setokouchanの日記 (original) (raw)

秋らしく高い空が。しばらく静かだったスズメが嬉しいのか元気がいい。

『今日は何の日』を時々調べる。10月10日は、約90もの◯◯の日になっているのに驚かされた。日本人は好きだなあと改めて思ってしまう。

今朝のニュースでは、80年前の今日、沖縄の那覇で空襲があったという。上空から詳細な写真を撮って、どこにどのように爆弾を落とすのか作戦を立てたようだ。

お昼に撮った今日の月。2024年10月10日は、自分的にはやっと秋空が見られた日だ。

半田市までチョイドライブ。目的は市役所で昭和東南海地震の記録探しと、大府のJAげんきの郷での買い物だ。

半田市役所の職員さん、とても親切。いろいろと調べてくれた。図書館にも連絡をつけて担当者を紹介してくれる。今日は時間がないのでまたユックリと行こうと思う。

半田市は『ごんぎつね』の新美南吉で有名だ。職員さんは、彼岸花が今満開だと教えてくれた。

平日にも関わらず駐車場は満車だったが、季節は待ってはくれない。並んで空くのを待った。普段の自分にはないことだ。待った甲斐があった。満開だあ。

今回は時間がなく彼岸花だけしか見なかったが、20年ほど前に『新美南吉記念館』に家族で来たことを思い出した。その頃はこんなに観光客はいなかった。半田市は近々再チャレンジしよう。

今村では昔からの秋祭りに馬が出る。数年前からコロナ禍と合わせて馬の飼育管理ができないことで馬が減ってきた。十年前は五頭だったのが市場嶋が抜けて4頭に、さらに昨年度は川西嶋の2頭が抜けたため二頭になった。でも関係者の努力で川西嶋の馬が一頭復活した。5年ぶりに我が町内にも馬が練り歩いた。馬が回ってくる前には軽トラック(写真は去年の寺山嶋)が花火の音を響かせながら先導する。町民はその音で玄関先に出て祝儀袋を用意して待っている。馬が家の前に来るとひしゃくの中にお祝儀を入れると、馬方さんと馬が家の前で三回回り御幣と呼ばれる縁起物をもらえる。

昨年の寺山嶋と北脇嶋の馬だ。馬具の飾りが嶋によって違っている。

見事川西嶋の献馬を復活させた馬子(馬方さん)たち。みんな実にいい顔をしていた。お疲れ様です。来年は、やんちゃ馬を川西嶋がやるとのこと。どんな格好をしてくるのか楽しみだ。

子供たちも大喜び。92歳を筆頭とした年寄りグループも藤棚の下で大騒ぎをした。

10月6日(日)は我が地域の秋祭り、八王子神社の大祭だった。騒ぐことが好きな自分も、町内の子供獅子や川西嶋の馬を迎えるための準備などに朝から参加させてもらった。午前9時ごろから町内の子供たちが集まり始める。子供会や町内会の役員さんが法被を用意し子供たちに渡す。法被姿の子供たちが太鼓をたたき始めると子供獅子が始まる。高学年の子が獅子頭を持ち後ろに子供たちが連なっていく。『わっしょい!わっしょい!』と大声を出しながら町内を練り歩いていく。

獅子頭は二つあるので2つのグループができる。久しぶりに子供の数が増えてきて活気が戻ってきた。この数年で20名を切っていた子供会も30名まで増えてきた。子供たちの元気な声が聞こえることが町内を活気づける。
自分たち年寄りは、藤棚の下に椅子を並べ、子供たちを応援する。当然昔話が出る。笑い話になるが、「40年前は、子供会の人数が120人はいた。この公園で運動会や盆踊りをしていた。」「今は、高齢者が120人」などなど。子供たちの姿が増えてきて活気づいてきたことに楽しんでいる。昔は年に数回、様々な行事で町内の人々が顔を合わせていたので、顔見知りだった。

二つの獅子頭、実は性別や名前がついていた。正直知らなかった。

2つの獅子頭、上の写真がオスの名前が『宇津』下がメスの『権九郎』だという。平成24年に塗りなおし、修理されている。上の写真に収められなかったが胴体の布は緑色だ。

200軒以上ある町内会、みんながみんな顔見知りなることで、防犯・防災・福祉につながるはず。町内会は入らなければならない組織ではない。自分も今のままでは存在意義はまだまだ小さいと思っている。若者とともにどんな町内にしたら良いのか考えていきたい。

我が地域で10月1日から新しい実証実験がはじまった。来年の1月までだ。『ちいきをつなぐ乗り合い送迎サービス チョイソコ』だ。

自分が説明書を読んで理解した範囲でいうと、自分の町内には2か所チョイソコの停留所が決められている。写真は效範公民館の停留所だ。決められた区域内で1人300円で乗車できる。

事前に登録した人しか利用できない。ネットや電話で行き先と乗る駅を伝える。コンピュータが、同じ時間帯に同じ方向へ行きたい人の位置を計算し、途中の停留所で拾ったり降ろしたりしながら自分の目的地へ。いわゆる乗り合わせだ。

これが瀬戸全域をカバーしてくれていると、非常に画期的なシステムだ。

しかし行ける範囲がとても狭い。瀬戸の西側に隣接している尾張旭の一部(イトーヨーカドー三郷駅・旭台)、瀬戸の東山小・效範小校区の西側だ。市役所や新瀬戸には行けない。(区域からハズレても、陶生病院や瀬戸旭休日急病診療所には行けるようだ。)

コミュニティバスより区域は狭く、1乗車300円。コミュニティバスは100円だが、乗車人数が少なく満車で乗れないことがあったり、帰りのバスがタイミングが悪くなりがちで、自分の町内では不人気だ。

チョイソコを期待したかったが、もうチョイ頑張ってほしかった。あまりにも利用範囲(区域)が狭すぎる。

明日10月6日(日)は、今村地域の秋祭り。今村のお宮は八王子神社だ。献馬奉納が行われる。川西嶋(平町・田端・川北・川西町)コロナ禍でここ数年行なってこなかった。今年は地域の方の努力で復活した。

瀬戸では馬とは切っても切れない関係を持っていた。トラックなどの運送が発達するまでは、馬が大きな存在だった。瀬戸は焼き物の町だ。重たい焼き物を運ぶには馬を使った。また今村の北側を、信州と名古屋城下を結ぶ信州飯田街道が通っている。川西嶋は瀬戸の最後の馬宿(馬や馬方さんの休憩地)だったこともあり、馬へのこだわりがあった。

今村では、寺山嶋・市場嶋・北脇嶋で各一頭と川西嶋でニ頭の五頭が献馬奉納をしていた。馬の飾りは嶋によって違う。川西嶋の今年の飾りを撮影してきた。

朝の8時に效範町集会所を出発。には8時40分に平町公園に到着。その後平町から川北町を練り歩きながら、東三郷の交差点から川西町に入る。川西公園が馬宿となり、馬も馬子も休憩する。その後川西町の東半分を歩きながら共栄橋を渡り、八王子神社に向かう。3頭の馬が12時に神社で奉納となる。寺山嶋が今年のヤンチャをつとめるようだ。

川西嶋の馬は昼から田端町を回っていく。馬も頑張れ、馬子も頑張れ。祭りを楽しもう。

地域で(自分も年寄りだが)自分よりも高齢の方と話すことが多い。自分の知らないことを教えてくれるので面白いのだ。来年、2025年は昭和100年になるという。昭和元年から数えると100年目。

瀬戸の義父母は昭和3年と7年生まれだ。健在なら幾つになるだろうと考えると今までは大変だった。途中に平成がはさまり令和になる。自分の年齢も忘れている老化した頭では簡単に計算ができない。昭和100年で考えると楽になる。

昭和元年は、なんと1週間しかなかった。大正15年(1926年)12月25日に大正天皇が亡くなり、12月25日から昭和元年になる。

昭和生まれの自分にとってかろうじて平成まではある程度計算ができるが、令和が加わり大正さらに明治まで元号が出てくるとワケワカメなのだ。近現代史が苦手になった大きな原因だった気がする。西暦、世紀などに変換しないと出来事の前後関係を理解できない。

自分の住んでいる今村地区にある瀬戸市立效範小学校は、昨年創立150年だった。先日前を通ったら、看板が創立151年に変わっていた。西暦だと何年だろう?