高砂屋(城下町とっとり交流館) (original) (raw)
鳥取市元大工町の角に、江戸時代から酒造業を営む高砂屋の建物がある。今は城下町とっとり交流館という名前で一般公開されている。
明治時代中期の建物で、国登録有形文化財である。
県道184号線沿いに主屋が建っている。主屋は、店舗棟の東棟と、住居棟の西棟が東西に連なっている。
主屋東棟
主屋西棟
高砂屋は、元々播州高砂で酒造を行っていた池内家の屋号である。
元和三年(1617年)に、姫路藩主池田光政が鳥取に国替えになった。
当時の鳥取では、濁り酒しか造られていなかったが、この高砂屋が鳥取で初めて清酒を造り、販売したらしい。
東主屋1階
二階の格子窓
池内家は当初材木町に住んでいたが、明治時代の中頃に元大工町に移り、この建物を建てたという。
この建物は、昭和18年9月の鳥取大地震や、昭和27年4月の鳥取大火の被災を免れた。
高砂屋東主屋の表から中に入ると、手前に土間があり、土間の先に店舗のスペースがある。今は展示スペースになっている。
高砂屋1階
1階土間
高砂屋の間取
土間から畳の上に上がると、奥の部屋には陶磁器が展示されている。
主屋東棟の奥の部屋
その奥には東西に通ずる廊下があり、廊下を通って西棟に行くことが出来る。
主屋の廊下
鍵型に曲がる廊下
廊下は、東棟から西棟に行く間に鍵型に曲がっている。
西棟1階は、南側が城下町とっとり交流館の事務所になっているので、北側の1室にしか入ることが出来ない。
西棟1階北側の部屋
そこは食堂のようになっている。
東棟2階は、床の間のある座敷である。昔、客人をここに通したのだろう。
東棟2階の座敷
西棟2階は、東側に長い梁が通る部屋があり、西側は貸し部屋のようになっている。貸し部屋は、お客さんが利用していたので見学できなかった。
西棟2階
今では、この東蔵と西蔵は、鳥取市出身の自由律俳句の俳人尾崎放哉の資料室になっている。
放哉は明治18年に鳥取県邑美郡吉方町(現鳥取市吉方町2丁目)に生まれた。
一高から東大というエリートコースを歩んだが、生活力はあまりなかったようで、酒と病気で身を持ち崩して、保険会社を退社し、妻子とも離別し、各地の寺に住み込みで働くようになる。
40歳頃の放哉
一方自由律俳句の俳人、萩原井泉水に師事し、雑誌「層雲」に自由律俳句を発表するようになる。
東蔵に入ると、「咳をしても一人」「念彼観音力 風音のまま夜となる」などの放哉の作品が書かれた書が展示してある。
東蔵の展示資料
放哉作品の書
今まで藩主の国替えで寺が移転するという話は聞いたことがあったが、商家も藩主について移転することがあったことを知った。
江戸時代を通じて、大名の転封ということはよくあったので、それに伴って、藩士以外の者も移動することがよくあったことだろう。
移動してきた藩士や商人は、文化を新しい土地に移植したことだろう。