もし挨拶の出来ない大人が先住民族の中に入ったら。もしくは極道社会に入ったら。 (original) (raw)

挨拶の出来ない大人が増えました。私も30代の頃に、50歳の挨拶の出来ない人が転職して来て困った経験があります。社内が妙な緊張感に包まれ、同じ仕事をしているのにギクシャク、やたらと気疲れをしました。

近年は、引越しの挨拶をしないとか、個人情報保護の名目で隣室に挨拶にはいかない、というのが慣例化して来ています。一方、小学生の通学路には昭和の遺物である「あいさつをしよう」という標語の看板がいまだに残っています。個人情報保護、あるいはどうせまた引っ越すのだから、所詮他人だから、と言った個人主義、友達はSNSの中にいて、歩きスマホで近隣住民とは目を合わせない、といった風潮は人との触れ合いという面では寂しい限りです。

そもそも礼儀とは何でしょうか。礼儀作法は何のために生まれたのでしょう。村意識、領土意識の強い民族の集落に、挨拶もせずに入って行ったら、トラブルになるでしょう。先進国でもパスポートを提示しなければ入国出来ません。身元も明かさず、挨拶すらせずに領土に入れば、密入国になります。団地や町内であれば犯罪にはなりませんが、既存のコミュニティに入っていくという意味は同じです。気にしない人もいるかも知れませんが、嫌がる人もいるでしょう。

生物にとって、縄張り意識というのは本能であり、当然の反応です。誰かの縄張りに踏み込めば攻撃を受け、戦闘となります。人間は余計なトラブルを避けるために、敵意のないことを示す方法を築き上げました。欧米人はエレベーター内などの密室で他人と2人だけになった場合、挨拶をしたり、簡単な会話をするのが慣例だそうですが、やはり自分は怪しい者ではないということをお互いがアピールし合っているのだということです。犯罪率の高い国ではとくに相手を安心させるために、挨拶はかかせません。

日本は犯罪が少なく安全な国なので挨拶は必要ないでしょうか。ファッション、働き方、ライフスタイル、プライバシー意識、個人主義、あらゆることが欧米化したのに、挨拶は欧米化せず、日本にもともとあった礼儀や常識観もなぜかうやむやになってしまいました。

前からやってきた歩きスマホの学生が、コンビニに入るために突然私の目の前をすり抜けて行き、注意したことがありますが、学生は何が悪いのだという態度でした。トラブルは増えるでしょう。近隣に越して来て挨拶をしない人たちや、ゴミ捨てで鉢合わせても居直ったような態度で目を合わせないようにしている人には不快感を覚えます。目礼や会釈という礼儀作法もありますから習慣にしてしまえばとくに面倒はないと思うのですが。自分が損しますよね。無知とか頭が悪いとか思われてもしょうがないです。

また、礼儀というのは順序も大切です。ドアを開けてからノックをするのは論外ですが、順序を入れ替えると失礼になることが多々あります。ご挨拶遅れました、はよく使われる表現ですが、これは挨拶は先にするべきという常識観に所以する言葉でしょう。先日、近隣で越して来た方に2週間ほど経ったころにたまたま玄関から出て来たところにはち合い、「あ、隣の方ですか?」と言われました。私はそのまた隣なので「いえ、隣ではないです。」と答えると、モゴモゴと立ち去っていきました。だいぶ年配のご夫婦でしたが、隣のうちにも挨拶をしていないのでしょう。どちらにせよ配慮の出来ない人とお付き合いしたくないですよね。