「関ケ原の時の徳川家臣」カテゴリーの記事一覧 | 関ヶ原観光実用マップ (original) (raw)

関ヶ原のときの徳川家の家臣

カテゴリー: 関ケ原の時の徳川家臣

松平忠吉とは~井伊直政と共に関ヶ原の火蓋を切るも

松平忠吉とは松平忠吉(まつだいら-ただよし)は、戦国時代の武将で父:徳川家康の4男として、1580年9月10日に浜松城にて生まれた。母は側室のお愛の方(西郷局)で、徳川秀忠も生んでいる。1581年、東条・松平家の松平家忠が病死すると、2歳で...

酒井重勝と酒井重忠とは~徳川家の槍奉行と河越城主

酒井重勝とは酒井重勝は1549年生まれで、通称は酒井与九郎または酒井作右衛門尉重勝とされます。1653年、三河一向一揆の際に、酒井重勝は徳川家康と敵対しました。その後、徳川家の家臣に戻ると、1572年、武田信玄との三方ヶ原の戦いにて、徳川家...

遠山利景と遠山一行~徳川家の旗本となる礎を築いた明知城主

遠山利景(とおやま-としかげ)は美濃明知城主・遠山景行の3男だったようで、幼いころから妙法山・萬勝寺にて僧になっていました。しかし、元亀元年(1570年)に兄・遠山景玄が死去し、元亀3年(1572年)12月28日、上村の戦いでは秋山虎繁に敗...

遠山友勝と遠山友忠~遠山友政は関ケ原の戦いで活躍し苗木城に復帰

遠山友勝(とおやま-ともかつ)も生没年は不詳ですが、遠山右衛門佐友勝は、遠山友忠の父ともされます。遠山友勝の父も良くわかっておらず、遠山左近某、または遠山景友ともされ、もちろん母は不詳です。一説によると、京の三淵大和守の子で、養子として遠山...

岩崎城の戦い~岩崎城主の丹羽氏次と丹羽氏重とは【小牧長久手の戦い】

1584年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」シリーズですが、関ケ原でも活躍した岩崎城主・丹羽氏次にも繋がるお話で、岩崎城の写真と共に掲載いたします。岩崎城尾張・岩崎城(いわさきじょう)は、織田信長の父・織田信秀が...

横田尹松とは~高天神城の生き残りで徳川家では使番となった武田家臣

横田尹松(よこた-ただとし、ただまつ)は、1554年に横田高松の娘婿・横田康景(横田綱松)の長男として生まれた。父・横田康景は、千葉氏の一族で甲斐に土着した足軽大将・原虎胤の子であり、横田高松の娘と結婚し横田家の婿養子となっていた。1550...

柴田勝政と柴田勝重~東京の住宅街にて今なお柴田勝家の兜を祀る史跡

柴田勝政・柴田勝重とは柴田勝重(しばた-かつしげ)は、越前の勝山城主・柴田勝政の子として1579年に生まれた。母は諏訪の高島城主として38000石にもなった日根野高吉の妹。(美濃・本田城主である日根野弘就の娘)父・柴田勝政は犬山城主・佐久間...

本多正重と本多正氏~徳川家を出奔するも復帰して大名になった槍の名手

本多正重(ほんだ-まさしげ)は1545年、本多俊正の4男として生まれた。兄に本多正信がおり、共に松平家康の家臣として仕えた。1563年、三河一向一揆では兄と共に一揆勢の武将として徳川家康と敵対。しかし、1564年に徳川家康が一揆を鎮圧すると...

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