記憶はビデオレコーダー的なモデルから再構成的なモデルへ変化/『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』E・F・ロフタス、K・ケッチャム (original) (raw)
・『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー
・雲や蒸気のように曖昧な記憶
・記憶はビデオレコーダー的なモデルから再構成的なモデルへ変化
記憶に対する見方は、記憶を事実そのものだと考えるビデオレコーダー的なモデルから、記憶を事実と空想の入り混じった創造的産物だと考える再構成的なモデルへと変化してきた。私の研究は、この新しい記憶のパラダイムの創出に貢献してきたと思う。私は幾人かの考えを変え、幾人かを無実の罪から救い出し、新しい研究の流れを作り、熱い議論を巻き起こしてきた。将来もこうやって仕事を続けてゆくつもりだった。研究計画を立て、研究費を獲得し、講演し、院生を指導する。生涯にわたる研究の積み重ねによって、「記憶は作られる」ということへの驚きと不思議感を提供し、たとえ一片の記憶であっても、記憶を字義通りの事実だとする考え方を疑ってみる健全な懐疑精神を広める役に立てばと、そう願っていたのである。
しかし最近、私の世界はすっかり様変わりしてしまった。【『抑圧された記憶の神話 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』エリザベス・F・ロフタス、キャサリン・ケッチャム:仲真紀子〈なか・まきこ〉訳(誠信書房、2000年/原書、1994年)以下同】
著者名をE・F・ロフタス、K・ケッチャムから「エリザベス・F・ロフタス、キャサリン・ケッチャム」に変更した。100ページほどまで読んだが、男性だとばかり思い込んでしまった。翻訳者は意図的に性別がわからないようにしたかったのか? しかも、この二人には『目撃証言』(厳島行雄〈いつくしま・ゆきお〉訳、岩波書店、2000年)という著書もあり、こちらはきちんとフルネームで表記されている。
「雲や蒸気のように曖昧な記憶」が「ビデオレコーダー的なモデルから再構成的なモデルへ変化」するのは当然の流れだ。
本書を読みながら我が身を振り返った。私の場合、4歳より前の記憶はほぼ欠如している。辛うじて函館に住んでいた際、階段から下を見下ろした覚えがある。これが2歳の時だ。あと、隣が仏壇店で家の前を路面電車が走っていたことも覚えている。4歳からの記憶もかなりあやふやだ。「どうしようかなあ」と迷いながらも、ウンコを漏らしてしまい、たまたま来ていた母方の祖母に怒られたことはよく覚えている。札幌には「仲よし子ども館」という幼稚園の前段階の教育が行われており4歳から通った。楽しくなかった印象がある。隣家の幼馴染の家に泊まった時はオジサンの凄いイビキにびっくりした。近くの墓地でよく遊んだ。夕方になるとクワガタが集まってくる木があった。ダックスフントに追い掛けられたこともあった。両親が不在のことが多く、弟二人を布団で寝かせるのも私の役目だった。三角山には登った記憶がない。
これが全てである。
記憶がそこそこはっきりし出すのは小学校4年生くらいからで、さすがに還暦を超えると日々の出来事は淡く蜃気楼のように霞んでいる。
30代に入ると出会う人の数が異様に増え、時折失念した人から声を掛けられることが目立ち始めた。
幼い頃から多読であったが、読み終えた本の内容は片っ端から忘れてしまう。書評を検索して自分のブログがヒットすることも珍しくない。で、恐ろしいのは記事を読んでも思い出せないことだ。これには頭を抱えてしまった。
年を取って繰り返し思い出す記憶は往々にして苦痛に基づく記憶である。苦労知らずの私の場合、「あの時殴っておけばよかった」という程度のものが多い。「殴り方が足りなかった」とか。
記憶を「テープレコーダーのようなもの」と考えていたのは脳神経外科医のワイルダー・ペンフィールドだった。「ペンフィールドの地図」で知られる人物だ。頭蓋骨を外して脳味噌を突っついて様々な反応を検証した。しかし、猿も木から落ちるのだ。ペンフィールドの考えは誤っていた。
絶え間なく鳴る電話、涙ながらの告白、陰謀の妄想、そして残虐な性的虐待、拷問、殺人すら出てくる恐ろしい物語……。こんなことになると知っていたなら、もっと早く安全で守られた研究室に後戻りしておいたほうがよかっただろうか。いいえ、絶対にそんなことはない。今ここにいるおかげで、私はまさに展開しつつあるドラマ、ギリシア悲劇のパトス(情念)にも匹敵する、情熱や苦悩に満ちた現代の物語の中心にいられるのだ。
著者は記憶研究の第一人者と目されることで、幼児期の性的虐待被害の相談を受けることが多くなる。アメリカ国内ではある時期から多数の被害が告発され、大人になった子供が親を訴え、刑事訴追され、罪を科されるケースが続出した。ところが後に「偽りの記憶」による被害が含まれていることが判明する。
アメリカはキリスト教原理主義の国である。ダーウィンの進化論が学校教育で忌避される唯一の先進国だろう。教条主義は必ず抑圧を生む。実際に近親姦も多い。同性愛や小児性愛が目立つのもキリスト教に対する反動だろう。
家庭内での性的虐待が告発されるようになったのは1970年代からでフェミニズム運動が後押しした。ここが重要なところだ。1960~80年代のフェミニズムは第二波と位置づけられているが、どの波にも左翼が深く関わっている。「平等」を謳う運動は全部左翼が推進していると考えてよい。彼らが主張する平等には社会を破壊する目的が隠されている。
1980~1990年代にかけて、精神分析やセラピーの一環として「抑圧された記憶」を引き出す技法が注目されるようになった。催眠、自由連想、夢分析などの手法が含まれ、特に児童期の性的虐待を思い出させることを目的としていた。つまり、セラピストによる誘導が「偽りの記憶」を形成する場合があるのだ。
こうした被害が社会事象にまでなったことを踏まえると、私はベトナムからの帰還兵がPTSDに苦しんだ次のステップとして、左翼が心理療法業界に侵入した可能性があると思う。
現在、実際の被害と偽りの記憶による被害の数や割合が確かではない。学会では「偽りの記憶」は数パーセント程度と低く見積もられているようだ。ま、飯の種が減っては彼らもかなわないという意味なのだろう。
その後様々な実験によって「偽りの記憶」が容易に形成できることが明らかになっている。記憶は変容し、そして創造されるのだ。