清水剛著「感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか」(中央経済社) (original) (raw)

感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか

人類と感染症との戦いにおいて、人類最大の敵となるのは、細菌でも、ウィルスでもなく、感染症を甘く見て舐めくさっているやつである。

本書刊行の2021年4月は、前年より広まっていたCOVID-19の渦中であり、かつ、ワクチンがようやくスタートしたばかりの頃であった。すなわち、罹患する可能性、罹患したときに人命にかかわる事態に陥る可能性がかなり高く、罹患しないためにロックダウンで経済を縮めるのが当たり前になっていた頃である。

その中にあって本書は、人類がこれまで感染症にどのように向かい合ってきたかを、近現代史に主軸を置いてまとめた一冊であり、特に着目すべきは、本書の主軸が経営者に置かれていることである。経営者について利潤をむさぼる悪徳な人物と捉え手は鳴らない。仮にそのように捉えたとしても、自分のところで働いてくれていて、自分の会社に売上と利益をもたらしてくれている人が、ある日突然命を落とすなどというのは認められるものではない。ましてや、それが何十人、何百人と広がってしまうのは、絶対に受け入れられる話ではない。

慈愛に満ちた人であろうと、自らの利益しか考えない人であろうと、感染症を放置して働けと命令するのは無茶である。罹患した人に責任を押しつけるような人であったとしても、罹患が発生してしまったら、感染症を無かったことにすることなどできないのである。

ゆえに、感染症の流行があったならば対処しなければならない。ワクチンがあるなら接種させるようにする、感染のメカニズムが判明しているならそのメカニズムから回避させるようにする、そうした経営の動きを示さなければ、慈愛に溢れる人は慈愛の評判を維持できないし、自己中心的で自分の利益しか考えない人であっても自分の利益を維持できなくなる。

先人達の足跡を追いかけることは、未知の感染症に出会ったときの対処として非合理的な対応ではない。感染症そのものは未知であっても、感染症対策自体は既知なのである。

感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか