アメリカ関連抜書29 (original) (raw)

久保友香『ガングロ族の最期:ギャル文化の研究』イースト・プレス、2024

186-7p(1982年頃)「東京の高校生、とくに大学付属校の高校生が集まっていたのは、六本木のディスコだったようだ。/「六本木のジャック・アンド・ベティで集合して、ディスコへ行って、バーガー・インで解散するというのが、女子高生たちの憧れコース。」/ジャック・アンド・べティは、将造さんが渋谷で行っていた店の六本木店。バーガー・インは、六本木にあったハンバーガーショップの「ザ・ハンバーガー・イン」である。/「高校生は、大学生になりたくてしかたなかった。制服を脱いで、大学生のようなハマトラの服に着替えて、ディスコに行くチャンスをいつも狙っていた。」」

209-10p(1986年頃はなぜ渋谷に向かったのか)「「渋谷には、サーファーのお店があったから。」/「サーファーのお店」とはいったいなんだろう。具体的に店の名前を挙げてくれた。/「SHIBUYA109のサヤ(のちのミージェーン)、ロッキーアメリカンマーケット、宇田川交番横のスピンドルキャッツ、アッシュアンドダイヤモンド、ファイヤー通りのバハマパーティ、ピンクフラミンゴ。」/SHIBUYA109は1995年からのリニューアルのあと、全館上げて若年女性向けの洋服店が集まるファッションビルになるのだが、この頃はまだ総合的なファッションビルだった。/しかし、地下一階のみに若年女性向けの洋服を扱う店であり、千里さんが挙げた「サヤ」や「ロッキーアメリカンマーケット」はそこにあった。そこどころか、サヤやロッキーアメリカンマーケットは、SHIBUYA109開業以前から、そこにあった。現在SHIBUYA109がある「道玄坂三角地帯」と呼ばれる区域は、SHIBUYA109が開業する直前まで、闇市の名りがあったことは前にも述べたとおりだが、その中にあった。…千里さんが挙げた「スピンドルキャッツ」「アッシュアンドダイヤモンド」「バハマパーティ」「ピンクフラミンゴ」は、やはり若年女性向けの洋服を扱う店で、小さな路面店だ。」

237-8p「これまで日本の若者たちに「ガングロ・ルック」の「モデル」を示してきた人を振り返ると、1960年代後期から1970年代初期は「フランスの映画スター」や「アメリカの映画スター」、あるいは、日本の化粧品の「広告モデル」や、日本のテレビ番組でダンスを見せる「芸能人」だった。日本に駐留していた「米兵」ということもあった。/1970年代後期から1980年(代?)前期も「アメリカの映画スター」や、一般の若者だが雑誌に載った「読者モデル」ということもあった。/「米兵」以外は、「マスメディアのスター」である。日本の若者たちの「ガングロ・ルック」は、「マスメディア」のスターが示す「モデル」に従って人々が外見を再現する、「グローバル」あるいは「ナショナル」なサイクルの中で現れた。しかしこの頃には、渋谷の高校生が示す「モデル」に従って人々が外見を再現する、「ローカル」なサイクルの中で現れるようになった」

この夏のミッションは、1)本の改訂、2)原稿、3)授業準備、4)学会の大会準備、5)書籍の整理(校費で買った本の所在確認の順番が、今年当たってしまった…。着任以来すでに30年弱…。う~ん)。

鋭意1)に取り組み中だが、気晴らしに5)もしていて見つけた雑誌。

解散の真相にまったく迫らない不思議な記事…

なんとか1)に今週中にめどつけて、急ぎ2)・3)にとりかかりたいが、そのためにも並行して5)を…

柴田邦臣『<情弱>の社会学・新装版』青土社、2024