山間部の集落で一日にドーナツ100個を売ることから始める、シンプルな田舎暮らしが生み出した小さな地域活性化【いろんな街で捕まえて食べる】 (original) (raw)

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(撮影:宮沢豪)

5年前に佐渡島でたまたま知り合った友人が、移住2年目にして唐突にドーナツ屋を始めたという話を人づてに聞いた。しかも山間部、なんなら山奥といっていいような集落でだ。大変失礼ながら、そこだと常連客はタヌキくらいではと不安に思ってしまったが、オープンから4年目に突入し、今も順調にドーナツを揚げているようなのだ。

そもそも彼はなぜ佐渡に移住したのか、そしてなぜドーナツ屋をやることになったのか、そしてそれが成功している理由はなんだったのか、じっくりと話を伺ってきた。

この立地でドーナツ屋ってどういうことだ

まず大前提として、佐渡島がどんなところなのかという話をするが、離島といっても中心部の大通り沿いは、大型家電店やスーパーマーケット、各種全国チェーン店が立ち並ぶ、よく見かける郊外の地方都市。そしてそこにはミスタードーナツも一軒ある。飲食店を出すのであれば、フェリーターミナル周辺か大通り沿いが基本だろう。

だが友人である米山耕(よねやまたがやすと読む、なんと本名)さんが店を構えたのは、バスが通る県道沿いではあるものの、中心部から車で30分以上はかかる佐渡南部の山間部に立つ、古民家で営む蕎麦屋の一角だ。ここでドーナツ屋さんである。

位置関係が分かりにくいので、地図にまとめてみました。茶色い印が店のある場所

f:id:tamaokiyutaka:20200402014918j:plain羽茂大崎という集落の蕎麦屋「ちょぼくり」に併設された、右側の出っ張った部分が彼の店

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隣はガソリンスタンド、向かいは小型スーパーでもあるJA羽茂大崎営業所なので、集落の中心地ではある

f:id:tamaokiyutaka:20200402015314j:plain店の横にバス停があるのだが、一日に上りが2本、下りが2本。バスで行くのはおすすめしない

f:id:tamaokiyutaka:20200402153031j:plainたまたまその貴重なバスを見かけた。利用客が少ないため車両がバスから大型タクシーになったそうだ

もう一度書こう。ここでドーナツ屋さんである。

店の名前は「おいしいドーナツ タガヤス堂」。地元の有志が営むお蕎麦屋さんの一角を借りて、彼は3~4種のドーナツとコーヒー、そして少々のグッズ(手ぬぐいなど)を販売している。

開店準備中の店の前に立つと、甘く、優しく、温かい香りが揚げたてのドーナツから漂っていた。ついニコニコしてしまう空気に店全体が包まれている気がする。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015133j:plain店主の米山耕さん。映画のセットじゃないですよ

f:id:tamaokiyutaka:20200404173527j:plain支払いは石のお金なのかな?

ドーナツを求めて島中からお客さんが集まっていた

取材日は3月14日(土)で、たまたまホワイトデーだった。

さすがに冬の営業は厳しいからと2か月間休んで数日前に再オープンしたタイミングということもあってなのか、どこからともなく次々とお客さんがやってきて、うれしそうにドーナツを買っていく姿が、なんだかとても不思議だった。

この風景、どこかおとぎ話みたいなのだ。

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10時の開店前から人が並んでいた。最初に並んだお客さんに話を聞いたら、孫が喜んで食べるからと、会いに行く途中でここのドーナツをよく買っていくそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20200402015103j:plain二人目のお客さんは島内の中心部からで、後述する近くのパン屋さんとセットで、車で30分ほどかけて買いに来ていた

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本日のラインナップは、右からプレーン(90円)、きび和糖(100円)、ホワイトデー限定のチョコ(150円)。通常の日は、レモンやラムなどのグレーズド(シュガーコーティング)が日替わりで並ぶ

この日は土曜日だったこともあり、島内でもちょっと離れた場所からわざわざ来ている人が多かったようだ。そこに近くで道路工事をしている人、トラックのドライバー、営業車で移動中の会社員なども加わってくる。

タガヤス堂の存在が島内でしっかり認知され、ちょっとした手土産として、ドライブの目的地として、運転や仕事の休憩として、ドーナツの輪が広がっているのだ。観光シーズンともなれば島外の方も多いとか。

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ある女性客は新潟から遊びに来ていた親戚を連れて車で40分以上かけて来ていて、「一山越えてでも食べにくる価値があります」と教えてくれた

耕さんが佐渡へ来た理由

店主の耕さんは、ドーナツとも、そして佐渡島とも、まったく無縁だった生活から今に至っている。ちなみにこの連載で以前紹介した(こちらの記事)若き米農家の伊藤さんの近所に住んでいて、二人は漫画の貸し借りをしたりする友達だ。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015344j:plainドーナツが足りなくなると、店の裏にある厨房で仕込みを始める。ワンオペなので、そのタイミングで来てしまったら「少々お待ちください」となる

そんな耕さんは新潟県長岡市の出身で1988年生まれの31歳。東京の大学では文化人類学を専攻。今も民俗学に興味があり、好きな作家は柳田国男や宮本常一。大学卒業後は新潟に戻り、国際芸術祭である「大地の芸術祭」のスタッフを経験後、障害者福祉関係の仕事に就職。

2015年に退職し、地元に戻ったタイミングで、新潟市にある北書店という本屋の佐藤店長から「もうすぐ佐渡でハロー!ブックスっていう本のイベントがあるよ」と教えてもらったことで、彼の歩んでいたレールは進む方向を一気に変えることになる。

ハロー!ブックスとは、佐渡の山奥にある川茂小学校という廃校を利用して年に一度行われていた、本をテーマにしたイベントである。なぜか私はそこで佐渡産小麦粉を使った製麺ワークショップをしていた。

f:id:tamaokiyutaka:20200402020353j:plain川茂小学校。廃校なのでイベント期間以外は誰もいない

米山耕さん(以下、耕):「ハロー!ブックス実行委員長の田中藍さんがかき氷屋をやっているから、とりあえず行ってみたらって。話を聞いた次の次の日くらいに、寺泊航路(現在は廃止)で赤泊(佐渡南部の港町)に渡って。佐藤店長に『赤泊から歩いていけますかね?』って聞いたら、『いけるんじゃない?』って言われていたんですけど、行ってみたら交通機関がまるで無い。とにかく歩いていこうと道を尋ねながら、ハロー!ブックスの会場である川茂小学校についたんですけど、なんにもやってなくて」

――うん。確かにハロー!ブックスの会場だけど、基本的に廃校だからね。今調べたら、港から川茂小学校まで7キロ弱。確かに歩けないことはないだろうけど、よく歩きましたね。

耕:「近くの酒屋さんで尋ねても、この辺にかき氷屋なんてないっていうし」

――かき氷屋があるのって、5キロくらい離れた別の廃校(大滝学舎)でしょ。そこは事前に確認しようよ。

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実行委員長の田中藍さん。ハロー!ブックスの打ち上げにて

耕:「ハロー!ブックスの会場近くだと思っていたんで……。それで郵便局で聞いたら、かき氷屋の場所はわかるけれど歩いたら遠いよって。日帰りのつもりだったので、これはもう無理だと、港に戻ることにしたんです。そしたらたまたま郵便局にいた方が『藍ちゃんの知り合いなら、送っていくよ』って、車で送ってくれて」

――藍さんには、会いに行くっていう連絡をしていたんですか?

耕:「してません」

――さすが。

耕:「それで無事に会えて、お話をして、手伝いに来ますって。ハロー!ブックスの前後一週間ずつ佐渡にいました」

f:id:tamaokiyutaka:20200402020434j:plainハロー!ブックスのスタッフとして働く耕さん。この線の細さが伝わるだろうか。丸眼鏡はきっとドーナツへの伏線だな

――それまで佐渡に来たことはあったの?

耕:「大昔に家族旅行で一回きたくらい。新潟県人ってあまり佐渡を意識しないんですよ。だから全然佐渡のことを知らなかったです。それで佐渡に2週間いて、綺麗な入り江とか案内してもらったり。イベントが終わってから藍さんとかといろいろ話して、『住んじゃう?』っていう話になって。行く当てもないので、いいかなと思って。ハロー!ブックスが9月で、10月頭には佐渡に戻ってきました。着の身着のまま。それが5年前の秋だから26歳かな」

――引越すといっても、佐渡だと仕事はそんなにないですよね。

耕:「柿もぎのバイトがあるよとは言われました」

――佐渡といえば、おけさ柿。

耕:「バイトのない日は、当時、同じように佐渡にいた人が考えた『佐渡でやりたいことリスト』を一緒に消化したり。隕石が落ちた跡を見に行くとか、大盛りカレーに挑戦するとか」

――いいなー。佐渡暮らしを満喫だ。

耕:「でも移住者向けの一時的な住居に住んでいたんですが、4月にそこを出ないといけなくなって。春からは知り合いの家に居候させてもらったり、軽自動車で車上生活を3カ月くらいしたり。実家帰れよって話なんですが」

――本当そうですね。

耕:「そのときはすごく辛かったです。田んぼの水路に水を流すバイトがあって、その当番をやっていたから帰るに帰れない。その日の雨量とか稲の育成具合で流す量を変える、けっこう責任重大な仕事だったんですよ。自由時間が長くてよかったんですけどね」

本人もまったく想像していなかったドーナツ屋さんへの転身

――そんな辛い生活から、どういう経緯でドーナツ屋になったんですか。まだ全然話が見えませんけど。

耕:「夏になって、小木(佐渡南部のフェリー乗り場がある街で観光客も多い)にある日和山(ひよりやま)というカフェでランチとかの手伝いをしているときに、大阪からドーナツ屋だというおじいさんが来て、店の一角を貸してくれと。夏の大阪は暑すぎて粉物が売れないし、前から佐渡が好きだったからここでドーナツを売りたいとかで。あたりきしゃりき堂という、当時から大阪で人気の店だったんですが、佐渡でも大人気になって」

f:id:tamaokiyutaka:20200403132945j:plain大阪からドーナツ屋さんがやってきた、小木にある日和山というカフェ。現在はタガヤス堂のドーナツを使ったメニューがあったりなかったりする。また北書店の姉妹店である南書店も併設されている

耕:「ドーナツ屋はすごく忙しいんだけど、こっちのランチは暇だったので手伝っているうちに、『君もドーナツ屋やったらええんちゃう?』っていう話になって」

――耕さん、他人からの軽いノリで人生が変わっていきますね。

耕:「僕もそう思います」

――よし俺も店をやろう!ってなったのは、師匠のドーナツを食べて感動したからとかですか?

耕:「あんまり記憶にないんです。美味しいなとは思ったと思うんですけど」

――別に前からドーナツが好きだったという訳でもない?

耕:「そうですね。流れのままに。こんなんでいいのかなって思いますけどね。自分が店をやるなんて全然想像ができなかったんですけど、『じゃあ9月過ぎからな』って。それで店先に『9月から羽茂大崎の新店舗でやります』って張りました」

――展開が早い!

耕:「やりなよって言われてから、開店まで1カ月無かったと思います。急いで保健所で許可をとって、9月末にオープンしました。この店の場所は、もともと師匠(ドーナツ屋のおじいさん)が、ちょぼくり(蕎麦屋)が好きでよく来ていたので、佐渡で店をやるとしたらここって考えていたみたいです」

f:id:tamaokiyutaka:20200403133416j:plainあご(トビウオの焼き干し)を使った出汁が印象的な、手打ちの十割蕎麦がちょぼくりの名物。ドーナツを持ち込んで食べてもOK

――ここ!って思わなかったの? ここだよ!

耕:「ここって道沿いだし、車が止めやすいし、かなりいい場所だなと思います。意外と車の通りがあって、仕事に行く人とか、ダンプの運転手が買ってくれたり。それに自分の家からも近いし(後述するが車上生活はギリギリで卒業)」

――あー。言われてみると確かに良い立地なのかも。なんというか風通しがいいですよね。でもここでドーナツ屋をやると決めた判断は、やっぱりすごいと思います。

耕:「ちょぼくりは名物の蕎麦を食べられる場所として、10年くらい前に地元の有志が出資してできた店で、その一人である三十郎さん(伊藤さんに米づくりを教えた仙人みたいな人)の口利きでスムーズに借りられました。他の人も、成功するとは思っていなかったけれど、『まあいいんじゃない?』って始めさせてもらった感じですね」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015803j:plain店の近くの田んぼにトキがいた

耕:「前はバス停の待合室として使われていて、カウンターとかは三十郎さんに作ってもらい、フライヤーは出世払いで師匠から譲ってもらったので、初期費用はあまり掛からなかったです」

――一般的なドーナツ屋のイメージとはかけ離れている店だけど、耕さんのドーナツ屋としては最高の雰囲気だと思います。師匠はそれが分かっていたんですね。

師匠から習ったつくり方をベースに、新しい味を試している

――ドーナツのつくり方は、小木の日和山で手伝いながら習ったんですか。

耕:「習うっていうほどでもないんですけど、3回くらい教えてもらったかな。ミックス粉なんで、誰でもつくれます」

――3回!それで店を始めてからは、最初からひとり?

耕:「そうです。いきなりひとりですね。一応師匠の仕事は見ていたので、接客のやり方とかは、ああこうすればいいんだなっていうのは分かったんですけど」

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黄身も白身もこんもりと盛り上がった見事な卵は、遺伝子組み換え飼料を使っていない鶏が生んだ県内産の卵。素材しかこだわる部分がないからと、材料費は惜しまない

――店のオープンは耕さんが佐渡に来て、ちょうど1年目ですね。そういえばその年のハロー!ブックスで、なぜか耕さんが屋台でドーナツを売っているっていう噂話は回ってきました。ドーナツは回ってきませんでしたが。あれがプレオープン的な出店だったんですね。ドーナツ屋をはじめてすぐお客さん来ました?

耕:「それが師匠が夏にやっていた店の流れでお客さんが来てくれて、けっこう最初から。とにかく店をはじめる準備でてんてこまいだったから、先のことを考える余裕もなかったし、とりあえず始める。お客さんが来てくれるから、来てくれた人数に合わせてドーナツをつくる。だんだん最近ペースが分かってきたかなって思います」

――夏の営業がそのまま宣伝になったんだ。師匠さまさまですね。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015425j:plain師匠が配合した国産小麦粉のミックス粉に、卵、水などを混ぜて生地をつくる。加える水の温度が隠れたポイントだ

耕:「最初はとにかく教えてもらった味を、まずうまくできるようにならなきゃっていう気持ちが先にあったので、プレーンとキビ和糖だけ。しばらくしてから、5が付く日にゴマのドーナツを出すようになりました。この3つは習った味ですが、今日のチョコとか、レモンやラムのグレーズドは今年から勝手にやり始めた感じです。師匠の考え方的には、店を持ったらその人のものだから、好きにしろと言われています」

◎今日のグレーズドドーナツは、レモン、ラム、黒糖ミルクです。 pic.twitter.com/WWu75YuL2z

— おいしいドーナツ タガヤス堂 (@tagayasudonuts) April 3, 2020

――この店はその師匠がオーナーではなく、あくまで耕さんの店なんですね。フランチャイズチェーンみたいに、売り上げの何割とか、毎月の看板代とかを師匠に渡す訳でもないんですか。

耕:「そうです。なんていうんですか、食い扶持をつくってくださった人。師匠は期間限定で今も佐渡に来て、小木の日和山だと人がたくさん来て忙しいからと、さらに不便な場所で店をやっています」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015439j:plainパコンパコンと無添加の菜種油でドーナツを揚げていく。握力がついたこともあり、前よりも厚みのあるフンワリしたドーナツがつくれるようになった

――人生でドーナツ屋になるって思ったことはないですよね。

耕:「まったくなかったですね。想像も考えたことも。喫茶店はやりたいなって思っていましたけど、店をやるって特別な人しかできないって思っていたんです。ちゃんと何年か修行して、開店資金のお金を貯めて」

――自分では店が成功すると思っていた?

耕:「思っていなかったです。師匠の見積もりだと、90円、100円のドーナツが一日100個売れたら1万円くらいの売り上げ。利益が半分だとして一日5000円の粗利。週休二日で月に20日働ければ10万円。とりあえず月10万あれば佐渡でなら生きていけるだろうっていう感じで」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015455j:plain油が古くなってくると揚げている自分が気持ち悪くなるからと、早めの油交換を心掛けている。その繊細さが軽い口当たりの秘訣なのかも

――一日1万円の売り上げで暮らす生活、分かりやすいですね。

耕:「開店費用を借金して月にいくら稼がなきゃとか、キュウキュウと考えなくていいのはすごいありがたいことだなと思います。実際は店の家賃とか包装代が掛かるんで、もうちょっと必要ですけど、ちゃんと生活できています。もう4年目になりました」

――立派なことだと思います。でも毎年なんだかんだで耕さんと佐渡で会ってますけど、去年、一昨年くらいは、げっそりと疲れた顔をしていた気がします。

耕:「一人で全部やれるのは店の良いところなんですけど、なんか頑張り具合が分からなくて。宣伝になるからとイベントにも出店したり、すごい頑張っちゃったりして、最初の一、二年はずっと疲れていましたね。求められるまま、できるだけ応えなきゃってずっとやっていて。そのあたりの力の抜き方がようやく分かってきました。まだ難しいですけどね」

――定休日はなにをしているんですか。

耕:「火曜、水曜が休みなんですけど、たまった洗濯をしたり、のんびりするかな。一昨年までは田んぼや畑、藁細工などもやっていたんですが、体力的にパンクしちゃって。今は本を読んだり、新潟に遊びに行ったり、ゆっくりするようにしています。夏になると日が長くなるから、閉店後に海水浴をしたり。リフレッシュになります」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015149j:plainお客さんが途切れたタイミングでコーヒー(400円)を注文したら、尾道の友人が焙煎したという豆を粉にするところからつくり始めて驚いた

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豆に合わせた適温のお湯で、一杯ずつ丁寧に抽出する。店で出すコーヒーに力を抜く気はないらしい。すごくうまい

例えば東京で飲食店を始めようとすると、まず店の設備費に加えて保証金や敷金が必要だし、高い家賃や広告費も必要になってくるので、毎月の売り上げ目標は何十万、あるいは何百万。失敗した場合のリスクも大きい。

それが耕さんの場合は、とりあえず一日にドーナツ100個、1万円分が売れればどうにか生きていけるだろうというスモールビジネスでのスタート。それは地元の方に受け入れられて、応援されているからこそのビジネスモデルではあるのだが、こういう形での田舎暮らしが実現可能なのかと、目から鱗がポロポロと落ちてくる。もちろん大変なこともたくさんあっただろうけど。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015220j:plainドーナツは余計な要素が全くなくて、初めて食べる人もどこか懐かしいと感じる味。店の雰囲気、耕さんの人柄、ドーナツの味、すべて繋がっている

近所にこういう店がもっと増えればいいのにと耕さんは話してくれた。確かにドーナツではない何かを売る、タガヤス堂のような個性をもった店があと何軒か近くに存在すれば、この地域がぐっと活性化するだろうなという気はする。

実際に、近く(といっても車で10分くらい)のパン屋「T&M Bread Delivery SADO Island」に話を伺ったら、耕さんのドーナツ屋ができたことで、パン屋とセットで遠くから来てくれる人が増えてて、とても助かっているそうだ。

確かにタガヤス堂へ買いに来ていた何組かのお客さんに話を聞いただけでも、2組がこの店に行くといっていた。ちょぼくりで蕎麦と一緒にドーナツを食べる人も多い。なかなかの相乗効果である。

f:id:tamaokiyutaka:20200402022359j:plainアップルパイが人気のT&M Bread Delivery SADO Island 。営業は金曜と土曜のみ。アンパンがうまかった

f:id:tamaokiyutaka:20200403170809j:plainニューヨーク出身のマーカスさんが焼くのはハードタイプのパン。耕さんが揚げるフンワリとしたドーナツと、対照的な組み合わせなのだろう

店を続けることで見えてきたもの

――店を3年以上続けてどうでしたか。漠然とした質問ですけど。

耕:「この場所にいるからこそ、見えてくる景色や人の動きがあるっていうのがおもしろい。猫を連れて犬の散歩をするおばあさんがいたり。それがあるからここに来たっていう訳じゃなくて、ただいるから見えてきた変化。店の前に野菜の無人販売所ができたり、それもうれしいですよね。ちょっと地元に貢献できた感じがして」

――このドーナツ屋が人を呼んでいるからこそ、野菜を売ってみようかなとなったんですもんね。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015743j:plain耕さんが一日8時間、人生で一番見ている景色。録音したインタビューを聞いていたら、鳥の鳴き声がたくさん入っていることに気が付いた

耕:「ここが大崎に対する、自分の窓なんです。家にいたら誰とも会わないじゃないですか。店をやるまでって接点がなかったんですよね、大崎の方と。今は店に毎日立っているんで、顔を向こうも覚えてくれるし、こっちも覚える。紅葉になったり、トキが飛んでいたり。飽きはしないですね。ここでしか見られない風景をみているのが、自分がここでやっている一番の、なんというか、ご褒美というか、価値だなって思うんで。ここでやっている意味はあるなって」

――最初は日帰り、そして二週間、それからお試しの移住を経て、いつの間にか店を持って4年目ですか。佐渡の暮らしがここまで長くなった理由って、なにかありますか。

耕:「うーん、なんだろう。やることやっていたら出られなくなった感じが。店をやってからのほうが随分長くなりましたね。店があるとちょっと気軽に出れないというか。もしやめるにしても、けじめをつけないといけないし。お世話になったことに対して、なにか残せるものはないかなと思うので、しばらくはやるつもりですけどね。やりたいこともあるし」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015727j:plainつくった分は当日に売り切るスタイルなので、閉店時間の17時を前に店じまいとなることも多い

――正直、ここまでお客さんが多いとは思いませんでした。

耕:「楽しみにしている人が多いことが分かったんです。冬休みをしばらくもらってから戻ってきたら、地元のおばあちゃんとか『長い間見えなくて寂しかった』っていってくれて。それが一番ありがたいですね。野菜くれたり、気に掛けてくださって。うれしいですね。店を始めてから大崎にさらに愛着が湧いてきました」

f:id:tamaokiyutaka:20200402015956j:plainこの看板は営業中が「◎」、閉店時間は裏返して「終」とする予定だった

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だが「終」の看板を見た地元のおばあさんが、「お店をやめてしまうのか」と心配したため(確かに最終回っぽい)、裏返すことはやめたそうだ

耕さんを佐渡に呼び込んだ田中藍さんの話

こういう話は本人以外からも聞くことで、立体的に見えてくる。そこで耕さんを佐渡に引き寄せた張本人である、田中藍さんにも当時の思い出を伺った。

f:id:tamaokiyutaka:20200402015632j:plainそりゃもう楽しそうに耕さんの話をしてくれた田中藍さん

田中藍(以下、藍):「耕くんねー。北書店の佐藤店長が、私に会いに行きなよっていったんでしょ。それで〇〇さんから電話が掛かってきて、『青年が会いたいって歩いてきたんだけど、連れて行っていい?』って。アポなしでコワ!って思った。名前もヨネヤマタガヤスだし。それ本名?って。それで会ったのが2時過ぎで、4時の船で帰るとかいっていたから、帰りは車で赤泊まで送っていったのよ」

――本当にアポ無しだったんだ!

f:id:tamaokiyutaka:20200404020842j:plain結果的に恩人となった北書店の佐藤店長。2015年のハロー!ブックスより

藍:「第一印象は、昭和初期からタイムスリップしてきた人。今もずっとそのまんまだから。なにやってんのみたいな話をしたら、仕事を辞めて、特になにもないっていうから、これからハロー!ブックスで忙しくなるから手伝いに来たらって。そんな感じで来ちゃったんだよね」

――藍さんから、ハロー!ブックスのときに耕さんを紹介されたのは、なんとなく覚えています。新潟から手伝いに来てくれた若者がいるんだよって。

藍:「ポヤンとしていたでしょ。全然ポヤポヤしていた」

――そう、確かにポヤンポヤンしていた印象がある。なんというか今よりも体の線がさらに細くて、骨が細い感じ。

藍:「でも文字を切るっていう作業をひたすらやってもらったら、根気強くずっとやっていたから、なかなかすごいぞと。ひとつのことを黙々とやり続ける才能はある。それでハロー!ブックスが終わって、なにもやることがないのならば、佐渡でね、若いし、なにか、どうって。あはは、なんと無責任なことをいったんだろう」

――あはは、じゃない。

f:id:tamaokiyutaka:20200402020418j:plainハロー!ブックスの展示で、耕さんが切り抜いた文字

藍:「でもほら、柿もぎの仕事があるから、それもできるじゃんって。藁細工も勧めたね、後継者がいないから。なにもやらないよりはね。農家の手伝いをしながら、冬は藁細工をやってっていう計画を言ったような気がする」

――ちょぼくりの横でドーナツ屋をやるって聞いて、正直どうでした?

藍:「佐渡でドーナツでしょ。それも大崎のちょぼくりで?って。ちょっと心配だよね。周りの人たちが反対ムードになりそうだなっていうか。こんなとこでできるはずねえっていう人がいっぱいでてきそうだなって」

――実際は反対するでもなく、大丈夫かよって思いつつ見守ったみたいですね。

藍:「でもなかなかだよ。日和山のある小木(フェリーの発着所で、たらい舟の体験施設などもあり、観光客もそれなりに多い)じゃないっていうのがおもしろすぎる。すごいチャレンジャーだなって。佐渡の人からしても、あそこかーって。バス停だったところでしょ、一日に数本のバス停。いやー、耕くんはすごいよ。佐渡に住んでいても大崎に来たことがない人っていっぱいいるけど、そんな人がドーナツを買いに来てくれるもん」

――耕さんを誘ってよかったですね、佐渡に。

藍:「佐渡の人から見ても、よかったんじゃない。いいんじゃないの。なかなかのことをやってくれたんじゃない。山の中で、希望がね。山奥でも美味しいものがあれば、佐渡中から人が買いにくるみたいな現象は、島の人だけじゃなく、移住とか田舎暮らしを考えている人にとっても、明るい希望を与えたんじゃないかな。みんなの希望だよ。なんとかなるんだーって」

f:id:tamaokiyutaka:20200403170259j:plain閉店後、丁寧にフライヤーの掃除をする耕さん。小さいことの積み重ねが、あの味をつくっているのだろう

耕さんの住まいがすごかった

ところで耕さんが軽自動車で三カ月間も車上生活をしていた話をサラッと書いたが、その補足をさせていただこう。

わざわざ車に住まなくても、知り合いの家でどうにか居候をしていたときに、三十郎さんから住んでもいい空き家を紹介してもらっていたのだ。風呂こそないが、なんと家賃無料である。

ただ、その時は佐渡生活の先が見えないし、いろいろと辛い時期だったので、その家を掃除する気にもならなくて、荷物置き場としてだけ利用していた。結果、軽自動車での車上生活だったのである。

その家がこちらだ。

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ジャジャーン

というのは冗談だ。

ここはその家の離れで、住居スペースにはちゃんと屋根も壁もある。開かずの間もあるらしいが。

ちょっと入らせてもらったところ、それなりに年季は入っているけれど、説明しづらい格好良さがある居住空間になっていた。なんというか、耕さんの家らしい家。

f:id:tamaokiyutaka:20200402020028j:plainつくろうと思ってもなかなかつくれないスペースだ

――ちょっと、最高の家じゃないですか。

耕:「せっかく三十郎さんが家を用意してくれたのに、なかなかちゃんと住もうとしないから、心配した藍さんが『人が泊まりにくれば掃除するよ、ハロー!ブックスのお客さんを耕くんの家に泊めることにしたから掃除しなさい』って。それでようやく大掃除をして、住み始めた感じです。おかげさまで」

――じゃあ日和山でドーナツ屋さんと知り合ったころかな。耕さん的には、激動の時期だったんですね。

耕:「電気は来ているんですけれど、ガスはないからカセットコンロで料理しています。今はなかなか減らないカレーを5日間食べ続けていて。このフタ、ひっくり返すとまな板になって、超便利なんです」

――羽釜用だ!

f:id:tamaokiyutaka:20200402020042j:plainここでいきなり矢で打たれても、まな板にもなる厚いフタがあれば防げそうだ

f:id:tamaokiyutaka:20200402020058j:plain手づくりだという机もまた味わい深い

耕:「これでもちょっとずつ整えて、住みやすくなってきました。でも収納はもうちょっと上手になりたい。よくぶつかるんで、いろんなものに。建物は結構広いんですけど、そのうち半分は入れない開かずの間です。冬は寒いですね、かなり。でも薪ストーブはあったかいです。Tシャツでもいいくらい」

――いわゆるスローで不便な田舎暮らしは、望むところなんですかね。

耕:「自給自足に近い生活をしたいなって想いはあったんですけど、そこまでしっかりできないっていうのが、だんだんと分かってきた。薪割りとか局所的に好きなのはあるんですけど、生活全体を自給自足する力が自分にない。暮らしを整えていく作業ができない。それを自覚してからは、もうちょっとこう人並みの生活をしようと思って、炬燵を導入したりとか、ファンヒーターって超便利だなって。すぐあったかくなるし」

――諦めるところは諦めて近代文明を使おうと。耕さんは得意と不得意が、人よりもはっきりしているタイプなのかも。それで自分の中にある得意分野が、ドーナツ屋という仕事にうまく結びついているのかな。

耕:「一人でやるのが好きなんで、個人店っていうのが良い形をもらったなって思います。一回やってみたら、ドーナツ屋じゃなくても、別な形でもできると思うし」

――こうして佐渡に流れてきて、正解でした?

耕:「うーん、そうですね。そう思います。今、結果オーライというか。流されて、流されて。最近、流されているだけだと、もし苦しいことになっても、誰も助けてくれないって分かったんで、どんなに流されても、手綱というか、舵は自分で持っていないといけないなって思いました。人のせいにしがちだけど、してもどうにもならないので」

――流れは誰かがつくってくれるかもしれないけど、そこでどっちに進むかは、あくまで自分で決めるべきだと。でも、これまでも、大事なところではそうしてきたんじゃないかな。今はどっちに舵を向けていますか。

耕:「今は……美味しいドーナツをもっとつくろうという気持ちが強くなっています。だから、また食べに来てください」

f:id:tamaokiyutaka:20200402020129j:plain趣味は家の前でする焚火

米山耕という名前、近所に住む米農家の伊藤竜太郎さんと逆じゃないかとよく言われるそうだが、彼もまた自分がたどり着いた場所をゆっくりと耕して、しっかりと実らせている。

耕さんは初めて会ったときに比べて、独特の繊細さやこだわりの強さはそのままに、どっしりと大地に根を張っている感じがした。

もし佐渡の山奥でラーメン屋をやるとしたら

耕さんのインタビューをした翌日、佐渡島内のとあるキッチンで、佐渡産小麦粉を使ったラーメンを一緒につくって遊んだ。ドーナツとラーメン、小麦粉つながりである。

私がもし佐渡に移り住んで、耕さんのように山奥でラーメン屋をやるとしたら、どんな味にするかが裏のテーマ。一日に600円のラーメンを20杯売るところから始めるスモールビジネスのシミュレーションごっこだ。

f:id:tamaokiyutaka:20200402020213j:plain佐渡の農家さんが電動石臼で自家製粉している、ちょっと茶色い強力粉で麺をつくる

f:id:tamaokiyutaka:20200402020226j:plainこのように見た目が蕎麦っぽいが、味もちょっと蕎麦っぽかったりする

どうせなら佐渡らしさ全開のラーメンにしようということで、ちょぼくりの蕎麦と同じくアゴ(トビウオの焼き干し)をベースに、鶏ガラや香味野菜でとったスープを作成。味付けはシンプルに醤油のみ。

具はスープと一緒につくった煮豚と佐渡産の季節野菜、そして岩海苔をトッピング。仕上げに米油でつくったアゴオイルを垂らしたら完成である。

あっさりしているけれど、風味が強い個性的なラーメンができたと思う。きっと佐渡でも老若男女に大人気。でも原価と手間を計算したら600円だと出せないかな。私の人生が3つくらいあったら、その1つで試してみたいところだ。

f:id:tamaokiyutaka:20200402020238j:plainこのアゴだしラーメンは、ハロー!ブックスの製麺ワークショップで毎回つくっていたラーメンの進化版だったりする

一日1万円の売り上げから始める田舎暮らしのスモールビジネスは、ドーナツじゃなくても、もちろんラーメンじゃなくても、何でもいいのだろう。

例えばなんだろう。クレープ、シュークリーム、パンケーキ、ソフトクリーム、タピオカ、カレー、コロッケ、タコ焼き、たい焼き、ヘッドスパ、占い。あそこでドーナツ屋が成り立つなんて誰も思わなかったくらいなので、何が成功するかは分からない。

さまざまな偶然が引き寄せたドーナツ屋という耕さんの仕事だが、それをきちんと継続させているのは努力による必然の結果なのだと、じっくりと話を聞いて納得した。

世の中の状況が落ち着いたら、またタガヤス堂のドーナツを食べに佐渡まで行こうと思う。それまで待つ。きっとさらに美味しくなっているはずだ。

※新型コロナウイルス感染症の状況が落ち着くまで、島外からの来店は待った方がいいかなと思います。玉置

f:id:tamaokiyutaka:20200402020251j:plain耕さん、ありがとうございました

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