本と針 介護の余白 (original) (raw)
👵🏼
夜中になあ、おおアメがふったんな。
タニカワがあふれて、チュウオウドオリからダーッとミズがながれてきてなあ。
ベッドの下までミズびたしな。
したぎまでグッショリになっちゃって、きがえたんな。
こっちはアメがふらんかったかな?
おかしいなあ。ベッドのしたがもうグチャグチャだったんだに。
◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️
というわけで、オムツから溢れて、たしかに大洪水。
小さな子が、夢をみて漏らしてしまうことがあるというおねしょと同じなのかしらん?
義母の言う大雨は、若いころ、結婚して何年かたち、長男が生まれた数年後に起こった台風の時の災害の状況と同じように思われます。
ただ、実際前の晩に雨が降ったということはまったく無く。
義母は、レビー小体型の認知症で、よく幻覚をみると言われています。
起きている間に幻覚をみたということは、それほど多くはありません。
庭に誰かおる、とか、ときにはクマがおるなんて言ったことも。
多くは、夜間に起こり、それも夢なのかどうか、よくわかりません。
姉妹の誰それが来たとか、親戚やひ孫が訪ねて来たりすることが多いようです。
Oさんがお塩を配って来てくれた、もらいに出ないといけないから、玄関を開けてと言われたこともあります。
来客にお茶を出さないと、ということも何回かあります。
夜中です。
誰もいないといえば、納得はしないのかもしれませんが、それほど意固地に言い張ることもなく、ヘンだなあ、と頭をふりふりベッドに戻って行きます。
ひ孫が来て、ベッドの上でぴょんぴょんしていたり、一緒に寝ていたなんていうのもありました。
遠くにいるひ孫が子どもだけで来るとか、夜中に来客があるということが、おかしなことだとは、思わないのですね。
次の朝には、忘れていることもあるし、非常にハッキリ覚えていることもあります。
「夢だったのかなあ」と自分で言って、「変な夢ばっかみて、イヤんなっちゃう」と言うこともあります。
そんな義母の言うことですから、失敗したことの言い訳で洪水説を唱えているのか、夢なのか、幻覚なのか、よくわかりません。
まあ、いろいろ混ざりあって、自分に都合の良いことを言っているのでしょう。
ただ、そんなことが幾晩か続き、夜中に着替えて又濡れて朝も着替えて、と、洗濯物もどんどん増えてきたのです。
先日、義母の要介護度の区分変更申請をし、認定調査が行われました。
義母は、今のところ要介護度 3。
毎日デイサービスを利用し、レンタル用品も常にあり、ショートステイを利用しようとすると、支給限度額をオーバーしています。
最近の義母の様子、認知症のすすみ具合から、区分変更を申請してみてもイイのじゃないだろうかというケアマネさんのお話もあって、そのようにお願いしたのです。
義母は、要支援から始まって、何年か後に区分変更申請で要介護2に。
その後は3に認定され、また3年ほどたったところです。
市から来た介護認定の職員さんは、若い方で、初めてお会いする方でした。
高い声で、少々聞きとりづらいかと思ったのですが、さすがに本人に対しては、ゆっくりと、ハッキリ話しかけてくれました。
義母は、短期の記憶が以前から比較的しっかりしています。
こんなふうに、緊張感があって、集中して対応しなければと思うような場面では、記憶力がしっかり働くようです。
指を一本見せて、それが見えて何本と言えるかという検査がまずあります。
身体の動き具合を見たり、問診などした後に、さっきの指は何本でしたか?と聞かれるのですが、義母は正確に答えていました。
自分の名前、生年月日も、言えます。
棒読みのように、そこだけ妙にハキハキ答えます。
病院や何かの機会に聞かれることが多いので、生年月日を答えるというのは、ハッキリすり込まれているのでしょう。
季節も、答えました。
コレは、今までの認定調査で、当たっていたり、間違えていたりしています。
今日の日付。
「10月」、、、まあ、11月になったばかりだし?
「何日ですか?」と聞かれると、自分の誕生日を言ってしまいました。
その他、寝返りなど、身体の様子をみてもらい、続いて立ち上がり。
歩行器にすがるようにして立ち上がって、玄関まで移動したら、そのままデイサービスへ行くつもりになってしまって、出ていこうとします。
立った状態で片足を上げるとかなんとか、もう少し項目があったようですが、できないということで了解してもらい、本人はデイサービスへ。。
その後は家族から聞きとり。
夜間に起きてゴソゴソしていたりしますか?
それは何回くらい?と、不具合なことの頻度を聞かれます。
こちらは、一人でできる、という印象を与えすぎないように、ウソではないけれど、なんとなく加減しながら答えます。
聞かれる項目以外で、見守りが必要なことや、手間をかけている部分を伝えますが、微妙に伝え方が難しい内容もあります。
できたりできなかったりする事もあるし、ちょっと前とも様子が違ったり。
どれを言うと判定に不利になるのか有利になるのか?
数値化したり、主治医の意見を総合したり、多方面から不公平にならないよう一般化した検査なのでしょうが、ピント外れだったり、偏った質問の項目が多く思えたり。
なにかもう少し客観的でフェアな調査にはならないものかなと思います。
ちょうど新聞にも認定調査について書かれた記事がありました。
認定調査を受けて結果が出て、実際にサービスを受けられるようにるまでが、大変だと。
とくに主治医の意見書のために、受信をしなければならない、それが大変だと。
認定のための専門医というか、包括支援センター付属の医師とかがいて、必要ならばすぐに受診できたら良いというような意見があり、なるほどと思いました。
まず、スパルタには、びっくり!です。
中学生のころだったか、ギリシア神話に興味をもっていました。
まず星座に興味をもったら、牡牛座とかオリオン座とかカシオペア座と、ギリシア神話に関係のある星座がいっぱい。
なら、と、ギリシア神話をあれこれ読みはじめたのです。
そんなことで、ギリシアのことをなんとなく知っているような気がしていたのですね。
ところが!スパルタ、恐るべし。
身分をハッキリ3つに分けたというのは、日本の士農工商を思わせて、わからないでもないでしょう。
けれど、筆頭の、日本でいえば武士の身分になるために、生まれてすぐから判別され、優良な幼児だけを残し、7歳にもなれば男性だけの集団生活に放りこまれるという。
その他の、不足のある子どもたちは、格下の身分に堕とされ、役にたたないと判断されれば、死に追いやられるという、恐ろしさ。
その後も、ほぼ家庭生活というものもなく、おいしくない料理にも耐え、ひたすら軍事のみに従事するのだそうです。
それがスパルタの市民であり、全住人の24分の1にあたる支配者層の人々です。
よく言われる、スパルタ教育というのは、このことだったのですね。
そのようだ、と思えば、それに大きな不満もなく、諾々と強さをめざす、そんなものなのでしょうか?
そこまで徹底したというか、徹底できることに驚きます。
それに比べて、アテネは、ちょっと複雑。
何人かの政治家の手をへて、民主制に近い政治形態へと固まっていきます。
そして、アテネと同じ時代に大きくなった国が、ペルシア帝国。
国と国の関係、時代といったものが、まるでわかっていないので、塩野七生さんの本を読んで、ようやく腑に落ちるということがあります。
ギリシアとペルシア、そしてマケドニアに関しても、ほんとうに今さらながらですが、そういう配置でどういった順で事が起こっていったのか、やっと納得できた感じです。
図版、とくに地図が多いのもイイですね。
歴史ものを読むのに、地図は欠かせません。
都市の場所、軍の移動など、地図がないと、まったくわかりません。
本書、第1冊目で大きくページを割いているのが、ギリシア対ペルシアです。
その中に、ギリシアの平和のために、あらゆる場面を想定してこの闘いを行い、戦争に勝ち、なおかつ「長期にわたる安全保障の継続」へと導いた英雄たちのことが書かれています。
「権力者も普通の人もふくめた当事者全員の安全保障への努力」がいかに必要なものか、コレが歴史を知ることの、一番たいせつなことなのだなと、改めて思わされます。
塩野七生さんを読むなら、歴史の古いところから行ってみよう、と急に思いたち、ギリシアへと遡りました。
ーー金曜日 夕食ーー
コレは、もういらんでなあ
(煮カツの入った器を傍にどける)
おやつにこーんなおおきいの食べたもんで、おなかいーっぱい!
(両手の指で輪をつくって見せ、ご飯の茶碗も傍にどける)
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金曜日、わが家の夕食は、カレー。
子どもが中学生だったころにそうなって、ずっと習慣になっています。
けれど、いつの頃からか、義母は、辛いと言ってカレーを食べなくなりました。
義母のものだけ、辛くない味付けにしていたこともありますが、あまりお気に召さなかったようでした。
こちらはこちらで、ある程度辛いのを食べたいので、ある時期から、義母はカレーとは別のメニューになりました。
そうやって、別メニューでも普通に食べていた義母なのですが。
この日は、ご飯をひとくちと味噌汁を食べただけでした。
次の土曜日の夕食も、なぜかほとんど食べません。
ちょっとネ、頭にくるんです。
何故って、5時にもならないうちに食卓に来て、いかにも夕食待ってますというふうだから、義母の分だけ、早めに出すことになるんです。
あわてて配膳して、ホッとしたというのに、「お腹いっぱい」とか言うでしょ。
食べられないなら、早く言ってよ!と思うわけです、当然。。
まあまあ、そこらへんは、怒っても仕方ないかと、諦めるんですけどネ。
義母だけ別メニューっていうのも、気を使います。
老人が食べやすい食事を、別に作るなんていうことまでは、していないにしても、それなりに手はかかるんですよね。
だから、今日は食べないとか、少しでいいとか、ホントだったら用意する前に、言ってくれたらイイんですよ。
周りの状況が見えないのが認知症だろう、とは思いますが、用意した手間をフイにされたというチイサな怒りは別もの。
お腹いっぱい、おやつが大きかったとは、義母が食事を食べないときの言い訳によく使われる言葉です。
ただ、ほんとうにそれほどおやつを食べたのか?というと、デイサービスの記録からして、そうでもなさそうなときもある。
好きなおかずだけ食べたなぁ、というときもある。
おかずが、気に入らなかった?というときもある。
結局、本人の言うことではわからなくて、口に合わなかったのかも?と、コレも若干落ちこみます。
まあ、慣れてきたとはいえ、のことですけど。
今夜は、大根と豚肉の鍋を汁たっぷりめにして、汁にトロミをつけて出したら、さっさと食べていました。
小さくガッツポーズです。
ん⁈
うーん、
犯人がわかって、なるほどね、と思う。
読んでいるあいだ、ほんの少し、犯人かもしれないという疑いが頭をよぎったかもしれないけれど。
結局、犯人は見当もつかないまま、探偵の謎解きを待つだけでした。
時代は、1930年代。
ちょうど、アガサ・クリスティーが、ポアロを主人公に小説を書いていたころ。
アガサの生年は、1890年。
本作の作者は、1906年生まれ。
場所も、ロンドンを中心として描かれており、背景は似ています。
『the reader is warned』というのが、もともとの題名のよう。翻訳では『読者は警告される』?
「読者よ欺かるるなかれ」という邦題は、なかなか、ツッコミたくなるモノだけれど。
古めかしい館、集まった人々。
何かが起こりそう、、、
そこで、殺人!
ありそうといえばありそう。
本作には、オカルトっぽい雰囲気を漂わせる怪しい人物が登場。
その人物に欺かれるなということか?
その人物は、あまりに不審すぎて、犯人とは思えない。思えないけれど!!
犯人かも?と思われる人物が、見えてきたかもしれない!
でも、、
最後に、一気に犯人に迫るというのも、お決まりのパターン。
もう、早く教えて、と、焦れてくる感じ、ミステリーならではですね。
本書の著書は、カーター・ディクスン。
じつは、ジョン・ディクスン・カーとして知られる推理小説作家。
今の時代だと、オカルトとかホラーも、もっとドギツイものだったりするかもしれないけれど、この時代の薄暗い雰囲気は、これはコレで浸るのが楽しいと思う、ミステリーです。。
ーー火曜日に、今まで利用していたデイサービスを終了ーー
そして、木曜日、朝
ーーー
yyホームは、終わっちゃったの?
ヨメもムスコも、そうだという。
yyビョウインは、どうしたんな?
「ビョウインは、やってるよ」
??
(どういうことだ?)
そいで、どうするんな。
「Kデイサービスへ行くの」と、ムスコ。
kk?
そんなしらんトコ、いやだ。
イヤダー!
「キョウじゃないの、アシタ。アシタ行くんだよ」
ーー金曜日、Kデイサービスに行く日ーーー
「キョウは、Kに行くんだよ」
「おむかえにきてくれるからね」
「Mさんがね、むかえにきてくれるんだよ」
・ ・ ・➰➰➰
◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️ ◉ ⚫️ ◎ ⚪️
デイサービスの事業所を変わることを伝えた翌々日になって、なぜかY事業所のことを思い出して、不安になっている様子。
翌日には、何も言わなかったのに。(翌日の水曜日は、もともと別の事業所を利用しています)
義母は、もしかして、Y事業所が無くなったと思っているのかもしれません。
Yは、病院で経営しているので、病院は無くなってしまうのか、そこにいた人はどうなるのか、心配しているようです。
いろいろうまく説明できないまま、とにかく新しい事業所へ行くことだけでも、理解してくれたらと思ったのですが。
新しい事業所の方がお迎えにきてくださり、Mさんだよと言うと、フンフン返事をして、「おはようございます」とあいさつしていました。
違うということはたぶんわかって、多少緊張もあったようですが、体操等、参加してやっていたようです。
次は、来週の火曜日。
このまま何ごともなく、移行できるのか。
だんだんと違和感がつのって、どこかで爆発するのか?
とにかく、大きな騒動もなく新しい事業所へ行くことができたのです、とりあえず良しとしましょう。
アレクサンドロス大王に仕えたというエウメネスの、少年時代の話。
彼はなにか、特別な才能を持っている?
少なくとも、父親はそう思っているようですね。
げんに、ほかの少年達と違って、非常に冷静にものごとを観察し、判断し、対処しているようです。
時々、ひどく冷たい表情をするような、、、
一巻目で何かどこか不穏なモノを感じた事が、二冊目で現実になります。
エウメネス自身にとっては、晴天の霹靂。
でも家族は、その事をよくわかっていたし、身近で世話をしてくれていた奴隷のカロンも、そのことを知っていたようです。
この巻では、奴隷制度が大きく取り上げられています。
身分が違う。誰かの持ち物である。
普段の生活では、ハッキリ線引きがされている。
そこで生活している者たちは、そのような制度であること、自分がどちらかの側であることに、疑いを持つことは、まったくありません。
エウメネスは、その身分制度についてどう思い、これから先はどうなっていくのでしょうか。
ストーリーに大きな変化のある二冊目で、おもしろいのだけれど、人が死ぬ〜、たくさん死ぬので、ストーリー上必要にしても、嬉しくない。