巡り旅のスケッチ[西国三十三所]32・・・松尾寺 (original) (raw)

舞鶴

京都府の最後の札所は、舞鶴市にある第29番松尾寺(まつのおでら)。若狭の国との境界付近に境内は佇みます。

舞鶴は、入り組んだ湾があり、自然の良港として港が栄え発展してきたところです。今も、海上自衛隊の基地が置かれ、港には、幾つもの軍用船が浮かんでいます。異様なほどの威圧感を放ち続けるこの湾は、先の戦争の引き上げ地でもありました。軍隊に徴兵された我が子の帰りを待ち続けた、”岩壁の母”の物語も、この舞鶴が舞台です。

西国三十三所の巡礼は、丹後半島の付け根から、京都府の北東部の中心地、舞鶴の街を越え、若狭の国へと近づきます。

Google Mapsより。赤〇のところが松尾寺。すぐ東に福井県との境界線があります。

山道へ

松尾寺(まつのおでら)へと向かうには、国道27号線からy字状に分岐している県道を辿ります。ただ、県道とは言うものの、農道のような細い道。谷間に開けた農地の隅を、回り込むように続いています。

道はやがて、山の中へと入ります。木々が覆う狭い道を、標高を上げながら進んでいくと、左手に松尾寺の駐車場。ここに車を停めて、県道の向かいの斜面の境内に向かいます。

※駐車場から境内のある向かいの斜面へと向かいます。

仁王門付近

ジグザグの舗装道を上って行くと、少し先に、仁王門が見えました。本来なら、石段を上るはずだと思うのですが、私たちが訪れた時、生憎の工事中。「←参拝者通路」の指示通り、迂回してこの門に向かうことになりました。

※山門がすぐ上に見えるものの、工事中のため迂回です。

境内

工事中の仁王門下を通り過ぎ、境内に入ります。参道は、門から真っ直ぐに延びていて、その先も直線状の石段が続いています。

雨模様の天候で、足もとはおぼつかない状態です。細心の注意を払い、石段上の本堂へと進みます。

※直線状に続く参道と本堂の大屋根。

本堂

石段を上った先が、本堂のある境内です。正面には、灯籠と香炉台を覆う屋根。そしてその奥に、2層の特徴ある屋根を配した本堂が見えました。

本堂の背面は、山の斜面が迫っています。おそらく、その先が、若狭の国との境界になるのでしょう。奥深い山ではないものの、日本海に張り出した崖地をつくる高台です。天候にもよるのでしょうが、どこか裏寂しい山寺の雰囲気が漂います。

松尾寺(まつのおでら)の本堂は、江戸中期の建立とのことですが、かなり古そうな佇まい。私たちは、馬頭観世音菩薩が祀られたお堂の前で手を合わせ、西国三十三所の参拝を終えました。

※本堂前の様子。

青葉山

ところで、松尾寺の山号青葉山。本堂の奥にある、若狭の国の名峰がその山号と同じです。

若狭富士の愛称を持つこの山は、福井県高浜町から西に向かうと、その勇壮さが分かります。見方によれば、富士山というよりも、山頂がさらに尖ったピラミッドのような姿です。

この山を西の方から見た時に、『飢餓海峡』や『越前竹人形』で有名な作家の水上勉のある作品で、青葉山の緑深い木々の葉を、強風が裏返しに吹き付ける様子が綴られたところの一節を、突然思い起こしたものでした。

大師堂

本堂の参拝後、右隣りを見てみると、こちらも立派なお堂です。このお堂は、大師堂。傍には、弘法大師の修行姿の銅像もありました。

馬の像

大師堂を後にして帰路についた時、目についたのが馬の像。ここ、松尾寺の本尊は、馬頭観世音菩薩ということで、馬との関係が深そうです。

お寺の縁起や伝説などにも、馬に因んだお話が残されているようで、この馬の像は、松尾寺の象徴でもあるのでしょう。

※境内に置かれている馬の像。

納経所

本堂などの参拝を終えた後、御朱印を頂くことになりますが、松尾寺の納経所は、本堂の境内から少し離れたところに置かれています。

位置的には、正面の仁王門に向かって左側。帰路の道筋では、仁王門を潜り抜け、右方向に少し進んだところです。

赤色の大屋根が特徴的で、事務所なのか庫裡なのか、そんな感じの建物です。入り口が閉じられていたために疑心暗鬼で近づきますが、玄関横に「朱印 納経 御守 受付」と記された看板です。安心して引き戸を開けて、御朱印をいただきました。

※松尾寺の納経所。

庭園

最後に、帰路に見た納経所の前の庭園の様子をご覧いただきたいと思います。写真では上手く写せていませんが、小さな池や植え込みなど、感じの良い場所でした。

丹後の国と若狭の国との境界にある松尾寺。どことなく侘しさが感じられる山寺です。西国三十三所の巡礼は、この後、若狭の道を辿り進んで、北近江へと進みます。

※松尾寺納経所前の小庭園。