り返っても、当時の自分にどうこうすることは無理だっただろうと溜め息が出る。

それを、根絶する方法として、当時の自分が提示したのは、

「日本最高クラスの学校に進学する」

ここは実名を貼る。
・東京「開成高校
・東京「筑波大学付属高校
・神奈川「慶応義塾大学付属高校」
・埼玉「慶応義塾大学付属志木高校」
・千葉「市川高校」
・千葉「渋谷教育学園幕張高校」

いずれも、公立中学1位などという生半可な能力しか持っていない俺には、到底1年の努力でたどり着ける境地ではなかった。

そもそも、自身についたお尻の火すら消せない俺は、仮に受かったとしても、3年間、その学籍を維持することは出来なかっただろう。

それでも、最高水準のレベルの問題集と、近くの本屋で手に入った過去問を武器とした。
――― ――― ―――

・3学年「最悪の夏」

自分の生まれ育った都道府県内にも、東大に多く進学者を輩出するような進学校があった。

だが、当時の俺は、その程度のハードルでは満足いかなかったのである。

一応、合格圏にはいた。しかし、安全圏ではなかった。

ここで、親に塾を辞めたいと申し出る。

塾のカリキュラムは、都道府県外の学校を対策するようにはできていないからだ。

しかし、何故か衝突した。

思い通りにならない状況に、爆発したのである。

「優秀ならどんな環境でもやっていける」

「成績が合格レベルに達しないのを塾や他人のせいにしたいだけだ」

「現実逃避しているだけだ」

はっきり言って(出来たら面と向かって本人達に言ってやりたいが)、親も頭が悪かった。

子供と喧嘩している親は、そもそもがおかしい。

言っていることは正しかった。

ただ、それが正しいことだと判断できるのは、ある程度の年月を経て得た、体験、経験の存在が必須だった。

だが、当時14歳の俺には、土台不可能なことだったのである。

ストレスの爆弾に着火し、自暴自棄になった。
――― ――― ―――

・3学年後期「火だるま」

この時代のことは思い出したくない。

当時の俺と、その周りに登場したどんな人物がどんなことを言ってどんなことをやっいても、俺を取り巻くストレスの爆弾を取り去り、火を消せなかっただろう。

俺は、火だるまだった。

水では消えない。

誰もいない場所で吠え、

無生物を叩き、壊し、

涙というより、血を流して泣いていた。

頭の悪い両親が、ヒステリックになって怒ったのは、さらに拍車をかけた。

残念ながら、これでもまた、クライマックスとはならないのである。
――― ――― ―――

・悲しい春

受験には合格した。

……が、進学先は、結局妥協して受験することとなった、平均的な公立高校だった。

この時期からの俺は、病名のある精神状態だったかもしれない。

やった苦労と、負った苦悩……そうして得た結果は、割に合わないモノだった。

桜は咲いたが、俺は散った。
ここから、極寒地獄の春が始まってしまう。
――― ――― ―――

〇大学受験編

・高校0年次「沈黙の春休み」

壊れた。

行きたくもない学校。

生きたくもない世の中。

どの道、数十年後には死ぬ。

塵になって土に帰る。

急に、考え方がメタになり、生きる希望が無くなった。

理由もなく、虚しさに泣いていた。

やはり、病名のある精神状態だっただろうと、今ではそう思う。

自殺を考えた。だが、実行はしていない。自殺を考えることで噴出する、生命への執着心で、辛うじて正気を保っていた。

幾度も幾度も、棺桶の中で青白く眠る、自分の姿を想像した。

もはや憧れていたかもしれない。

――― ――― ―――

・高校1年次前期

桜の咲かなかった春。

同級生と慣れ合いたくなく、部活を選択できなかった。

単身で走れる陸上部か、それとも文化部か……

そんな時、担任の先生の誘いもあり、あまり一般的ではない、知る人ぞ知るような、とある文化部に入部した。

特定されかねないため、何部かは言わない。

だが、活動するためには、並々ならない羞恥心への耐性を有するモノだった。

当時は、新たな分野への好奇心が羞恥心に勝り、入部し、活動を続けたが、もう無理だと、約8か月で断念した。

上記部活動に関しては、学業とは関係ないが、学業をする上での環境を構築している。
勉強とその他活動は、線引きが出来ないのである。

ちなみに、学業において、新入生テストは18位……全体300人と考えれば、かなり上位に位置する。

だが、勉強をやる人間ではあっても、出来ると勘違いしていた俺は、18という数字にしか着目できなかった。

18位は、中学時代に獲ってきた順位とは、比べ物にならないほど低いモノだったのである。
――― ――― ―――

・高校1年次後期

自分の存在意義を見失い、300人中、160位まで落っこちた。

そして、さらに自己肯定感を損なう、デススパイラルである。

一度、著しく体調を崩した。

熱、鼻水、咳、腹痛、頭痛……そして声が出ない。

全部じゃん!

かかりつけのお医者さんにそう言われた。

それでも、2週間ほどで治ったが、気から出た病を治しても、気までは治らないのである。

そんな時、転機、というほどでもないが、一つイベントがあった。

東大医科学研究所の見学会である。

そこにいたのは、病理医。

臨床医とは異なり、病のメカニズムに着目する、研究専門のPROFESSIONALである。

しかし、影響指数が大きかったのは、一緒に見学に参加した先輩方だったと、今では思う。

高校1年生での参加は、自分1人。

高2から1人。

高3から2人だった。

高2の先輩と高3の先輩は、その後医学部に進学している。

当時、自分も、医学部を強く希望していた。

医学……

正確には、医学部進学→医者として開業というライフプランは、受験失敗して削れた自身の存在意義を再構築するのに、うってつけだったと感じていたのである。

残念ながら、そんな志で免許を持った医者に、かかりたくはない。

結局自己中なのである。

自己中な人は、自己中なことに気づけない。

高校1年目の進路面談を覚えているが、1か月後の模試で、校内10位以内に入ると宣言した。

無謀だった。

しかし、当時の俺にはどうしようもなかったと思う。

自身の異常性に、気づく契機が無いのである。
――― ――― ―――

・高校2年次前期

高校2年に進級するが、依然として、頭の中は小学6年の頃と変わっていなかった。

残念ながら不合格です

あの10文字を見た瞬間から、歯車が止まってしまった。

いや、狂ってしまったの間違いか……

高校生活を営む上で、孤独は恥ずかしいと感じたので、一応友人は作った。

だが、形式上だけで、嫌悪感を隠しきれていなかった。

俺は本来、こんな奴と、こんな奴等と同じ校章を身に着けることは無かった

それを、会う人会う人全員に思った。

無意識に、OBOG先輩後輩同級生先生方……不特定多数を敵に回したのである。

もちろん面と向かってそういうことを言わないが、態度の端々に出ていたのかもしれない。

とうとうそれがくみ取られてしまったのだろう。

いつメンに、仲間外れを食らい、Twitter上で誹謗中傷された。

俺は激怒し、先生や親を巻き込んで、大事にした。

相手方には厳重注意が下った。

そして、俺は本格的に孤立する。

自分のせいでいじめに遭ったのに、それをまた嫌悪し、孤立する自分をまた嫌悪する。

あの時の俺を、救い上げる方法は無かったのか。

休み時間中はトイレに行き、いつもイヤホンを耳に突っ込んで狸寝入りをし、独りで昼食を食べた。

しかし、その夏に、転機と呼べそうなものがあったにはあった。
――― ――― ―――

・高校2年次後期

サマーウォーズ……細田守監督作品、2009年公開のアニメ映画である。

数学オリンピック日本代表になり損ねた主人公が、その数学的知性を使い、世界を救う物語である。

主人公と、俺の姿が重なった。

俺はあらゆる書籍を買い、腐りきった自身の現状を改善しようと試みた。

書籍代に、5万は使っただろう。

言わずもがな、ほとんどが焦げ付く結果になった。

一時の感情の高ぶりで問題集を買い集め、そしてほとんど網羅できない。

いわゆる、躁状態による「衝動買い」である。

あらゆる先達が言っているが、一冊集中が、受験の基本である。

二兎を追う者は一兎をも得ず。

しかし、当時の俺には、そう達観する余裕はなかった。

この夏に賭けた

高2の夏にそうスローガンを掲げ、努力したが、結局中途半端に終わり、ただ時間を浪費しただけの、虚しい夏となった。

後期も、何もかもがうまくいかなかった。

2度目の進路面談では、理系分野で、環境問題解決に貢献するための学科に行く、と形式上答えた。

医学部に行くために理系を選択し、物理を選択したが、数Ⅲすらまともに出来ない。

選択をするだけでその選択に責任を持つ余裕はなかった。

しかし、なんだかんだ言って、この時期に英検2級は受かっている。

落ちていれば良かったのだろうか?
――― ――― ―――

・高校3年次前期

医学部→環境?に切り替えた。

自暴自棄になっていて、どうでも良かったのである。

時間通りに学校へ行き、時間通りに席に座り、先生の声を聴き流し、時間通りに帰る。

機械だった。

これ以上書くことが無い。
――― ――― ―――

・高校3年次後期

もう、国公立に受かるような場所が無い。

私立でも、全てEランク。

いざ、現実を突き付けられて、泣いた。

少し、錆びれた歯車が動いたのだろうか。

この時期のことは、思い出したくない。

受けるまでもない。
――― ――― ―――

センター試験

センターは5割5部だった。

はっきり言って、普通の人間の取るような点数じゃない。

自己採の時点で分かっていた。

もう、人生が視野に入っていなかった。

この人生、いらね

――― ――― ―――

・2次試験

・私立1

・私立2

・私立3

・国立前期

それ以上言うことが無い。

受けなくても分かってた。

もう、人生の第一者ではなかった。

他人事のように自分の人生を俯瞰し、不幸だけには面食らった。

――― ――― ―――

・引き続く地獄の春

センター利用で受かっていた一応有名私大に、入学届を出したが、手続きは全て親がし、俺は何もしていない。

呼吸だけで精一杯だった。

受け入れられない現実だった。

そう言えば、親と言う存在。

俺は、自身をこんな地獄に突き落とした要因の一つに、親を挙げる。

もちろん、自分の責任もある。

だが、受験は一人では出来ない。

責任は、俺にかかるだけで、登場人物全員に存在する。

同様に、甘えるという行為も一人では出来ず、甘やかす誰かがいて、はじめて成立するのである。

……今となって振り返っても分かる。

親と名状したくない人物が、俺の人間としての自立と自律を阻んだ側面は大きいだろう。

当時の俺には、分からなかった。

分かるはずが無かった。

――― ――― ―――

〇仮面浪人編

・中学受験失敗の精神的負債。

・高校受験失敗の精神的負債。

・大学受験失敗の精神的負債。

その額面は、加速度的に増加する。

増加どころではない。

もはや爆発だった。

――― ――― ―――

入学手続。
→新居を決める。
→家具購入。
→引っ越し。

全部親が主導権を握った。

この過保護さが、俺を更に地獄に落とすことになったと、振り返ってそう思う。

しかし、毒親に毒された当時の俺には、分からなかったのである。

――― ――― ―――

浪人は嫌だった。

何故なら、一個年下の人間と同列に扱われるのが嫌だったから。

しかし、いざ大学に行ったら、このまま通い続けるストレスの方が、浪人によるストレスをはるかに上回った。

俺はこんな奴らと母校を共にしたくない

……結局また、同じ間違いを繰り返した。
――― ――― ―――

1年次春学期は、何とか慣れようとしたのだが、毎日毎日毎時毎分毎秒、ひっきりなしに自身精神を突き刺してくる、現状現在現実へのストレスに耐え兼ね、とうとう仮面浪人を選択した。

仮面浪人するくらいなら、入学する以前に、1年でも2年でもワンクッション置くなり、通信制大学を選択するなりすべきだった。

どの道それらは結果論だが。
――― ――― ―――

1年次秋学期は、履修した授業を全て休み、週6で大学の図書館に赴き、勉学に励んだ。

無履修届を出すなり、休学するなり、方法はあったというのに、もう、まともな判断が出来なくなっていた。

結局、仮面浪人も失敗した。

理由は、現役の時と変わらなかった。

再び全落ち。そして、当然のことながら、1年次秋学期の単位も全て落とした。

50万ほど、学費を焦げ付かした結果になる。

お尻についた火が、最早全身を包んでいた。

異常な状況では、自身の異常さに気づけない。

異常と通常を量る天秤が、完全に狂っていた。

――― ――― ―――

〇大学編入学試験編

針のようなストレスに耐えた、大学1年次春学期。

仮面浪人に心を燃やし、そして燃え尽きた大学1年次秋学期。

大学2年次は春秋と、愚直に過ごしてきたが、やはり、針のようなストレスは再び復刻した。

「これでいい」という考えには至らなかった。

いや「至れなかった」が正しいだろう。

そうして、大学編入学試験、それも、医学部への編入を試みたのである。

約半年間勉強を重ね、大学3年次の春学期に、試験を受けた。

……受かるわけがない。

そもそも医学部編入試験と言うものは、医療従事者や、医療専門学校に在籍していて、ある程度の医学知識医学知性という基盤を持った人間が、医師免許を取るルートなのである。

全く別の学問分野から、学歴ロンダリングなどと言った浅はかな動機では、到底くぐり抜けられる関門ではなかった。

そんなことを想像する余裕も無かった俺は、夏の不合格通知に動揺し絶望した。

受かるとでも思っていたのだろうか?

驕り高ぶりにもほどがある。
――― ――— ―――

それから、地獄の秋が始まった。

いや、地獄は秋になった。

大学の勉強も手につかず、資格試験も全て落選。

半年の間に、秘書検定2級・ITパスポート・漢検2級……全て落とした。

卒論や就活など手に負えなかった。

そもそも、入学すら受け入れられない状況なのである。

3年目だというのに。

もう、ここまでくると、終わりである。

もっと早くに、些細なきっかけ、些細な気付きで摘み取れたはずの不幸の種が芽吹き、死に花を咲かせた。

――― ――― ―――

〇地獄留年編

残念ながら不合格です

小6の時の火種から、早12年分の精神的負債が、とうとう牙を剥いた。

中学受験失敗
→高校受験失敗
→大学受験失敗
→大学編入学失敗
→それらに付随する個々のトラブル

多岐にわたるトラブルも、源流は一緒だった。その源流元凶を絶たないことには、どんな行動も、苦しみを延ばすだけの対症療法に他ならないのである。

だが、手遅れだった。

トラブルの河川は氾濫し、決壊した。

――― ――― ―――

眠れず、動けず。

トイレや食事すら、限界ギリギリにならないと動くことが出来ない。

恐らく、うつ病適応障害のような状況だったのだろう。

それらは他者の目線から見れば、甘えにしか見えない。

大学教授や親からの電話やメールに怯え、布団にくるまってブルブル震える日々。

もう、まともな精神を保つことは無理だった。

――― ――― ―――

異常を察した大学教授、親、大学専属の保健師、周りの人間が連携を取り、俺は、大学近辺の心療内科に通院した。

「甘えてんだよ!」

こんな時に限り、散々甘やかしてきた親が、自身の教育の失敗を隠すかのように厳しくなったことを、一生俺は怨み続けるだろうし、吐き気がする。

大学休学の名分を作るために、心療内科に通院はしたが、うつ病とか、適応障害などといった診断はさせなかった。

一生拭えぬ汚点となりかねないからである。

とにかく、狂った生活基盤を叩き直すために、一時的に投薬した。

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半年間だけのはずだった留年が、1年間に伸び、俺は4年+1年で大学を卒業した。

はっきり言って、+αの1年は、それまでの4年よりも、長く感じられた。

12年の精神的負債を返すための先駆けとなる1年だからである。

とにかく、社会復帰できてよかったと、今では安堵する。

下手をすれば、どっかから飛び降りて死んでいたかもしれない。

いや、死んだのだ。

受験生の江戸は死んだ。

受験生の江戸を死なせることで、それまでの負債を帳消しにする。

約13年にわたる沈黙の春は、自己破産のような終幕を迎えた。

バッドエンド受験物語(終)

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〇あとがき

留年を終え、就活に勤しむ。

とある会社に就職したが、1年足らずで辞めた。

業務が辛かったわけではない。

辞めたのは会社と言うより、それまでの悪しき自分だと思う。

さなぎを脱ぎ去り、同時に、溜まり溜まった老廃物を捨て去った。

「1年足らずで退職」と言うのは、世間一般的にはよろしくない経歴である。

だが、非常に心地よかった。

ようやく、自分の人生を生きられる。

そう痛感した。

自分で立ち、自分を律する。

俺はもう、あの頃には戻らない。

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〇更新記録

・2023年10月27日 記載

・2023年11月21日 更新

・2023年11月23日 更新

・2023年12月2日 更新

・2024年2月22日 更新

・2024年7月1日 更新

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【備忘録】2022年9月26日の葛藤

過去への後悔と、未来への不安に押しつぶされ、人生を捨てていた2020年~2022年の3年間を「暗黒地獄の3年」と自称する。

これは、その時期に書きなぐった文章である。

↓ ↓ ↓

……

……

……

ずっとずっと、左前の人生を歩んで来た。

勉強も苦手で、運動も苦手で、人間関係も煩わしかった。

幼い自分には、努力して現状を打破するという当たり前の事が、完全に抜け落ちていた。

理想を理想とせず、ありのままに生きてしまった。

怠惰な欲望のままに、ナマケモノのように生きてしまった。

駆けっこが苦手なら、豊富な時間を使って走り込みをする。

勉強が苦手なら、親に頼んで塾に入れてもらう。

素敵な人生を歩むために、いくらでも努力ができたはずである。

自分は、裕福な家庭に生まれたので、幾分かの金を投じることも可能だった。

しかし、どうして努力をするという選択を避けたのか。

豊富な資金があったことから、親ガチャは当たりだったようだが、両親からは学んだことが希薄であった。

親が子供の先輩なら、人生を生きる上で大切なことを教えて欲しかった。

努力することを教えて欲しかった。

そもそも努力をするという選択を知らなかった。

ありのままに生きるという能しかなかった。

親のいない子もいるし、接したこともあるが、彼らは何らかの形で、真理を学び取り、活力的に生きている。

自分はずっと、真理を学び取る事が出来なかった。

全ての過ちに気づいた時には、もう手遅れ。

誰にでも入れる高校に入り、誰にでも入れる大学に入り、誰にでも出来る仕事をやってきてしまった。

傍から見れば、恵まれた人生かもしれない。

しかし、その本質を知る自分にとっては非常に穢らわしいモノに他ならない。

子供の頃から無能を笑われ蔑まれ、努力に昇華出来なかった自分の心は、荒み切った。

このまま40代、50代と同じ仕事をやっても、普通以下の惨めな人間にしかなれないだろう。

恋愛経験も皆無……そもそも、昔から食べたいだけモノを食べてきた自分は太っちょに肥え過ぎていて、こんなだらしない外貌では、とても結婚なんて出来やしない。

IT、英語、その他専門資格……

努力の仕方を知らない自分は、頭に入らず、すぐ投げた。

だが、努力の仕方を知ったとて、変わりたいという気持ちはもう皆無だった。

もう手遅れだと感じた。

より良くしようという意識がなくなった。

昔のように。

そして、湧き出したのが、駄目な自分への強烈な殺意である。

こんな人生、要らない。

こんな人間、必要とされない。

自害を試みたが、未遂に終わる。

目覚めたのは、病室だった。

自殺すれば、過去に戻れるよ

どっから湧き出したのか、そんな説があるが、自分は否定する。

自殺未遂をして、僅かながら、死の世界を見ることが出来た。

真っ暗だった。

ただ真っ暗なら夜と変わらない。

しかし、まるで底なしの海を泳いでいるかのような、何が潜んでいるかも分からないような暗い深い沼に足を突っ込むような、とても気持ち悪い感覚だった。

あそこは恐らく地獄だと感じた。

相手が自分であろうと、人を殺せば、その業を負わねばならないのだろう。

もう二度と、あの世界には行きたくないと感じた。

しかし、死の淵から戻ったとはいえ、自らへ向けられた嫌悪感は変わりない。

仕事でストレスを負ったり、ふとした瞬間に過去の嫌な記憶を思い出す度に、命を絶ってしまいたくなる。

明晰夢からタイムリープが出来るよ」

これは、自分の唯一の心の拠り所である。

親も頼れず、友達もいない自分の、唯一の生きる希望である。

いつも過去を思い巡らし、仮想の成功体験を積み、明晰夢を乗っ取るために眠りにつく。

そして、変わらない明日の朝に、悲哀に暮れたまま、重い足取りで仕事場へ行く。

傍から見れば、どれだけ惨めなことか。

神様は残酷だ。

もうずっとずっと苦しんで来た。

もういいじゃないか?

十分苦しんだじゃないか?

一度きりでもいいから、やり直させてくれ。

世界には色々な人がいる。

望まず障害を持って生まれてしまったり、不慮の事故で光や手足を失ってしまったり……

しかし、不幸に序列はあるだろうか?

その人が不幸かどうかは他人が決めることではない。

自分は独りよがりで、他人の痛みが分からない人間かもしれない。

しかし、自分はそのような人々に比べて幸せだから、タイムリープはさせられないとでもいうのだろうか?

タイムリープに対して、一つ理論がある。

自殺=タイムリープではなく、タイムリープは自殺に至るまでの途中にある。

命を差し出すまでの覚悟が出来た者に、タイムリープは与えられる。

こんな自分なんか、苦しむ間もなく痛めつけて殺してやりたいが、自分は自殺をしない。

自分は必ず過去へ戻る。

絶対に戻らなければならない。

必ず戻る。

今すぐ帰る。

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〇更新記録

・2022年9月26日記録

・2024年5月12日更新

・2024年6月30日更新

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趣味「読書」

現在(2023年7月30日)、自分はほぼ読書をしない。

活字を読むのはネットサーフィンの時くらいである。

しかし、中学1年秋~中学3年春ごろの期間は、とかく読書にのめり込んでいた。

およそ10日に1冊読むペースだった。

振り返ると、娯楽や趣味と言うより、中学受験失敗で空いた心の穴を埋めるために、本の中の世界に現実逃避していたのだと思う。

取り敢えず、読んだ本をまとめる。

同じ嗜好の人と繋がりたい。

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横溝正史シリーズ

・本陣殺人事件+車井戸はなぜ軋る+黒猫亭事件

・獄門島

・夜歩く

八つ墓村

・死仮面

犬神家の一族

・女王蜂

悪魔が来りて笛を吹く

・幽霊男

・死神の矢

悪魔の手毬唄

・不死蝶

・悪魔の降誕祭

・魔女の暦

スペードの女王

・白と黒

・迷路荘の惨劇

病院坂の首縊りの家

悪霊島

・花園の悪魔+生ける死仮面+首

・毒の矢+黒い翼

・志那扇の女+女の決闘

・扉の影の女+鏡が浦の殺人

・人面瘡

・霧の山荘

・仮面城

・黄金の指紋

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夢野久作シリーズ

ドグラ・マグラ

・少女地獄

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宮沢賢治シリーズ

雨ニモマケズ

・イーハトーボ農学校の春

オツベルと象

貝の火

・カイロ団長

風の又三郎

銀河鉄道の夜

グスコーブドリの伝記

・クねずみ

セロ弾きのゴーシュ

注文の多い料理店

・ツェねずみ

・月夜のでんしんばしら

・どんぐりと山猫

・なめとこ山の熊

・猫の事務所

・やまなし

雪渡り

よだかの星

オツベルと象

銀河鉄道の夜

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東野圭吾シリーズ

・マスカレード・ナイト

・マスカレード・イブ

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デルトラ・クエストシリーズ

・第Ⅰシリーズ

・沈黙の森

・嘆きの湖

・ネズミの街

・うごめく砂

・恐怖の山

・魔物の洞窟

・いましめの谷

・帰還

・第Ⅱシリーズ

・秘密の海

・幻想の島

・影の王国

・第Ⅲシリーズ

・竜の巣

・影の門

・死の島

・最後の歌姫

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刑事コロンボシリーズ

・二つの顔

・探偵の条件

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〇漫画

ナニワ金融道(全巻)

・新・ナニワ金融道(全巻)

・ザ・ナニワ金融道(全巻)

・東京リベンジャーズ(全31巻)

コブラ(全25巻)

宇宙英雄物語(全8巻)

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〇更新記録

・2023年7月30日 作成

・2024年5月27日 更新

・2024年6月30日 更新

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【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録

これは、小学校高学年の頃の話……

しかし、その年に問題が顕在化したというだけであり、問題の存在はもっと昔からあったはずだった。

自分が唯一、加害者側に回ってしまった”いじめ”の話である。

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相手方に許可はとってないため、当然、特定するような名称及びその予備軍は記載しない。

その子は貧乏だった

理由、動機はそれだけである。

諸悪の根源は、親なのかもしれない。

いや、子のはずが無い。

正確な根拠は「その子が生まれ落ちた家庭は、貧乏だった」である。

クラスの、その子以外の全員が、いじめ、辱しめる側に回った。

今も色濃く脳裏に残る当時の惨状を追憶すれば、先生もいじめに加担していたように思える。

ノートや鉛筆などを忘れるその子を、先生含め皆で非難した。

恐らく、買えなかったのであろう。

忘れたのではない。

そもそも調達できなかったのである。

少し考えればわかることだ。

ひょんなことから、そのいじめが明るみに出た際、小学5年の担任の先生は、皆の前で涙を流して怒った。

5年生の時の先生は恩師だが、十数年経過した今になって、その涙は本物だったのかと、自分は疑わしく思う。

いじめの事実は、皆で容認していた。

いじめの存在が自然過ぎて、全くの罪悪感が無かった。

それを、監督者である先生が、気づかないことがあるだろうか?

いじめられっ子本人からは、相談は無かったのだろうか?

公務員が何かをやらかした時、公共機関は、その本人に対し、過失を咎める、求請権を有する。

もっとも、責任をなすりつけたがるのは人間の汚い本性であり、公務員の本性とするのは飛躍である。

それでも、汚い教員が時々お縄に就くこともある。

某塾講師がわいせつ罪で捕まったのも、記憶に新しい(2023年9月17日現在)

実は、当時の俺も、別のいじめにあっていた。

クラス全員が敵ではなかったが、数人……今でも煮えたぎる怒りを隠せないクズがいる。

いや、クズだったのは、あくまで過去のそいつらで、今は真っ当な人間となり、クズの面影はない。

だが、俺の怒りは残っている。

俺は、自らに向けられたいじめのストレスをデトックスするために、その子へのいじめをやってしまったのかもしれない。

いや、やってしまった。

そうじゃないとみなせない以上、そうなのである。

その子が、それから中学卒業まで俺と絡んでくれたのは、多分、動機の違いを汲み取ってくれたからだろう。

虐められる俺に、同情してくれていたのだろう。

中学卒業と同時に別れ、10年……

久しぶりにあったその子は、もう貧乏じゃなかった。

家貧しくて孝子顕る・・・

事業主か何かになったのか、非常に羽振りが良かった。

きっと、身を燃やし砕くような努力をしたんだろう。

だが、怒りの炎はまだ煌々と燃えていた。

「あの時の事、忘れてないし、忘れるつもりもない」

淡々と、無感情で喋っていた。

高校、大学、そしてとある会社において「いじめ」というより「同調圧力に組織された単細胞集団が、俺独りの敵に回る」というトラブルに見舞われた今となっては、そいつの怒りの炎がよく見える。

熱い……痛い……

人それぞれ、生まれた環境も、育ってきた環境も違う。

そうやって形作られた常識は、絶対に偏るし、異端者や少数派も現れて然るべき。

似たもの同士はくっつき、アイデンティティを強く持つ人間は孤立する。

類は友を呼び、対は友を放す……

いじめは無くならない。

無くなるはずが無い。

だから、問題を無くすことではなく、起こってしまった問題にどう取り組み改善するかが、一番重要だ。

取り返しがつく時点で、取り返しを付けろ。

起こってしまったのなら、永遠と十字架を背負え。

それが「善は急げ」の核心だ。

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〇更新記録

・2023年9月17日 記載

・2024年3月2日 更新

・2024年5月2日 更新

・2024年6月30日 更新
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〇お知らせ・連絡・ご挨拶等々

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2010年以前:

【備忘録】加害者側に回ってしまった"いじめ"の記録

・祖父の遺産

2011年:中1

・中学受験不合格

東日本大震災を経験

・小卒

・中学卓球部入部

【備忘録】人生の職

・英検・数検・漢検トリプル合格(4級)

・革命の冬休み

2012年:中2

【備忘録】同級生が亡くなった

・英検3級合格

2013年:中3

漢検・数検3級合格

・悪友との饗宴

・817点

2014年:高1

【備忘録】10年以上尾を引いた失恋の記憶

・中卒

・高校卓球部入部

2015年:高2

・初めて被害者となったいじめ

2016年:高3

・英検2級合格

・英検準1級不合格

2017年:大1

・高卒

・大学受験失敗

【備忘録】執念の仮面浪人

2018年:大2

ロックマンにはまる

→クラシックスコレクション(1~6):完遂

ロックマンアンリミテッド:完遂

トライアスロン部へ入部

2019年:大3

・大学編入学失敗

・ITパスポート不合格

秘書検定2級不合格

漢字検定2級不合格

2020年:大4

・大学留年確定

・現実逃避の小説書き

・ブログ「RETRO少年の懐古録」開設→現在閉鎖

Youtube「RETRO少年の懐古録」開設:「RETRO少年の懐古録 - YouTube

2021年:大5

・自殺未遂

・入院(4月~6月)

・大卒(1年留年)

2022年:社1

【備忘録】My 論文の作法

【備忘録】2022年9月26日の葛藤

2023年:社2

・ブログ「RETRO少年の懐古録」→「RETRO少年の懐古録|note」に転載

2024年:社3

・英検1級不合格

・ITパスポート不合格(2)

【備忘録】フクロウに襲われた

・当ブログ開設

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☆趣味・特技

〇スポーツ

・【スポーツ】水泳

・【スポーツ】卓球

・【スポーツ】ランニング

・【スポーツ】サイクリング

・【スポーツ】トライアスロン

〇ゲーム:【趣味】ゲーム戦績&記録まとめ

・【ゲーム】ポケモン

【ポケモンGBA】全国図鑑の作成計画(※平成の江戸編集)

・【ゲーム】ロックマン

・【ゲーム】Syupro-DXから配信のゲーム(iOS版)

・【ゲーム】立体四目

SNS発信

【SNS】はてブロ「平成の江戸」(当ブログ)

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・【Note】マガジン「怖い話名作選」

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〇その他

【趣味】資格狩り

【趣味】読書

・【趣味】2024年計画

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〇特別備忘録

【特別備忘録】バットエンド受験物語(2010年8月~2022年10月, 12年2か月)

【特別備忘録】うつ病と戦い、そして敗けた時の記録(2020年1月~2022年3月)

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〇更新記録

・2024年6月28日 作成

・2024年7月1日 更新

・2024年8月3日 更新

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