10月 (original) (raw)

今年も残り3ヶ月になった。早いものだ。

今年を振り返ると結局仕事ばかりになってしまっている。

その割に給料は頭打ちになってしまい、すっかり世間の水準からは置いてけぼりを喰らっている。

活躍する友人や出世する同期を見たり、転職サイトの年収偏差値なるものを見たり、色々と気にしてしまい、これで良いのかと思ってしまう。

しかし一方で、金銭的に充分にゆとりのある生活は送れており、仕事内容や人間関係にも不満はなく、周りと収入を比べなければどうってことはないというのも事実だ。

また、俺は独身を貫く方針で家族を養う気がないのに、もっと稼いで家族を養う立場の人間から椅子を奪ってまで座るべきなのか?とすら考えてしまう。

それから、これまで評価のカラクリと異動の影響で、仕事力が低すぎた割に(自虐ではない。段取りもコミュニケーションも壊滅的で本当に酷かった)

給料を貰いすぎていた過去数年のことを考えると、まあ今やっとトントンなのかなと思う。

実のところ、ちゃんと人並みの水準で働けるようになったのは、ようやくここ数年くらいのことだ。

ところで仕事内容は半年前から変わったのだが、これまでで一番フィットしているのではないかと思えている。

ここで実績を作ってどこか高い給料をもらえるところに転職するのもいいだろう。

しかし、かといってバリバリ働きたいわけではない。

月に50時間も残業していたら疲れてしまう。

それに、給料の高いところには当然仕事ができる人が集まる。少なくとも、そういう自意識を持っている人が集まる。

ものすごく効率よく働けたり、豊富な知見や複雑な思考、高いスキルを持っている人がたくさんいて、

高い成果を高いプレッシャーの中で出し続けるようなエリートと混じったら、潰れてしまいそうな予感しかしない。

これは、前の場所でそういう人種や環境を目の当たりにして思い知ったことでもある。

正直なところ、少し緩いくらいのところがいい。

最近、久々に昔の友人とのLINEが動いたのだが、

そこで友人が良い服にいい時計を付けている姿や、家族ができて養っている姿、起業してバリバリ働いている姿を目の当たりにしてしまった。

するとほとんどその瞬間に、その友人と今の自分を比べて悔しがる心が湧いてくるのを感じた。

本当に煩悩というのは心の"反応"だ。

膝蓋腱反射なんかと一緒で、外からの刺激に自動的に反応して起こる。改めてそんなことを思った。

昔の若かった頃よりは、他人と比べる心から自由になったものの、まだ完全に手放せたというわけではない。

昔なら負けず嫌いというか、"何くそ魂"とでも言おうか、人と比べる心から生じるコンプレックスを燃料にして、

反骨心を持って努力するという形で、そんな負の感情を昇華していたのだが、結局長持ちしなかった。

絶えず自己否定をすることになり、負けを受け入れられなくなり、しかし決定的にどうしようもない敗北に直面して心が壊れてしまう。

また、人に対して見下したり支配したりする心ばかりが芽生えて、相手の立場に立って考えるとか、芯から優しくすることができないし、やがて人を遠ざけてしまう。

俺が15年くらい人生のトンネルを抜けられなかった原因の大きな一つであった。

まあ、こんなふうにどうしようもない心の仕組みがあるのだから、嫉妬心や対抗心は手放せないものだと諦めて、

適当に自分の中のそういう心を飼い慣らし、宥めすかし、たまには生かして、いずれは他のことを考えて忘れ、適当に付き合っていくがいいのかなと思う。