ラノベ関連 (original) (raw)

文春?だかのWeb記事で、芥川賞作家の市川沙央氏が島田雅彦氏の新刊「大転生時代」を論じた。その中でラノベの典型の一つである「転生して無双する」フォーマットを「植民地支配」と重ね合わせた議論が盛り込まれていた。先週あたり"はてブ"に取り上げられ、軽く炎上した記憶である。

市川氏の文章をざっと読んで「仰々しい文章で、ちょっと雑かな」という印象を受けた。僕もラノベを多読したわけではなく、主にアニメ経由の認知ではあるものの「一口に『なろう系転生系』ラノベと言っても、さまざまな工夫と差別化がある。十把一絡げにはできないよね」と思っていたからだ。だから市川氏への批判には一定の理があるなと感じた。

同時に、反論の中に時折「純文学の作家様がラノベを見下すんじゃないよ」というトーンが見られて気になった。いや、それ完全に被害妄想でしょ。

出版不況の中でも純文学はジリ貧のオワコンである。芥川賞くらいしか有力イベントはない。アニメ化もされない。映像化の適性がある作品も地味なドラマ化、映画化が精一杯だ。王様のブランチに一度(よくて数週間)、数十秒取り上げられて終了である。

もはやマンガ・アニメ・ラノベが強者。純文学は弱者どころか瀕死であろう。そんな状況で、純文学の作家がラノベを見下しているとすれば、その作家の認知もプライドも相当歪んでいる。作家だって「売れるラノベが楽しく書けるなら、喜んで書くよ」と思ってるはずだ。書いてみたら純文学になった。だから結果的に純文学にコミットしているだけだ。ラノベが書けたらそっちにコミットしたはずである。後半は僕の妄想だから知らんけど。

それから、アラフィフ以上の作家世代にラノベをバカにする精神があるとは思えないのである。(市川氏の世代は分からない。)

それはやはり、デビューからドタバタナンセンスSFを書きまくり、純文学の文壇に喧嘩を売り、彼らの俗物性をからかったパロディ作品をわざわざ書いたのみならず、自らも一級の文学作品を書き、一級の文学評論を書き、さらに74歳を超えて"お下劣ラノベ"「ビアンカ・オーバースタディ」を書いた筒井康隆の存在が大きい。

筒井康隆の著作に親しんだ人が、ラノベをバカにするなどありえない。根拠はないが僕はそう確信する。島田雅彦氏は間違いなくそのクラスタに入る。間違いないと思うよ。

それから村上春樹。彼の作品も純文学とか娯楽小説とかSFとかいうジャンルには収まらない。なんならラノベ領域にも片足の足指が何本か浸ってると思える。作家がラノベをバカにしたとして、認知が歪んだ一部のクラスタだろう。

もちろん、ラノベが芸術的にどうとかそういう話ではではなく、面白いものは面白いし、どんなジャンルでも優れるものは優れる。それだけの話である。ラノベラノベ。SFはSF。ボートはボートなのだ。((C)村上春樹

「俺のクラスに若返った元嫁がいる」

ハルヒ以外で読み通した最初のラノベ

男性作家が未練たらたらで元カノと"より"を戻したいファンタジーを書いたのか。涙なしでは読めない。などと思っていたら、途中から「元嫁」主観で心情が語られた。どうも男性に書ける内容ではないと思われた。作家のペンネームも「猫又ぬこ」。最後まで読んで、今はやっぱり作家は女性の方かなという印象を持っている。

とすれば未練たらたらの男を、女性観点から手のヒラの上で転がしたラノベであり、やはり恋愛の駆け引きというのか、男は女には敵わないものだ、と思う。どうなんでしょうね。

また、男性作家には細かいコミュニケーションや心象描写で読ませるラブコメは無理なのでは。とも思った。(おっさん並の感想)

他にもラブコメ系をいくつか並行で読んでいる。女性作家が多い印象だ。男子が魅力的でない(言葉遣いが雑だったり傲慢だったりそもそも影が薄かったり)。女子も思い込みだけで進展する少女漫画を彷彿させたりと、あまり感心してない。そこに活字がある、という理由でズルズル読んでいる。

なろう系RPG世界観ラノベにも着手。主人公がモテるやつ。男性作家で文章が上手い。僕も昔はおバカ男子であったので、こっちはワリとすんなり楽しめている。

そんなものかな。まだまだラノベとの距離感が掴めていない気がする。困惑しながら読んでいる。