西谷正浩著「中世は核家族だったのか:民衆の暮らしと生き方」(吉川弘文館) (original) (raw)
日本の非都市部に住む庶民の一般的な家族構成に目を向けると、古代と中世とで大きな違いが出てくる。極論すると、縄文時代から存続していた竪穴式住居での大家族から、現在の我々の家族構成として一般的に思い浮かぶ姿へと変化する。
単純に考えると、結婚して子供もいる大人のきょうだいが同じ住まいに住むかどうか。その家の最年少者視点で捉えて、祖父母の代と同居する、曾祖父母と同居する、ここまではまだイメージできても、親のきょうだいも同じ家に住んでいることは普通ではないと感じる。ましてや、そのきょうだいが結婚して子供もいるとなると、特別なことと感じる。だが、そのきょうだいが別の建物に住んでいるというなら珍しく感じない。隣の家に住んでいる、同じアパートの別の部屋に住んでいるというのなら、何ら特別なこととは感じない。つまり、結婚して子供をもうけたなら、別の世帯として独立しているものだという概念が成り立っているのだ。
その概念が成立したのが、本書で取り上げている時期である。
平安時代まで、資産はより大きな家単位、言うなれば氏族単位で管理監督していた。盆暮れ正月に親族全員が集まったときの面々が一つの単位であると捉えればいいであろう。
それが、集落と個人との間に家がワンクッション入るようになった。農地は家に帰属し、家が集落に帰属するようになって、個人が家に帰属するようになった。資産をより小さな家で管理監督するようになったのである。本書の言うところの「核家族」だ。
その結果、相互扶助による生活保障の水準は減るものの自助努力によって豊かになるチャンスの広がる社会となった。良かれ悪しかれ古代から中世への移行の一翼を担うわけである。
本書はこうした庶民の生活単位の変遷を軸とした社会の移り変わりを著した一冊である。日本の歴史を学ぶ上で見逃されてきた点を本書は気づかせてくれる。
ところで、本書にはこのような記載がある。この点だけは現在日本に復活すべき過去である。平均年収を400万円とすると、3400万円を別途支給するわけであるから、それだけで景気は一気に回復するであろう。
灌漑・堤防の工事は有償労働であった。…(中略)…計算上では食料代、日当だけですでに一人前八五文に達している。中世の単純労働の標準賃金は一〇文だから、この工事はかなり割のよい仕事といえよう。