江戸考証もどき (original) (raw)

昨日記載した富岡八幡宮ですが、現在の大相撲に繋がる江戸勧進相撲発祥の地と言われていて、横綱歴史碑は、明治33年に、第12代横綱陣幕久五郎が発起人になって建てられたのだそうです。

昨日の写真の碑の前の柱には、魚可し(うおがし)と刻されています。

たぶん、築地あたりの裕福な魚河岸からの寄付・援助もあったのでしょうね。

新横綱誕生の時には相撲協会立会いのもと、刻名式が行なわれて、新横綱の土俵入りが奉納される由緒ある神社です。

横綱だけでなく、大関の碑もあります。

境内には、伊能忠敬の測量開始から200年を記念して、平成13年に銅像が建立されています。

生れは、現在の千葉・九十九里町ですが、名主などの重責を果たして、隠居した50歳のときに江戸へ出て、深川黒江町(現在の門前仲町)に移り、暦学天文学を、自分よりも20歳ほども年下の若者に師事して学び、56歳から70過ぎまで測量して74歳で死去。

全国各地の測量に旅立つときは、この八幡宮に参詣して、無事を祈念したそうです。

隣接して、深川不動堂(深川のお不動様)があります。

考証「江戸を歩く」(稲垣史生著)という本をもっていますが、著者は、日本の時代考証家・歴史小説家です。平成8年、83歳で没。

かつて、江戸からワープしてきたかのように、江戸の歴史・風俗ほかをテレビで話されていた杉浦日向子の師です。残念なことに、彼女は40代半ばで亡くなりました。

この本は、帯の右下に書かれている”文人が集う花の向島”の向島百花園の茶屋でたまたま見つけて、その後、参考にしながら5年ほど、隅田川の両岸あたりを探索しました。

コロナめが流行って😷、それ以降は、ほとんど行っていませんが、足痛を早く治して、再び、出かけたいものです。