これでダメなら諦めよう -史上最強の哲学入門(飲茶)- (original) (raw)
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本書の見どころ
- 哲学初学者にとって圧倒的に分かりやすく、コミカルな記述で読みやすい。
- 特定の哲学者に偏らず、広く知れる。
- 内容がペラくない。思想が生まれた背景や、前時代の思想とのつながりがきちんと説明されていて物語性がある。
本書は、「哲学初心者や、哲学を学ぼうとして何度も挫折した人向けに、三〇人ぐらいの哲学者を一人一人紹介していくような気軽に読める入門書を書いてほしい」という執筆依頼が、著者の飲茶さんのもとにきたことがきっかけで書かれたものである。
その通り、何度も哲学の本に挫折してきた私にとって、まさにうってつけの本であった。
哲学の本では用語や概念が抽象的でイメージが湧かず、挫折してしまうことが多い。
これまで”入門”という謳い文句に惹かれ数々の初学者向け哲学書を読んだが、実際読んでみると、明らかに丸腰で挑める代物ではないものが多かった。
その点、本書では卑近な具体例に落として説明してくれるため理解に苦しむ部分が一切なく、サクサクと読み進めていくことが出来る。
また本書は、わかりやすさが売りの入門書にありがちな内容の"ペラさ"が無いところがすごい。
ペラい本では、「ソクラテスは紀元前のギリシャの哲学者で、『無知の知』と言った。それは、こういう意味だ」というような感じで、事実の羅列に終始し、深みがないというか、読んでて全然面白くないといったことがよくある。
本書では、このような事実の羅列に終始せず、哲学思想が生まれた背景や、前時代の哲学思想とのつながりがきちんと説明されていて、物語性を感じることが出来る。
特に秀逸だと感じたのは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり 」という言葉が生まれた背景についての説明である。
私がこの言葉に初めて触れた高校の倫理の授業では、
「世の中のほとんどの物事の存在は疑おうと思えば疑えるが、そうやって疑うという思考を行っている自分自身が存在することは疑うことができない」
みたいな説明を受けたと記憶している。
当時は「なるほどなぁ。でも、そもそもなんで、こんなこと考えたの?」と、いまいちしっくりこなかった。
本書の以下の説明を読んで「そういう背景があったのか」と納得できた。
もともと、それまでの哲学といえば、いろんな哲学者たちが「オレはこう思う」「いや、オレはこうじゃないかと思う」と自分勝手に主張し合っているだけであった。だから哲学者ごとに、いろいろな「○○主義」や「○○説」ができてしまい、哲学は、数学や科学のように統一的な学問としては成立しなかったのである。だがそれでは結局、哲学なんて「人それぞれの勝手な考え」ということになってしまう。 そこでデカルトは、哲学も、数学と同様に、「誰もが正しいと認めざるをえない確実なこと」をまず第一原理(公理)として設定し、そこから論理的な手続きで結論を導き出すことで哲学体系をつくり出していくべきだと考えた。そうすれば、今まで、人それぞれだった哲学を、誰もが同じ結論に達し、「誰もが正しいと認めざるをえない唯一究極の哲学」へと進化させることができるはずである!
本書は次の4つのパートに分かれている。
- 第一ラウンド 真理の『真理』 -絶対的な真理なんてホントウにあるの?
- 第二ラウンド 国家の『真理』 -僕たちはどうして働かなきゃいけないの?
- 第三ラウンド 神様の『真理』 -神は死んだってどういうこと?
- 第四ラウンド 存在の『真理』 -存在するってどういうこと?
各パートごとに、時系列に沿って有名な哲学者とその思想を順番に解説していくというスタイルである。
先ほども述べた通り、前時代に登場した思想を次の時代の哲学者がどのように発展させたかという、思想の発展の流れを意識した説明になっている。
そのため、バラバラの知識ではなく、体系的に理解できたという実感が持てる。
「第○ラウンド」という表現になっているのは、格闘技漫画「グラップラー刃牙」の熱烈なファンである飲茶さんが、本書のコンセプトを「より強い論を求め、知を戦わせてきた男たちの情熱の物語」としているからである。
実際、表紙のデザインは刃牙の作者である板垣恵介さんが担当している。
私は刃牙は全く読んだことがないので、読み始めた当初「あんまり刃牙押しが強いとしんどいなぁ」とビビっていたが、中身にはあんまり関係してこないので安心した。刃牙好きの方にとっては物足りないか。
著者の飲茶さんについて。
東北大学大学院卒業後サラリーマンをされていたそうだが、脱サラして起業したとのこと。
本書の他にも、『哲学的な何か、あと科学とか』『哲学的な何か、あと数学とか』などの著書がある。
ブログをやられていてこちらもかなり面白い↓。