アメリカ関連抜書12 (original) (raw)

1942年、京都で生まれ育った上岡龍太郎は、高校生の頃プレスリーにハマり、ボーヤ(バンドボーイ)を志願。その後、ジャズ喫茶等にて司会者として頭角を現していく。

18-9p「「きみ、何してるんや? 明日、ヒマか?」/って歌手の高野セツオさんが、たずねてくれたんです。「ゲーリー石黒とサンズオブウエスト」という、当時京都を代表するロカビリーバンドの人でした。高校生やから授業があるし、暇なはずないんやけど、/「ええ、暇です」/「そんなら、神戸のほうのジャズ喫茶行くんやけど、来るか」/ということになって、翌日は学校を休んで、高野さんおギターケースを持って、神戸のジャズ喫茶コペンについて行きました。/一回だけ、伊丹の米軍にも行きました。バスに乗せられて、キャンプへ入って行くんです。そこで初めてコカ・コーラというのを飲んで、なんと苦いもんやろというのが第一印象で、/「ようもアメリカの連中はこんなの飲んどるな」/と思ってね。それからしばらく口にしませんでした」
上岡龍太郎上岡龍太郎かく語りき:私の上方芸能史』ちくま文庫、1997)

今日は3年ゼミなど。

応援団の卒アル撮影か何かだろうか。