自分のような者が言うのは躊躇われるのですが…「悔い改めよ」という事と「人はパンのみにて生くるにあらず」という事、とても深い言葉だと思います。 : 地の果て小話集・再 ~日本の庶民が見聞きしたことや体験談、そこから考察したことなど~ (original) (raw)

違う国に入り込んで悪くしていったら自分を蛇だと思うようになってしまうだろうな…というのも思いました。
(そして蛇に唆されて果実を食べてしまったら国を失ってしまう…国の礎にはなれずに塵になっていってしまう)

そしてそう思うと余計に「人はパンのみにて生きるにあらず」「悔い改めよ」という言葉がとても大事なように思えました。

そしてまたもう一つ、多くの先人たちが色々検証してきてくれた事で分かった事、
トマス・バーネット「地球の聖なる理論(もしくは”地球の神聖なる理論”)」と、指輪物語の冥王モルゴス(本来の名はメルコール)の話
聖書に書いてあると言っても、ぜんぶ鵜呑みに出来ないものがあるというのも思います。

宗教は元々は科学や医療と同じ所からはじまっていた。しかし改めて確認すると政治もだった。(そう言われれば確かに昔は「まつりごと」で一緒だったのに、ピンと来なくなっていた)

そして思ったのですが…いま「医療」が人の為ではない方に向かっていってしまっているのではないか?

真理とか、人の為とか、元々はそういう為のものだった筈のものがどんどん違う方にいってないか?
ロダンの「考える人」について「地獄に堕ちた人々を見つめている説」が強められていっていることと、『金持ちが作ろうとしている終末の舟』(”財布”にされている者では無い)

自分自身、色々な事を反省してやってきているのがあります。
しかし、反省すればそれで良いという訳でもないのも思っています。

身体に悪い事をしていて、「これは悪かった」と思って止めても、残ってしまうものもある。
それでも止めた方がその後は良い。

↓ニャオペという麻薬がありますが、コロナワクチンでも「高揚感」というのを言っていた人がいたのも気になっています…

↓こういった事が出てきていますが
後先がおかしい話②ワクチン禍が日本のせいのように思わせる形にされていっていないか?と感じる出来事の数々。

↓どういうリサイクルを目指そうとしているのか?(酷く勝手な事をしている者がいるように感じます)
神社の境内にごみ収集所(紙ゴミだけれど)が置かれたり、他の所でも、鳥居がゴミ集積場の前に建てられていたり…他にも…日本人とゴミを結び付けようとしている動きがある?