ご不浄事情 (original) (raw)

中学生の頃に熱中した小説があった。角川書店から文庫で出ていた横溝正史シリーズだった。「獄門島」が最初だった。クラスメイトの女子が面白いよと教えてくれたのだった。すこしでも女子と話すきっかけが欲しかったこともあり、さっそく手に入れた。寺の鐘のトリックは圧巻だったが、自分が一番楽しめたのは「八つ墓村」だった。懐中電灯を頭につけた狂人による村人の無差別殺人、たたりじゃ、との台詞、習俗にとらわれる住民の土着性、洞窟の恐ろしさ、もじゃもじゃ頭の金田一耕助の魅力。そしてなによりも主人公と遠縁の娘との洞窟の中のロマンスの甘美さ。舞台が瀬戸内海の島であり岡山であるというのも、香川で生まれ広島で中学高校時代を過ごした自分には親しみ深かった。

そんな中犯罪の何かを知っているが隠しているであろう双子の老婆が出てくる。彼女たちは夜な夜な家からいなくなる。その際には「ちょっとご不浄にいってくる・・・」と言い残す。

ご不浄。排泄物は不浄だからそう名が付いたのだろう。雪隠にせよ憚りにせよ御不浄にせよ今思えばなかなか風流な日本語にも思えるが、いま、ちょっとご不浄に、と言っても誰にも通じないだろう。

トイレは人間の生活は切っても切れない。母方の祖父祖母の家は瀬戸内海の港町にあったが、そこは当然和式便所で水洗でもない。なによりも渡り廊下をミシミシと歩いた離れにそれはあった。蓋を取るとその奥は密度の濃い暗黒がありそれが怖くて仕方なかった。まさにご不浄だった。しゃがみこんでいると床が抜けまいかとドキドキした。

洋式トイレに慣れるまでは時間がかかった。しかし慣れてしまえばこちらが楽だった。そのうちにシャワー式トイレが出てきた。たしか「お尻だって洗ってほしい」というCMキャッチコピーだっただろうか。初めはくすぐったかったがピンポイントに水流があたると気持ちよかった。シャワートイレは今ではそこら中にある。それが当たり前なほど広まったのでたまに和式や洋式でもシャワーが無かったりすると舌打ちをしてしまう。あの、床が抜けそうなトイレで育ったのにもかかわらず。贅沢になったものだ。

トイレに関しては諸外国と比べそんな風に日本は異次元の進化を遂げている。排泄音を隠す音姫も凄いと思うが、アメリカにせよ欧州各国にせよシャワートイレなど期待できないし公衆便所には入れない。それでもまだよい。中国や東南アジアの出張ではトイレはホテルまで我慢するしかない。中国の一般的なレストランにあるトイレや公衆トイレには絶句した。幸いに仕切り壁も無い横にならんだ溝の上に誰もが横並びでしゃがんで用を足すというるという「ニイハオトイレ」、あるいは一列に伸びる溝の上にしゃがんで用を足すという「横からニイハオトイレ」にはお目にかからなかった。人類皆兄弟は遠慮したい。マレーシアではそもそも紙が無く代わりに水道のホースがだらりと床に置いてあった。途方にくれた。もっともいずれも十年から二十年も昔の話だ。

我が家族は日本では三軒の家に住んだ。最初の中古マンションは古く流石に様式便所ではあったがシャワートイレではなかった。これで自分も家内もよく十年以上も我慢したものだとも思うが、まだそのころはシャワートイレは広まっていなかったのだろう。引っ越した建売住宅には快適なシャワートイレが付いていた。この時代は自分も疲れ気味で帰宅すると頻繁に痔が出ていたのでありがたかった。横浜の地で十年以上壊れもしなかった。そして山梨のこの地に転居してきた。前の建売住宅とはすでにトイレは取り付けられていたが今回は自分で選ぶ。安価な違うメーカーのシャワートイレを選んだ。

使い始めて半年近く。なぜかシャワートイレが動作しなくなった。ノズルは出てくるが先端から湯は出ない。前のトイレは便器メーカーの製品。今回は総合電機メーカーの製品。しかしそれで差があるはずもない。ネットや取説を読んで試しにノズルを歯ブラシでこすってみた。すると次回は無事にシャワーが出てきた。

こんな推測をしている。神奈川県と山梨県の水の違いではないか。山梨県のこの地は南アルプスから八ヶ岳から二十年の時を経たミネラル豊かな天然水が湧き出る。そんな当地の水道水は明らかに神奈川県のそれよりも美味しい。ミネラル豊富な水がノズルから噴き出してくるのだからその成分が小さなノズルに乾いて固着してもおかしくはないだろう。それが横浜では詰まらずここでは詰まるという事に対しての推論だった。

トイレの掃除もノズルまでやるとなるとさすがに気が滅入るが、しょせんそれは自分と家内しか使わないのだから、と割り切れる。ボタンを押すとけなげに奥から出てくるノズルも、そう思うと可愛らしい。だから磨く。ふだんはミネラル豊富な水を頂いているのだからこんなときも割り切らなくてはなるまい。

ご不浄事情などあまり世の中で光は浴びぬが、避けては通れない。少なくとも来日したすべての外国人が「感動して唸る」というシャワートイレが家にあるのだから、ありがたいではないか。