戦争映画のステレオタイプ~ベトナム紀行④~ (original) (raw)

アメリカ人,ベトナム人両者の生き地獄が8年間続く。アメリカ兵の中には精神に異常をきたすものもいた。多くの兵が帰国してなお,その後遺症に悩まされた。ベトナム戦争を題材にとった映画の多くは,崩壊していくアメリカ兵の精神状態に焦点があてられている。そして兵士はもちろんのことアメリカという国家にとってもトラウマとなった。この戦争は一体何であったか?この問いの答えをアメリカは今だに探し続けて,ベトナム戦争を舞台とした作品を作り続けている。私にとってのベトナムはこれらの戦争映画の中の国であった。あくまでもアメリカ側からみた戦争であり,反戦であり,厭戦であり,プロパガンダでもあった。中でも『ディアハンター』(1978),『ランボー』(1982)をテレビでみたのはよく覚えており,たしか中学生のころであったと思う。

『ディアハンター』では,戦場であるベトナムの過酷な熱帯林と兵士の故郷アメリカ北西部の穏やかな森林とが対照的に描かれている。戦争の狂気はロシアンルーレット,心の癒しと平穏はアメリカの大自然の中での鹿狩りのシーンに投影されている。一発の銃弾が決め手となることにかわりない。ロバート=デ=ニーロ演じるマイケルの名台詞。

「一発だ。鹿は一発でしとめなければならない。」

マイケルらはベトナムで捕虜になり,ベトナム兵(ベトコン)からロシアンルーレットの拷問を受ける。マイケルはブチ切れたようにいう。

「三発だ。三発入れてやる。」

一見,自暴自棄に聞こえるこの台詞だが,マイケルの冷静さがその直後に発揮される。銃に装填した三発の弾は,マイケルにロシアンルーレットを迫ったベトナム兵の数であった。マイケルは渡された銃で三人を撃ち殺し,脱出に成功する。しかし友人のニックは正気を失い,サイゴンでロシアンルーレット賭博に自らを投じる。マイケルはニックの正気を取り戻し,彼を救おうと自らニックと勝負をするが,ニックが引き金を引くとそのまま銃弾はこめかみを貫いた。

この映画ではベトナム兵はあまりにも残虐で愚かしく描かれている。それは何もこの映画だけではなく,ベトナム側からすれば批判があるのは当然であるが,アメリカはアメリカが負った傷と当時の反戦ムードの中で批判の対象となったアメリカ帰還兵の青春の影を美しく描いている。私がデ=ニーロを好きになったのはこの映画からである。

流れる音楽もいい。メインテーマ曲はもちろんのこと,ロシア民謡(主人公たちはロシア系アメリカ人)の「ゴロブチカ」や「カチューシャ」。かと思えばアメリカンポップスの大ヒット曲「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)」からショパンまで。曲色は違えど,いずれも主人公たちの淡く切ない青春を投影している。ラストの「ゴッド・ブレス・アメリカ(God Bless America)」は何ともアメリカらしい。私が17のとき渡米した先でまず教えられたのが,アメリカ国歌(「星条旗」)ではなく「God Bless America」であったことを覚えている。

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『ランボー』のラストシーン。もと特殊部隊のランボーが元上官を前にして戦争での友の死を回想して泣き崩れる。

「彼の手足がバラバラになって吹っ飛んだ。肉がおれにへばりついてもうめちゃめちゃだ。内臓が飛び出してきた。だれも助けてくれない。彼は言った。家へ帰りたい。帰りたいと言って泣いた。俺は彼のちぎれた脚を探したんだ。でも見つからない。まるで悪夢だった。もう7年になるが,毎日思い出す。悪夢にうなされて気が狂う。そんなことがひたすら続く。」

ランボーは次回作で再びベトナムに赴く。ここでのベトナム兵の描き方はまた酷く,アメリカ政府の作戦を非難しながらもアメリカ強し・アメリカ正義が全面に出ていて,あまり面白くない。それもそのはず,「ランボー2」が製作されたのは1985年。当時の大統領はロナルド=レーガン。「強いアメリカ」を標榜した政権であった。

戦況が思わしくないアメリカは非武装の民間人を虐殺することもあった。ソンミ村の虐殺事件が報道されると,アメリカ軍の正義は失墜し,アメリカのみならず世界中で反戦デモ,反戦運動が広がった。反戦・プロテストソングがヒットし,ピーター・ポール&マリーのフォークソングが街中に流れた。彼らの曲を高校時代フォークソング部に属した私はよく弾き語りをしたものであるが,世代が違う私には反戦歌という意識はあまりなかった。

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