祀色草子 (original) (raw)

このブログの最終更新は今年の三月で、いまは七月だが、その間にも本は読んでいる。この期間に読んできた本について、いくつかメモ書きを残しておこうと思う。

志村貴子青い花(1~8)』太田出版

青い花(1)

百合というジャンルを意識して、自分がそこに属することに自覚的になったのが最近のことなので、有名タイトルをほとんど読んでいない。実際、志村貴子作品を読むのもこれが初めて。

最初から明確に同性愛を描いている作品で、それと同時に互いが同性愛者だと自覚的である場合、驚くほどあっけなく関係が進展する。そのあっけなさに戸惑い、ときに驚きながら読んでいた。

正直読んでいて、わっかんない(共感できない)ところが多々あって、これから自分は百合を書いていって大丈夫なんだろうか、と危惧を感じてしまった。

恋愛ってきらきらしたものや心地良いことばかりじゃなくて、有り体に言えば結構気持ち悪いところがあるんだよ、ということを思い出させてくれる作品でもあって、それは感情の混じり合いでもあるというとらえ方で描かれていると思った。

読後から時間が経つにつれて、読んだという体験が生きてくるように感じている。

ただ、自分は「百合が読みたいです」と無邪気に言ってきた人には薦めないと思う。

日生かおる『ブルヴァール1~8』大洋図書

ブルヴァール 1 (エンペラーズコミックス)

これも一気に全巻読んだパターン。

XのTLでトヨタMR2の話題が上がったおりに、相互フォロワーさんがこの作品を上げていた。九〇年代頃の流行りの絵柄は好みと合致していて、当時たどり着けなかった作品だったんだと思う。

少し百合っぽい雰囲気はあるのだけど、女の子同士より女の子と愛車のつながりが前面に出ているので、明確な同性愛者が出てきているにもかかわらずあんまり百合っぽくない。

じつは、サザエさん時空物に対して非常に強い忌避感があったのだが、この作品を読んでからそれがかなり薄れていることに気がついた。

つくしあきひとメイドインアビス1~12』双葉社

メイドインアビス(1) (バンブーコミックス)

漫画ばっかり読んでいるな。

Kindleのセールで全巻一気に購入したものの、しばらく積んでしまっていた。

じつは肉体的に痛い描写が結構苦手で、それを理由にアニメを全て見ているにもかかわらず原作に触れてこなかったので読むことにした。

3巻までは飛び飛びに読んでいたのだが、4巻以降加速がかかって6~12巻に至っては一日の内に一気読みしていた。

小野寺こころ『スクールバック3』小学館

スクールバック(3) (サンデーうぇぶりコミックス)

いまを生きる高校生達の横顔を用務員さんの目を通して見ていく青春群像劇3巻。

主人公を固定せず、エピソードごとにスポットを当てるキャラを変えて、そこにある物語を描いていく。このやりかたは『めくり、めくる』と同じだが、『スクールバックはそうした高校生達を見守る用務員さんの存在があるので、そこにある人間関係や出来事が客観視されるのがいいと思う。

次巻が楽しみなシリーズであり、これからも応援していきたい。

日本SF作家クラブ1984年のSF』ハヤカワ文庫

2084年のSF (ハヤカワ文庫JA)

仮想、社会、認知、環境、記憶、宇宙、火星、の七つのサブテーマに対して、23作品の作品が書かれている短編集。おそらく、一編が一万字程度の尺なので、さなコン(日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト)のおもむきが非常に強い。

さなコンをプロ作家のみでやる、みたいな印象があった。

バリエーション豊富だし、一作がそんなに長くないで隙間時間に読んでいくのにちょうど良かった。

門田充宏『ウィンズテイル・テイルズ~時不知の魔女と刻印の子』集英社文庫

ウィンズテイル・テイルズ 時不知の魔女と刻印の子 (集英社文庫)

少年少女の邂逅、認知と記憶にまつわるエピソードが鍵となり、犬が道を切り開くファンタジック冒険活劇。話が進めば進むほど、ここはこうなると思うけど、どうなるんだ? と思いながらページをめくっていた。

読者がひねくれているせいで、若干お行儀が良すぎるように感じてしまったところもあるのだけど、まっすぐ素直に育った子だからこそ進める道はあるとも思う。王道を地道に一歩ずつ進むストーリーが今後どう展開するのか。今月後半に発売される続巻が楽しみ。

解説で作者のインタビューを引いて、宮崎駿監督作品が引き合いに出されていたが、それはそうと思いつつも、読んでいて同系統だなと思ったのは『地球外少年少女』や『電脳コイル』などの磯光雄監督作品だった。あと、リンディはバナージ(ガンダムUC)を思い出させるところがある。

続巻の『ウィンズテイル・テイルズ 封印の繭と運命の標』はすでに買ってあるのだけど、なかなかファンタジーを読む気分になれなくて後回しになっている。大好きな作家の作品ですらこれなのだから、ファンタジーからだいぶ心が離れてしまったな。

高津マコト『アラバスターの季節3』少年画報社

アラバスターの季節 コミック 全3巻セット (少年画報社)

3巻完結。少し物語を巻いた形跡はあるものの、無理なくまとまっていて最後まで勢いは衰えなかった。

高嶋ひろみ『あさがおと加瀬さん』新書館

あさがおと加瀬さん。 加瀬さんシリーズ (ひらり、コミックス)

綾奈ゆにこさんが「百合については加瀬さんシリーズを全部読んでおけばひとまず大丈夫」みたいなことを書いていたらしいので、手に取ってみた。

少女漫画のテンプレで、女の子同士の恋愛を描いている感じかな。わりとあっさり恋に落ちて、わりとあっさり付き合うので、もっと段階を踏むと思っていた自分は若干肩透かしを食らった。

いまのところプラトニックが関係が維持されているのと、かなりライトに読めることもあってちょっと物足りなさを感じている。

しかしこれは、私の百合漫画の入り口が『少女セクト』であったことが大きい。

屋久ユウキ『夜のクラゲは泳げない 1、2』ガガガ文庫

小説 夜のクラゲは泳げない 1 (ガガガ文庫)

小説 夜のクラゲは泳げない (2) (ガガガ文庫 ガや 2-16)

ヨルクラは、前期のアニメの中で最も刺さった作品になった。

その小説版を読んでみた。

アニメを全話見た状態で読んでいるので、読んでいて該当シーンが脳裏に浮かぶのだけど、描いているシーンは同じなのに言葉の間合いがちゃんと小説のもので描かれているので読みやすく、言葉がすっと入ってくる。

とくに心情描写と情景描写のバランスが絶妙で、こちらがすでにアニメを見ていることを指し引いても、映像が見える文章になっているのでアニメが好きな物書きは読んだほうがいいと思う。

読んでいて、感嘆と敬意と嫉妬と羨望がごちゃまぜになって大変なことになった。

あとこの小説、この小説、かなり大胆に視点変更を多用するのだけど、それによるわずらわしさをあまり感じないね。

肋骨凹介『宙に参る4』リイド社

宙に参る (4) (トーチコミックス)

発売日に買っていたのに、本棚にさしたまま放置してしまっていた。だから読んだのはつい最近。

過去編が多く含まれる巻であり、いまソラ達がいる世界の基板が見え隠れする。

この作品、SF者の心をくすぐるのが非常に上手くて、読んでいるとSFを書こうかなという気を起こさせる。

この作者が仕込んだ最もにくい設定は、AI(リンジン)にも寿命がある、ということだろう。

SFに関しては、公募がひとつとアンソロジー企画があって、双方の締切が近いのでそろそろスケジュールが干渉しないよう調整せねばならないところ。

葵遼太『処女のまま死ぬやつなんていない、みんな世の中にやられちまうからな』新潮文庫nex

処女のまま死ぬやつなんていない、みんな世の中にやられちまうからな(新潮文庫nex)

本屋に行って大体買う本を決めて別の書架を眺めていたとき、入ってきたタイトルがこれだった。なんだかんだ言ってもインパクトのあるタイトルは目を引く。

プロローグで「余命ものだな」とわかる仕様なのだけど、前半はそれ臭さがなくてそれぞれに生きにくさを抱える個性的な男女の姿が鮮烈に描かれていて、キャラクターに強い魅力を感じる。とくに白波瀬と藤田は二強で、どちらも違った我の強さを持っていて、それは最後まで物語を牽引していたと思う。こいつらが見たいから読んでいたのは多分にあった。

青春のみずみずしさ、鬱屈したところ、生きにくさ、息苦しさ、そしてそれらに対する反抗心(負けん気)などとロック(音楽)、バンド結成のからめ方はあざやかだったし、明確に馴染めないクラスに屈しない負けん気を根っこに置きながらとげどげ敷くならないところはよかった。

前半部分はそういった青春の光と影を描きつつ、主人公が裡に秘める痛みをにじませていたバランスが絶妙で、このあやういバランスが強い吸引力となって、先へ先へ読ませる力を放っていた。

しかし、中盤頃でなくなった元恋人の存在がフューチャーされてくると、余命ものらしさが増してきて、生者の物語が死者に飲まれてしまう(しかも死因は明らかにされていないため「で、なんの病気?」みたいな引っかかりがつきまとう)。これが余命ものを話に組み込んだために現れたテンプレ的展開のように思えて、冷めてしまった。

それから中盤以降判明するが、この小説にはいわゆる嫌な奴が最後の教師陣くらいしかしない。主人公達の反抗でさえ協力者が出てきて、それが反抗ですらなかったことが判明してしまう。いや、それは良いのだが、主人公達が望む方向に進むのに対して困難に直面しても、必ずお助けキャラが出てくるのである。そのため、主人公達が問題解決のために、気弱な子が勇気を振り絞ってなにかをするとか(まったくなにもしないわけではない)、抵抗の結果どうしても妥協せざるを得ないということはない。大抵は待つだけで全て手に入れてしまう。灰被りか。

結果、物語はお膳立て通りに綺麗に終わり、最初に感じさせられた生きづらさだとか鬱屈だとか葛藤でさえも薄れて消えてしまう。苦味が欲しいところなのに苦味がない。むしろ甘々で終わってしまうのが実に惜しいと思った。

仕組みとしては死んだ元恋人の存在が強く現れるところがいわゆる泣きどころなのだろうけれど、私はそこで冷めてしまって楽しむことができなくなってしまった。

もしかしたら、余命もの(死亡確定ロマンス)の話の構造そのものが好きではないのかもしれない。

以上、3月から7月の間に読んだ本についての感想メモをまとめてみた。

もう少しマメにやった方が良いのかもしれない。

他人の本棚を見る機会がなくなっても、他人の本棚に触れる機会は作れる。

「あなたの好きな作家は誰ですか?」

そう問えばいいのだ。相手が自分と同じ物書きであるならば、アレンジを加えて「影響を受けた作家は誰ですか?」とやや内側に踏み込んだ質問にしてみるのもいい。いずれにしても話しているうちに、自分が能動的には絶対に手に取らないであろう作家の名前が出てくる。

これは私が不勉強であるゆえなのかもしれないが、こういう話をすると「名前は知っているけれど良く知らない」あるいは「名前すら知らない」作家の名前と邂逅することが多い。

そうしたときに取る対処は、最終的に三つで、「調べてすぐ読んでみる」「調べていつか読もうと検討する(棚上げ)」「調べるだけ」の三つになる。「調べもしない」という選択肢はない。

藤原伊織は今年の1月に知人と交わした会話に出てきた作家で、「あれ、誰だったっけこの人?」くらいのひどく雑な認識のまま、問い返してしまったのだ。そこから話しを進めて著書の個人的なおすすめを聞き、読むことにした。Kindle電子書籍を……と思ったが、肝心の著者が他界されているので遠慮することなく古本チェーンと図書館を駆使することにした。

この時勧められたのは『名残り火』『シリウスの道』『ダックスフントのワープ』だったのだが、後日近所のブックオフを覗いてみたら『テロリストのパラソル』を見付けたのでこれを購って読むことにした。

テロリストのパラソル (角川文庫)

直木賞受賞作。

そういえば、2000年代初頭に少し話題に上ったような記憶があるのだが、あれはなにがきっかけだったのだろう。うっすらとした記憶では雑誌『ファウスト』方面から話題にした作家がいたからだったように思うのだが、思い出せない。

おっさん向けというにおいがすごいですよ、とは忠告されていたものの『テロパラ』ではそれほど気にならなかった。

巻末の解説でも取り上げられていたが、基礎的な文章力が高く、非常に読みやすい。主人公の行動がねばっこいのに文章はちっともねばっこくない。さらりと読める。ミステリー仕立てではあるが、ハードボイルドの色が濃く、ニヒルでキザでええかっこしいである。

読みはじめた頃ホットドッグが食べたくなり、読み終えてもやはりホットドッグが食べたいと思うので、「食事シーンは美味そうに書け」という大昔受けたアドバイスはやはり正しかったのだと確認したりもした(ベストセラーに対するひでぇ感想)

学生運動が物語に背景に出てくるのは、作者の経歴と生年からすれば当然のことで、私は学生運動全般にネガティブな感情しか抱いていないため警戒したが、主人公の島村は——ひょっとしたら筆者も——同世代の当時の行動を恥じているようだった。

ともあれこの時、著作を時系列でなるべく全部読んでみようと思った。

ひまわりの祝祭 (角川文庫)

直木賞以後の長編2作目。

主人公は『テロパラ』より輪を掛けてダメ人間っぽさが増したが、行動の動機が『テロパラ』よりわかりやすく(納得しやすいという意味で)なっており、事前知識を逐一レクチャーしてくれるため『テロパラ』より読みやすい面もあるかもしれない。

作者の絵画に関する関心の強さがうかがえる作品でもあり、これは『雪が降る』や『ダナエ』などに収録されている短編でもちらほら顔を覗かせている。

「人間を動かす要素になにがあるか。きみは、それを知っているだろうか」
「知りませんね。
「私が知るかぎり、およそみっつある。カネ、権力、それに加えて、美だ」

——藤原伊織『ひまわりの祝祭』

この部分を読んで『果てしなく青い、この空の下で』を思い出した。つまるところ、私のバックグラウンドはそちらに広がっているのだ。

『テロパラ』の頃に感じられた切れ味も健在だった。

ダックスフントのワープ (文春文庫 ふ 16-1)

いったん時代を遡行してデビュー作を読む。

読んでいるうちに村上春樹の初期作や軒上泊のアマチュアオプシリーズの影がちらついていたのだが、それもそのはずこの三人の作家は一歳違いと歳が近いのだった。どの作家もそれぞれが舞台と定めた場所で、その時代を色濃く投射した物語を描写していたのだから。

藤原伊織、軒上泊:1948年生まれ。村上春樹:1949年生まれ。

そうした意味で田中康夫の『クリスタルな日々』は、読んでおいてよかったな、と思えた。

私は80年代のバブル期に書かれた作品のうち、あの時代の豊かさを当たり前のこととして描いている作品が好きなのだ。それは過去も現在も私にはできない体験であると同時に、バブルと呼ばれた時代にわずかながらも知っている世代であるため「あの時代を大人として過ごしてみたかった」という幼稚な願望があるからなのかもしれない。

ダックスフントの寓話がやや冗長に感じる部分もあるが、最後の最後で希望をちらつかせてそれを圧倒的な現実で断ち切る手管にはうなった。希望の芽を見出したかと思うと圧倒的な絶望感が横たわる。そういう話の構造があった。

雪が降る (講談社文庫)

ここくらいから少しトーンが変わり始める。どの短編も非常に良くまとまっていて、バイオレンスな要素さえなければ国語の教科書にも載っていそう、とさえ思えた。やはり文章は冴えている。

割り切って仕事としてお金のために書くようになった、という印象があるのは『雪が降る』以降だと思う。

てのひらの闇 (文春文庫)

それまであった文章の読みやすさが「とても読みやすい」から「読みやすい」程度まで落ちてきたのはこの頃ではないかと思う。いっぽうで群像劇の描き方は会社組織を通しているためか格段に上がっており、特に現役サラリーマン読者には受け取りやすくなっていたと思う。

主人公の生い立ちをやや特殊な環境に置くことによって、一介のサラリーマンが事件を追う動機にしてはいたものの、正直この動機付けにはやや強引さを感じていた。

同時に明らかな読者サービスが見られるようになったのも『てのひらの闇』からで、リアリティラインぎりぎりに触れる快活なキャラクターが登場するようになって、ドラマに花を添えていたと思う。

ナミちゃんが面白いから読む、という人も一定数いたはずだ。

シリウスの道

藤原伊織の著書で最もぶ厚かった。それもあったのか、単純にメインターゲット層と自分の乖離が限界に達したのか、若干読むのが大変だった。これが藤原伊織の文章でなければ投げていたかもしれない。

おそらく、売り上げ的にはとっくに軌道に乗っていて、売れていた時期だと思うのだが、そのためなのか『テロパラ』の頃に感じられた切れ味がほとんど無くなっていた。

そして、そのボリュームに対して大きな空虚さが読後感として残る。

ダナエ (文春文庫)

締めに入る前にこれも名を結構聞いた気がするので、読むことにした。

『ダナエ』。導入がややもっさりとしていて正直かったるかったのだが、少女が出てくるところに限って精彩が宿っていた。『ダックスフントのワープ』でわずかにかいま見られたような若者のみずみずしさ。そういうのをまだ書けるんじゃないのかな、と思わされた。

名残り火 (文春文庫)

積み上げていた藤原伊織の著作を全て読み終えた。最後の『名残り火』は28節あたりからかな、それまでの単行本用にならされた文章から作者の素の言葉遣いが見えた気がした。改稿が完了していなかったのかな、と思いつつ本を閉じた。

この人、いま生きてたらどんな作品書いてたんだろ。

藤原伊織。著書の後期に進むに従って切れ味が落ちていくように感じるのは、登場人物の(あと読者の)加齢に合わせて落としているのか、実際に落ちているのかわからないのだよね。腕の立つ人だから。

著作の中では『ダックスフントのワープ』が好きかな。人に勧めるなら『テロリストのパラソル』か『てのひらの闇』だな。

今回、藤原伊織を読んでいて「よかったな」と思ったのは、過去に村上春樹と軒上泊を読んでいたことだった。これによって、作品の輪郭がよりつかめたと思う。こういうことがあるので、読書は自分だけのアンテナでやらない方がいいのだろう。

いましばらく読む本はあるので口にする気はないが、また機会があったら誰かに聞いてみたい。

「貴方の好きな作家は誰ですか?」

と。

11月にKindleで1冊99円セールをやっていたので、春頃から気にしていた『家族ゲーム』を全巻そろえた。

電撃4コマ コレクション 家族ゲーム (電撃コミックスEX)

先ほど読破した。

このところ、小説でも漫画でもリアルタイムで連載を追っているもの以外は、短編や数冊で完結するものばかり読んでいたからか、ひさしぶりに読破という感慨を味わった気がする。

本作は2004年6月から2014年6月までの10年間、ゲーム情報誌『電撃PlayStation』の付録冊子『電撃4コマ』に収録されていた4コマ漫画である。

ゲームをこよなく愛する一家・遊佐家を軸にして、様々な登場人物による群像劇が繰り広げられるコメディ漫画なのだが、物語が進むにつれそこかしこで恋が芽生え、濃厚で濃密な恋愛漫画と化していく。

作品の時間軸が連載とリンクしていて、作中人物もそれに合わせて歳を取るので、1巻1話時点で中学1年生だった遊佐真言(主人公)が最終的には大学卒業まで成長する。当然それに合わせて人間関係も進展し、恋路も進展するのだが、真言という女の子が恋愛に非常に疎い人物として造形されているので、読んでいるこちらは毎回やきもきさせられるのだ。

わけても強烈な印象を放っているのが8巻59話の「まだ秘密」。

家族ゲーム』8巻

真言が自身の恋心を自覚した後、自身が〝恋心に自覚した〟ことを秘したままその相手に笑顔である。補足しておくと、その相手である西浦は以前真言に告白したものの振られたと思っており、そういう進展はないと知りつつも元家庭教師と元生徒の縁の延長線と若干の未練で繋がっている。この関係、部分的に切り取ってもなお文章化するとなかなか壮絶である。

読者の期待を煽りつつ作中人物にとっても進展があるようにする描き方が非常に巧みで、ゲームが大好きという点を除けばごく普通の人が普通のことをしているだけなのにすさまじいまでの引力を持つ作品に仕上がっている、と思う。

とまあ、私の下手くそなレビューでも気になった方は、とりあえず3巻まで読んでみることをおすすめする。

流星シネマ (ハルキ文庫)

ぽつりぽつりと繰り出される小さな語りが静かに連なっていく。小さな語りに語られた物語の断片が時間の経過をおいて——ときに過去を顧みる行為を経て——ひとつの物語を成していく。

また、語られている物語の舞台は日本なのだけれども、語り部である僕(太郎)の主観がやや曖昧なためか詳細な輪郭がぼやけて見え、どこか知らない国を舞台にしているかのように思えるところがあった。

そして、この文章を心地良いと感じるときとそうでもないと感じるときがある。明確にトーンが変わるのはアキヤマくんが登場する部分で、それまでとても身軽に感じられた僕に過去という重石がのしかかるからなのかもしれない。

そうした印象を受けた。

どうにも取り留めがない。

この本を読んでいるときも前半は集中して読んでいたのだけれど、なかばに差し掛かったところでいったん中断してしまい、少し間を置いてそれなりに集中して読み、読了した。

なかばまで読んで気がそぞろになってしまったのか、気がそぞろになったからそういう読み方をしてしまったのか……。

ここ最近のことを思い返すと恐らく後者であろうと思われる。

新しい世界を生きるための14のSF (ハヤカワ文庫JA)

最近出版されたSFに触れていないなー、という気がしたので読書保留リストの中から比較的新しいものを手に取ってみた。

AI、愛、実験小説、宇宙、異星生物、動物、超能力、改変歴史、言語、環境激変、VR/AR、バイオテクノロジー、想像力、以上14のサブジャンルに分けられた14の短編を収めたアンソロジー集。

巻頭の前書きに「800ページ超えの超重量級の1冊なので一気に全部読もうと思わないで、一作づつカジュアルに読んでください(大意)」といったことが書いてあるように、本棚に突っ込んで置いて気が向いたときに一編ずつ読むのが良いんじゃないかな。

なかなか読み終わらないので深刻に読書のスピードが落ちたのかと思ったりもしたけれど、なにせ800ページもあるのだ。1冊で2冊分(下手すると3冊分)読むくらいの気持ちで読むべきだったな、と残り3作くらいの地点で気づいた。

電子書籍で読んでいると物理的な重さを感じないので(感じるのはiPadの重さ分だけ)、本の厚さを見誤りやすいのもあると思う。

まとまり方としては「第二回小さな小説コンテスト(さなコン2)」の方向性に近いように思えた。サブジャンルに終末が入っていれば、百合もあるのでほぼさなコン2の様相である。さなコン2の最終選考結果に百合は残らなかったけどな。

読んでいて感じたのは「ここ五年間に発表されたSF短篇の中から、作家・伴名練の考える傑作を選りすぐった一冊」と謳っているだけあって、合う合わないはあるにしてもどの作品にも目を惹かれる部分はあった。合わない場合は「合わない」というその理由こそが目を惹かれた部分である。

最近のと言いつつこれもすでに1年前の本なので、新刊が出たらすぐ買って読む習慣を取り戻していきたいと思う。