中世スコラ哲学の記号設置問題 (original) (raw)
はじめに
ChatGPTに代表されるような自然言語を操る生成AIが登場するにつれて、記号設置問題(symbol grounding problem)*1の議論が増えてきた。何が問題かといえば、身体を持たない生成AIは、自然言語を操ることはできても、一つ一つの言葉の意味を質料を伴った実在として理解することができないということである。
ある哲学書や形而上学のように、何か地に足のついていない議論というものは胡散臭く感じるものである。ChatGPTが生成する文章は、何かつまらなく感じることがある。それは何故なのかを言い表すのは大変難しいけれども、ここではその内容に生々しさを感じないからだ、とだけ言っておこう。
中世スコラ哲学の記号設置問題
中世のスコラ学者は、アリストテレスのテキストが中世に復権されたことで、アリストテレスの形而上学を神学へと導入した。これに対して近代の啓蒙思想家は、中世スコラ哲学を空虚なものとして批判した。例えばホッブズは、大学でアリストテレス学が取り扱われている実情に不満を漏らしている。ホッブズにとってはスコラ哲学の言語は、われわれの目にしているChatGPTの言語のように、記号設置問題を抱えているように見えたのかもしれない。近世に差し掛かる頃から、中世スコラ神学のような形而上学は唯物論の観点から批判されるようになっていく。
だが、中世スコラ哲学を営んでいた神学者たちは、身体を持った人間に他ならない。中世スコラ哲学者が身体を持った人間である限りは、書き手は記号設置問題を抱えているはずがない。にもかかわらず、どうしてあたかも身体を抜きにしたような思考が可能になったのだろうか。
このことは、近世以降の啓蒙主義者の観点から見ていては理解できないと思われる。おそらく中世スコラ哲学者にとってみれば、身体を抜きにしたような思考の中に一つの実体を、一つの生き生きとした現実性を見出していたと言えるだろう。
ChatGPTの記号設置問題
翻ってChatGPTの記号設置問題はどうだろうか。ChatGPTの生成した文章に何か内容的な空虚さを感じる場合、読み手であるわれわれは、ChatGPTというシステム側の現実性を十分に理解できていないのではないだろうか。などと馬鹿なことを考えている。
*1:Harnad, S. (1990) The Symbol Grounding Problem. Physica D 42: 335-346.