その一曲を語るのに【Catcher In The HitoRilay】 (original) (raw)

【主題 "何かが変わりそう"について語ろう】

何かが変わりそう

"何かが変わりそう"。

数あるUNISON SQUARE GARDENの楽曲の中でも、この曲ほどセットリストのどの位置に組み込まれていても違和感のない曲もそうは多くない。ライブの開幕を告げるようにも、その時までの流れを変えるようにも、終幕を実感させるようにも聴こえる、魔法のようなメインリフのフレーズ。その後の歌詞の展開も相まって、どこまでも前向きに聴こえるはずなのに、どことなく暗さを感じる。何とも言えない、不思議な開放感のある曲。

その開放感の要素として重要なのが、要所要所にて用いられる「夜」や「空」などの、果てしない外界の広さを感じさせるワードの数々だろう。それぞれが自由を表しているようにも、茫漠たる独りの侘しさを表しているようにも感じる。1人であることの自由と、孤独であることの寂しさを語るAメロ、からの窓を開け離した後の開放感。段階的に盛り上がっていく曲調も相まって、サビの爽快感が本当に気持ちいい。

ロックバンドの進歩とそれに伴い続ける懊悩のようにも、そのロックバンドを追いかけるリスナー自身のようにも、そのリスナーを見据えるロックバンドのようにも感じられる。切り取り方によって多面的に解釈の変わる歌詞の紡ぎ方は田淵氏の得意とするところではあるが、この曲もその傾向にある。だが、どういう見方でも上記の「1人であることの自由と、孤独であることの寂しさ」は共通しているように思える。

人間という生物が本質的にはどこまでも孤独な生物であり、それを補うために四肢や五感があり、後天的に育まれる喜怒哀楽の感情がある。それらを使って他者と交流を図り、どうにか絶対的な孤独から逃れようとする。バンドという形態はその象徴の一つであり、そこから生み出される楽曲によってロックバンドとリスナーが、そしてリスナー同士が共鳴し、繋がってゆくことも同じである。

人生という孤独に死ぬまでの長い暇つぶしの中で、明滅のような一瞬にだけ奏でられ、そして他人の瞳に、鼓膜に捉えられる音楽があって、それを追い求めることで他人同士が交錯し、邂逅することは、日ごろ軽く考えているが、本当は天文学的な確率の事象なのではないか。彼らが音楽を純粋に、ひたすらに追い求めることで、その周りのリスナーたちは、日々人生における「何か」が変わりそうな出来事を目の当たりにし続けているのではないか。

彼らに向けるあらゆる感情の声が聞こえたとして、そのほとんどは空に消えていくだけだとしても、他の誰かには捉えられて、誰かの人生を微かに、しかし確実に変える出会いのきっかけとなっているのだろう。まさしく聴くだけで「何かが変わりそう」だと感じさせる名曲である。

【ルール変更①:500文字以内に収める】

"何かが変わりそう"。

ニゾンの楽曲の中でもあまり類を見ない、前向きさと暗さの交じった開放感のある曲。思うにその開放感は、歌詞内の「夜」や「空」などの、外界の圧倒的な広さを感じさせるワードが担っており、それぞれが自由を、そして孤独を表しているようにも感じる。歌詞展開に呼応するように徐々にテンションの上がる曲調大好き。

ロックバンドとそれを追いかけるリスナー。どちらか一方的にならない歌詞の紡ぎ方だが、どの見方でも「自由と孤独」のテーマは共通しているように思える。
ロックバンドという形態、バンドの音楽を求めるリスナー、音楽を通して人が繋がってゆくこと。長い人生における明滅のような一瞬に奏でられ、捉えられる音楽があって、それがきっかけで人と人が繋がることは、考えてみれば天文学的な確率の事象なのではないか。彼らが音楽を追い求めることで、その周りのリスナーたちは、日々「何か」が変わりそうな出来事を目の当たりにしているのではないか。

彼らに聞こえた声は空に消えゆくだけだとしても、その声は他の誰かの人生を変えるきっかけとなるのだろう。聴くだけで「何かが変わりそう」な気にさせる名曲。

【ルール変更②:140文字(1ツイート)以内に収める】

"何かが変わりそう"。明暗のある開放感が特徴的。歌詞展開に合わせて徐々にテンションの上がる曲調好き。長い人生の中の一瞬に奏でられる音楽があってそれがきっかけで人が繋がることは、考えると天文学的な確率の事象だということを実感させる、聴くだけで「何かが変わりそう」な気にさせる名曲。

【ルール変更③:10文字以内に収める】

何か変、天文学的名曲

【ルール変更④:1文字以内に収める】

【ルール変更⑤:同じ単語を二度以上使用することの禁止】

"何かが変わりそう"。

数あるUNISON SQUARE GARDENの楽曲の中でも、これほどセットリストのどの位置に組み込まれていても違和感のないナンバーもそうは多くない。ライブの開幕を告げるようにも、その時までの流れを変えるようにも、終幕を実感させるようにも聴こえる、魔法のようなメインリフのフレーズ。その後の歌詞の展開も相まって、どこまでも前向きに聴こえるはずなのに、どことなく暗さを感じる。何とも言えない、不思議な開放感のあるミュージック。

その解き放たれたような感覚の要素として重要なのが、要所にて用いられる「夜」や「空」などの、果てしない外界の広さを感じさせるワードの数々だろう。それぞれが自由を表しているようにも、茫漠たる独りの侘しさを表しているようにも感じる。1人であることの束縛の無さと、孤独であることの寂しさを語るAメロ、からの窓を開け離した後の羽を伸ばしたような感覚。段階的に盛り上がっていく曲調も相まって、サビの爽快感が本当に気持ちいい。

ロックバンドの進歩とそれに伴い続ける懊悩のようにも、そのグループを追いかけるリスナー自身のようにも、その拝聴者を見据える楽器隊のようにも感じられる。切り取り方によって多面的に解釈の変わるリリックの紡ぎ方は田淵氏の得意とするところではあるが、This songもその傾向にある。だが、どういう見方でも上記の「aloneであることのフリーダムと、一人ぼっちであることの寂寥感」は共通しているように思える。

人間という生物が本質的にはどこまでもおひとり様な生物であり、それを補うために四肢や五感があり、後天的に育まれる喜怒哀楽の感情がある。それらを使って他者と交流を図り、どうにか絶対的なlonelyから逃れようとする。ギターとベースとドラムの集団という形態はその象徴の一つであり、そこから生み出される音響芸術によってなんかデカい音を鳴らす組織と奇抜なおじさん3人組のことが大好きな変態が、そして傍から見ればよく分からない怪しげなアラフォーの集団に無限に金を落とすだけの不審者同士が共鳴し、繋がってゆくことも同じである。

人生というソロで死ぬまでの長い暇つぶしの中で、明滅のような一瞬にだけ奏でられ、そして他人の瞳に、鼓膜に捉えられるドレミファソラシドのアナグラムがあって、それを追い求めることでそういうのが好きな奴らが交錯し、邂逅することは、日ごろ軽く考えているが、本当は天文学的な確率の事象なのではないか。彼らがある調子や節で作られた音の一つのまとまりを純粋に、ひたすらに追い求めることで、その周りの中毒者たちは、日々each lifeにおける「何か」が変わる出来事を目の当たりにし続けているのではないか。

東京・中野区発の今年20周年を迎える楽器激ウマ音楽大好きスーパー集団に向けるあらゆる感情の声が聞こえたとして、そのほとんどはskyに消えていくだけだとしても、他の誰かには捉えられて、顔もよく知らない人の生涯を微かに、しかし確実に変える出会いのきっかけとなっているのだろう。まさしく聴くだけで「Something seems to change.」だと感じさせる_ANTHEM_である。

【ルール変更⑥:誇張表現の多用】

"何かが変わりそう"。

星の数の数百倍は多いとされる超UNISON 超SQUARE 超GARDENの輝かしき楽曲の数々の中でも、この曲ほどセットリストのどの位置、どのタイミング、どの時間帯、どんな世界線のライブに組み込まれていても1ミクロンの違和感も見せない曲は全くもって一曲たりとも存在しない。この世で最高のライブの開幕を告げるようにも、その時までの流れを一切無かったことにするかの如く劇的に大変化させるようにも、世界そのもののエンドロールを実感させるようにも聴こえる、魔法通り越して神の御業のようなメインリフのフレーズ。その後の歌詞の超絶怒涛の展開も相まって、不撓不屈と思わんばかりに前向きに聴こえるはずなのに、どことなく宇宙をそのまま体現したかのような暗さを感じる。現在の人類が操る言語の力では「何とも言えない」としか表現できない、魔訶不思議な、果てしない開放感のある奇跡の一曲。

その雲一つない蒼穹すらも彷彿とさせる圧倒的な開放感を激烈に感じさせる要素として極めて重要なのが、ここしかない、という超重要ポイントに絞られ、要所で炸裂する「夜」や「空」などの、膨大すぎてもはや深淵すらも感じさせる規格外のパワーフレーズの数々だろう。それぞれが何物にも一切縛られることのない極限の自由を盛大に表現しているようにも、たった一人でサハラ砂漠を横断するかのような、人の命を容易く潰すがごとく重く、そして冷たく、孤独であることそのものの耐えがたき侘しさをこの上なく表しているようにも感じる。自身が誰にも縛られることのないただ一つの「個」であり、それ以外の何物でもないという実感を噛み締めるような至福の自由と、自身が誰からも庇護されることなく、このあまりに広い世界を漂うだけの矮小で孤独な木片でしかない儚さ、寂しさを語る特Aメロ、からのめっちゃデッカい窓をブチ開け離した後の世界が全て自分の味方をしているのかと見紛うばかりの開放感。段階を追うにつれて桁違いに盛り上がっていく天才的な曲調も相まって、超サビの圧倒的な爽快感が本当に、トぶほど、強烈に、気持ちいい。

素晴らしきロックバンドの加速度的な進歩とそれに伴い続ける極めて深刻かつ解決の糸口が一切見えない懊悩のようにも、その歴史に残るロックバンドを猛然とバカみたいな速度で追いかけるリスナー自身のようにも、その爆速リスナーを信じられないくらいに慈愛を込めて見据える聖母を思わせるロックバンドのようにも極めて強く感じられる。えげつないセンスの切り取り方によって世界の視点全てを集約しても追いつかないくらいに多面的に解釈の変わる革命的な歌詞の紡ぎ方はこの世の至宝たるスーパーベーシスト田淵氏の十八番、伝家の宝刀、もとい一番得意とするところではあるが、一度披露されるたびにイントロのコンマ1秒だけで世界各地のオタクが感極まって屍になるこの曲もその傾向にある。だが、どんなに奇抜な見方をしようが、遥か上に力強く記された「私自身がこの世の陸海空すべてに生きとし生けるあらゆる有機生命体、引いては遍く森羅万象にすらも縛られることなく、ただ一つの思念として数光年先まで見通せそうな青空をどこまでも漂いながらこの世の快楽を全て巻き取ってゆく風であるかのような自由と、世界から完全に断絶された、自分以外に誰もいない分娩室で泣き声を上げる幼き自らの声が延々と響き渡る空想のような、或いはあまりに広大かつ空虚な世界を前に錆色の微風に揺られて力なく転がり続ける紙片でしかない儚さ、寂しさ」は寸分の狂いもなく共通しているように思える。

この世の支配者であるホモ・サピエンスという圧倒的力を有する殺戮バイオ兵器は、本質的には地の果てまで足掻いてもあまりにちっぽけかつ孤独で無様なただのたんぱく質の肉塊であり、それを補うために矮小な知能でみすぼらしい四肢やクソの役にも立たない五感があり、圧倒的な遅延の末に後天的にひっそりと育まれる至極余計な喜怒哀楽の感情がある。それらの一見何の役に立つかも分からないチャチな小道具を使って完全に断絶された位相に存在する他者と感情がほんの数瞬交錯する程度のささやかすぎる交流を図り、そういった無駄な足掻きを無限回繰り返して数フレーム程度の時間だけでも絶対的な孤独から全力で逃れようとする。バンドというこれまでの歴史の中でも五指に入る人類の発明はこの世の「自由」の象徴の一つであり、そこから尋常ではないペースでもりもりと生み出される鳴っている音全てが世界を全て塗り替える卓越した力を有する楽曲によって、神に愛されたロックバンドと神に愛されたロックバンドに受け入れられた信心深きリスナーが、そしてその敬虔なリスナー同士が共鳴を通して身体の垣根を越えて結合・同一化し、世界を覆い尽くすような勢いで綿々と繋がってゆくことも一切合切全くもって同じである。

世界の始まりから終わりまでというあまりにも長大な歴史の片隅にて、たった一人で無様に惜しまれることなくただのたれ死ぬまでの、耐え難いほどに無味乾燥であまりに代わり映えのしない毎日という、正気の沙汰とは思えないほどに長い、退屈すぎて寝ていた方が有意義とすら思える暇つぶしの渦中で、チェレンコフ光の明滅のような一瞬にだけ奏でられ、そして世界のどこにいるかも一切不明である赤の他人の見たことも無い瞳に、震わせたことも無い鼓膜にしっかりと捉えられる今世紀最高の音楽があって、それを地の果てまで追い求めることで全く面識もなければともすれば生物学的にも異なるかもしれない他人同士が圧倒的な速度で交錯し、満を持してセンセーショナルすぎる邂逅を成し遂げることを我々は、茫とした日常の中では明日の予定で思考からかき消えてしまう程度に軽く考えているが、本当は天文学的どころか地球が生まれそして散っていくまでの時間の中でも二度と起こり得ない確率の事象なのではないか。未だ衰えを一切知らない超人である彼らが音楽を一点の曇りのないガラスのように透き通った眼で純粋に、執拗に、ひたすらに、もう別にそこまでしなくてもいいじゃんかわいそうだよとおもってしまうくらいに追い求めることで、その傍観者であるしがないリスナーたちは、日々極めて普遍的で退屈で味気ない人生におけるあらゆる「何か」が劇的に変わりそうなヤバすぎる出来事を嫌というほど目の当たりにし続けているのではないか。

大過ぎる彼らに向ける天上天下のあらゆる感情の声がものすんごい爆音で聞こえたとして、そのちょっと邪魔なほどデカい感情の99.9999%は何も浮かぶことのない、ただそこに在る空に音を失いながらそっと消えていくだけだとしても、他のどこにいるのかわかりもしない誰かにはしっかと捉えられて、どこぞの馬の骨である誰かのそれなりな人生をほんのわずかに、しかし確実に転機を迎えさせる出会いのきっかけとなっているのだろう。まさしく聴くだけで「マジであらゆる何かが超ヤバいくらいに劇的に変わりそう」だとひしひしと感じさせる、この世のすべての楽曲の中でも屈指の大名曲である。

【ルール変更⑦:俳句形式とその解説】

この世界

マジヤバい曲で

変わりそう

(解説)あまりに秀逸かつ革命的な楽曲がリリースされたことによる驚きと興奮が端的に詰め込まれており、そのシンプルさが逆に直情的な切実さを強めている。季語は無いが、逆に季語を入れるという余裕すら投げ捨てさせる、対象の楽曲のすさまじさが伺える。

【ルール変更⑧:ルール変更⑦での俳句のパワー添削】

この世界

マジヤバい曲で

変わりそう

ここだけで伝わります。

【ルール変更⑨:TOUR 2016 "Dr.izzy"にてこの曲がアンコールで披露された会場への羨ましさが未だに消えず、文章中に滲み出てしまう人】

"何かが変わりそう"。

数あるUNISON SQUARE GARDENの楽曲の中でも、この曲ほどセットリストのどの位置に組み込まれていても違和感のない曲もそうは多くない。ライブの開幕を告げるようにも、その時までの流れを変えるようにも、終幕を実感させるようにも、アンコール2曲目で披露されるようにも聴こえる、魔法のようなメインリフのフレーズ。その後の歌詞の展開も相まって、どこまでも前向きに聴こえるはずなのに、どことなく暗さを感じる。何とも言えない、不思議な開放感のある曲。フライデイノベルスからの繋ぎで演奏されるともう興奮が天元突破して大変だろうと思う。

その開放感の要素として重要なのが、要所要所にて用いられる「夜」や「空」などの、果てしない外界の広さを感じさせるワードの数々だろう。それぞれが自由を表しているようにも、茫漠たる独りの侘しさを表しているようにも感じる。本当に寂しいのは俺だが? 1人であることの自由と、孤独であることの寂しさを語るAメロ、からの窓を開け離した後の開放感。段階的に盛り上がっていく曲調も相まって、サビの爽快感が本当に気持ちいい。この後に桜のあと~が待ってるって知った時の興奮ってどんなんだったか教えてほしい。

ロックバンドの進歩とそれに伴い続ける懊悩のようにも、そのロックバンドを追いかけるリスナー自身のようにも、そのリスナーを見据えるロックバンドのようにも、この曲自体をひたすらに追いかけ続けていたわたくしのようにも感じられる。切り取り方によって多面的に解釈の変わる歌詞の紡ぎ方は田淵氏の得意とするところではあるが、この曲もその傾向にある。だが、どういう見方でも上記の「1人であることの自由と、孤独であることの寂しさと、この曲がアンコールで披露された公演があることを知ってしまった時の愕然とした感覚」は共通しているように思える。

人間という生物が本質的にはどこまでも孤独な生物であり、それを補うために四肢や五感があり、後天的に育まれる喜怒哀楽の感情がある。それらを使って他者と交流を図り、どうにか絶対的な孤独から逃れようとする。バンドという形態はその象徴の一つであり、そこから生み出される楽曲によってロックバンドとリスナーが、そしてリスナー同士が、何よりこの曲をアンコールで聴けなかった者同士が傷を舐め合い、共鳴し、繋がってゆくことも同じである。

人生という孤独に死ぬまでの長い暇つぶしの中で、明滅のような一瞬にだけ奏でられ、そして他人の瞳に、鼓膜に、俺の瞳と鼓膜と身体中の神経系に捉えられる音楽があって、それを追い求めることで他人同士が交錯し、邂逅することは、日ごろ軽く考えているが、本当は天文学的な確率の事象なのではないか。彼らが音楽を純粋に、ひたすらに追い求めることで、その周りのリスナーたちは、日々人生における「何か」が変わりそうな出来事を目の当たりにし続けているのではないか。本当にこの曲がアンコールじゃない公演が円盤になってたら俺の人生も悪い方向に変わりそうだった

彼らに向けるあらゆる感情の声(例えば、like coffeeのおまじないもいい曲だけど……など)が聞こえたとして、そのほとんどは空に消えていくだけだとしても、他の誰かには捉えられて、誰かの人生を微かに、しかし確実に変える出会いのきっかけとなっているのだろう。まさしく聴くだけで「何かが変わりそう」だと感じさせる名曲である。俺も地元で聴きたかった、マジで

【ルール変更⑩:唐突に我に返る】

"何かが変わりそう"。

数あるUNISON SQUARE GARDENの楽曲の中でも、この曲ほどセットリストのどの位置に組み込まれていても違和感のない曲もそうは多くない。ライブの開幕を告げるようにも、その時までの流れを変えるようにも、終幕を実感させるようにも聴こえる、魔法のようなメインリフのフレーズ。その後の歌詞の展開も相まって、どこまでも前向きに聴こえるはずなのに、どことなく暗さを感じる。何とも言えない、不思議な開放感のある曲。

その開放感の要素として重要なのが、要所要所にて用いられる「夜」や「空」などの、果てしない外界の広さを感じさせるワードの数々だろう。それぞれが自由を表しているようにも、茫漠たる独りの侘しさを表しているようにも感じる。1人であることの自由と、孤独であることの寂しさを語るAメロ、からの窓を開け離した後の開放感。段階的に盛り上がっていく曲調も相まって、サビの爽快感が本当に気持ちいい。

ロックバンドの進歩とそれに伴い続ける懊悩のようにも、そのロックバンドを追いかけるリスナー自身のようにも、そのリスナーを見据えるロックバンドのようにも感じられる。切り取り方によって多面的に解釈の変わる歌詞の紡ぎ方は田淵氏の得意とするところではあるが、この曲もその傾向にある。だが、どういう見方でも上記の「1人であることの自由と、孤独であることの寂しさ」は共通しているように思える。

人間という生物が本質的にはどこまでも孤独な生物であり、それを補うために四肢や五感があり、後天的に育まれる喜怒哀楽の感情がある。それらを使って他者と交流を図り、どうにか絶対的な孤独から逃れようとする。バンドという形態はその象徴の一つであり、そこから生み出される楽曲によってロックバンドとリスナーが、そしてリスナー同士が共鳴し、繋がってゆくことも同じである。

人生という孤独に死ぬまでの長い暇つぶしの中で、明滅のような一瞬にだけ奏でられ、そして他人の瞳に、鼓膜に捉えられる音楽があって、それを追い求めることで他人同士が交錯し、邂逅することは、日ごろ軽く考えているが、本当は天文学的な確率の事象なのではないか。彼らが音楽を純粋に、ひたすらに追い求めることで、その周りのリスナーたちは、日々人生における「何か」が変わりそうな出来事を目の当たりにし続けているのではないか。

彼らに向けるあらゆる感情の声が聞こえたとして、そのほとんどは空に消えていくだけだとしても、他の誰かには捉えられて、誰かの人生を微かに、しかし確実に変える出会いのきっかけとなっているのだろう。まさしく聴くだけで「何かが変わりそう」だと感じさせる名曲であのさあ、本当に必要か? この文字数。この一曲を語るのに、どれだけの字数が要るんだ?

なあ、おい

Catcher In The Spy(通常盤)