サリーのほら穴 (original) (raw)
④のつづき
12.JUNKO
楽しくてコミカルな曲のときの演奏のカッコよさよ……すき……
途中ではっとりさんがギターを置いてサックスを構えはじめた。吹きそうで吹かない仕草を見せたとき、モノマネ芸人コロッケさんの『歌うと見せかけていつまでも歌に入れないちあきなおみの喝采』が一瞬脳裏に浮かびました。※その世代にしか分からない例え
でも意外とすぐに吹き始めて「おっ!?かっこいいな!?すごい」と思ったのも束の間、サックスがだんだん口から離れていくにも関わらず音は鳴り続けている……大ちゃんが鍵盤でサックス再現してました。笑
はっとりさんの当てふりカッコよかったです!笑(途中の美空ひばり風の歌声も聴けて嬉しかった笑)
バックには幼稚園時代のはっとりさんと、初恋の潤子せんせいの写真が次々と流れていた。最後にこの曲のオルゴールverが流れたと思ったら、今のはっとりさんと潤子せんせいの写真が映って思わず声あげてしまった。あれ…この曲こんな泣ける曲だったっけ…。2日目の武道館に来ていた潤子せんせい御本人の前でJUNKOを披露したはっとりさんとマカロニえんぴつ、その場面に立ち会えて、なんだかはっとりさんの大事なものを分けてもらった気持ち。マカロッカー冥利に尽きる。
13.カーペット夜想曲
ステージ前をおおうように紗幕がかかって、そこにカーペット模様が光で描かれていく幻想的な世界。「おぉ…」って声出しちゃった。「愛犬クッキー」の歌詞のところでワンちゃん(絵)がカーペット模様の隙間を走っていくのが見えた。途中でカーペット模様から変わって、大きな樹の幹から枝と葉が伸びていく。そして映し出される「どうか会えるうちに会いたい人に!」の文字。
(マネージャーの江森さんはツイートで偶然だって言っていたけど、直前のJUNKOではっとりさんは会いたい人に会いに行ってたのを観客は見せられていたから、なんだかこの文字がより自分に刻まれた気がする)
この曲って本当不思議だな。明るい曲、それでいてずっと死の匂いがある。曲の不思議な浮遊感に身を任せてると、自分はもうすでに天国に近い場所にいるのかもしれない、という気になる。いつかはやってくる自分の最期。それを考えると今自分を取り巻くもの、いろんなことに対して愛おしさが少し増すような気がした。
14.ブルーベリー・ナイツ
紫の光に包まれて、大ちゃんの鍵盤のイントロ!この曲ライブで久しぶりに聴けた気がする!この曲に出会ったばかりの頃はおしゃれな曲だな、そして切ない曲だなって思ってたけど、今はイントロからのリズムが好きでずっとノリノリになってしまっている。でも「マイ・ブルーベリー・ナイツ」って小声で口に出して歌ってみたらやっぱり少し切なかった。
小声で口ずさむっていうこともフィジカルな行為だなって思うし、自分の身体を動かすことでよりメンタルの傷口にしみる感じがした。笑
15.リンジュー・ラヴ
バックの映像が、部屋の横から西日のように光がさしてて印象的だった。「ベタベタの鍵穴」っていうワードが私に妙になんだかこびりついている。やっぱり身に覚えがある。悲しかったなぁ。でも大事な思い出だ。
16.悲しみはバスに乗って
アルバム【大人の涙】発売時のAppleMusicのインタビューを引用すると、はっとりさんは「この歌の主人公はハッピーエンドに向かうのか、報われない方に進むのか、そんなのは分からないのが人生だと伝えたくて長めのフェードアウトにしました。」って話していた。
でもライブだとフェードアウトじゃなくて、ギターがジャーンって鳴って、キラキラした鍵盤があって、希望のある締めくくり方になってると感じるんです。私はそれを聴いていると「どんな方向に進むのかそんなのは分からないのが人生だ。けど、大丈夫だよ。」って言ってくれてるように聴こえるんですよね。みんなでシンガロングして、マカロニと一緒に歌った事実に勇気づけられてる。
※夜中に振り返りながら書いてると感極まり文章になっちゃいますね。仕方ないですね。
⑥へつづく〜
③のつづき
10.恋の中(1日目)
曲に入る前に、はっとりさんがひとりギターを鳴らしていた。何か語りが入るのかな?と思ったけど、静かにギターのみを鳴らすはっとりさん。それを聴き入りながら見守る観客。
あとから思ったことだけど、曲の前には「誰かを思い浮かべながら聴いてください」というような語りかけが以前はあった。でも今回は無かった。
この日は言葉は無くても、はっとりさんのギターの音色だけで自然に何かが思い浮かんでくるような、そんな時間が流れていた気がする。
はっとりさんの第一声、恋の中のフレーズが聴こえてきた瞬間、グッと一気にあの頃の切なくて甘酸っぱい記憶の中に連れて行かれました。
10.two much pain(2日目)
曲前の音が1日目と少し違うような…と思っていたら2日目はこの曲でした!!武道館の天井は高いのに、マカロニえんぴつメンバーの頭上に現れた低くて赤い照明、メンバーを覆う影の黒さ、めちゃくちゃ印象的だった。1日目の恋の中と違う種類の胸の痛みを思い起こさせるような音楽とその空間。恋の中が「あの頃の切なくて甘酸っぱい記憶」なら、two much painは「あの頃の重苦しくてやるせない記憶」といいますか…
ライブ後にマカロッカー仲間とご飯食べながらこの時の照明の話題になった。「あれは何を表していたんだろう?」「あれは狭い部屋だと思う」「私は昔の小さなライブハウスに見えた」「とにかく、あの狭さが良かった」というような話をしていた。最後のサビで、低かった照明がどんどん高くなっていって、何かが昇華されていったように見えた。
11.なんでもないよ、
あたたかみのある照明に変わって、この曲。前回のツアーvol18のときは個人的に胸が苦しくなっちゃって歌えなかったんだけど、今回の武道館では思いっきり歌った!シンガロングした!歌えてよかった。vol13の初武道館でこの曲が披露されたときはまだ観客が皆マスク姿で声出しできなかった。それを思うと尚更、ここでこの曲を一緒に歌えることがすごく嬉しかった。自分だけの声じゃなくて他のお客さんの声も身体で感じながら歌った。「なんでもないよ、」って曲名だけどこの光景はなんでもなくないよ、すごいよこの曲…
MC
面白すぎた。面白すぎて詳細を語りたくない。笑
「ここにいる皆のことは無視します(冗談)オンリー・フォー・ジュンコ」と言い放ち、次の曲へ。
⑤へつづく
②のつづき
5.listen to the radio
きたぁ!!って心で叫んだくらい嬉しかった!この曲聴けるのって相当レアだと思っていたので。バックに映る映像の色彩がカラフルというかサイケな感じで眩しかった。緑の草原にピンクの薔薇やらフラミンゴがボンボンって出てきてなんか笑っちゃった。
「本音は伝わりすぎないようにノイズの裏側に」という歌詞が好きです。照れ隠しなのか何なのか分からないけど、そっとさりげなく気づかれないように、分かる人にしか分からないように、僅かに忍ばせる感じ。気づかれそうになったらいくらでもはぐらかせるように。聴いてる人は「もしかしてこういうことを言ってるのかな?いや、でも違うかもな?」みたいに色々想像はするけど、真意は歌をつくってる人にしか分からないなぁ。なんかちょっとズルいとも言えるのかな?笑
6.poole
「会いたいか今あんたも、そんな自分に。イェー!」からの大ちゃんの鍵盤で多幸感爆発しますね。マカロニと暗い話を笑ってするために私はここ(武道館)に来たんだよ。イェー!て感じです。(完全にテンションのみで文章書いてるな)
アウトロは私にとって昂りポイントです。リズムに合わせて縦に揺れたくなるというか跳ねたくなる。ていうか跳ねてた。
7.MUSIC
「朝メシ抜くのはダメ!」を武道館で叫べる幸せ。この光景の中に居られる喜び。「あなたならきっと分かる、あなたにはきっと届く」ってマカロニが歌って伝えてくれて、励まされた感じがした。あなたには愛を知る力があるんだよ、夢を持つ力があるんだよって。
(言葉にすると小っ恥ずかしいかもしれないけどしょうがないです。そう思ったのは間違いないので。)
8.メレンゲ
冬の凍てつくようなキラキラした感じを思い起こさせるイントロと、バックの白い宮殿、ステンドグラスみたいな映像、空から降りつもるような羽根。そのひらひら舞い落ちる影が武道館の天井に映し出されるのを2階席から見ていて、ほんとうに綺麗だった。見とれていた。(初日はアリーナ席にいて、上から降ってくる羽根に手を伸ばしたけどつかめなかった)
9.月へ行こう
思ったのですが、メレンゲにも出てきた羽根というモチーフがこの曲に引き継がれて、不揃いの羽根で飛び立つという流れを感じて本当に感動していました。はっとりさんが武道館1日目か2日目のMCのどこかで「セトリを工夫した」て言っていたのはこういうことだったのかな?
そう考えるとlisten〜の「僕らのための悲しみのメロディ」を、pooleでは「暗い話を笑ってするため」と歌い、その多幸感がMUSICという曲に繋がって………みたいな、、、、
あああ!的確に言い表せん!泣
いつか円盤が出たら自分なりに繋がりを探してみよう。
④につづきます。
①のつづき
武道館1日目と2日目の感想、混ぜながらセトリ順に書いていきます。(見逃し配信も参考にしながら)
1.OKKAKE
えっ1曲目でOKKAKE!?さすがに驚きすぎて飛び跳ねた!(いつもは終盤に披露される印象)セトリの1曲目って「今日はこのテーマで行きます」っていう意思表示のようなものだと私は思っているんですが、この曲の「ずっと歌っていてくれよな」の部分がガツンと響いた。私はずっとマカロニと歌っていたい。できるだけ長く。
「ごめん、すごい、すぎ!!」って濁点多めの歌い方好き!
2.レモンパイ
「会いに行く支度する!」のかけ声をできたことが何より嬉しかった。歌うんじゃなくて、音程無視したかけ声気持ちよかった!配信見てたらはっとりさん嬉しそうな表情。ライブで観客が声出しできるようになって本当に良かった。
3.チューハイ少女
今回のライブですごく好きになった曲!イントロが好きすぎて配信で何回も観たんですが、武道館1日目で初めて聴いたときの賢也さんのベースがカッコよくて今もドキドキしてます。徐々にLEDで光りはじめるタマキミエさん(はっとりさんのスケルトンギター)、そして会場を貫かんばかりのレーザー光線、いま思い出しても楽しくて最高。
ライブで聴いて好きになる曲がどんどん増えていくの幸せ。
4.愛のレンタル
音源よりもハネたりタメたりする歌い方…ていうのかな?こういうのもライブの醍醐味で、いま私はライブで生を味わってるんだって実感する。ずっとドキドキしてて楽しかった。
MC
1日目、ハンブレッダーズの武道館公演のことが話題に出ていた。「関西出身だからなのか、ただの雑談でも面白いよな…。あれを聴いて、俺らは演奏がんばろうって思った。笑」てなニュアンスのことを語ってて笑ってしまった。私はマカロニのいわゆるクソMCも愛おしく思ってるよ。
で、ライブ序盤だけど、割と核心のような話をしていて。「自分の内面を旅する(TRIP INSIDE)」「自分の弱さを見つめられる人」「あなた達のこと、他人と思えない」というようなワードが出ていた。1日目の序盤にしてすでに涙腺にきてしまった。
今回の【TRIP INSIDE】というタイトル、私は元ネタがoasisって知らなくて、自分なりに「内面への旅」ってことなんだなって解釈してたんですが、概ね合っていたみたいでホッとした。笑
はっとりさんの言葉や歌声って、自然と私を内側に潜らせてくれるんですよ。私にとっては、そういう音色なんです。
マカロニに出会ったころは「はっとりさんは何を考えているんだろう?」てことに興味が行きがちだったんだけど、考えを巡らせてるうちにだんだん私は自分自身のことを考えるようになっていった。「はっとりさんはこう歌っているけど、それを聴いて私はどう思うんだろう?」てな感じで。
それを少しずつ繰り返してるうちに、だんだん元気になりました。(かなりザックリした言い方)
はっとりさんの歌声は私を内側に潜らせてくれる。その旅をよっちゃん、大ちゃん、賢也さん、みっちゃんが彩ってくれている、そんなイメージ。いま、私にとってのマカロニえんぴつを言語化するとこんな感じ。
言語化って難しいなぁ。
こんな感じで自分語りも多分に織り交ぜながら書いていきます。笑
③へつづく
2024年10月11日(金)・12日(土)、マカロニえんぴつのライブ【TRIP INSIDE 〜Osaka-Jo Hall & Nippon Budokan〜】武道館公演2days、行ってきました!!
私にとって武道館ライブは念願でした。いつかここでマカロニえんぴつを見てみたかった。そして声出ししてみたかった!
今回の移動は新幹線で、北海道から約4時間半で東京駅到着。降りたらすぐ都心なのが良い。その足で御茶ノ水のイシバシ楽器さんに直行。目的は、期間限定でこちらのお店に展示されているはっとりさん&よっちゃんのギターを見るため!そして、店長さんが用意してくださった【Okkake自由帳】にメッセージを書き込むためです!
お店に到着するとすでに数名のマカロッカーがノートに書き込んでいました。自分が書き込む番を待ってる間、ギターを見つめる私。これがはっとりさんとよっちゃんが実際に使ってるギターか…!スマホで撮影しまくりつつ、モニターに映し出されているマカロニのライブ映像を眺めていると、後からやってきた数名のマカロッカーが口ずさみだして店内軽く合唱状態に。すでに感動。みんなマカロニが大好きなんだよな…泣(無論わたしもです)
私も想いをノートに書いてきました。ただ、急いで書いたのと緊張で何書いたか思い出せない。まかぴーくんが武道館の金の玉ねぎ掲げてる絵描いた気がする。
私は自分で楽器を弾かないし、直接ギターを目にする機会ってあまり無いんです。だから今回イシバシ楽器さんにおじゃまして、たくさん実物のギターが並んでいる店内を見てなんだか凄く迫力を感じました。ましてやメンバーの私物のギター…ここにいないはずのはっとりさんとよっちゃんがうっすら目の前にいるようなリアリティを急に感じてドキドキしました。見せてくださってありがとうございます…!!
店長さんもとても気さくにお話してくださいました。ありがとうございました!(うまい棒いただきました)
イシバシ楽器さんを出たあと、タワ崎(タワーレコード川崎)にも行ってきました。ここにあるマカロニえんぴつ応援ノートに書き込むためです!どんだけ書くの好きなんだ!
(川崎で一瞬ウトウトして鶴見まで乗り過ごしました。笑)
このノートに書き込んだのは、去年遠征して見に行ったグレイプバインとマカロニの対バンライブの時以来なんです。(2023年11月28日、ZEPP羽田)
なかなか北海道外へ遠征できない私は、去年このノートに書き込みながら「次遠征できるのいつになるかなぁ。数年経ってもまたこのノートに書きに来れたらいいな」って思ってたんですけど…思ったよりも早く、再びこのノートに書き込むことができました。嬉しかったです。また川崎に行けますように。
(記念にオアシスのCD購入)
その後、宿泊先のホテルにチェックインして着替えて(すでに汗だくだった)、今回のいちばんの目的地、いざ武道館へ。
到着後すぐ物販で買い物。その後、ずっと会いたかった方たちに初めましてのご挨拶したり、再会を喜んでいるうちにあっという間に開演まで1時間を切っていた。
開演前、注意事項を読み上げるアナウンスが賢也さんでびっくりした!賢也さんのおすすめグッズはスウェットの青だそうです。(買ったよ!)
(2日目のアナウンスははっとりさんでした!「1曲目、なんでしょうね。」のところで拍手沸き起こってた。皆が楽しみにしてるんだなって分かる拍手だった)
今回みたいに、注意・禁止事項をメンバーが読み上げるのすごく良いし効果的だなって思いました!
自分の席で開演を待つ数分間の緊張が好きです。もうすぐ始まってしまう、始まったら終わってしまうからいつまでも始まる直前のままでいてほしい。みたいなトンチンカンなことを、武道館の天井を見つめながら考えてしまう。
会場のざわめきが暗転で歓声に変わる。HeyBulldogが鳴り響いて手拍子が沸き起こる。一場面ごとにドキドキすると同時に、もう後戻りできないんだと覚悟決める。あとはもうライブが始まるだけ。
(ライブやる側でもないのに重いな!笑)
②へつづく
これからだんだんと夜のほうが長くなっていきますね。夏至迎えてから時が経つのあっという間すぎません?
前回行ったマカロニのライブが6月28日で、その次に行くライブは10月11・12日の武道館。武道館まであと3週間くらいか…早い!
前回のマカロックツアーvol.18は3ヶ月以上の長期間のツアーで、ツアー期間中私は毎日のようにスタンプラリーのスタンプ(マカロニファンクラブの企画)を押していたせいもあってか、毎日ずっとマカロニと一緒にいた感覚だった。
「今日も日本のどこかで彼らはライブしてるんだな」と思うと、うまく言えないけど心強くて、いつもよりあんまり寂しさを感じなかった。(もちろん常に「もっとライブ行きたい」て気持ちはある)
いつもだったら自分が行ってないライブの日は寂しくて、というか行けない悔しさと嫉妬をちょっと拗らせた結果「気持ちは参加してます!」って言って半分参加したことにしてみたり…。ある時から、もうそれはやめようって思いました。その場に行けてないことは事実なんだから、気持ちをごまかさないでちゃんと悔しがろうと思った。ライブに行けないときは自分の生活がんばろうって思った。
この世には2種類のライブしかない。自分が行けるライブか、行けないライブだ。(ローランド風)
行けなくて悔しいのは当然の感情。そこ誤魔化さなくていい。そのぶん行けるライブは思いっきり楽しんで、そこでしか味わえないものを思う存分独り占めすればいい。素晴らしいライブを見て「これは私だけのものだ!」って思えるのって本当に得難いものだと思うから。
2023年のライジングサンの朝日は私にとってそんな独り占めしたい景色のひとつ。
少し前にTwitterやインスタでシェアされてた、2024のワイルドバンチのトリを担ったマカロニのライブ映像。アンコール、ミスター・ブルースカイの大合唱。あれ見た時本当に羨ましいと思った。同時に、これは現地にいた人たちにしか味わえない景色だし、これを独り占めできるのは現地の人の特権だとも思った。
(だからこそシェアしてくれるのって当たり前のことでは無いし、少しでも分けてくれるのは本当にありがたいことだなって)
私にとって武道館ライブ2日間行けるのは夢のようなことです。いや夢です。でも現実にしてきます。(何言ってるかわからん)
自分が行けるライブを楽しもう!ってことを、自分に言い聞かせるブログでした。
私ってこんなくどい人間だったんですね。でも吐き出さないとな。
寝ます
せこい人間になってたよ」
(B'zのLOVE PHANTOM)
そう、私はせこい人間でした(唐突)
誰かとズレることを極端に恐れ、何とか相手と同じでいよう、合わせようと生きていた私でした。 「私とあなたは違う人間」という言葉を私は長い間、拒絶の意味で受け取ってしまっていました。
「他人とまったく同じでいようとするのは無理であり、ズレがあって当たり前。それを前提として人は誰かと関わっている」という、自然で当然のことをやっと本当に受け入れられたのはここ数年のことだと思う。
「私とあなたは違う、だから話そう」という言葉をもっと早く、誰かにかけられたかった。いや、もうとっくにかけられていたかも知れない。相手から伸ばされていた手に気づかなかった、もしくは拒絶していたのは私のほうなのかもしれない。
最近よく思うのは「ズレているということは、元々重なっている部分もあるということ」「あなたと私は似ているということはすなわち、少し違っているということ」
認めて受け入れることができたらそのズレも許せるし、重なった部分がより愛おしくなるってことが、何となく体感でわかるようになってきた。と思っている。
それなりに長く生きてるのに自分の人生経験の薄さに泣ける。精神的に引きこもってたからそのツケです、仕方ないね。
寝ましょ