退職教員の実践アウトプット生活 (original) (raw)
11月16日は土曜参観でした。
福岡市は1年に2回の土曜参観の実施が定められています。
昨日はその1回目です。オンラインでの授業を行いました。
教師も子どももオンラインでの授業にまだ完全には慣れていません。
この土曜授業が練習です。
普段と同じように8時30分から朝の会を始めました。
健康観察では、一人一人画面越しに返事させます。
画面の背景を勝手に変えて、「ハロウィーン」や「リゾート」から話している子がいます。背景を変える場合は「ぼかし」だけ、と指示します。
好きなスタンプを画面に流す子もいます。これもやめるように指示しました。知らない機能を見つけるのは教師よりも子どもの方が上手です。
1年生の1時間目は国語。学校で学習したばかりの詩の朗読です。
まずみんなで練習した後、自分の朗読を録画して送信させました。
これを見れば評価ができます。学校で一人ずつ聞くこともできますが、その間ほかの子は待たされます。
オンラインの特性を活かした授業ですね。
2時間目は音楽の「お絵描き歌」をしました。
「たぬき」「コックさん」「ドラえもん」などの絵描き歌です。
まず教師が歌いながら描いてみせてから、子どもにも練習させました。
その後、お絵描きソフトで描いた絵を提出します。
数名の子の作品を紹介することもできました。
最後は英語あそび。
定番の“Hello Song” “Head, Shoulders, Knees and Toes”で歌って踊りました。
先月全学級に配置された「ミライタッチ」という電子黒板も役に立っています。
70インチの大画面なので、教室のどこからでもはっきり見ることができます。
黒板として使えるだけでなくPCの機能も兼ねているので、デジタル教科書や動画を見せることもできます。
授業の形がこれからどんどん変わっていきそうです。
テントセンブックス読書会 2024年10月26日
11月8日に勤務校の体育会が終わりました。
11月2日に実施の予定が雨のため延期になっていたものです。
1年生の子どもたちのモチベーションはピークを過ぎていて、前日のリハーサルは散々でした。
当日はどうなることかと心配でしたが今までで一番のダンスを見せてくれたので驚きました。
やんちゃな子ほど本番に強い。
「百年の手紙 日本人が遺したことば」梯 久美子著 岩波新書
わが子が戦場に行くことになったとき私は何を伝えるだろう?
小泉信三は経済学者であり慶応義塾大学の塾長を務めた人物です。皇太子(現天皇)の教育にもたずさわっていました。
戦前にヨーロッパへの留学を経験している小泉は日本の戦争が無謀であることを誰よりも感じていたはずです。
小泉の経歴を読んで、硫黄島の司令官栗林忠道を思い出しました。米国留学での思い出を胸に戦った栗林は心が引き裂かれるように感じたでしょう。
戦争や死を美化することには断固反対です。小泉も栗林も同じだったと思います。だからこそ一層彼らの言葉が胸にせまってきます。
「君の出征に臨んで言って置く。
吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替わって妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。若しもわが子を択ぶということが出来るものならば、我々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかもしれないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年間の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日特にこのことを君に言って置く。」小泉信三から長男信吉への手紙
「中学生から知りたいパレスチナのこと」(岡真理、小川哲、藤原辰史著)を読みました。
子どもの頃に見ていた西部劇では、騎兵隊は正義の味方、インディアンは悪者でした。
中学生のときに見た映画「小さな巨人」は、インディアンの視点から描かれた西部劇です。
その頃から視点の見直しが進んで、今ではそんな映画を作る人はいません。
インディアンもネイティブ・アメリカンと呼ばれるようになりました。
イスラエルは植民地国家なので、それと同じ状況なのですが、パレスチナへの支持はなかなか広がりません。
それはなぜでしょう。
同じような状況にあるウクライナと比較すると、その理由が見えてきます。
私たちはウクライナのことをよく知っている。だから支持が広がりやすい。
反対にパレスチナのことはよく知らない、だけどイスラエルや「西側」のことはよく知っている。
アメリカもイギリスもドイツも、イスラエルを支持しているので、それが正しいように見える。
少数者側、権力を持っていない方の声に耳をすませたい。
ブラウン管の向う側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを撃ち倒した
「青空」THE BLUE HEARTS
あおぞらブルワリー博多店屋町 2024年10月18日
スティーブンキングはずっと気になっていた作家です。
シャイニング、スタンドバイミー、ショーシャンクの空に、ITなどなど。
世界で最も成功している小説家。多くの作品が映像化されています。
しかし、人気がありすぎて有名すぎてかえって敬遠していました。
ときどき本屋で小説の冒頭を読むと、これいいな、でも…。他に読みたい本がいっぱいあるし…。
新作のビリーサマーズも本屋で初めの部分を読んでみて、やっぱりおもしろそうだし、そろそろ読んでみるか、と購入。
読み始めるとキングから強く腕をつかまれて、一気に物語世界に引き込まれました。
ビリーは殺し屋。でも殺す相手は悪い奴だけと決めている。
過去の出来事から受けた心の傷は今も彼を苦しませる。
ビリーを好きにならずにいられない。
夢中で読み進めていると、ティム・オブライエンが出てきました。
そうか!村上春樹じゃないか。
「本当の戦争の話をしよう(The Things They Carried)」(1990年10月 文藝春秋)の翻訳は村上さんです。
強烈な戦争体験は人を変えてしまう。
キングも春樹もティムが放った弾丸に心を打ちぬかれた。そして、自らの作品でそれを見事に昇華させた。
唐戸市場 2024年10月5日
山口へ行きました。
1日目は関門海峡を眺めながら寿司を食べて、早めに宿へ向かいました。
大谷山荘は2016年に安部さんとプーチンが語り合った宿です。
さすが高級旅館、対応も館内の様子もすべてに隙がない。
夕食後にロビー横のカウンターで飲んでいたら、団体客がやってきました。
フェラーリの会の皆さんだそうです。
2000万円の車に乗る人がこんなにたくさんいるのですね。
その日の新聞にユニクロの柳井さんの言葉が載っていました。
「これからは年収1億の人と100万の人に分かれて、その中間は少なくなる」。
翌日は金子みすゞ記念館へ。
稀有な才能を認められながらも、理解のない夫との関係に苦しみ、若くして亡くなった詩人。
その生涯をたどりながら作品を読むと、より深く心に響きます。
100年前よりも世の中はよくなってきていると信じたいですね。
2024年10月5日 大谷山荘客室 金子みすゞの本があります
アップルミュージックを10年くらい聞き続けています。「お気に入り」のプレイリストは「ジャズの潮流」。ここでは現代ジャズを聴くことができます。古いジャズも大好きです。しかし、最も気になるのは何か今までのとは違う表現を求めているミュージシャンたちです。「こんな音楽は聴いたことがない!」という驚きがほしいのかもしれません。
「サンショウウオの四十九日」(朝比奈秋著)を読みました。姉妹でありながら身体は一つ。その心の動きを描いた作品です。体の一部がつながっている双生児のことは聞いたことがありました。しかし、ここに登場するのは二つの体がほとんど一つに見える形でつながっています。そして、この姉妹の父も双生児です。父は伯父が生まれたときにその体内にいたのですが、手術で取り出されました。この小説はその伯父が亡くなった場面から始まります。
「自分の体は他人のものでは決してないが、同じくらい自分のものでもない。思考も記憶も感情もそうだ。そんな当然のことが、単生児たちには自分の身体で体験できないから、わからない。」(「サンショウウオの四十九日」P58より)
自分と他者、生と死、正常と異常。その境界は実にあいまいで、陰陽図の二匹のサンショウウオのようにつながっています。瞬と杏という姉妹が自分を語っていますが、読んでいてどちらか分からなくなるときがありました。それは作者の意図的な表現でしょう。こんな小説は読んだことがない!
先週は1年生の子どもたちを引率して海の中道のマリンワールドへ行きました。一人の女の子はムツゴロウが大好きになったようです。泥の上を跳んだり這いまわったりする姿に驚いたのでしょう。水の中を泳ぐのが魚という概念が壊されたことを気持ちよく感じたのかもしれません。ななみさん、さかなってほんとうにふしぎだね。でもにんげんはもっとふしぎだよ。
8月3日に父が96歳で亡くなりました。
父は日本占領下の朝鮮で生まれ、旧満州国で少年時代を過ごしました。
終戦前に日本へ帰り、海軍で訓練中に8月15日を迎えます。
戦後は米軍キャンプで働いていましたが、友人たちとタクシー会社をつくりました。
定年を迎えた後、再び頼まれて再度取締役として復帰しました。
社交的な人間ではなかったのですが、社員からの信頼は厚かったようです。
読書と囲碁が好きな無口な人間でした。
高校生のとき、父が私の部屋に来て、「今、お前が好きなものの話を聞かせてほしい」と言われたので、デビット・ボウイがどれだけ革新的で素晴らしいのか伝えました。
父がどれだけ理解したのか分かりませんが、好きなことの話を聞いてもらってうれしかったことを覚えています。
親には反抗することが多かったのですが、結局は親の願い通りの道に進みました。
父が去ったあとになって、話しておきたかったことが次々と浮かんできます。