早熟の翳 二十七話 (original) (raw)
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誠也は以前と同様に林田先生に同行し仕事のアシスタントを担う。この日裁判所で公判が行われた後、先生は初めて誠也を飲みに誘った。その店は嘗て先生が世話をした元ヤクザの構成員が出所したから更正し夫婦で経営している居酒屋であった。
暖簾を潜り扉を開けると愛想の良い声が二人を迎えてくれる。
「いらっしゃいませ、あら、先生じゃないですか! お久しぶりです、さあどうぞ」
「相変わらず元気でやってるみたいだね、安心したよ」
そう言って椅子に掛けた先生には好物の焼酎が運ばれる。誠也はそれに合わせ同じ焼酎を頼んだ。誠也も挨拶を済ませ二人は思い出話などに花をが咲かせる。誠也が見る限りでは確かにアウトローをかじっていた面影はあるものの、その愛想の良さや話の仕方、快活な笑顔には何の翳も感じない。先生が
「あてはお任せするよ」
と言えば
「はい、了解です!」
と颯爽と料理に取り掛かる主人の包丁捌きは実に巧みで鮮やかで魚を極めて薄く切る腕は職人そのものである。それに見入っていた誠也に先生は言う。
「この人は元々漁師の家の生まれなんだよ、だから包丁捌きなどはお手の物なんだが、途中で道を誤ってしまってな、でもその腕は今でも全く衰えてはいないようだ」
「そうなんですか、感動しました」
カウンターの上に出されたお造りは切り口の繊細さ、滑らかさに加え脂の乗った旨味はどう表現していいのか分からないほどの至高の味だった。つい箸が止まらなくなってしまった誠也に対し
「もうちょっと味わって食べてはどうかね」
とあやす先生の様子を見ながら主人は微笑を浮かべる。そして主人も
「兄さん、まだまだあるから慌てなくてもいいよ」
と優しい声を掛けてくれる。この刺身は誠也にとっては贅沢極まりない逸品だった。
或る程度酒が進んで来ると誠也は改めて先生に訊く。
「ところで先生、何故自分の過去を全く訊いて来ないんですか? 何故こうもあっさり自分を受け入れてくれたんですか?」
先生は微動だにせず徐に口を開く。
「私は細かい事などどうでもいいと思ってるよ、そうだな~、君を受け入れたのは感性だけに頼った結果かな」
「感性ですか........。」
「そうだよ、以前に依頼されていた殺人犯がいただろ、何故あんな男の弁護を引き受けたかはかみさんから訊いたかもしれないが、あの男も今では己が罪を認め大人しく服役しているよ」
「そうだったんですかぁ、ではやはり自分が一度辞めた事は軽率だったんですね、本当にすいませんでした」
「いや、謝る事はないよ、私は君が戻って来てくれると信じていたし、君も色々経験を積んで一端の弁護士になったじゃないか、それで十分だよ」
誠也は先生のこの言葉に我を忘れ泣き出してしまった。畑で訊いていた主人も自分の過去を省みたのか貰い泣きしている。
「でも君には足りない事もある」
「何ですか?」
「寛容さだよ」
「はぁ~......。」
「図星だったみたいだね、人間という生き物は過ちを犯すものなんだよ、でもそれを一方的に咎めるだけでは先に進まない、だから私は弁護士になったんだよ」
「でも、その過ちにも限度がありますよね、殺人などは論外とも思えるのですが」
「そうだね、確かに殺人なんて誰でもする事ではない、だから私は相手を見た上で依頼を受けるかどうか決めてるんだけど、同じ殺人でも止む負えず及んでしまったという事も結構多いんだよ」
「それでも自分は許せないですけどね~」
「ならば君は何故弁護士になったんだ? 検事の方が良かったのでは?」
言葉に詰まった誠也は取り合えず思い付いた事をバカ正直に語り出す。
「自分は弱者を困っている人達を助けたいんです、ただそれだけです」
「犯罪者は必ずしも強者ではないよ」
「それはそうですが.......。」
誠也はこれ以上何も言い返せなかった。確かに先生の仰る通りでこの主人も以前の殺人犯も先生の功に依って更正出来たのであろう。だがその反面被害者は完全に報われたのだろうか、いくら法律で刑に服し償いを受けた所被害者や遺族が報われる事など永久に無いのではなかろうか。加害者の更正を持って報われる神様仏様のような人間などいるのであろうか、とてもじゃないが信じられない。
何年も前に法曹の道に足を踏み入れておきながら誠也は今更ながらこんな想いに錯綜する。だがこの真理とも言うべき人間生命の奥底に眠る問いには学校は勿論、研修所でも裁判所でも日常の生活でも教わる事はない。自ら身に付けて行くとしてもこの問いに完全なる答えを出せる者などいるとも思えない。とすれば宗教的な観点か導くしか道はないのだろうか。でもそれは少し話が違うようにも思える。
誠也は一応先生の言を踏まえた多少なりとも寛容に生きて行くよう心掛けた。店を出た二人は青白く映える夜桜の美しさを己が心に映し出すのであった。
その後誠也にも大らかさが芽生えて来たのか、まり子との同棲生活には以前にも勝る陽気さが漂う。そんな誠也の様子に嬉しくなったまり子は言う。
「貴方最近少し変わったみたい、何かいい事でもあったの?」
「いいや、別にそういう訳じゃないんだけど」
「まあいいわ、今の誠也はめちゃくちゃ好きよ」
と言ってまり子は出勤する前に誠也の頬に軽く接吻する。この感触は誠也の心を更に大らかにさせた。
この日既に仕事を終えていた誠也は勢いに乗じて清政と健太に会いに行く決心をする。勿論彼等の全てを許す訳ではない。ただ会ってお互い腹をぶち割って話をしたいだけだった。
彼等の現状などは一切調べぬままに足を踏み出す。春の麗らかな空は誠也を優しく包んでくれる。その光に抱擁された誠也は己が精神の拘りと寛容さを天秤に掛け、四分六で寛容さが勝るような気がしていたのだった。
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