密室殺人ゲーム王手飛車取り (original) (raw)

「密室殺人ゲーム王手飛車取り」歌野晶午

週末はいつ降り出すかわからない天候で、自転車には不向きだった。そこで、ゆっくり自宅で読書する。合間に、石破新内閣の閣僚名簿をチェックしていた。今まで冷や飯を食っていた人ばかりの「冷や飯オールスターズ」内閣に、思わず腹を抱えて笑ってしまう。すげえな、、、というか。ほんとに、人脈なくて組閣に苦労しているんだねえ。

で、この小説である。

AVチャットと呼ばれる、いわゆるネット上のチャット部屋に、5人のメンバーが集まっている。それぞれ覆面をしたりフィルターをかけたりして、お互いの素顔はわからない。互いにハンドルネームで呼び合うだけの仲間である。この5人の仲間が楽しんでいるのは推理ゲームなのだが、普通の推理ゲームとは大きな違いがある。

一般の推理ゲームは、誰か出題者が謎を出して、他のメンバーがそれを解き、正解した人が勝者となるわけだが、この5人の推理ゲームは「出題者が実際に事件を起こす=殺人をする」のである。

当然ながら。その殺人は事件として警察に操作されて、新聞やテレビに報道される。その報道内容を見ながら、残りの4名が推理する。必要ならば、現場に行って捜査もする。マスコミ関係者の取材を装えばよいのである。

といっても犯人はわかっているので(出題者が犯人だから)出題内容は、次の被害者を当てるとか(連続殺人)、犯人のアリバイのトリックを見破るとか、密室殺人のトリックを見破る、などになるわけだ。

つまり、この5人は「ゲームを楽しむために、殺人をする」同好会でもあるわけである。

そして、小説は次々と「出題」を解いていくところが続くのだが。

小説の最終章に至って、ある出題者の事件によって、この5人の素顔が暴露されることになる。そして、最後の出題は、かれら5人自身にかかる問題なのだった。。。

評価は☆☆。面白い。

私は、歌野晶午という作家を高く評価していて、「葉桜の季節」は叙述トリックとして本邦一の作品ではないかと思っている。同じ叙述トリックでは「ROMMY」もそうだ。

そして、新本格と呼ばれる「トリック」に重きをおいた作品であるにもかかわらず、どこか人間の描写に深く踏み込む、独特の陰影があるのが特徴で、とても文学的なのである。

この作品のラストは、まさにそういう歌野晶午の本質が出ている。もはや、それは謎ではなくて、メタ的にいえば「殺人、というものを楽しむミステリって、そもそも人間的にどうなのよ?」的なところまで狙いがある、、、というのは巻末の解説の「深読み」だと思うのだが、トリックのために平然と「第三者」を殺し続けてきたメンバーが、仲間を殺すことができるのか、という問いになっている。チャットという、いわばネット内だけの繋がりの「仲間」が、リアルの仲間になることが必要なので、そういう舞台装置になるわけだ。

続きは、読者諸氏が自由に考えて、、、ということになっているのだが、これがなかなか重い問いなのである。

ネット上では、相手に対して罵詈雑言、とても強い言葉を出している人が、実際に会ってみると意外におとなしい「フツー」の人だった、、、とうのはよくある話なのですが、なぜそうなるのか?それは、コミュニケーションが「記号化」しているからなのだが、そのことに本人が無自覚なところがなんとも、、、と思う。

高市さんが決選投票で負けて荒れまくるネットを見ていると、そう思うのである。この人たちも、その大多数は、ほんとに普通の人達で、実は町議会のポスター貼りも手伝ったことがなくて、議員に陳情したこともなく、投票所で開票の立会もしたことがないんだろうな、、、と思う。そういう世の中なんだな、というしかないですねえ。