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真田丸関連の史跡

タグ: 史跡

【徳川家康と城】江戸時代の大坂城「徳川大坂城」の特徴を探究する~築城経緯と縄張り(構造)から~

概要大阪の中心に位置する「大阪城公園」は現在、「大阪城天守閣」や歴史建造物が建ち並び、外国人を中心に多くの観光客が訪れている。公園内の旧大坂城域(約73.5万㎡)は、1953年(昭和28年)3月に国の特別史跡(「特別史跡大坂城跡」)に指定さ...

【徳川家康と城】田中城の魅力を探究する~希少な円郭式城郭の歴史と縄張り(構造)の変遷から~

概要静岡県藤枝市の東に所在する田中城には、徳川家康の死因と関連して、次のような伝承が知られている。徳川家康は1605年(慶長10)年、将軍職を徳川秀忠に譲って大御所となり、1607年(慶長12)年に駿府城(静岡県静岡市)に移った。駿府城を居...

【徳川家康と城】名古屋城の豪華絢爛な御殿建築~本丸御殿及び二の丸御殿・庭園の歴史と整備を中心に~

概要名古屋城(愛知県名古屋市中区)は、徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)の勝利後に「天下普請(ぶしん)」で築城し、明治維新まで徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城であった。名古屋城は本丸を中心に二の丸・西の丸・御深井(おふけ)丸・三の丸など...

【徳川家康と城】縄張りからみた「名古屋城」の特徴を探究する~シンプルで堅固な縄張り~

概要名古屋城(愛知県名古屋市中区)は、徳川家康の9男・徳川義直(よしなお)を初代とする徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城であった。関ヶ原の戦い(1600年)の後、尾張(愛知県西部)一国は徳川家康の4男・松平忠吉(ただよし)が領したが、160...

【徳川家康と城】「天下普請」の城・名古屋城の築城~加藤清正による天守台の築造と天守の木造復元問題~

名古屋城の概要名古屋城(愛知県名古屋市中区)は、徳川家康が1610年(慶長15年)2月から「天下普請(ぶしん)」によって築城した輪郭(りんかく)式の平城である。明治維新まで、徳川家康の9男・徳川義直(よしなお)を初代とする尾張(愛知県)徳川...

【徳川家康と城】世界文化遺産・二条城の歴史的役割を探究する~徳川家康による築城から世界文化遺産に至る歴史~

京都市中京区に所在する「元離宮二条城」(以下、「二条城」と略す)は、京都市営地下鉄東西線・二条城前駅から徒歩約1分である。1952年(昭和27年)、現存の二の丸御殿をはじめ多くの建物が国宝や重要文化財に指定され、1994年(平成6年)にはユ...

【徳川家康と城】「天下普請」の城・篠山城の解説~縄張(構造)や築城経緯からみる特徴を中心として~

篠山城の現状篠山(ささやま)城(兵庫県丹波篠山市)は1609年(慶長14年)3月に、徳川家康の命によって山陰・山陽へ通じる要衝である篠山に「天下普請(ぶしん)」で築城された平山城である。1956年(昭和31年)12月には、方形状の曲輪が同心...

【戦国大名と城】城からみた豊臣秀吉の小田原攻め~後北条氏が誇った城郭体制の崩壊~

概要後北条氏は、北条早雲以降5代にわたって勢力を拡大していき、5代・北条氏直の時期には約250万石を領する関東最大の戦国大名となった。本城の小田原城(神奈川県小田原市)を中心に、領国内の重要拠点には支城を置き、本城と支城または各支城の間に「...

【戦国大名と城】後北条氏の城郭体制を探究する~神奈川県西部の足柄地方の城郭をもとに

概要戦国大名は領国の拡大に伴い支城体制の確立に努め、戦国大名の居城である本城を中心に、周囲には各地域の拠点となる支城や、出張所にあたる枝城・端城(はじ)などの城郭を整備した。これら支城・枝城・端城の中間地点には、兵員等の移動に伴う駐屯地とし...

【戦国大名と城】後北条氏五代と城郭の解説~北条早雲からの勢力の拡大と主な城郭の分布~

概要1467年(応仁元年)に起きた応仁・文明の乱をきっかけに、室町幕府の権力は衰退していき、全国的に戦乱の時代(戦国時代)を迎えた。関東では、1454年(享徳3年)に鎌倉公方・足利成氏(しげうじ)が関東管領・上杉憲忠(のりただ)を謀殺したこ...

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