【大阪/吹田市】聖徳太子のお導き 聖徳太子七歳尊像 (original) (raw)
さて、前日の聖徳太子社から翌日向かった先は息子の野球の試合が開催される吹田市。
こちらのお寺の中にお目当ての聖徳太子七歳尊像があるらしいのですが。。。
ひとまず、自転車を停めようと敷地内を見渡すと、すでに自転車が止まっているが一画があり、そちらに停めさせていただくことに。
なんとも趣のある建物です。
そばには案内板があり、大光寺太子館とありました。
昭和13年に聖徳太子を顕彰する為に建てられた仏堂とあり、有形登録文化財になるようです。
素敵な建物❤
その建物の向かって正面にお目当ての像がありました。
聖徳太子七歳尊像
『唯仏是真』とあり、気になったので調べてみました。
「世間虚仮 唯仏是真」(世間は虚仮にして、ただ仏のみこれ真なり)。
これは聖徳太子の言葉として伝えられているものです。 お金や地位や名誉や権力などを価値あるものとしている世間は「虚仮」(虚しくて仮のもの)であって、 ただ仏のみが「真実」である、というのです。 仏法に触れることで見えてきた世界。
それが「世間虚仮」。ここに は人間に対する厳しいまなざしがあります。残念ながら 人間は自省しない限り「人間そのもの」について何も知 りません(アレキシス・カレル著「人間-この未知なるも の」)。
戦争を起こすのも人間です。核兵器を造るのも人間 です。原発を稼働させるのも人間です。地球環境を汚 すのも人間です。
人間の理性・知性は人間に豊かさと 便利さをもたらしましたが、マイナス面を生み出したこと も事実です。人間の愚かさをしっかりと見届ける「眼」 が必要です。日本文化の底には人間の本質を凝視する ことのできる学びの伝統が聖徳太子以来流れています。 「虚仮」の世間にありながらも、その世間を超えていく道 が確実にあるのです。先人たちはそれを教えてくれます。
コロナに振り回される現代社会。「経世済民」(経済 の原意)でない経済を回そうとする現代社会。生きてい く上で、本当に大切なことは何なのかを「見究める」正 月にしたいものです。
(出典元:日本人の忘れもの 知恵会議 | 〜次世代へ、美しい日本を〜 入澤 崇)
たった四文字にとてつもなく大きな真理があり、厳しいながらも私はその厳しい眼差しの聖徳太子がどうにも好きなようです。
そして繋がり続けた聖徳太子のお導きの終点はこちらの本。
秋分の日に開催された勉強会。
北は秋田県から南は熊本県と、日本各地から勉強会に参加された方々に混じって私も参加させていたきました。
その際、こちらの『教育十七条の憲法』が事前に勉強会用の教本という形で自宅に届き、封を開けた時には本当にビックリしました。
まさか最後の最後にここに繋がるとは。
こちらの本の著書である下村博文氏は元文部科学大臣であり、安倍首相の元で国つくりをされてきた方になります。
本だけではなく、実際会場でお話しもして下さり、日本という国について改めて考えさせられる一日となりました。
とは言え、一民間人がが出来る事には限りがあり、私は私の出来る在り方で日本という国体の一つのパーツとなれたらと思います。
大きなことは出来なくとも、まずは私が平和である事。そして家族単位での平和を。
その集合体が日本という国体になれば、それはそれは大きなうねりとなって変化となることでしょう。
『どうせ私一人が何をやっても変わらない』で行動しないのではなく、行動することで変わる何かがあるということを知ること。
今は大きな変化とならなくとも、そんな大人の姿を見た子供達の世代で何かが大きく変わるかもしれず、目先の変化ばかりを追い求めず、バトンを未来に繋ぐという意識を持つこと。
今日、息子の野球部の顧問の先生より連絡がり、『すぐに変化はなくとも、意識だけでも変わることが大事。』といった内容の話しをしていたばかりで、まずは意識から。
意識が変われば目の前の世界は変わります。
私は現在その実験の真っ只中です。