里山を荒らすイノシシが、美味しいジビエに変わる時。 | リゾートSTYLE (original) (raw)

10月はいいですね。いろいろ気持ちがいい。
Tシャツの上にぺらっと上着を羽織って外に出る時、「これくらいの気候がずーっと続けばいいのに」と独りごちています。

みなさん、お元気でしょうか。食欲の秋をおう歌していますか。

わたしの暮らす地区のお祭りもありました。なんと5年ぶりです。いいもんです。

ところで先日私は、人生で初めて、イノシシの解体をしてきました。

運営しているNPO法人南房総リパブリック主催の食イベント「MEETS南房総」のプログラムでのこと。
得難い体験だったので、今回はそのことをお話しようと思います。
(ビックリするような写真はないですよ。ご安心を。)

まずは、わたしの暮らす地域について。
南房総エリアは獣害問題が深刻で、イノシシ、サル、二ホンジカ、キョン、ハクビシン、タヌキ、アライグマ、アナグマなどが有害鳥獣として捕獲されています。とりわけイノシシの被害が酷く、わたしの暮らす集落全体もぐるーーーっとワイヤーメッシュを張って囲み、人間生活を守っています。「これじゃあ人間の方が囲まれているよなぁ」と笑いながら、そうしなければ暮らしていけない現実があります。

車で夜道を走っていると、ブヒブヒと連れ立って歩く親子イノシシと遭遇することも少なくないです。畑の脇を歩いていたら小柄な子とふいに出くわし、お互い(マジ!!!)と思いながらつとめて無視してすれ違ったこともありました。
イノシシは土の中にいるミミズを探しながら田畑を荒し、土手を崩します。彼らは生きる重機なのです。物理的にも経済的にも精神的にもダメージ大!生活をひっかき回してくれるわけですからたまったもんじゃないですよね。でも、ウリ坊はとってもかわいいです。憎むのが大変なくらい。

駆除するのは猟師ですが、普段は農家だったり、商売をしていたりと自分たちの暮らしを自分で守っている場合が多いです。駆除された野生動物の処理は、これまでは捕獲者の方々に任されていました。土に埋めるのも一苦労だし、ただ捨てるのは命がもったいない。そこで2021年、有害鳥獣を食肉に加工するための施設「館山ジビエセンター」が開設されたわけです。
この施設をゼロから立ち上げて、運営しているのは沖浩志さん。有害鳥獣を仕留める猟師であり、その個体を解体して肉にする解体士であり、館山ジビエセンターの指定管理者・合同会社アルコの代表でもあります。

長くなりましたが、この沖さんが、今回イノシシ解体を体験させてくれた方です。

穏やかで、声が小さい、生きものが好きだから猟師になったという沖さん。

ところでわたしは、実はそういう現場がとても苦手です。
はあ。腰抜けでお恥ずかしい。
アサリやしじみを茹でるのもちょっと好きじゃないです(やるけど)。Gもシューシューするくらいなら虫捕り網で捕って逃がしたい派(シューするけど)。

そんなですから、ましてや哺乳類の……なんて途方もなくハードルが高い。愚かしいほど、すべての生きものを「かわいい」と思ってしまう感覚も邪魔していると思います。

毎日、お肉を食べているのにね。矛盾に満ちた状態を「しょうがないよ!人間だもの」と思う自分と「いつか克服したい」と思う自分がどっちもいるまま、ずーーっと生きてきたわけですが、週末田舎暮らしを長く続けているうちに猟師の友人が増え、彼らがとてもとても動物を大事にしている様子に触れるうちに「怖がっているばかりではあかんなあ」と思うようになっていったという次第。

今回、このイベント企画が持ち上がった時、「イベント参加者と一緒なら体験できるかもしれない、みんなの力を借りよう」と思いました。主催者でありながらしょうもないね。

美味しいね、の手前に起こっていることを知ろうね、という企画。

イベント当日の朝、沖さんから「16キロのイノシシをもらえました」とメッセージが入りました。南房総エリアで仕留められた個体です。

16キロと聞いてわたしの頭をよぎったのは、うちの犬のピノ。
今ちょうど20㎏くらいだから、ピノより小さいんだな。

ピノ7ヶ月。大きくなりました。

わたしたちは、館山の山の中に建てられた「館山ジビエセンター」に向かいました。
地域で捕獲された個体が、軽トラでどんどん運び込まれていました。それらを解体しジビエ肉として保管する施設と、食肉にはできなかった個体を焼却する施設がありました。

沖さんに誘導されて向かったのは、外とつながっている清潔で小さな解体作業場でした。
「これがイノシシです」と、今日解体するイノシシが運ばれてきました。
こどもの頃だけ出ているというウリ模様が抜けて間もない、とても小さな子でした。

ナンバーがふってあります。これほど小さな子は肉にはできないので、普段はそのまま焼却されるそうです。

眠っているような顔で、生まれて数ヶ月の身体には傷ひとつありませんでした。

と、その時、隣りの参加者の女性が「ちょっともうダメかも」と涙を流しているのが目に入りました。(彼女は自分でもなぜ泣いているのか分からなかったと、のちに言っていました。)

わたしももらい泣きしそうになりながら、ピノの顔がその個体と重なりました。同じ生きものなのに、一方はペット。もう一方は有害鳥獣とされ、ここにある。どうしようもない現実を突きつけられた気がしつつ、「目の前のこの子だけをかわいそうだと思うのはひとりよがりだよ」と冷ややかに釘を刺すもうひとりの自分が顔を出し、涙がひっこみました。

彼女がとても優しい手つきで、そのイノシシの頬を撫でているのをみんなで見つめていました。

でね。解体が進んでいくわけですが。
わたしの中から感情的な状態がほぼ消えたのは、内臓が身体の外に取り出された時でした。

これが食道、これが胃、これが腸。
身体から出された臓器をひとつひとつ説明されるうちに、次第に理科の解剖実験を見ているような心持ちに変化していきました。以降、もう涙が出そうにはなりませんでした。
そっと彼女を見ると、彼女の涙もちょっと乾いているように見えました。

ただ、あくまでもこれはわたしの感覚です。
参加者はみな、反応が違うのです。
料理家の男性は、彼女とはぜんぜん別のテンションで当初からのめりこんでいました。「おおー、このくらいの個体だとハツはこんな大きさなんですね!」とか「鹿肉と似ていますね」など、ハナから食材として見ている様子。

言われてみると、内臓も焼肉の時のホルモンに見えてくるわけですよ。「これが横隔膜です」と言われると、そこの筋肉がハラミに見えてくる。

隣りには、お腹が空っぽになっているけれどさっきと同じ顔で横たわるイノシシの身体があるのに、さっきとまったく違う食肉として「なるほどー」などと見ている自分に気づきます。

沖さんの解体は鮮やかで、説明はとても分かりやすかったです。わたしたちの感情の動きと理解の進度に、ゆっくり寄り添ってくれます。

途中、身体から皮を剝いでいく作業をさせてもらいました。すると今度は「うまく剥がしたい」という欲求が高まっていきました。よいしょ、よいしょ、この角度だとうまく刃が入るんだよな、この筋が固いな、と完全に作業モードです。
触っている肉は、まだちょっと温かかったです。

それにしても、ほんの数十分前までわたしは「ひょっとしたら自分は今日を境に、肉の食べられないヒトになってしまうかもしれない」と思っていたんですよね。なのに、丁寧に現場を見て、作業に関わらせてもらった後、想像していたのとまったく違う感情が立ち上がりました。

それは、ベタですが「ありがとう」という気持ちでした。
わたしたちに、命を見せてくれて、ありがとう。

解体場所のすぐ近くには、供養の碑がありました。

解体を学んだあとは、館山の安西農園さんの畑にその日限りできた「畑レストラン」でのランチでした。沖さんが提供してくださったお肉と、安西さんが育てた野菜を、地元のビストロ・モンレーヴ館山の島田さんが美味しく料理してくれました。

いやあ。美味しかったです。
そして、本当に感慨深かった。
たとえばこれ。

イノシシ肉のテリーヌです。

イノシシの内臓があまねく使われているのですが、食感を楽しみながら、同時に解体現場も思い浮かべている自分がいました。あの部位が、この食感かな、なんて頭の中で照合しながら。すると、心の深いところから「ありがたい」という思いがこんこんと湧き上がってくるのです。

お肉として食べられるように捕獲状態から解体まで心を配ることで生まれた上質なジビエ肉をいただくと、これまでは「イノシシなんて食べられない」と言っていた地元の高齢者たちも「こりゃうまい」と唸るそうです。

40キロのメスと、50キロのオスの食べ比べもしました。
「オスは、交尾の時期に入ると何も食べずに戦闘態勢に入ります。筋肉質になり、身体は傷だらけで、他のオスと闘った痕跡が残されている。ジビエには個体ごとの物語があるんです」

沖さんの言葉が、肉の味わいとともに蘇ります。
いろいろあって料理として出されたお皿を「美味しい!」と食べていた時も幸せでしたが、そうした背景を知ることで、受け手の心は何倍も震えるんですね。

この日わたしは、「いただきます」って言葉の意味を、これまで生きてきた中でもっとも強烈に認知しましたよ。お説教的な意味ではなく、心と身体の中から「命をいただきます、ありがとう」と思えました。

猟師の沖さんと農家の安西さんから素材のバトンを渡され、料理を手掛けたシェフの島田さんにも感謝。本当に本当に美味しかった。

田舎に暮らすということは、現場に暮らすということなんだなと、改めて感じます。

生まれる現場。
育てる現場。
殺す現場。
いただく現場。

それはそのまま、自分たちが生かされていることをより濃く実感することにつながります。そして、きっと昔は、そんな感覚が日常生活のなかに満ちていたんじゃないかと想像します。

南房総にいらしたら、ぜひジビエを食べてみてくださいね。
わたしたちの里山の命の循環を感じていただけたら嬉しいです。

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。

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馬場 未織

writer:

1973年東京都生まれ。1996年日本女子大学卒業、1998年同大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年株式会社ウィードシード設立。プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約300往復以上する暮らしの中で、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、食の2地域交流、南房総市の空き家調査などを手掛ける。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。