インド最初期仏教 覚え書き 備忘録 (original) (raw)

今回は慈悲喜捨の瞑想をする人の死後の行方につきまして該当経典からご紹介してみたいと思います。

百二十五

比丘衆よ、此等の四の補特伽羅(人のこと)あり、世の中に存す、何をか四とす。

比丘衆よ、世に一類の補特伽羅あり、慈と俱行する心を以て一方に遍滿して住す、

同じく、第二、同じく第三同じく第四〔方に遍滿して住す〕、是の如く上、下、横、遍く一 切処に於て、一切世界に、慈と俱行する、廣く、大なる、無量なる、無怨なる、無悩害なる 心を以て遍滿して住す、

彼は此を嗜み、此を希ひ、又此に由りて滿足を得、此に住し、 此れを信解し、多く此に住し、退下せず、

死して梵衆天の同類中に生る、

比丘衆よ、梵衆 天の壽量は一劫なり、

彼處に於ける異生は壽のあらんかぎり住し巳りて、その天の壽量の全部を過し、地獄にも往き、傍生にも往き、餓鬼境にも往く、

然るに世尊の弟子は彼處に於て壽のあらんかぎり住し巳りて、

その天の壽量の全部を過し巳りて、即ちその有に於て般涅槃す、

比丘衆よ、

此は具聞聖弟子と無聞異生との差別、特相、殊異なり、

謂く、〔異生には〕趣と生の有ることなり。

復次に比丘衆よ、世に一類の補特伽羅(人のこと)あり、

悲と俱行する心を以て…乃至…

喜と倶行する心を以て…乃至...

捨と俱行する心を以て一方に遍滿して住す、

じく第二、同じく第三、同じく第四[方に遍滿して住す]、是の如く上、下、横、遍く一切處 に於て、一切世界に、(悲・喜・捨)と俱行する、廣く、大なる、無量なる、無怨なる、無悩害なる心を 以て遍滿して住す、彼は此を嗜み、此を希ひ、又此に由りて滿足を得、此に住し、此を 信解し、多く此に住し、退下せず、死して極光淨天の同類中に生る、

比丘衆よ、(悲)極光浄 天の壽量は二劫なり

…乃至…

遍浄天の同類中に生る、比丘衆よ、(喜)遍淨天の壽量は 四劫なり

…乃至…

廣果天の同類中に生る、比丘衆よ、(捨)廣果天の壽量は五百劫なり、

彼処に於ける異生は壽のあらんかぎり住し巳りて、かの天の壽量の全部を過し已りて

地獄にも往き、傍生にも往き、餓鬼境にも往く、

然るに世尊の弟子は彼處に於て

寿のあらんかぎり住し巳りて、かの天の壽量の全部を過し巳りて、即ちその 有に於て般涅槃す、

比丘衆よ此は具聞聖弟子と無聞異生との差別、特相、殊異なり、

謂く、〔異生には〕趣と生の有ることなり。

比丘衆よ、

此の四の補特伽羅あり、世の中に存す、と。

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「比丘たちよ、これら四種の人が存在し、世間に見られます。

いかなる四か。

比丘たちよ、ここに一部の者は、慈をともなう心によって、一つの方角を満たして住します。そのように、第二の〔方角を〕、そのように、第三の〔方角を〕、そのように、第四の〔方角を〕。

そのように、上を、下を、四維を、一切処を、あまねく全世界を、広い、大きい、無量の、怨なき、瞋なき、慈をともなう心によって、満たして住します。

彼はそれを味わい、それを希求して、またそれによって喜悦へ至ります。

そこへとどまり、それを信解し、それへ多く住して欠くことなく、命終すると

梵衆天の神々の眷属へ生まれ変わります。

比丘たちよ、梵衆天の神々の寿量は一劫です。

そこで凡夫は寿命の限り住し、それらの神々の寿量の限り、その全てを使い果たすと、地獄へ行き、畜生界へ行き、また餓鬼界へ行きます。

しかし世尊の弟子は、そこで寿命の限り住し、それらの神々の寿量の限り、その全てを使い果たすと、まさにその〈有〉において般涅槃します。

比丘たちよ、これが、聞をそなえた聖者の弟子の、無聞の凡夫との差別であり、これが特相であり、これが殊異なのです。すなわち転生があるときの帰趣に関する〔違いが〕。

さらにまた、比丘たちよ、ここに一部の者は、

悲をともなう心によって……

喜をともなう心によって……

捨をともなう心によって、一つの方角を満たして住します。そのように、第二の〔方角を〕、そのように、第三の〔方角を〕、そのように、第四の〔方角を〕。

そのように、上を、下を、四維を、一切処を、あまねく全世界を、広い、大きい、無量の、怨なき、瞋なき、捨をともなう心によって、満たして住します。

彼はそれを味わい、それを希求して、またそれによって喜悦へ至ります。

そこへとどまり、それを信解し、それへ多く住して欠くことなく、

命終すると光音天の神々の眷属へ生まれ変わります。

比丘たちよ、光音天の神々の寿量は二劫です……

……遍浄天の神々の眷属へ生まれ変わります。

比丘たちよ、遍浄天の神々の寿量は四劫です……

……広果天の神々の眷属へ生まれ変わります。

比丘たちよ、広果天の神々の寿量は五百劫です。

そこで凡夫は寿命の限り住し、それらの神々の寿量の限り、その全てを使い果たすと、地獄へ行き、畜生界へ行き、また餓鬼界へ行きます。

しかし世尊の弟子は、そこで寿命の限り住し、それらの神々の寿量の限り、その全てを使い果たすと、まさにその〈有〉において般涅槃します。

比丘たちよ、これが、聞をそなえた聖者の弟子の、無聞の凡夫との差別であり、これが特相であり、これが殊異なのです。すなわち転生があるときの帰趣に関する〔違いが〕。

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