川添象郎 (original) (raw)
『スポーツニッポン』の記事;
YMO、荒井由実ら手掛けた音楽プロデューサー・川添象郎さんが死去 83歳 風吹ジュンの元夫
9/9(月) 20:36配信スポニチアネックス
音楽プロデューサーで、俳優・風吹ジュン(72)*1の元夫の川添象郎(かわぞえ・しょうろう)さん*2が8日に死去したことが9日、分かった。83歳だった。
今年2月に一時、心停止するほどの重篤な状態に陥ったが、約半年の入院生活を経て再起。今月に入って福島県内の自宅で療養しながら音楽制作に意欲を燃やしていたが、8日に福島県内で亡くなった。
川添さんは1969年にミュージカル「ヘアー」来日公演をプロデュース。1970年代半ばから音楽プロデューサーとして、YMOや荒井由実(松任谷由実)などのアーティストたちを世に送り出し、数多くのヒット曲を生み出した。2008年には青山テルマfeat.SoulJa「そばにいるね」をプロデュースし、日本で最も売れたダウンロードシングルとして、ギネスに認定された。
私生活では多くの結婚と離婚を経験。1981年には風吹ジュンと結婚し1男1女をもうけるも、1992年に離婚した。
父は東京・飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」の創業者・川添浩史*3。幕末に大政奉還を実現させた後藤象二郎は曽祖父。俳優・加賀まりことは幼なじみ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8ecdbb92d52da974dc8729da33402fc7261a724
見解経歴だけを追っていると、その全体像は、極めて掴み難い人です。記事に掲載された以外の情報でいえば、
・ラスベガスでショーの演出家になる。
・ニューヨークでフラメンコギタリストになる。
・ミッキー・カーチス、内田裕也らとともに音楽レーベル「マッシュルームレーベル」を創立。
・同レーベルでガロの「学生街の喫茶店」をヒットさせる。
・1970年代後半には作曲家の村井邦彦の「アルファレコード」に事業参加。ただ、2022年に自叙伝『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』(DU BOOKS)を刊行、ようやっと全体像と、それを通底する明朗かつ飄々とした生き方を少し理解できた気がしたものです。規格外かつスキャンダラスな生き方ばかりがクローズアップされますが、本質は「物事を面白がるのが上手い人」だったのではないでしょうか。御冥福をお祈りします。
川添象郎さんが亡くなられました。
「YMOをブレイクさせた男」
伝説のレストラン「キャンティ」の息子
フラメンコ・ギタリストの先駆
ガロ、松任谷由実、細野晴臣、小坂忠らの育ての親
伝説の宝庫は自伝「象の記憶」でどうぞ!
追悼https://t.co/Hb5GcP84i2 https://t.co/gMmU3g7UuT pic.twitter.com/qpb2elZV1e— ポップの世紀 (@popnoseiki) 2024年9月9日
川添象郎が亡くなられたのを今知りました。なんかすごく寂しいです。
どうか安らかにおやすみ下さい。
大郷剛氏;
プロデューサーの師匠 川添象郎さんが昨日お亡くなりになりました。2月に入院されてからも病院で打ち合わせを重ねていました。遺作となった音楽プロジェクトは責任持って進めて行きます。沢山の感動を有難う御座いました。 https://t.co/qgqhllzACv pic.twitter.com/eoG2hcS9sE
— 大郷 剛 (@GO0324) 2024年9月9日
川添象郎 (1941-2024)
YMOを世界に送り出していただきありがとうございました
Executive producer – Syoro Kawazoe pic.twitter.com/0HYhyXiK8D— テクノデリシャス (@technodelicious) 2024年9月9日