shia10’s blog (original) (raw)

大会でしたねこないだ。

模試ですっかり忘れてたわ。

模試疲れたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

俺、思うんす。

他人に評価されるの本当に苦手なんだなぁって

なんで演劇部やってんだって感じだけどな。

認められたい

っていうのが中学ぐらいからあって

それからずっと認められるために行動してきました。

ですが大人になるというものは

「いかに人の目に触れずとも自分の意志を貫き通し行動ができるか」

だと思うのです。

「認められたい」

という貪欲しかない感情を持って普段行動してる私にはこれが死ぬほど辛いのです。

人間の欲だから仕方ないってずっと逃げてきたけど

そろそろ現実をみなければいけんな〜と

なので、打ち上げが終わったらもしかしたら部活をしばらくお休みするかもしれません。

認められたいから責任を持って行動してきました

ですが少し背負いすぎたかもしれないです。

子供の特権です

休めるのは今だけです

少し練習しなければなりません

今の私では演劇部にいけるメンタルではない

大会前もギリギリだったんですけどね笑

さて、「でこぼこな僕らだから」

私は

評価されるために作った劇ではありません

この劇のテーマは

「現代問題を観客に伝え考えてもらう。劇で出てきた問題と似た経験をした人が救う」

そんな感じで書きました。

まぁ私が全部書いたわけではないので他の部員がどうだかは分かりませんが。

「現代問題」「学生の問題」

ネットの問題、性別による差別、インターネット普及によるネガティブな思考、勉強、進路

これらをまとめました。

どれか一つが欠けていたら、どれか一つに絞っていたら

この劇は完成していません。

私は全員を主役にした

んです。

人生脇役は辛いですからね。

少し詳しく台本について説明していきましょうか。

まずは全員の悩みが出るシーン。

こはな→りく→つき→ゆう→らい→だいち

の順で出てきます。

こはな=誹謗中傷に悩まされている少女。可愛くならなきゃと思っている。過去に縛られており嫌なことを言ってきたやつらを見返すために可愛くなった。音響が流れる前のト書きは「一件の誹謗中傷に気づく」と書かれています。これは過去に縛られ続けているこはなを表しています。音響使ってもよかったなぁ

りく=ネガティブな思考をしてしまう少年。自分が、自分だから、余計なことまで考えてしまいパンクするタイプ。RKとはりくのことであり昔からこはなのことを知っていた。(話したことはない)

冒頭の「こんなことやめればいいのに」はこはなの誹謗中傷をみて言っている。「そんなことが言えたら〜」からは彼のネガティブな部分

つき=勉強がうまくいかない少女。どれだけやってもどれだけやっても成績に結びつかない。挙げ句の果てには友達にバカにされる。でも友達がいなくなるのが怖いから笑うしかない。本当の自分を隠してるタイプ。つきにとって大切なものというのは友達のこと。冒頭のいいなぁは「成績が良いゆう」のことを見て言っている。成績が良かったらバカにされることもない=友達関係が良くなってたかもしれないと考えていたんじゃないかな

ゆう=進路が決まらない少女。彼女は漫画家になりたい。でもそれを友達にも親にも否定されてる。「どうせ叶わないんだから夢の見過ぎだから。現実を見なくちゃ」からは周囲に自分の夢を伝えられない悔しさや辛さを表している。やりたいことが言えない言ってもバカにされるそんな世の中になってしまったと思うんです。冒頭楽しそうは「夢が決まっており楽しそうに部活をするらい」に向かって言っている。

らい=言いたいことが言えない少年。言おうとしても喉につっかえる感じ。それを性格のせいにして仕方ないと思っていた。自分を知ってるようで知らなかったのかもしれない。冒頭友達ってなんだろう=言いたいことがいえる関係性。あいつはいいよなみんなと仲良いから=だいちのことを言っている。羨ましい。いいのかな=だいちと一緒にこんな自分がそばにいていいのかなって思っている。

だいち=元気で猪突猛進でも可愛いものが好きという他人には言えない秘密がある少年。性別差別、ジェンダー平等などを元に創作したキャラクター。趣味が気持ち悪いと否定されたことから隠し通すことに決める。それはものすごく辛いことだと思うなぁ私。

この6人は心のどこかで本気で変わりたいと思っていた。そのために異世界に飛ばされた。

ちなみにりくの「うまい棒」やつきの「え、どれ?」などのセリフは春大の台本オマージュである。

6人がいたから観客の皆さんも誰か1人にフォーカスして見られたらそれでよかった。

観客の皆さんが抱えてきた似たような問題を救いたい、手を差し伸ばしたい

そんな思いで書きました。

個人的にシリアスすぎると見てる側は疲れちゃうなって思って少しギャグを入れています。

私が観客だった時シリアスすぎるのはあまりにも心が痛かったから

まとまらんなこれ笑

まぁとりあえず

私まじで頑張った。本当に頑張った。そこは認めてクレメンス

こんにちはしあです。文字打つ元気はあるので書いてます。

今回の劇、結構重要になってくるのは感情なのではないでしょうか。

セリフに色をつけるためにはセリフを覚えるだけじゃなく、感情を注ぎ込まなければなりません。特に長ゼリの場合は。

さてその感情。即興でつくるのは難しいと思います。

なぜなら台本に出てくる感情は私たちが経験したものとは異なる場合があるから。

そんな時私なりに感情を作る方法があるのです。

これが絶対というわけじゃないんですが一つの参考になればと思ってます。

さてみなさん。皆さんは本を読んでいるでしょうか。

本というものは面白いもので文字しか書いてないのです。

なので当然私たちはその人物がどんな表情でどんな声色で台詞を話してるのかわかりません。

そんな時に役立つのが「想像」というものです。

本には台詞な前にどんな出来事があったのかどんな姿をしているのか。台詞の後にどんな表情をしていたのかが書かれていることが多いイメージです。

これを使うのです。これを使って本の中の情景を頭の中で想像し作っていくのです。

いわば脳内上映です。

これができれば自然と知識が備わっていきます。

自分が経験したことがないのに本を読むことで経験したような気になるのです。

これが知識です。

私は台本のセリフを知識と結びつけて感情を作っています。

セリフを客観的に主観的に見てどんな感情があるのかを考えてから知識と結びつけます。

そしたら自然とセリフに感情が入るのです。

例えばの話をしましょう。

「あなたなんて大嫌い!」

「なんで、そんなこと言うんだ」

「わかってるくせに。わかってるくせになんでなんで。」

「まってくれ。僕にはまだ言いたいことが。言いたいこと。、あぁ、そうか。」

最後のセリフ。あなたならどのように読みますか?

私ならこのセリフから

焦り、悲しみ、落胆

を感じました。

では知識と結びつけていきます。

本で読んだあのシーンと似ているなというのが一つや二つあるはずです。それを結びつけます。

すると私の脳内ではさっきのセリフがこのように変換されます

「待ってくれ!!!!僕には!!まだ言いたいことが!!!………言いたいこと……。。。あぁ、。。。そうか。」

どうでしょう?

説明が下手ですね。

そこにさらに加えると彼はこの後のセリフで何を言いたかったのかを想像してみればもっと解像度が増すのではないでしょうか?

「待ってくれ!!!!僕には!!まだ言いたいことが!!!(あるんだ!!)………(僕の、言いたいこと。?)言いたいこと……。。。あぁ、。。。そうか。(これは僕が言うべきじゃないよな。)」

とかね。

人それぞれの解釈だけどこれをいつもやっています。

やってると国語の読み取り問題マジで解けるんだよな。

おすすめです。

では書くの飽きたのでじゃね

お久しぶりです。そんな時経ってないけど。

ついさっきNakamuさんの「なんてことない話」を見て本当に共感した部分があるので

この際だしちゃんと未来の私が見返した時にこう思ってたんだってわかるようにブログ書こうって思って書いてます。

Nakamiさんのnoteを読んで共感した部分それは、

「ゲーム実況者という肩書きなのに、ゲームを愛せない人間でいることがすごく気持ち悪くて。」

のところです。

わかります。ものすごくわかります。

Nakamuさんよりか私はまだまだ子供だし大変さとかも全くもって違うけど。

根本的な思いっていうのは似たような感じがします。

私は中学時代陸上部でした。

完全個人種目です。

ただ自分に負けて高校では新しいことの挑戦として前々から興味があった演劇というものに携わることにしました。

初めての団体部活です。

月日が経つにつれ演劇というものが好きになる反面に嫌いになる瞬間にもたくさんあいました。

私は主に裏方で演出、照明をしていますが最初の頃は上手くいかず、何もわからない日々。

先生にも先輩にも相談はできませんでした。忙しそうだったから。

わからなくなるにつれてどんどんどんどんメンタルがやられていく日々。

正直にいうと部活をやめようと思った時さえあります。

ですが、それは私のめんどくさいプライドと部員に迷惑をかけないためという理由で思わないようにずっとしてきました。

楽しかった面もたくさんあります。やった分だけ結果が返ってくる気持ちよさは本当に嬉しいし、演出をしててここはハマった!ってなるととても楽しい。

先輩が引退した時、部長は私に託されました。

ただ時々思うのです。

「私なんかが部長をしていていいのか」と

ただ先輩に申し訳なくて表立っては言ってきませんでした。

そうなんです。

「演劇部部長という肩書きなのに演劇を愛せてない人間であることが気持ち悪い」んです。

私の周りの人は演劇関係の仕事を目指すために練習する人が多いです。

その先頭に立つ者が演劇関係の仕事に就かない人間でいいのかとずっと考えています。

心の底から演劇が好きだって思えないんです。

みんなと違って。私は思えないんです。

だからこそ、Nakamuさんのこの言葉にひどく共感しました。

だからこそ、みんなのキラキラした思いが私を締め付けるんだとも思ってます。

たまに演劇関係のツイートを見て死にたくなる時があります。(私の方で自衛しているのでそん時はそっとしてやってください。)

中学の頃、学級委員長をしたことがあります。一緒にやった副委員長は全く仕事をしてくれませんでした。

でも私、この副委員長のようになりたくないんです。

仕事はします。役割もちゃんとやります。

だけどこれだけはわかっていてほしい。

人には人それぞれのやりたいことがあって自分のやりたいことを他人に強く強要はするな。

ということ。これは時に人を苦しめるものだと感じます。

自分が思ってる以上に相手は苦しんでるかもしれない

自分が思ってる以上に相手は自分を責めているかもしれない

こういうお互いがお互いを譲り合って尊重しあえるから個々が気持ちよく活動できるところになるんじゃないかなと。

演出をやる際に気をつけていることがあります。

口調を柔らかくすること。

伝えたいことははっきり伝えるけど口調は柔らかくしているつもりです。

そしてその後にアドバイスをすること。

私なんかが的にあったアドバイスができてるとは思いませんが伝えたいことは私なりに頑張って伝えてるつもりです。

部活に来たくないって思ってほしくないから。

みんなが活動できやすい場をつくっていきたいですね。

じゃまた

頑張り損ってあると思うんですよ。

例えばテストでめっっっっっちゃ勉強したのにその問題が出なかった、的外れだったとか。

可愛くなって性格もよくしてダイエットも笑顔も気をつけてるのに好きな人は別の人を見てるとか。

世の中この頑張り損が多いと感じています。なんなら私は毎日感じています。

努力が必ず結果に結びつくわけではありません。

あれだけ頑張ったのに結局ダメだったとかよくあります。

結果が出た人は「努力してが足りなかったのでは?」と言っていますが、それは違うな感じます。

努力の量は人によって違うからです。

努力してる人を見て「あー努力してるな」とか

努力してない人を見て「あー努力してないな」とか

それは所詮自分の目線で見た主観的な目線であり、相手からすれば努力している場合もあります。

それを一概に努力してない!結果が出てないからだ!!と決めつけるのはどうなのでしょう?

まぁこれは私の意見ですが、結果だけを見てぐちぐち言ってるのは陰で悪口言ってるのと変わらないと思います。たとえそれが表に出ようがでまいが。

私たちが今回やる劇は全員が共感するわけではありませんが、心の中で人に言えないようなそんな気持ちを私たちが代わりに表せることができればなって思います。

かと言って努力しないのはまた別の話です。

いいんですよ。自分が努力したなって思うことができれば。結果なんて出なくても自分を認められる材料になれば私はそれでいいと思います。

報われない辛さは痛いほどわかるからね。

じゃまた会う日まで

こんにちはしあです。

最近どう森にハマってます。あつ森と言われてる奴ですね。

目指せ博物館コンプ!!なのですが、あれ意外と細かくて

季節、時間帯、天候によって捕まえられる虫や魚が大きく変わるんですね。

例えばリュウグウノツカイ。雨の日じゃないと釣れないんです。カブトムシやクワガタなども夏しか捕まえられませんね。

今は秋になりました。その辺に鈴虫がうじゃうじゃいてあ、きもってなってます。

でも、虫も魚も金になるので捕まえてます。ポケットいっぱいになった海の幸ほど効率にお金を稼ぐ方法があるのか知りたいです。

あれやばいガッポガッポ。

博物館コンプなんですが、殆どもう終わっております。図鑑も半分以上埋まりました。なんだったら海の幸あと3つでコンプです。最高だね。

虫はカブトムシ系が多分集められてないので来年ガチで集めたいと思います。

あ、気になる人できました。

眠いので終わります。きっといつかの私はこの話の続きを書くよ

じゃまたねー

しあです。

今度てか来週体育祭があります。

私は借り物競走と綱引きに出るのですが、どうやら借り物競争に「好きな人」というお題があるらしいのです。

大丈夫。生徒会から聞いたよ⭐️

私なんで借り物にしたんだろう。後悔してる。

いやだってさ??物って言ったじゃん!!!!!

物じゃん!!!!!!!人は物じゃねぇ!!!!

となってるのですが、なにせよ私は運の悪い人間。ここぞという時に引くのです。カス。

例えばこないだの論表の席替え。進級してから席が変わってなかったため、最初から後ろの席でした。

前の席の子「3番、やばいねw」

私「いや。まじで3番引きたくない。」

3番。

その席は隣がいない、1番前の席でした。

英語の授業。ペアワークが多いのです。隣がいません。

そうつまり、先生とペアワークをするのです。

私「いや、本当にやだぁ、まじで3番やだ」

前「いやぁ、?私はその席なってみたいよ?」

私「まじ?じゃあぽまえが引けるように引かないであげるわ。」

引く順番は私が最後から3番目。

前の席の子が最後から2番目でした。

私の番です。

私「3番だけはいやだ。3番だけはいやだ。3番だけはいやだ。」

そう思いながら引きました。

私「3番だぁあぁぁぁぁぁ!!!!!!」

3番でした。

そうです。私は運が悪く3番の席を引いたのです。

しかし運がいいことに、論表の授業の時は隣の先の子が休んでおり、いまだに先生とペアワークをしていません。

さて話を戻して。どうやら48枚ある中の2枚にそのお題が書かれているらしいです。

確率は24分の1。流石に引きません。

まじ、頼むぞ、?

鬱になった時に思うことがある。

自分は正式に鬱だと診断されたわけではないし、薬を処方されたこともない。世界一般では私のようなやつを「弱虫」とでも呼ぶのであろう。

ただ自分で調べて症状があってると思った病名がある。「躁鬱」だ。躁鬱とは気分が上がっている躁の状態と気分が下がっている鬱の状態がある鬱病である。

自分は正直この躁鬱だと思う。あまりにも気分の浮き沈みが激しすぎる。ひどい時はなにもないのに泣いたり熱もないのに体がだるくなにもしたくなくなったりする。初期症状なのかがっつりなのかわからないが、私はこの症状が中1から続いている。

病院行けって話だが、私はめんどくさいタイプなのでプライドが許さない。あと時間がない。おかしいほど時間がない。学生って意外と時間ないんだよ。

さて、躁鬱の鬱の時になるとどうなるのか。今の私の状態になる。ここから先は私の思うことが書かれており、言いたくても言えなかったことや愚痴っぽいことも書かれているだろう。

自衛をお願いする。

私は人に相談することが苦手だ。相談できたならどれだけ気分が楽になるのかそれは今まで相談に乗ってきた身としては痛いほどわかる。だが、その相談をのる人側な故に相談される側の気持ちもまたわかるのだ。

正直いって、なんて返せばいいのかわからない。言葉というものは励ましの力をもつ一方その人を殺す道具ともなる。

だから丁寧に丁寧に返答を考える。

これが私にとってはすごく難しいのだ。

共感しっぱなしでは話聞いてないの?となるし、

意見ばっかりでは、そんなの求めてない。となる。

わかる。その気持ちはすごくわかる。

丁寧に丁寧に一つずつ返答していくにはそれなりの体力を使う。画面越しで気を遣ってるのだ。

その苦労を私は知っている。だから、安易な考えで人に相談できないのだ。

こういうことをいうと毎回のように

「えー相談してよ話聞くから」

と言われる。

そういう問題じゃない。私は私が話を聞いて欲しい人は選ぶ。その人にとって納得がいかないであろう相談で否定される未来が見える人には相談しない。

だって私が傷つくから。

たまに、いや毎回思っている。人に相談できる人はいいなと。

私は考えすぎちゃう性格なんだと思う。

まず先輩には相談ができない。先輩は今の時期忙しいから私の問題で迷惑をかけたくない。

部活の人にも相談できない。余計鬱になる。

仲良い友達にも相談できない。前嫌な顔されたから。

家族にも相談できない。後々が面倒だから。

私のこの繊細な気持ちに土足でズカズカと入られては困るし、私は意見を求めていない相談が好きなので話が合わない。

相談っていうか、話を聞いてくれる人がいるだけでよかった。

前はいた。話聞いてくれる人。

でもいつもその人ばかりに話してるから申し訳なくなってやめた。

私は知っている。鬱になってる人の近くにいる人は鬱にやりやすい。なので、最初から鬱ですよー私ーと言うことで自衛させてる。

話すなら私のことをまだ知ってるし取り巻く環境も理解してるけどそんなに親しくなりすぎてない人がいい。

わがままだとは思ってる。

でもそうじゃないとどうしてもプライドと自制心が傷つくのだ。

わかってくれる人はいるのだろうか?

忘れないでほしい。相談がしたくてもできない人がいること。そしてその人に安易に相談のるよとか言わないこと。

やりたくなくてもやらなければいけないからやる人がいること。

今の時期は本当に心を許した人だけしか話したくないのだ。