Kai ! GO ! Life (original) (raw)

10月になり今年も母の誕生日が来た。

今年は母の好きなバイキングのホテルランチを予約した。

なんだか、母はこの好きなだけ取ってこれるバイキング形式が好きなようでいつもパンの食べ放題やブロンコビリーのサラダバーで意気揚々としているのだ。

最近は歩くのも足元がおぼつかなくなり、杖を頼んだりしているのだが肝心の杖を持ち歩くことができないタイプでこの日も杖は置いてけぼり。

ランチなので、サラダだけでなくいろんな料理があるタイプのバイキングにした。

母はバイキングが好きなのだが、いまいちその場の流れや取り方がわからないらしく

一応、「ここにお皿があるよ。」とか

「ここに飲み物があるよ。」と教えてあとは好きに料理を取りにいかせる。

ヨタヨタしながらも、皿いっぱいの料理を盛り付けてくる。

毎度ながら笑える。

バイキングなので、少しずついろんな種類を食べればいいのについ山盛りにしてくる貧乏症。(がめついのか?)

「バイキングで取りにいけなくなったらお終いだわ」

「杖なんてついていたら、お皿持てないじゃない」

とのたまう。

あまり食べすぎるのは糖尿病に悪いのだが、父が全然食べられないのを見ていると食べられるうちに食べたいものは食べたほうがいいのかもと思えてしまう。

中華からお肉から、果物、デザートの類をワンサカ食べる。

母に付き合って私も食べるが、もう毎度、お腹がいっぱい!って感じになるまで食べる。

母が山盛りデザートを食べている時に係の人がお誕生日プレートを持ってきてくれた。

あ、そういえば予約の時に備考欄に私が「お誕生日プレートとかありますか?」って

書いたのだった。

最後の最後に出てきたので私も忘れていた。

母は、

「80過ぎなのに、、」

と恥ずかしそうにしながらもまんざらでもない感じ?

お店でこんな祝い方をされるのは80代で初めてなんじゃないか?

私の方がリクエストしておいて、逆に恥ずかしかったり。。

支配人?さんもお祝いの言葉をくれたり・・

「今日もたくさん召し上がられていて、たくさん召し上がられることは健康の証ですから是非、またいらしてください。」

とか言われて・・

しっかり見られているんだ。

さすがにこのお祝いプレートも食べたらお腹いっぱい。というので私がお会計に行ったら、、

「やはり最後にアイスを食べればよかった。」

と言い出す母

確かにアイスが何種類かあったわ。

でも私はお腹いっぱいでもういいやになっていたのに、この人はまだ食べたかったのだろうか??

ある意味すごい。

糖尿による過食傾向もあるのかもしれないが、食べることは生きることというのも正論だ。

よく噛んで、飲み込めて、消化できる。

これが出来なくなったら生き物は生きていけない。

そういう意味では母はたくましい。

年々、老化は進むし、出来ないことも増えるけど今年も1年、たくさん食べられるといいね。

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母と通院同行していると、だんだんと歩けなくなってくるのがわかる。

変形性膝関節症で脚がO脚化しているのは60代のころからのようだが最近ではヨタヨタと歩くようになってしまった。

自分でも外を歩かなくなったせいか?

たまに出かけると駐車場から病院の入り口までの距離でもヒ~ヒ~言いながら歩いている。

最近、家の中や庭でも転倒することも多く、なんとなく杖を使い始めた方がいいのかもしれないと思った。

なので、先月のケアマネモニタリング訪問時に

「杖を用意してもいいのかもしれないです」

と提案した。

今までは母が固くなに拒絶していたり、

「杖なんてダイソーでいいのよ」

と杖に対して消極的だったのだが、今回はあまり否定しなかった。

「杖や介護用品は体の一部になるものだから、安かろう悪かろうはダメだよ。」

と私が言って福祉用具で杖をお試しすることになった。

なんだか、デイのお仲間が持ってくるような「三点杖がいい」と言い出すし。

私にはどんな杖なのか?

具体的にわからないのだが、こんな感じかな?というのをネットで探して福祉用具さんに何点か持ってきていただきお試しをすることになった。

杖も実はいろんな種類があって、長さもその人に合わせたり用途も併せたりするのが正しい使い方なのだが、まずは便利だよ。と実感してもらわなくてはいけない。

3点杖で軽いものをお試しして、しばらくリースで使ってみることにした。

今年から介護保険が改正になり買取も介護保険適用になるそうなのだが、杖も使い勝手が変わってくるかもしれないので、最初はリースでいいかな。と思う。

父は片麻痺になって車椅子から杖歩行をリハ科の先生にガッチリ学んで進歩系の杖歩行だったが、母の場合は自力歩行の補助になるので後退的な杖歩行か。

「なんだかデイのお仲間の杖と同じようなのがいいらしいですよ」

と私が福祉用具さんに伝えると、、

「ありがちなパターンですね。」

と言われたがありがちでも今まで拒否していたものをデイ仲間がいることで受け入れるのなら私的にはOK!OK!だ。

杖からシルバーカー。

車椅子。と老化の階段を上がっていくのか?

下がっていくのか?はわからないけれどもね。

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うちの両親には孫が2人いる。

私には子どもがいないので、2人は妹1号の子どもだ。

(父をオール無視する妹1号の子・・・)

2人のうち女の子の方の姪は妹1号の「お抱え」なので自分の嫌いな人には会わせないらしく私はこの姪と話したことがない。

そして父もこの孫とは赤子の頃見せてもらっただけでその後、全然、対面がないので記憶に残っていないかもしれない。

同じ妹1号の子でも上の甥はなぜか?母親と折り合いが悪くて・・

そのせいか、小学校の時からジジババのところに夏休み一人で泊まりにきたりしていた。

この子が生まれた時から、ジジは右麻痺の障害者だったので甥っ子はそんなジジを疎ましく思うことなく泊まりに来た時、寝る場所がなくてジジのベットの横で寝ていたりもした。

そんな甥っ子も大学を関西に戻って進学したため、ここ数年はすっかり足が遠のいていた。

私も甥っ子に

「ジジが意識があって人の識別ができるうちに会ってほしい」

とお願いしようかと思ったが、孫というのは介護上は結構、遠い存在だし、距離的にも遠いので何も伝えないでいた。

(肝心のこの子の親がジジをオール無視しているからね。

普通、親が言う事だろう。

伯母が言う事じゃない。)

そうしたら、突然、上京するからジジのところに面会に行く。とババに言ってきたらしい。

母から連絡があった。

いきなり言われてもこっちも予定があるので、今回は「タクシーで行って。」と甥っ子にLINEで連絡した。

「ジジは寝たきりでしゃべらないけど、たぶん、意識はしっかりあるから孫の貴方のことはわかると思うよ」

「会いに行ってくれてありがとう」と。

甥は実家からババと一緒にタクシーで父の施設に行き面会したらしい。

賞味20分程度だったが(15分が限界値のようだ。。)ちゃんと孫の存在はわかったらしい。

会話という会話はないけど、孫の就職のことも伝えたらしい。

握手をしてきた。

と言っていた。

ジジにとっては、初孫でこの女系家族に生まれた珍しい男子だ。

本当ならもっといろいろ話したり、遊んだりしたかったのかもしれない。

(体が不自由でなければ。)

でも会話は出来なかったけど、孫に会えてよかった。

この日は、甥っ子とババと一緒にご飯を食べた。

気づけばこの甥っ子も来春、社会人で独り立ちするそうだ。

成長していく人あり、

老いて弱っていく人あり。

人生悲喜こもごもだ。

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私が介護ブログを書いて1年以上たった。

正確には別の雑記ブログの中で介護のカテゴリーで少し書いていたのでもっと前から

綴ってはいた。

介護ブログに関しては、正直、だれかの役に立つ情報でもないし、

これで小銭稼ぎしようとか?

読者を増やそうという気持ちはまるでなくて、どうしても親の介護の中で揺れる自分の気持ちを整理するために文章にしているという感じだ。

私のブログは日々の日記で、つまらないことを文章にまとめることで悲しかったり、つらかったり、楽しかったりする自分の気持ちを客観視することで自分を落ち着かせるために書いているところがある。

なので、読者数も多くないし別にそんなに多くの人に見ていただかなくてもいいと思っている。

日々、流れていくSNSの世界に自分の記録を残せればいいかな。と。

HatenaBlogから「1年続いている人に」と過去記事がピックアップしてきたりしているが、ブログ歴としては1年どころか10年以上やっている気がする。

(介護ブログではないが)

その日常の生活の中で親の介護というものが出てきて、そのことを日記のように書いたら、(6年前か?)何もしない妹1号が

SNSで病気のこと拡散するのやめてくれない!

ベラベラ言いふらすことではないです!」

と一方的に文句を言われた。

へ~~、文句を言うためにわざわざ私のブログをチェックしているんだ。

その方がご苦労なこって。

そもそも実名を出していないし、親戚が見ているわけではないのでこっちの勝手でしょ。と思った。

わざわざ私の雑記ブログを毎日、チェックするほど対抗心持っているなら、自分もやってみろよ。と思って無視したが、なぜ?そんなにタカビーな言い方をするのか?

その後、6年近く私が通院やら施設入居やら諸々やっているので、

そういう文句は自分が関わってから言ってくれとつくづく思う。

自分はSNSも全然、続かないくせに文句ばかり言う。

こんなの個人の自由だろうが。

と改めてムカつく。

気づけば、親の介護に携わって6年近く。

最初はがんの連日告知から始まって、入院、手術。

父はショートステイでのトラブル。

帰宅後のフォロー。

毎月の通院。

家での転倒のたびに通院。

だんだん、出来ないことも多くなり、細かいことが問題になってきた。

ケアマネとのモニタリング訪問もほぼ毎月、同席している。

あと、実家のゴミ排出。。。

我ながら6年、がんばったな。と思う。

気まぐれで手伝う妹と違い、コンスタントに続けるのはやはり根性がいる。

父の毎月のような通院同行も行けなくなってしまうとなんだか懐かしくなる。

係わった人だけわかるその時々の苦悩と思いが介護にはある。

関わっていない人は、黙っていろ!と私は言いたい。

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父が退院してから、おやつ?で差し入れできるものはアイスか?ゼリーくらいになってしまった。

もともと軟食だったので、ゼリー、クリーム系のケーキ、プリン、水ようかんなどの

飲み込みやすいものでまとまりやすいものと限定だったのが、さらにミキサー食になり

アイスクリームか?ゼリー以外難しくなった。

日常の水分がトロミ中のレベルになり、私からみると完全にゼリーなので私から

「食べる?」と聞けるものがアイスくらいになってしまった。

今まではコスパを考えてレディーボーデンシャトレーゼのアイスが多かったが

ここまでくると値段=素材かな?と思いハーゲンダッツのアイスを買っていって食べさせている。

父はイチゴが好きなのでストロベリーのアイスを必ず選んでいくのだが、このストロベリーに入っている果肉がくせ者らしい。

飲み込みにくいようでバニラよりつっかかる。

これは施設の職員さんも言っていた。

ハーゲンダッツは果肉やクッキーなどの触感があるからおいしいのだが、嚥下障害にはこのレベルが難しいようだ。

なので、果肉をなるべく外してスプーンで口に運んでいる。

飲み込みやすいレベルではバニラの方が進むようだ。

なのでなるべく滑らかな舌触りのハーゲンダッツを探している。

季節限定だったり、パーティパックのイチゴはイチゴミルクになっているので大丈夫か?とか。

マーブル系のチョコレートはつっかかりがないか?とか。

クッキークリームやレーズン、小豆がはいっているようなものは除外にしてハーゲンダッツを探しまくっている。

とはいえ、1個のカップを2日や3日がかりで食べるのでそんなに量は必要ない。

ハーゲンダッツのバニラで1カップ、エネルギーが240カロリーか。。

と自分なら少ないことを考えるけど、父のためにはなるべく高カロリーの物がいいと思う。

普段の食事のメインがメイバランス。

これだって1日でチューブ1個?食べられるか?

さすがにこの量の栄養分ではどんどん痩せていってしまうよね。。

でも、まだ自分で口をあけて食べようとするので、経管栄養にしなくてよかったとは思っている。

経管栄養にしたら口から食べることが出来なくなってしまうから。。

あああ、ハーゲンダッツ

私はしばらく、食べられなくなりそうだ。。。

父との最後に毎日のように食べさせていた。と思うと・・・。

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敬老の日に特養でお祝い会をやってくれた。

父は数えで卒寿になるらしくお祝いの対象なので祝賀会にも参加できたら参加していただきたい。と退院時に言われていたが、果たしてどうなるやら?

と思ったが、思いのほか低空飛行なので祝賀会に出席できるか?はわからないが敬老の日は祝ってもらえるだろうと思っていた。

当日は体調がよかったらしく、リクライニング車椅子で午前の式典?にも一応、参加したらしい。

この式典には家族はいかなかったがあとで写真を見せてくれた。

まあ、本人、不機嫌そうな顔して車椅子に乗っていたが、車椅子に乗れるだけすごい。

お部屋の前にはお飾りがついていたが、もちろん父は見られない。

写真に撮って見せたけど、本人はなんのこっちゃ?って感じ。

まだ88歳なのに数えで90になっている不思議。

でも平均寿命を超えて卒寿ってすごいわよね。

この日は施設の食事もお祝い膳でお赤飯をお重に盛り付けて豪勢になっていた。

刻みや一口大だとこのくらいの対応ができたらしいが、父のように完全ミキサー食だと

お祝い膳もなくメイバランスが小皿で出ただけだった。

お吸い物とゼリーのデザート、完全にゼリーのお茶が父の食事だった。

イベントをやると職員は大忙しで食事も押せ押せになっていたので、父の昼食は私が食事介助した。

メイバランスを半分とゼリーを半分。

お吸い物はおいしくないのか嫌がり、水分のお茶は完全にゼリーなので2口くらいしか飲み込めなかった。

これくらいか。。

正直、きついな。という実感があったが、それでも経口で飲み込む努力をしている。

この日は静岡の従兄弟(父にとっては甥)が来てくれたので一緒にいった。

自分からはしゃべらないが、甥が来てくれたことはわかって握手をしていた。

私はこの1カ月、見ているので低空飛行で変わらないかな。と思っていたが久しぶりの従兄弟からみたら、弱ったと思っただろう。

でも看取りで最後に会いにきたつもりだったので、思ったより顔色もよく、意識もあるので少し安心したらしい。

とはいえ、食べている量が量なので、メイバランスとアイスでどこまでいけるのか?

退院したころは、敬老の日もお祝い出来ないと思ったけど、なんとかお祝いすることができた。

父にとってはお祝いもへったくれもないのだが、こういう1つ1つもあといくつイベントがあるのか?

次の目標は11月の誕生日かな。

最近は母も面会にいき、今まで罵詈雑言の夫婦だったが、過去一優しく声をかけている。

もうちょっと早くから面会にいってあげればいいものを。

と私は思ったけど、、

1つ1つを大切にしていかねば。

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看取り介護に切り替える時、相談員に聞いた。

「看取りになってからどのくらい生きるんですか?」と。

この答は

「人それぞれなので何とも言えません。

一晩でお亡くなりになった方もいれば、そのまま2年以上存命の方もいますから。」

と言われて、

「はあ~」

って感じだったが、うちも看取りに切り替えたら低空飛行ながら前の週より落ち着いてきた。

ケアプランが看取りに変わるので作り変えました。とか

リハ計画が変更になりました。とか書類の類のサインを行くたびに求められるのだが

リハ計画のサインをしていたとき、

「〇〇さん、今日、新聞読んでいましたからね。。」

とリハの担当が言っていて、私も「え??」となった。

父は特養に入ってからすっかりテレビを見なくなったのだが、部屋に届けてもらっている新聞だけは今までは読んでいた(めくっていた?)。

ただ今回の入院時は2週間以上特養から離れることになるので一端新聞を止めてもらっていた。

退院後、どうしよう。と思っていたのだが、

退院直後に現場のケアの方が前日の新聞を渡しても一瞬、掴もうとするが見ることすら疲れるようですぐに置いてしまった。と言われて「どうしようか?」と本人に聞いたら

そんな状態でも新聞は欲しい。というので一応、部屋に届けてもらっていた。

読まなくても、ベッドに置いてあるだけで安心するのかもしれない。と言われて

まあ、いいか。と毎日、今まで通りに届けてもらっていたが、自力でめくれないし読んでいる形跡はなかった。

この日も寝たきりには変わりなく、食事も食べても半量くらい。

お部屋に行っても寝ている状態だったが、新聞がくちゃくちゃになっておいてあった。

「読んだの?読む?」

と聞くと

「うん」というので適当にめくって渡した。

「はい1面です。岸田さんが辞めるので新しい総理候補がいろいろでています。」

「はい、経済面。トヨタパナソニックがオリンピックスポンサーからおりました。」

「はい。海外情報。アメリカ大統領選挙です」

とか、私が適当~に大文字を読み上げながら渡すと読みはしないが見出しを目で追って読んだ気になっていた。

先週よりは生きている感じがする。

定番になっている私のアイスクリーム食事介助も2日で1パックという感じで

「食べる」と言っているし・・・。

施設側曰く

「いい感じですよ」

という低空飛行の寝たきりライフになっている。

とはいえ、食事の総量は少ないし、水分量も少ない。

だんだんと弱っていくのだろうけど・・・

あああ、わたし、職場に

「父が看取り介護になりまして、、急変したら早退させてください。」

と上司にお願いしたばかりなんだけど。。

なんか死ぬ死ぬ詐欺になりそうだな。

まあ、生きていることはいい事なんだけど。

来週の敬老の日のお祝いはできそうだね。

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