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テレビを見ていたら、佳子様鳥取県米子市のしょうがい者支援施設を訪れて、大勢の人と、マラカスを振りながら曲を口ずさみ、演奏後には拍手を送られている姿が報道されていた。

演奏後、「素敵な演奏をありがとうございました。私も一緒に参加できて、とっても楽しかったです。」と笑顔で話されていた。

ほんとうに?

こういう時に「ほんとうに楽しかったです」という言葉を使う人がいる。

「ほんとうに」という言葉を気持ちを表す言葉の前に追加するという点に不自然さを感じる。

「楽しかった」というのであれば、それは自分の「本当の」気持ちであるはず。

にも関わらず「ほんとうに」という言葉を、あえて付け足すというのはどういうことなのだろうか?

おそらく「本当」は、楽しかったわけではないからだと思う。

例えば、仮に本当は楽しくなかったとしても、本心をそのまま言えないような場だとか立場だと、「楽しかった」という言葉が求められる。

そんな時に「楽しかった」の前に「本当に」という言葉を付け足すというのは「本当は楽しくはなかった」のに、「楽しかった」と言っているので自分の中では嘘を言ってることになる。

だから、あえて「本当に」という言葉を付け足して「嘘じゃない」ってことを強調しようとする。

誰でもそういう時はあるのではないだろうか?

知人の家に呼ばれて、出された料理に対して本当は、そんなに美味しくなかったが、そんなことを正直に言えるはずはないので、「美味しかった」と言わざる得ない。

そうすると「本当に美味しかったです」と言ってしまっているのではないだろうか?

だから、自分は、「ほんとうに」という言葉を使うのに抵抗を感じる。

そして佳子様はマラカス演奏の時には、「ほんとうに」ではなく「とっても」という言葉を使われていた。

さすがだと思った。

過去様が、マラカス演奏されている時の表情を見る限り、笑顔ではあったが本当に楽しいという感じには見えなかった。

普通の人なら「本当に」という言葉を付け足す場面だ。

しかし、過去様は「とっても」という言葉を使われた。

自分は、この言葉のセレクトに凄いなぁと思っていた。

本当に本当

逆に、「本当に」が「本当」の場合もあると思う。

例えば、誰が見ても楽しくないようなことを体験して、その後に感想を聞かれた時に、本心から楽しかったという場合だ。

夏の暑い日に大勢の人たちと砂浜のゴミ清掃を行って終わった時に砂浜がとても綺麗になっていた。

清掃を行う前はこの暑い日にゴミ清掃なんて辛いだけだと思っていたのに、砂浜が綺麗になった姿を見た瞬間、そんな気持ちは吹っ飛んでしまい、暑い、辛いという気持ちを楽しいという気持ちが越えてしまった。

ゴミ清掃は普通に考えると「楽しい」作業ではないはず。

だから、そんな作業をして「楽しかった」と言えば、嘘だと思われるかもしれない。でも本心から「楽しかった」場合には「本当に」という言葉を付け足したくなる。

過去様の発言を聞いて、このような場面で「とっても」という言葉を使った方が自然な気がした。

言葉というのは、実に難しい。

モバイルバッテリーの改善点

モバイルバッテリーは現在、軽量・大容量の方向に進化しているが、改善して欲しいことは他にもあるはず。

たとえば、モバイルバッテリーは使いたい時に充電切れになっていて充電から始めないといけなくなる。

そして、充電していると、持っていくのを忘れてしまうということにもなる。

充電切れ間近になると、スマホに通知してくれると、助かるのではないだろうか?

そして、モバイルバッテリーはどこに置いたかな?ということもよくあるので、AppleAir Tagのように位置表示機能や、探す機能があると便利なのではないだろうか?

そして、そのようなことにならないようにワイヤレスの充電スタンドで充電できるようにしてくれれば、自宅での置き場所が固定されるので、使いたい時の、充電忘れや、どこにあるのか探すということもなくなるはず。

なぜ、モバイルバッテリーには充電スタンドがないのか?ずっと思っていた。

掃除機だって専用の充電スタンドがあるのに、モバイルバッテリーにはなぜないのか?

充電スタンドにより数々の問題が解消される可能性があるのだから、規格化して自社のモバイルバッテリーだけではなく、他社のものでも充電できるようにもなるはず。

充電スタンドではなく、ACプラグをモバイルバッテリーに組み込むという方式が人気で増えてきている。

充電スタンドが規格化されれば、ホテルなどにも設置してくれるだろうから、持ち歩く必要もない。

そう、モバイルバッテリーをMageSafe対応にしてくれれば、全てが解決するはず。

別に充電ステーションでなくてもケーブルを接続する場所を決めておけば済む話では?と思うかもしれないが、ケーブルを接続するのと、単に置くのでは、気持ち的には雲泥の差がある。

Anker Charging Base

Anker Charging Baseは、MageSafe対応ではないが、ケーブル接続不要で、充電できるというもの。

しかし、残念ながら、これは、Anker Prime Power Bank 専用でケーブル無し接続は他社品には対応していないが、USBケーブルで他製品を充電することは可能なので、個の充電スタンドをモバイルバッテリーの充電位置とすれば、モバイルバッテリーの定位置になる。

残念なのは価格で、Charging Base が約7,000円、Anker Prime Power Bank 12000mAhが約13,000円なので、セットで2万円程度になる。

つまり、12000mAhのモバイルバッテリーが2万円になってしまうという点。

モバイルバッテリーに充電スタンドがないのは、価格面で高くなってしまうということだろう。

しかし、自分が考える理想の環境に近づけてくれるのは、現状は、この製品しかない。

Anker Charging Base (100W) for Anker Prime Power Bank (Anker Primeシリーズ モバイルバッテリー専用充電スタンド)【USB Power Delivery/PowerIQ搭載/PSE技術基準適合 / 100W出力】iPhone Android Galaxy MacBook スマートフォン ノートPC 各種 その他機器対応

Anker Prime Power Bank (12000mAh, 130W) (12000mAh 合計130W出力 モバイルバッテリー)【USB Power Delivery対応/PPS規格対応/PSE技術基準適合/USB-C入力対応 / 130W出力】iPhone MacBook Galaxy Android スマートフォン ノートPC 各種 その他機器対応 (ブラック)

最高の勉強法ということで、Youtubeの「米国内科専門医 安川康介の医学チャンネル」で動画が公開されている。

安川さんは、医学部6年生の時に、日本の医師国家試験の勉強をしながら、同時並行でアメリカの英語の医師国家試験の勉強をして二つとも合格したという凄い人だ。

そんな安川さんだが、ご自身で頭も記憶力も全然、よくありませんと断言している。

忘れ物もするし、おととい食べたものを思い出せないことは日常的にある。

しかし、勉強についてはちょっとしたコツに気付いたため、今までやってくることができたという。

たくさんの人が行っているが、あまり効果がない勉強法として以下の2つがあるとのこと。

どちらも日本で多くの人が行っている勉強法だと思う。

再読は、世界的にも8割以上の人が行っている勉強法で、半数以上の人が一番重要な勉強法だと考えられている。

漫画ドラゴン桜で少し英単語を記憶して気分をリフレッシュしようと言われて、生徒が蛍光ペンを何本か取り出して「どんどん覚えよう」と言った。

すると、取り出した蛍光ペンを奪い取りゴミ箱に捨て、「教科書や参考書は線を引いたり塗ったりしてはいかん!」と怒鳴った。

蛍光ペンで要所を塗っても何も頭には入っとらん。そうすることで、お前らは勉強した気になっているだけだ。柳塾の必勝鉄則の中にノートを汚して教科書を汚すなというものがある。なぜなら、教科書や参考書が線や書き込みで汚れるとそこは覚えた気になってしまう。一旦そう思うと、もう一度そこをやり直す気力が薄れてしまうのだ。これを防ぐために教科書は常に真っ白にきれいにしておけ。そうすれば、自分はまだやっていない、やらなきゃならないことがたくさんあると、ある程度の不安感をもって自分を追いたてながら勉強をした方がいいのだ。さらにきれいだと何度繰り返しても新鮮な気持ちでいられて再挑戦する意欲も湧いてくる。

再読

再読は間違いなく、ある程度の効果があることはわかっている。

文章を読んでもらって穴埋め問題を行ってもらうと実験で、2回文章を読んだ方が、1回しか読んでない場合よりも正答率が高かったことでも証明されている。

しかし、3回以上再読は、効果はあまりなかった。

ハイライトすること

これも文章を読んでもらって、ハイライトをするグループ、しないグループ、ハイライトをした文章を読むグループに分けてテストを行ったが、テストの点数に差がなかったという結果が出ている。

また、ハイライトは強調する部分を選ぶことが上手な人には効果があるようだが、そうでない人の場合には効果的な学習方法だと考えられていない。

自分も学生時代、蛍光ペンというのはあまり使った記憶はない。

それは、勉強したと安心するからという理由ではなく、単純に蛍光ペンで重要と思える部分に色を塗っても効果が何も感じられなかったからで、どちらかというと、重要と思える部分はノートに書き出すと共に教科書や参考書のページ数を書いていた。

効果が高い勉強法

では、どんな勉強法が良いのだろうか?

アクティブリコール

勉強というと本を読んだり、講義を聞いたりして脳にインプットすることだと思っている人が多い。

しかし、インプットしか行わない勉強法は効率が悪いことがわかっている。

勉強したいことや覚えたいことを能動的に思い出す。アウトプットとすることがアクティブリコールになる。

何かを記憶するためには思い出す作業、脳みそから取り出す作業が非常に重要だということが明らかになっている。

思い出す作業は既に覚えたことを確認するためだけの作業だと思っている人が多いが、思い出す事、アウトプットすることこそが記憶を定着させる効果的な学習方法だということがわかっている。

間隔反復

まとめて1回で勉強するよりも、間隔をあけて勉強するほうが記憶が定着しやすいことがわかっている。

人は数日経つと覚えたことのほとんどを忘れてしまうようにできている。

このため、間隔をあけて繰り返し覚えることで記憶が定着しやすくなる。

塗った個所が見えなくなる蛍光ペン

蛍光ペンには、アクティブリコールの考え方も、間隔反復の考え方もないので、やはり、勉強法としては有効な方法とは言えない気がする。

これまでの蛍光ペンは塗ったところが目立つようにするという目的だったのを逆に塗った個所が見えなくなり、専用のシートを重ねると、塗った個所の文字が見える。

こうすることで、教科書を穴埋め問題形式のものに変えることができる。

こうすることで、アクティブリコールの考え方を取り入れることができて、間隔反復にも使いやすくなるのではないだろうか?

蛍光ペン発想の転換が必要な時期になってきた。

緊急事態宣言中に石破氏が会食参加

自民党の総裁選は、予想外の石破氏が当選するという結果となった。

世間では石破氏の評価は高くないが、自分は以前から石破氏に総理大臣になって欲しいと思っていた。

しかし、ある報道を元に石破氏に不信感を持つようになった。

ある報道とは以下の内容になる。

緊急自治宣言が出されて多人数での会食は控えてくださいと言われている時期に石破氏は、9人での会食に参加していた。

そして、報道がされた際に、以下のような内容を話していた。

福岡での講演後に少人数の夕食に誘われた。

部屋に入って5人以上の会であることが分かった。参加するべきか逡巡(しゅんじゅん)したが、検温、消毒、常時窓を開けるなど感染対策に努めていたこともあり、お断りすることは礼を失するとの思いが勝ってしまった。

これを知って、この人も他の政治家と何ら変わりない人だったと、がっかりした。

その後、石破氏に対する見方が変わった。

女性初の総理大尽より石破氏?

しかし、今の自民党が変わったと認めてもらうには、女性初の総理大臣ではなく石破氏しかいなかった。

つまり、次の選挙で勝つためには、これまで「党内野党」だと言われてきた石破氏を総裁にするしかないという考えからだと思っていた。

しかし、自民党には悪しき習慣が、まだまだ残っている。

自民党の政治と金の問題もその中の一つ。

この問題をクリアするには、自民党の癌のような存在である麻生氏を切除することは避けられない。

逆に言えば麻生氏を切除することができれば自民党は変われるということになる。

麻生 vs 菅

ここで、ふと思った。

自民党が変わる=安倍色を払拭する。

このためには安部信者の菅氏は抵抗勢力になると思っていた。

しかし総裁選の決選投票では菅氏は石破氏を指示した。

高市氏は安倍信者の1人であり、安倍氏の後継者とも言える菅氏にとっては同士と言える人だったはず。

その高市氏を支持ぜずに石破氏を推したのはどういうことなのか?

更に麻生氏は1回目の投票から同じ派閥の河野氏推しをやめて高市氏に乗り換えていた。

なぜ、そんなことがわかるのか?

1回目の投票結果で河野氏には国会議員票は22票しかなかったからだ。

つまり推薦人しか投票していなかったことになる。

では麻生派の票はどこに行ったのか?

高市氏の国会議員票が予想より大きく増えていた。

誰が見ても麻生派票が高市氏に流れたことは明白だった。

麻生派議員には投票前には河野氏に投票すると答えるようにしていた可能性は高い。

つまり麻生氏は、河野氏を推す気は最初からなかったのだろう。

自民党にすれば、次の選挙で勝てるか?が最重要課題。

河野氏はマイナ保険証の強行などで印象が悪いので国民の信頼を失っている。

つまり河野氏では国民の支持が得られない。

しかし、河野氏に対して直接支持しないとは言えないので、投票までは河野氏には麻生派が全面的に支持するように思わせておいた。

もう一つ、麻生氏にするとこれまで、男社会だった自民党がはじめて女性総裁を誕生させたとなると、自民とは変わったと思ってくれるだろう、そして総理の方が国民に支持されやすいと考えた。

そうすると河野氏より高市氏を推したくなる。

菅氏は、麻生氏が高市氏に乗り換えることを各方面から情報を収集して予想していたのだと思っている。

菅氏も、国民に受け入れてもらえそうな小泉氏を支持するとしていたが、これも捨て駒だった可能性がある。

誰が一番票を獲得するにしても、過半数は取れない。

そして、小泉氏は決選投票には残れない。

すると決選投票は石破氏と高市氏になる。

麻生氏は、石破氏とは犬猿の仲でもあり、石破氏を推すことはない。

麻生氏は間違いなく高市氏を推すことは間違いない。

菅氏は、これは絶好のチャンスだと思った。

菅氏と麻生氏は共に安倍信者ではあるが、麻生氏は純粋な安倍信者とは言えず、いつ裏切ってもおかしくないような存在。

純粋な安倍信者である菅氏にとって麻生氏は邪魔な存在。

このため、菅氏としては、心の中では、いつか麻生氏を落としたいと、ずっと思っていたはず。

石破氏が勝てば麻生氏を落とせる。

石破氏は安倍氏の天敵だと言える人だが、それよりも麻生氏を落とすことが菅氏にとっては重要だった。

今回のチャンスを逃せば、次はいつになるかわからない。

菅氏は石破氏を指示することを決断した。

これが、石破氏の大逆転の原動力だったと思う。

菅氏にすれば、石破氏なら、いつでも落とせるが麻生氏を落とすチャンスは、今回以外ない。

結果、自分が推した石破氏が総裁となったことで、麻生氏は元より麻生氏の息がかかった議員も一掃できる。

麻生氏の力がなくなれば、ずっと不満を持っていた麻生派だった議員は離れていく。

ましてや麻生派河野氏が今回の総裁選で切り捨てられたことを目の当たりにして麻生氏は信頼できない人だということを麻生派議員に改めて浸透させてしまった。

河野氏も、これで麻生氏への義理はなくなったので、麻生派からは離れる名目ができた。

菅氏の勝利

今回の総裁選は、石破氏が勝ったのではなく、菅氏が麻生氏に勝ったということになる。

いずれにせよ、今の自民党にとっては、結果的に、これしかないというベストな結果になったと思っている。

自民党の大きな癌が切除されて完治できたのか?

それとも、癌は転移をしていて死を迎えるしかないのか?

自民党の今後に期待したいと思っていたが、自民党の癌は思いの他、巨大で手強いようだ。

菅氏は石破氏も早々に切り捨てようと、早々の解散を指示し、石破氏が公約としてあげていたことを覆すようなことを指示し石破氏に対する国民の信頼を着々と失わせている。

解散総選挙自民党が現状の議席数を大幅に減らせば、その責任を石破氏に取らせる。

菅作戦は着々と進行中のようだ。

そして、自民党は何も変わっていないようだ。

予想外の結果

多分、自民党の総裁選は、1回目の投票では石破さんが一番多く票を獲得することになるのだろうと思っていた。

そして、候補者が9人もいることから石破さんが票の過半数を獲得することはないだろうと考えていた。

このため、決戦投票になるのは確実。

と、ここまでの予想は半分は当たった。

ところが、1回目の投票で一番多く票を獲得したのは高市さんだった。

議員票も小泉進次郎さんに次いで多かった。

これで高市さんが日本初の女性総理大臣になってしまうのか?と真剣に考えていた。

自分の予想では、1回目の投票で1位は石破さん、2位は小泉さんだった。

しかし、過半数は獲得できないので、決選投票になるのは確実。

菅さんが裏で「小泉進次郎」推しで議員に打診していることから2回目の投票では「小泉進次郎」さんが最も票を獲得するだろうから、小泉さんで決まりだと思って、先行でこのブログを書いていた。

ところが、決選投票は、なんと高市さんと石破さんだった。

こうなれば、高市さんで決まりだろうと思った。

ところが、何と、決選投票では石破さんの方が票を多く獲得してしまった。

自分の予想は見事、全て外れてしまった。

自民党は変わったのだろうか?

自民党総裁選の仕組みは昔から党の実力者の意向で総裁が決まるように作られているのだ。

党員票等というのは、党運営に反映されることもなく、単に、会費を得るための総裁選に投票できるという特典であり、それはカタチだけのものでナカミはないもの。

ということで、まだ総裁選の真っ最中であるが既に「小泉進次郎」で「当確」が出ているようなもの。

しかし、小泉さんはそういう昔ながらの慣習さえ通用しないほど、酷かった。

選挙戦で小泉さんの言葉からは行き当たりばったりで、中身が全く感じられなかった。

こんな人を総裁にしたのでは次の選挙で勝てない。

そんなことから、小泉さんの票が劇的に少なくなってしまったのだと思う。

つまり、自民党は何も変わっていないが、それでも小泉さんを総裁にすることは自分達の政治家生命に関わるような結果がまっている方を怖れた。

小泉さんが総理では選挙に勝てない。

それだけのことだと思う。

小泉進次郎の何が悪かったのか?

予想は完全に外れたが、それでも、「小泉進次郎」が総理大臣になったら?というタイトルのまま書いてみたい。

小泉さんの何が悪かったのだろうか?

まず、小泉進次郎という男は、具体的な公約が何もない。

小泉進次郎の総裁選特設サイトを見るとトップページには大きな文字で、「決着」という文字が書かれている。

そしてその下には「新時代の扉を開ける」と書かれている。

何に決着?新時代の扉?

スクロールしていくと、以下のように書かれてあった。

今回の総裁選は自民党が本当に変わるか。変えられるのは誰か、が問われる選挙です。

誰がやっても変わらない。政治に期待しない声が多い中、自民党が真に変わるには、改革を唱えるリーダーではなく、改革を圧倒的に加速できるリーダーを選ぶことです。

【出典】小泉進次郎 | 自民党総裁選特設サイト

私が総理大臣になったら?

私が総理総裁になったらということで小泉さんは、以下のような話を公開している。

1年以内に実現する改革と、中長期を見据えた構造改革の方向性を説明します。

どうだろう?

一つ目、二つ目ときたのに、なぜか三つ目以降がなくなっている。

そもそも、最初に着手するのが、みなさんからの共感を取り戻すための政治改革だというのであれば、それが一つ目になっていないとおかしいだろう?

更には、以下のようなこと言っている。

自民党改革の中に、政治資金の透明化が含まれているのではないだろうか?

公約さえ、まともに話せないということは、真剣に日本をどうしたいのか?が小泉さんの中で出来上がっていないことになる。

そんな人間が総理大臣になるなんて、考えただけで、ぞっとした。

自民党が小泉さんを選ばなかったということだけは、評価したい。

他愛もない話について


のんびりからまったり

テレビを見ていても、兵庫県の知事の話や、子供の虐待、盗難、殺人と「ギスギス」した内容ばかりで、気持ちが滅入ってくる。

そんな時、ふと、「のんびり」という言葉が頭に浮かんできて書いたのが先のブログになる。「のんびり」について書いているうちに、今度は「まったり」という言葉が頭に浮かんできた。

「まったり」って言葉は、自分はあまり、使わないが、周囲では、よく使われている。

具体的には、どういう意味なのだろうか?

言葉のニュアンスから感覚的には、何をするわけでもなく、何となく時間が過ぎていくのを楽しむというイメージを持っている。

調べてみると、「まったり」は、古語の「まろ」に由来し、「円やか(まろやか)」や「丸み(まるみ)」などの柔らかく穏やかな状態を意味する。

「まろやか」というのは、角が取れた状態。

柔らかく、滑らかで、刺激が少ない*これは、尖った部分がなく、全体的に穏やかで調和が取れているという感覚を伝えている。

「味」を表現する場合には、辛さや酸味、苦味などの強い刺激がなく、全体がよくまとまった穏やかなという意味合いになる。

「音」を表現する場合だと、鋭い音や耳障りな広がりがなく、柔らかで心地よい音色を表す。

現代では、「まったり」という言葉は主に「リラックスした様子」や「濃厚で優しい味わい」を表す言葉として定着しているようだ。

大人になる

「まったり」を「角の取れた状態」と考えると、「まったり」という言葉が使いやすくなる。

人間は、年齢を重ねるにつれて「角が取れて器が丸く」なっていくと言われていた時代もあった。

しかし、今は、老人でも大人げない人というのは凄く多いので、当てはまらなくなってきた。

60年で生まれ変わる?

干支というのは、十干十二支のことで、十の干と、十二の支の組み合わせのことになる。

干は、10年で一巡し、支は12年で一巡する。同じ組み合わせに戻るのは、10と12の最小公倍数で60∔1年になる。

このため、人は60年で一巡(生まれ変わる)ということで、60歳を還暦としている。

生まれ変わるということは子供に戻るということになる。

そう考えると、老人が子供に戻ったように見えるのは、仕方ないともいえるが、人間が60年を超えると生まれ変わるというのは、普通に考えればおかしい。

大人の中でも高齢者=人格者というイメージがあったのが、今では、直ぐにキレたり、大人げない行為をする老人が増えているのは何とも悲しいことだ。

余裕がなくなった

高齢者に限らず、今の大人はのんびりしたり、まったりしたりする余裕がなくなっているのだろう。

これまでは、定年を迎えれば、自分の好きなことを行って楽しく過ごすことができたのが今は、定年を迎えても年金が支給されるわけではないので、定年後も働かないといけない。

政府は、70歳まで働くことを推奨するかのような動きも見せているので、60歳どころか70歳まで働かないといけなるような感じだ。

これでは精神的なゆとりなんて得ることはできない。

これで、「まったりしようよ」なんて言っても、そんなものできるか!と言われることだろう。

他愛もない話について


「のんびり」したいなぁと思った時に、どういう光景をイメージするだろうか?

今日は一日、何もかも忘れて自然の中で凄そう、デジタルデトックスで、今日はスマホを一切、触らない、好きな音楽を一日聞いて過ごす、ゆっくりと温泉に入って過ごしたい、今日は一日、寝転がってゴロゴロしようといった感じで色んな「のんびり」があると思う。

では、「のんびり」って言葉にはどんな意味があるのだろうか?

「のんびり」という言葉を聞くと、イメージはできるが、具体的にどんな意味があるのか?と問われると、考えてしまうのではないだろうか?

辞典で調べてみると、以下のような意味が書かれている。

キーワードとしては、「何もしない」「時間を忘れる」「ゆったりした気分になる」といった感じだろうか?

そして、これらのキーワードの状態になるために、「温泉」「自然」「音楽を聴く」といった行動をする。

それが「のんびり」ということになるのだろうか?

漢字にすると?

次に、のんびりを漢字で書いた場合に、漢字から意味や思いが伝わってくるのではないかと思って、漢字では、どう書くのかを調べてみた。

しかし、結果は撃沈だった。

「のんびり」に漢字はなかった。

確かに「のんびり」と、ひらかなで、わかりやすい文字で書いた方が「のんびり」感が伝わってくる気がする。

強引に漢字にしようとすると、「暢気(のんき)」と「緩い(ゆるい)」を合わせて、「暢緩」=「のんびり」という感じだろうか?

日本語には「意味」よりも「音からのイメージ」を大切にするものがある。

「のんびり」はまさに、音を重視した言葉なので無理やり漢字にするとイメージが損なわれてしまう。

「のんびり」を強引に「暢緩」と書いて「のんびり」と読ませたとしても、見た目的には「のんびり」が感じられなくなる。

語源は?

では、のんびりの語源は何だろうか?

おそらく「のん」は、暢気の暢で間違いないと思う。

そして、のんびりの語源はのんどりという説もあるようだ。

どりというのは、「取る」とか「持つ」という意味があるようだ。

そうすると、「暢気な気持ちになる時間を取る」ということが、のんびりっていうことになる。

休暇を取るという言葉があるように、暢気な気持ちになる時間を取る→暢気を取る→のんどり→のんびりというのが語源になるのだろうか?

暢気というのは、心配事がなく、ゆったりして気持ちに余裕のある状態と言えるので、そんな気分になる時間を取るのが、のんびりになる。

言葉の意味や語源を感じることで、理解が深まり、真の意味で「のんびり」を体感することができるようになると思う。

休みの日に、「のんびり」の意味や語源を感じて、「のんびり」をより深く体感してみるというのも有意義な時間になるのではないだろうか?

オックスフォード英語辞典に日本語が23語追加

オックスフォード英語辞典(以下、OED)は、世界で最も権威のある英語辞典。

初版は1928年に出版され、最新の第二版は全20巻、 50万語以上の単語の意味、歴史、発音を解説、 240万の引用を通じて英語圏の60万語以上の単語の進化をたどっている。

このため、価格も199,100円(税込)という桁違いの価格になっている。

【出典】The Oxford English Dictionary: Vols 1-20 (2nd edition) | Oxford University Press

OEDと日本の国語辞典との大きな違いは、歴史的原則に則り、各見出し語の初出の時期を特定、それから現代までの意味や用法の変遷を引用例で記録している点。

日本の国語辞典でも「日本国語大辞典」という全14巻の辞典が出版されている。

しかし、OEDほど単語の歴史・変遷については書かれていない。

日本国語大辞典〔第2版〕1 あ~いろこ

そんなOED日本語を由来とする言葉が23語追加されたという。

投野由紀夫教授とアリアン・ボルロンガン准教授が、英国オックスフォード大学出版局との共同で世界的に権威のある「オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)」に掲載する日本語由来の語の選定を行い、新たに23の日本語由来の語が追加されました。

新たに加わった単語のリスト
donburi(どんぶり)

hibachi(火鉢)

isekai(異世界

kagome(籠目)

karaage(唐揚げ)

katsu(カツ)

katsu curry(カツカレー)

kintsugi(金継ぎ)

kirigami (切り紙)

mangaka(漫画家)

okonomiyaki(お好み焼き)

omotenashi(おもてなし)

onigiri(おにぎり)

santoku(三徳)

shibori(しぼり、纈)

takoyaki(たこ焼き)

tokusatsu(特撮)

tonkatsu(とんかつ)

tonkatsu sauce(とんかつソース)

tonkotsu(豚骨)

tonkotsu(とんこつ)*昔の「煙草入れ」の「とんこつ」

washi tape(和紙テープ)

yakiniku(焼肉)

【出典】本学教員が協力しオックスフォード英語辞典に新たに23の日本語由来の語が追加 | 研究 | TOPICS | 東京外国語大学

日本の食に関する内容が目立つ。

食に関するもの以外だと、火鉢、異世界、籠目、金継ぎ、切り紙、漫画家、おもてなし、三徳、しぼり、特撮、和紙テープ

籠目?

今回、追加された言葉の中に「籠目」という言葉があった。

籠目というのは、日本の伝統的な模様で、六角形を連続して組み合わせたデザインのこと。

この模様は、竹や藁を編んで作る籠(かご)の目(編み目)の形状特に「籠目模様」として、日本の工芸品や建築、布地などで迷うことが多い。

また、「籠目」という言葉は、神道や仏教の暇で魔除けの意味を持つこともある。

六角形の形が霊的な力を持つとされ、不吉なものや悪い気を防ぐと考えられる。

童謡「かごめかごめ」の歌詞にも登場する。

かごめかごめ(籠目籠目)
籠の中の鳥は
いつ出ても
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ

この歌は輪になって遊ぶ歌になるが、謎めいた歌詞からさまざまな解釈がされている。

今回は、OEDに関する内容なので割愛し、改めて機会を伺いながら書いてみたい。

三徳と和紙テープ

もう一つ、「三徳」「和紙テープ」という言葉が追加されている。

「三徳」というのは「三徳包丁」のことのようだ。

日本では9割の家庭で「万能包丁」が使われていると言われているほど馴染みのある包丁だ。

三徳は、三つの用途を意味していて、肉・魚・野菜なんでも切れる包丁なので、確かに改めて考えると「三徳」は追加されて当然だと思う。

もう一つの「和紙テープ」というのは包装の際に使われる、和紙で作られたマスキングテープのこと。和紙なので素材が柔らかいので、曲面に貼りつけることもできる。

それでいて強度もそれなりにある。

改めて確認していくと、納得できるような気がしてきた。

中秋の名月

昨日(2024年9月17日)の明け方、窓から丸い月が見えた。

テレビでは「中秋の名月」だと報道していた。

中秋とは?

旧暦では秋を7月~9月としており、その真ん中にあたる8月15日を中秋と呼んでいた。

この中秋にあたる8月15日の夜に昇る月を「中秋の月」と呼び、さらに、この頃の月が特に美しく見えるということから「中秋の名月」と呼ばれるようになったらしい。

今は旧暦ではなく太陽暦なので、中秋の名月は毎年日付が変わってくる。

2024年は9月17日(火)だったが、2025年は10月6日(月)、2026年は9月25日(金)と随分と幅がある。

中秋の名月のことを「十五夜お月さん」とも、呼ばれている。

十五夜というのは、旧暦における毎月15日の夜のことを指す。

そして、新月の日から数えて15日目の夜という意味にもなる。

このため「中秋」は1年に1回だけだが「十五夜」は毎月訪れることになる。

しかし、昨日、見た月は少し小さい気がした。

反面、ビックリするほど月が大きく見える時もある。

月の大きさは変わらないはずなので、大きく見えたり、小さく見えたりする時があるというのは不思議な感じだ。

スーパーームーン

スーパームーンという言葉がある。

月が地球に最接近した時、またはその近くの満月のことをいう。

この現象は、1年に数回起きる。

その時の月の位置は最も地球に近くなるので大きく見える。

しかし、同じ日でも場所が変わると大きかった月が小さくなって見えることもあるので、スーパームーンだけではないような気がする。

月の錯視

よく言われるのが「月の錯視」と言われること。

月が地平線上に低いときに月が大きく見え、離れると小さく見える目の錯覚のことを言う。

地球から月までの距離は約38万km

これに対して水平線までの距離は人間の身長程度の高さから見た場合だと約4.4km。

38万kmと比べた場合には約86000分の1になるので誤差程度だ。

つまり、月が大きく見えたり、小さく見えたりするような距離の差だとは思えない。

実際には、月が頭の真上に来た時の方が、地球の半径(約6400km)分だけ月に近づくので、大きく見えるはず。

ところが、真上に着た時、月は一番小さく見えてしまう。

なぜなのだろうか?

はっきりと理由はわかっているわけではなさそうだが、現在、一番有力だと言われている説が、地平線の月は、周囲の建物や木々などの物体と比較されるため、より大きく見えるというもの。

画像で実際に、作成してみたのが以下。

上の画像が建物などがない状態、下の画像が建物がある状態になる。

画像だと違いはわからないが、実際に見ると、下の画像の方が月はより大きく見えるのだろう。

サウナの時代

「整う」が流行語になったほどブームになったサウナも、今では定着してしまった感がある。

自分も、「整う」なんて言葉が世の中に出回っていない、はるか昔、毎週、サウナに何年も通っていた時期がある。

最初はサウナが目的ではなく大きな風呂にゆっくりと入りたくてスーパー銭湯に通っていた。

スーパー銭湯にはサウナがあって、そこで初めてサウナに入った。

入り口には小さなバスタオルのようなものが重ねて沢山置いてある。

とりあえず、手に取り中に入ると、中にいる人達は小さなバスタオルを座る場所に敷いていた。

直接座ると熱いからだと理解した。

サウナ室の中に設置されている温度計を見ると100℃を示しているが沸騰したお湯を触った時のような熱さは全く感じない。

空気は水と比べると熱伝導率がかなり低いので熱はゆっくりと伝わってくる。

このため、沸騰したお湯を指で触った時には、直ぐに自分の指に熱が伝わってくるが、身体の周囲の空気は、あまり動かないこともあり、熱がゆっくりと伝わってくるので、直ぐには熱いとはならない。

しかし、サウナ室で歩いたりすると身体の周囲を覆っている空気の層が乱れるので熱いと感じる時がある。

そんな環境に、最初は3分も耐えることができなかったが、水風呂に入って、またサウナ室に入るということを3セット程度繰り返した。

そんなことを毎週していると、1か月も経たない間に、身体が慣れてきて、長くいられるようになってきた。

その結果、15分程度は普通にサウナ室に入れるようになったが、15分だと長すぎるようで、10分程度が適度な時間だと知ってからは10分程度に変えた。

水風呂にはせいぜい、3分で、それ以上はなかなか入れない。

水風呂の温度計は15℃と表示されているので、温い感じかと思って中に入ると、まるで氷に触れたときのような冷たさを感じた。

水は空気と違って直ぐに冷たさが伝わってくるので、長い時間は無理なのだろう。

いつの間にか、暑い部屋と冷たい風呂に交互に入ることで、身体も精神も心地よくなっていた。

これが今でいう「整う」っていう状態になる。

そして大きな風呂が目的ではなくなり、心地良さを与えてくれるサウナが目的でスーパー銭湯に通うようになった。

マインドマップの時代

学生時代から学校の勉強よりも、勉強法に興味を持つタイプの学生だった。

色々な勉強方法の本を読んできた。

勉強は記憶できなければ始まらないということを強く感じたことから記憶術に興味を持った。

最初に出会ったのは、渡辺 剛彰氏の記憶術。

連想記憶術で、記憶したい情報をよく知っている他の情報と関連付けて覚えていくというもの。

具体的には以下の3つの方法がある。

  1. イメージ化: 記憶したい情報を視覚的なイメージに変えて、頭の中で鮮明に思い浮かべる。例えば、「りんご」という単語を覚えたい場合、赤いりんごが木から落ちる場面を想像すると効果的。
  2. 物語化: 覚える情報を一つのストーリーに組み込む方法で、関連のない単語や概念を覚えるとき、それらを一つの連続した物語にする。例えば、「鍵」「犬」「月」という3つの単語を覚えたい場合、「鍵を持って犬と夜の月の下を散歩する」というストーリーを作ることで記憶が定着する
  3. 場所法(記憶の宮殿): よく知っている場所(自分の家や通勤経路など)と記憶したい内容を結び付けるようなイメージを作る。例えば、家の玄関に「りんご」を置き、リビングに「本」を置くというように、覚えたい情報を場所ごとにイメージを結びつけていく。この方法では、イメージの順番に沿って思い出すことができる。

例えば、数字を覚える場合には、数字の五十音の1文字を割り当てて、数字を言葉に変えて上記の、イメージ化と物語化、イメージ化と場所法を組み合わせて記憶する。

1:いち→イ

2:に→ニ

3:さん→サ(ザ)

4:よん→ヨ

5:ご→ゴ(コ)

6:ろく→ロ

7:なな→ナ

8:はち→ハ(バ)

9:きゅう→キ

0:ゼロ→ゼ(セ)

円周率を覚える場合に、3.14だと、以下のような感じになる。

イメージ化→物語化

3→サ→柵

1→イ→インコ

4→ヨ→四つ葉のクローバー

「柵」に「インコ」がぶつかってと「四つ葉のクローバー」の上に落ちた。

イメージ化→場所法

3:サ→サイコロ

1:イ→イチゴ

4:ヨ→ヨット

これと自分が良く知っている場所の経路などと結び付けて覚える。

たとえば、自分の家の経路を以下のように設定すると・・・

1:玄関

2:リビング

3:キッチン

以下のような感じで経路とイメージを結び付けていく

1:「玄関」に「サイコロ」が山のように転がっていた

2:「リビング」に入ると、大きな「イチゴ」が大声で歌っていた。

3:「キッチン」では、「ヨット」がシンクに浮かんでいた。

人間はイメージと連想で記憶していくというのが衝撃的で記憶術に興味を持つようになった。

記憶が重要の次に思ったのが、頭の良さ。

人間、同じことを習っても、直ぐに覚えるだけではなく、同時に理解して応用出来てしまう人がいるということ。

つまり、単に丸暗記するのではなく、覚えることを理解することが重要なんだということ。

それはつまり「頭の良さ」であり、「頭の良い人と悪い人」の違いについて興味を持つようになった。

そんな時に、出会ったのが、トニー・ブザン氏の「頭がよくなる本」で「頭の良さ」というのは生まれつきのものではなく、後天的に良くできるのではないか?ということを知った。

この本の中に「マインド・マップ」が登場する。

情報を視覚的に整理するためのツールで、思考やアイデアを構造的に展開するのに役立つ。基本的には、中心にテーマやアイデアを書き、その周りに関連するトピックやサブトピックを放射状に配置していくというもの。

これは連想記憶を視覚化することで全体を理解するのに有効なツールだと思った。

同時に概要を最初に理解しておくことの重要性も感じた。

今の仕事に就いた時に、基幹システムを担当することになった。

自分は「買掛」「売掛」「会計」を担当した。

データの流れが、どうしても理解できず、マインドマップで、それぞれのシステムを1枚の紙にすると全体が繋がりデータの流れもすっと頭に入って来た。

そんなマインドマップも何年か前にブームになって書店やセミナーで「マインドマップ」という言葉を頻繁に見かけたり聞いたりするようになった。

マインドフルネスの時代

祖母が亡くなった時に、お坊さんが、お経をあげたあとに法話をしてくださっていた。

その中で「諸行無常」という言葉に衝撃を受けた。

すべての物事や現象は、時間と共に変化し続けるという原理。

人間の感情、自然の景色、物質的なものすべて、常に変わっていくというもの。

当たり前のことではあったが「すべての物事や現象は、時間と共に変化し続ける」という説明を改めてされると、世の中には変わらないものは一つもないんだということが事実としてストンと腑に落ちてきた。

そして、これがブログのタイトルにもなっている、いつか巡ってくる自分の時代にも繋がる。

誰でも一つや二つはブームになる前に既に自分はやっていたってことがあるのではないだろうか?

今は多くの人は興味がないものであっても、時が変われば関心も変わり興味を持つようになることがあるということ。

少なくとも自分が興味を持ったのだから自分と同じような条件が揃う人が増えてくれば、同じように興味を持つのは自然の流れだ。

だから、今はブームになっていなくても本当に自分にとって必要なことであれば、いつかは花が咲く日が来る可能性は十分にあるということ。

話を戻すと、そんなことを考えさせてくれた「仏教」に興味を持った。

「般若心経」という260文字程度の文の中には仏教のエッセンスが詰まっているということで「般若心経」を唱えられるようになるまで繰り返し読んだ。

色々な人の解釈も見聞きした。

そんな時に、ティック・ナットハン氏の「微笑みを生きる」という本に出会った。

今の多くの人間は意識を内側ではなく外側に向けている人が多い。

今、自分は息を吐いている、吸っているという呼吸に意識を向けるだけで心がスッと落ち着いてくる。

たったこれだけだ。

マインドフルネスは正直、注目されるとは思っていなかったが、予想に反して一大ブームが起こった。

自分が本気で打ち込めるものは、それだけの魅力があるのだから、自分以外にも魅力を感じる人は出てくるはず。

それはいつの日か巡り巡って注目されるようになると思う。