dr100の一の宮・百寺巡礼・続百名城旅日記 (original) (raw)
由緒:本龍院(ほんりゅういん)は、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。山号は待乳山。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称される。この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られている。この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。例年1月に行われる「大根まつり」でも知られる。(「wikipedia」より引用)
住所:東京都台東区浅草7丁目4-1
御朱印拝受時刻:13:32
御朱印料: 500円
由緒:富士信仰が最も盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。しかし当時は交通事情も悪く、そうした中、富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成され、全国各地に浅間神社の勧請が行われた。富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が、各地元の浅間神社に参詣した。そうした富士山遙拝所として当社が創建された。 当初は、現蔵前の三好町に勧請・分祀(御神霊を頂くこと)され、その後幕府の命により昔は富士に似た森厳なる小丘であった現在地(浅草五丁目)に移されたとされている。公式サイトより引用
住所:東京都台東区浅草五丁目3番2号
初穂料: 500円 書置
由緒:被官稲荷神社は浅草神社の末社で、「官を被る」すなわち官位を授かるという意味から、就職・出世などの祈願する人が多い。安政元年(1854)新門辰五郎の妻が重病になり、伏見稲荷に祈願して平癒した。そこで町の人々が感謝の意も含めて伏見稲荷から御分霊を勧請したことに始まるという。(「古今御朱印研究室」より引用)
初穂料: 500円 書置
由緒:創健、寛永十九年(1642年)、三代将軍家光三十九歳の時。武術興隆の目的で京都三十三間堂と同じものを浅草の今の地に建てる。「矢先」の由来は、堂の廊下で「通し矢」が行われ、的先にあった神社で「矢先」と呼ばれた。(「東京都神社庁」より引用)
御朱印拝受時刻:12:43
初穂料: 500円
住所:東京都台東区西浅草2-14-5
御朱印拝受時刻:12:31
初穂料: 300円 書置き 一年に一回、三社祭の時
由緒:室町時代の半ば、品隆上人が現在の千代田区五番町にある三年坂に開いたという。『新撰東京名所図会』には、三年坂はもともと三念寺坂といい、三念寺の寺地であったことに因むとあるそうだ。慶長8年(1603)現在地に移転した。(「古今御朱印研究室」より引用)
住所:東京都文京区本郷2-15-6
御朱印14:01
御朱印料: 300円
入場料:200円 (300円のところ、クイズに答えて200円)