素朴な疑問ほど深い (original) (raw)
マイヤーアムシェルは動かない残り地フローリングの金貨について預かり証を書いて、その資金を高利貸として運用することに気付いた。他人の金貨を元手に利子を取ったのだった。
この高利貸しと呼ばれるユダヤ人金融業の金利は1600年代まで年利で20%以上で、40%から50%が普通だった。50%だったら2年で元金が倍になる。法外な巨額の利息をとっていた。
現在、日本の預金の利息はほとんどゼロです。それほど金利を取らないとユダヤ人に対して特別の重い課税を課せられていた。またいつ襲われるかわからないユダヤ人としてはそれぐらいの金利を取らないと身を守れないというのが彼らの言い分でした。
この金利は時代とともにかなり下げられたようですが、例えば皆さんも計算してみるとわかる年利10%でもですよ1.1ですから1.1の小数点以下が10%になるだから1.147回かけると2倍になります。
ほぼ7年後に2倍になる。だからね金利が下がったと言っても、高利貸には違いなくそんなべらぼうな金額を支払えるのはキリスト教徒の上層部に属する皇帝とかその家臣のいわゆる宮廷家臣の貴族やそれから聖職者たちだけです。
昔の中世のヨーロッパの映画を見ると、いろんな聖職者たちが出てきます。しかし、普通のキリスト教徒から見てユダヤ人とんでもない奴らだ、べらぼうな金を稼いでるというだけではなくキリスト教の支配階級もとんでもないやつだという感情を持って眺めていた。
それが大半のヨーロッパ人では当然で、それが後々フランス革命を起こしあるいはユダヤ人迫害を起こす元になった。
ユダヤ人はともかく生きていかなければいけないので、マイヤーアムシェルは当時ヨーロッパのあちこちで戦争に次ぐ戦争の時代でしたから、ついにヴィルヘルム9世の全財産の管理を任されるようになり、いつの間にか莫大な時期に自己資金を蓄えることに成功しました。
ゲットには山のような財産が積み上がり始めたのです。すでに時代は1789年7月14日に現在のパリ祭の日に人間の自由と平等を掲げて民衆が立ち上がったフランス革命が起こった。
そして絶対君主の王政を倒そうという民衆と必死で自分たちの王制を守ろうとする王党派の貴族階級側の戦いがヨーロッパ全土で展開する真っ最中でした。かくしてフランス革命が勃発してそれから時代が変わっていきました。
このように紙幣が誕生したは、元々こういうロスチャイルド家のような金細工士(ゴールドスミス=ドイツ語のゴールドシュミット)がいたからです。ヨーロッパ人のキリスト教は金銭を扱う商売は卑賎な卑しい職業であるとしてユダヤ人だけにやらせるという。
そして彼らを利用しようということだったので、ロスチャイルド家にとっては思う壺だった。そして金貨、銀貨、銅貨など貴金属を持つ人間が、戦争がたびたびヨーロッパで繰り返された。戦争がある時などにロスチャイルド家に自分の財産を預けて、預かり証を受け取った。
ユダヤ人の両替所は多くの人からコインを預かるため立派な金庫をゲットの地下に持っていました。当時の領主たちから、その面では信頼されていた。例えば今我々の紙幣であれば日本銀行という紙幣です。その当時は預かり証に例えばロスチャイルド商会と書いてあれば、世の中で信頼できる証文になった。
この証文を持っていれば金貨と同じ価値を持ったわけです。紙幣は金貨のように重くなく軽い紙で十分に交換価値がある。それ自体が金貨と等価で支払の用に足りたので我々が今使っているお札と同じであった。
フランクフルトのロスチャイルド家たちユダヤ人両替商が使ったこの預かり証の流通メカニズムが通貨の価値を金純金の価値に換算する金本位制の紙幣の原型でなった。1971年に金本位制というものが消滅するまで、そのロスチャイルド家たちの預り証が金本位制を支えてきた原型であった。
現在でもEUヨーロッパの中央銀行がどこにあるかといえば、 ユーロを発刊発行している中央銀行はやはりフランクフルトです。昔からフランクフルトは商業の都であり、現在もその地位を保っている。
この金融の世界で世界トップはイングランド銀行が知られている。イングランド銀行は最初は民間銀行として設立された。それは1690年だったので初代のマイヤーアムシェルが誕生したちょうど50年前に当たりる。
このイングランド銀行が世界で初めてお札を発行するようになった。紙幣を考案したのはロスチャイルド家ではないのです。ロスチャイルド家はそれを始めたわけではない。
ところが、マイヤーアムシェルの頭がちょっと人並み優れていました。こういう預かり証を書きながらすぐに気がついた。預かった金貨や財宝のほぼ3分の1が預かって預けた人は受け取りに来ない。常に絶えず自分の金庫眠っていることに気づいた。
今現在の銀行家がなぜ金持ちであるか?銀行が私たちが預けたお金をただ持っているのではない。持ってたって意味がない。銀行家というのは自分たちが財産を持ってなくたって預かったお金があればそれを他人に貸せるから儲かるわけです。
マイヤーアムシェルが気がついたのは自分が預かった金貨が1/3が動いてないという こと。例えばオランダ通貨で3フローリングの金貨を預かれば、2フローリングに対して書いた預かり証の紙切れは世の中を動き回っているのですが、1フローリングの金貨はいつも動かずにずっと手元にある。
マイヤーアムシェルは気がついたから動かない残り地フローリングの金貨についても
知らん顔で預かり証を書いておけば、それを資金として高利貸として運用できる。他人の金貨を元手に利子を取ることができる。
こうしてマイヤーアムシェルが25歳になった時、当時ヨーロッパ最大級の資産を相続していた先ほどのヘッセン伯ヴィルヘム九世のコイン収集に協力する宮廷ご用商人に任せられて貴族と交際し始めて大量の貨幣を集めてはせっせと預かり証を書き、高利貸で莫大な貸付利息を手にし始めた。
郵便王にカネで取り入り、他人の郵便物の内容を盗み読み取った後に、船をあちこちに配置しておき、すぐに事件のニュースを運ば せるようにしてだからロスチャイルド家家の伝達能力を恐ろしく早く誰よりも早く、しかも確実な内容がヨーロッパの商業都市に伝えられていった。
そして、ドイツ語の赤い盾「ロートシルト」が、全世界の金融の中心地ロンドンシティで「ロスチャイルド」、フランスのパリでは「ロチルト」と呼ばれるようになっていった。
ところが次にマイヤーアムシェルは古銭を集めるのではなく、通貨つまり流通している貨幣を集めようということに考えを切り替えました。当時の紙幣は現在我々が使ってるただの紙切れです。
ところが、この当時の紙幣というのはゴールドと交換できる兌換紙幣でした。つまり1971年の8月15日にアメリカでニクソンショックが起こって、この紙幣との交換をやめるということが行われてから、今日までほぼ半世紀が経ったわけです。
それまでは全て紙幣というのは現在の紙幣と違ってもっと貴重な紙幣でした。なぜ当時その紙幣を多くの人間が信用したかというと紙幣を銀行に持っていくあるいは銀行家のところへ持っていくと、銀行が発銀行券を発行する銀行が紙幣をゴールドなど信頼できる貴金属と交換してくれます。
それを兌換紙幣と言いました。だからこの当時の紙幣というのは今よりよっぽど貴重だった。今の紙幣なんてただの紙切れにすぎない。半世紀前までともかく貴金属と交換できるということはこの紙幣に書いてありました。
当時、ヨーロッパをほとんど支配していたのはキリスト教ですが、このキリスト教徒というのは1215年のローマカトリック教会です。つまりローマ法王庁バチカンのラテラノ会議によってキリスト教徒は利子を取って金を貸すこと禁ずるというローマ法王庁の法律によって禁じられていた。
しかし、みんな金を貸し借りしなければ生きていけない。じゃあどうしたらいいかってそういうことを考えたときユダヤ人だけが高利貸をすることを許された 。不思議な関係ですその結果、信頼されるべき銀行は昔はこの当時はロスチャイルド家たちの両外相
たちが主人公になってこの金銭の売買を取引を行った。
これはシェイクスピアのいろいろな小説などに出てくるユダヤ人が傲慢な商人で金貸しであるということは描かれます。傲慢と言うよりはそれをユダヤ人だけに許したのはキリスト教徒なのです。
1786年後半になってから、この一家は緑の盾の館に引っ越したということがわかっている。彼は1744年から1789年7月14日のフランス革命その後20年ぐらい生きてから68年間を生きた。
その1700年代のドイツ全体を支配していたのは神聖ローマ帝国皇帝のハプスブルク家です。フランクフルトのユダヤ人を自分の下僕つまり自分の持ち物だと考えて生きている。傲慢な皇帝たちですが、そこにフランス革命が起きた。
ハプスブルク家の都はウィーンです。そして映画でアマデウスという名作の時代です。1791年までモーツァルトが生きていた。あの映画ではなぜかそのフランス革命が全然描かれていない。フランス革命の2年後にアマデウス・ゴルフガング・モーツァルトが死んでいる。
その時代に若い頃のマイヤーアムシェルは自分がどうやって商売するかまで丁稚奉公に行きながら、まずはじめにパトロンを探そうということで名門貴族ドイツの名門貴族ヘッセン家の興味深い人物に目をつけました。
彼もこのヴィルヘルム9世という人間も貨幣に異常な収集癖を持っていたのでこの男 と手を握ろうとした。当時もユダヤ人は全員がゲットに閉じ込められていたのではなくウィーンの 宮廷にいる貴族たちがみんなユダヤ人を実は自分たち の家臣のようにして雇っていた。
そういう宮廷御用商人と呼ばれるユダヤ人たちが山の様にいまして彼らは特権階級でだからゲットからも時には出られる人間もいた。そういう人間たちのところにマイヤーアムシェルも拠点に入ったわけです。
そういう中で珍しい 古銭の貨幣に並々ならぬ情熱を燃やして非常に優秀であったマイアームシェルはヴィルヘルム9世と手を組んで、古銭を収集し始めた。特に彼はその丁稚奉公にいる間に商人にとって何が大事かということを観察して、要するに貴金属などの値動きがどこで起きるか、今のウォール街や日本の兜町など皆同じなんです。
要するに値動きを先に知っていないと利益を得られない。そういう 利ざやを稼ぐというわけですが、商人はその利ざやを稼ぐ、金利差などをよく知ってなければいけない。そのためには、時のドイツの中でどのような事件がどこに起こったかということすぐに先に知らないと値動きで先手を取れない。
当時は今のようにインターネットなんて便利なものはなかったから、全て郵便で通信をやっていた。お互いに ですから郵便を密かに他人の手紙を勝手に開封して中身を読むとすぐにわかる。
つまり情報を盗み取ろうとマイヤーアムシェルはそのことに知恵を絞り、その当時ヨーロッパ全土に 郵便網を張り巡らされてきた郵便王トゥルン・タキシスという人間にたっぷりカネを握らせて、手紙を先に読ませてもらう。盗んで開封して、また糊をつけて知らん顔をすることで最も親しい関係を取り結びました。
ユダヤ人の信仰の元になるシナゴールという教会は、一応、認められていたので、ここに立っていた。ここに流れているのがマイン川です。ねですから正式な土地名はフランクフルト・アム・マインで、マイン河畔のフランクフルトという意味です。
もう一個別のところにフランクフルトという土地があるのですが、一般にフランクフルトというと皆ここのことを指します。当時支配していたドイツは、その頃神聖ローマ帝国という国名でずっとイタリアのローマ帝国を引き継いだ形で神聖ローマ帝国がだった。
それは主に1300年あたりからハプスブルク家や皇帝の地位についてずっとフランクフルト支配してきたので、18世紀当時のユダヤ人はドイツの一般市民です。当時は全てが
キリスト教徒でその交際が禁じられていた。夜にはこの居住区ゲットから外へ1歩も出てくことは許されなかった。
日曜と祭日にも卑しいユダヤ人として狭いゲットに閉じ込められた。狭いのでだんだんに不潔になり、匂いも出てくる非常に苦しい生活を強制されていた。ただし一方その
隔離したということによって、それまでキリスト教徒がたびたびユダヤ人が世を襲ってきたそういう迫害から隔離の壁があることによって逆に守られるという意味もあった。
皮肉なことででゲットの地下の倉庫に商品や財産を秘蔵することはできた。キリスト教の一般市民とユダヤ人とは非常に不可思議な関係で互いにその商品と財産を交換しあってなんとか数百年を生きてきた時代でした。
さてこれからそのロスチャイルド家がどのような頭脳を持って世界最大の国際的財閥 をヨーロッパのゲットから生み出したか?その具体的な物語をこれから始めます。
つまりヨーロッパ人の間でユダヤ人社会がずっと隔絶され孤立させられていたため、財閥を作った初代マイヤーアムシェルはこのなぜ俺たちは孤立させられこういう苦労しなければいけないのかということで炎のような怒りの感情がわき起こった。
ロスチャイルド家の祖先は1500年代からロシアで記録がずっと残っている。そのように伝統のある一家なのですが、このマイヤーアムシェルの感情は当然のことです。これはすべてのユダヤ人に共通する話です。
マイヤーアムシェルの両親は彼が幼い頃に伝染病で亡くなってしまったので、彼にはモーゼスとカルマンという二人の弟ががいたんですが、3人ともですねユダヤ人の商人もとに丁稚奉公に出て学び始めました。
もともと彼が行った職業というのは古銭です。古いコインなどを商売として集める職業を営んでいた。ロートシルトという名前の 看板を掲げていた。ドイツ語のロートシルトは赤い盾つまり赤い看板という意味でした。
フランクフルトのユダヤ人ゲットには地図が残っています。これが初代マイヤーアムシェルが本物かどうか分かりませんがこういう絵画が残っています。このゲットの地図を見るとシナゴーグがあります。ここはみなユダヤ人の横丁です。
1830年まではアムステルダムつまりオランダと一緒の国であったベルギーにアントワープ、ブリュッセルもある。フランクフルトとアントワープはユダヤ人社会が一体になっていたという意味で非常に重要な役割を果たしていくわけです。
このような配置で何が起こったか?1700年代からその物語を始め、このフランクフルトは今から1000年以上前西暦1000年の頃からヨーロッパの商業の中心都市になり始めて いた。
そのヨーロッパの商業の中心を担ったのはユダヤ人の商人ですが、ユダヤ人は聖書の中に語られるようにキリストを裏切ったユダヤ人という汚名を着せられたびたびキリスト教徒に襲われ十字軍たちのいろいろな 迫害を受けてずっとその中を数百年生き続けてきた。
そうした多難な時代を経て、それでもユダヤ人のお金がなければキリスト教徒の支配者たちが生きられないため、このユダヤ人を何とか逃げないようにするためにキリスト教徒の支配階級が1462年から(西暦1000年頃から数百年たって)ユダヤ人を1か所に集めるために居住区を決めた。
そこがゲットと呼ばれユダヤ人集団 の居住区です。最初は110人だったユダヤ人は250人、900人、1200人、2200人そしてついに1600年代3000人へと増えていってこの3000人がその後だいたい維持されていきました。
これがエンサイクロペディア時代家と言われユダヤ百科事典に出ている数字です。この3000人以上はなぜ増えなかったかというと、それ以上増えては困るという理由で結婚制限をさせたりキリスト教徒の支配階級はいろいろな制限を設けたためだった。
狭い地域のため大変でした。狭いところに3000人も住んでいなきゃいけない。ユダヤ人の職業はだいたい金を貸す高利貸それから両替をする。ヨーロッパはいろいろな通貨が利用されてきたので、両替をしないと市場が立った時買い物もできない。
誰か両替所が非常に重要な役割だった。物品を貴重品を預かる質屋が主体です。それからもう一つは貴金属を加工して金銀銅のいろいろな貴金属加工を専門とする人間たちをゴールドシュミットと言いました。英語で言うとゴールドスミスです。そういう貴金属加工技師がゴールドシュミットです。
トランクフルトのユダヤ人居住区はゲットと呼ばれ、このようにですね1600年代にマテウスメディアンの銅版画がきれいに描かれています。この銅版画をよく見るとずーっと塀があります。壁両側にずっと壁があってここが錠門があって出口があるんですがこの出入り口の方には夜になると門が占められて鍵がかけられ町に閉じ込められた。
その財力が地球の大半の事件を連綿と引き起こしてきたことを実証することはできます。歴史を読むところに必要なのは「実業史」観です。陰謀ではなく実業がどうなって いたかの歴史を解き明かすことが重要です。
近年の戦争は「ロシアのウクライナ侵攻」と「イスラエルによるパレスチナ侵攻」です。ロスチャイルドはユダヤ人財閥です。ロスチャイルド財閥の始祖はネイサン・ロスチャイルドです。
ロスチャイルド財閥は、ティファニーの有名なイエローダイヤモンドやあるいはロシアのロマノフ王朝に仕えたというメーカーが作った素晴らしい本当に夢のようなパヴェルジュの作ったイースターエッグ、あるいはカルティエの作ったパンサーの豹のような宝石、世界最大のカリナン・ダイヤモンドまでを動かした史上最大の 富豪一族です。
それだけではありません。何しろ西洋人が最も好んで飲んだワインですが、フランスのボルドーを中心にいわゆるシャトーと言われる5大ボルドワインが彼らの手の中にあわけです。
シャトーというのはお城のことですですから、彼らオランダで最も有名なデハール城まで建ててしまいました。デハール城はロスチャイルド家によって建てられられ再建された。
それから有り余る資産でエジプトの王家の谷からツタンカーメンの黄金のマスクを
考古学者たちに掘り出させた人たちの物語なのです。
そのロスチャイルド財閥がの始祖の名前はマイヤーアムシェルロートシェルトです。1744年にドイツのショートつまり商業の都とフランクフルトでユダヤ人を隔離する居住区のゲットと言われるところに生まれました。
彼らユダヤ人が市民権さえ当たらず小さな商いや両替所質屋など細々と営みながら日を送っていました。 このドイツ名のロートシルトというのは後に英語読みでチャイルドフランス語でロチルドとなりました。
この時代ね1700年代と言えばオーストリアのハプスブルク帝国ですから、実際にはオーストリアの発掘でハプスブルク帝国は広大な範囲をこの東に持っています。そして、北側にはチェコがあって都はプラハ、そしてスイスはいろいろな都がありますけどチューリッヒが金融の都市です。そして北部が大事でオランダがアムステルダム貿易港として大いに栄えた。