日本の教育の良否について (original) (raw)

教育の良否や可否については、専門家ではないために、過去に義務教育で学んだ経験から言うことになります。が、公教育の正当性や私立学校法に基づく教育方針については、色々の意見があり、且つ批判や反批判があると思っています。当然ですが、教育の基本は“迷妄打破”ということで始まったことと思いますが、何処の世界でも才気煥発の才子がいて、「これを何かに使えないか」という延長で、財を成す事や富を得ることに向かう人たちがいます。

富裕層や超富裕層の方々の意識は、自分たちの努力と才覚で得たものであるから、“当然の報酬”と考えていますが、これは教育の結果でもなく、行き着く先でもありません。教育の目的は、文化や資源の交流や交換において、差別や偏頗が無いように知識を得るところに眼目があるのであって、富の偏在や格差を助長するところには無い“はず”であったことが、本末転倒の様相を呈しています。しかし、これをいう教育者はいません。啓蒙や迷妄を主眼とする人や地位や権力を利用して更なる高みを目指したいと考える人たちの“鬩(せめ)ぎあい”となっているのが、現状です。武家政権においての学問と農工商の子らが学ぶべき手習いの目的はいずれも違っていました。まだまだ、日本の教育のシステムや目的が、何処に落ちつかせるかは時々の政権で違っていますから、不透明です。差別や富の偏在が目的でないとしたら、何処にベクトルを向かせるかを考えるべきでしょう。