酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活 (original) (raw)

京成立石は懐かしい音がした。

改札を出てまっすぐ階段を下りると、商店街が現れてカーンカーンカーンカーンとけたたましく鳴る踏切が出迎えた。走り去る電車を追いかけるように今度はカンカンカンカンと倍速で鳴り始めると、反対側の電車が通り過ぎていく。

商店街は、子どもを後ろに乗せたたくさんの自転車が行き交っていて、お店の人とお客さんの声も聞こえる。昼から飲んでいたのだろう酔っぱらった大人たちの叫び声もアーケード内でよく響く。

そんな京成立石。2028年には高層マンションが建つらしい。

京成立石が苦手だった

京成立石に越してきたのは、21歳のころ。高校を卒業後、「3年で辞める」と決心して入社した食品販売の仕事をぴったり3年で辞めて、もう私は自由だった。

親元を離れて一人暮らしをしようか、どこか海外にでも行こうか。いっそのこと、どこか遠くで生活してみるのはどうか、と考えてから、職も決めずに東京へ行くまでは早かった。

土地勘が全くなかったので、何区がいいとか何線がいいとか、どんな街がいいとかも分からず、とりあえず賃貸サイトで「家賃このくらい」「オートロック」「2階以上」「築浅」「風呂・トイレ別」「コンロ2口」の希望を入れて出てきた物件を回った。

もちろん都心の物件がヒットするわけもなく、ギリギリ東京といえる場所の物件をいくつか回った中の一つに、「京成立石から徒歩5~6分」で希望条件にマッチした細長いマンションがあり、分からんけどここでいいか、と思いのほか簡単に初めての一人暮らしを始めた。

それがいけなかった。

駅からはどんなに頑張っても徒歩10分はかかったし、目の前に踏切があって、早朝から日付が変わるまで、カーンカーンカーンカーン、ガタンゴトンガタンゴトン、カンカンカンカン、ガタンゴトンガタンゴトンという音がひっきりなしに鳴っていた。さらに、近くに警察署と消防署があったので、何かあると目の前の大通りを、ウ~、ピーポーピーポーと忙しなく走っていた。

駅前は飲み屋が多いからか、酔っぱらった大人たちが商店街でひしめき合っていた。おしゃれなお店なんてなくて、最寄りのカフェはドトールかサンマルクで、おばさまおじさまの憩いの場として盛り上がっていた。

地元から友達が遊びに来ても、都心から立石は絶妙に遠いし乗り換えも不便だったし、家は踏切の音が鳴り響くから、眠りが浅い友達は全然眠れなかった様子で朝を迎え、その後来ることはなかった。飲みにも出ないから、「立石に住んでるなんて最高だね」という吞兵衛の羨望のまなざしも全くうれしくなかったし、不満がどんどん蓄積される。

「引越そう」と思うまでにさほど時間はかからなかった。引越し資金を貯めようとバイト先を探していたところ、偶然入った京成立石駅すぐ近くの創作イタリアンバーのトイレに、バイト募集の張り紙がされていた。

時給よし、駅から近い、シフトも自由。なによりまかない付き。そうなってからの私は、とにかく早い。

カウンターとテーブル席を合わせて20席ないくらいのこぢんまりとした店だったが、連日繁盛していた。平日の開店前からお客が並ぶほどで、そこから閉店までひっきりなしにお客がやってきていた。夏時期はオープンテラスのような店内スタイルになって、ときには路上に簡易的なテーブルと椅子を出して、店前に置かれた樽をテーブル代わりに立ち飲みシステムにすることもあって、ケラケラした笑い声やオレンジのランプの光が店からこぼれていた。

「今日ここが4軒目なんですぅ~」
「やっと立石に来られたんですよ!」
「この後は蘭州さんで餃子を食べて〆です」

せんべろ(1000円でベロベロに酔える)の地とも呼ばれる立石は、吞兵衛たちの間では聖地として親しまれていて、店に来る人たちは、やっと来られたのだから、今日はとことん楽しむんだという気概が見えた。そして本当にみんな、ベロベロだった。

常連のお客も多く、近所に住む人から、となり駅から来る人、わざわざ電車に乗って来る人、さまざまだった。そこで働いていると、京成立石に住んでいることは、なんだかよいように感じた。

気付いたころには、立石でベロベロだった

休日、バイト先のスタッフの人たちに連れられて駅前の立ち食い寿司「栄寿司」に昼から並んだ。ここは平日でも休日でも人の列がすごい。飲み物はビールとお茶のみ、大将が目の前でお寿司を握ってくれて、箸がないので手で食べる、写真撮影はNGという超江戸っ子スタイルだが、おいしいし安い。

ビールを数本空けた後は、商店街・立石仲見世へ。すぐ近くには、立石といえばの名店・もつ焼き屋「宇ち多゛」があるが、とんでもない行列ができているので、かまぼこ店に併設されている飲み屋「丸忠」へ行く。重いビニールのカーテンを開けて店内に入ると(常連じゃなかったら入りづらすぎる……!)、お出汁のいい匂いがする。日本酒だ。おでんを数種類と、もつ焼きを頼んで、小さめのテーブルをみんなで囲みながら、日本酒をちびちび飲んだ。トマトのおでんはすぐになくなった。

日本酒を何合飲んだだろうか、「次はおいしい焼き鳥屋があるからそこに行こう」と商店街を歩いた。お酒がそんなに強いわけではないから、頭はフワフワしていて、買い物帰りのお母さまが乗った自転車とぶつかりそうになってしまう。全体的にボーッとしているのに、感覚はクリアで、その日は特に踏切の音がうるさかった。でもなんだか嫌じゃない、酔っぱらったみんなと商店街を歩くのは、分からんけどなんかいいな。

「鈴ちゃん、東京は慣れた?」よくしてくれているスタッフのお姉さんが聞いてくれた。
「どうでしょう、たぶん慣れました」
「たぶんか~。でも楽しいところだよね」
「はい」

私にとっての東京、立石

結局、京成立石に6年住んだ。バイトは2年もたたないうちに辞めてしまったが、引越し資金として貯めていたお金は、飲み代に消えた。

仕事帰りは、「鳥房」から漂ってくる油の香ばしい香りにやられて若鶏の半身の唐揚げを夕飯にビール瓶を開けた。飲んできた帰り道には、ちょい飲みにちょうどいい「ブンカ堂」に寄って、コの字カウンターで隣のおじさんから人生について話を聞いた。「けんけん」という、おかゆが食べられるラーメン屋に中華がゆを食べに行く道中では、隣のおでん居酒屋「二毛作」でデヴィ夫人が大笑いしていた。

その後、かなり離れた所に移り住んだので、立石に行くことはめっきり減ったのだが、最近引越しをして、また立石の近くに舞い戻ってきた。行かない理由はない。久々に駅に降り立った。

といっても、2年半ほど来ていなかっただけなので、ノスタルジーに浸るなんてことはないのだが、駅を降りて早々、見知らぬ土地に着いた感覚に襲われた。駅が変わっている。

ちょっとでも「うわ~懐かしい」なんて気持ちになるかなと思ったら、再開発で駅は柵やフェンスで囲われており、改札を出て商店街に向かう側の階段が閉鎖されていた。いくつかの建物や店舗なんかも立ち退きや移転をしており、やけに見晴らしがよかった。

この再開発で、京成立石駅は将来的に高架化し、駅前には葛飾区役所と高層マンション、商業施設が建設される。住んでいた当時から知っていたけれど、少しだけ寂しさもある。

ちょっとした感傷に浸っていると、揚げ物のいい匂いがしてきた。「鳥房」だ。当時の感覚がよみがえってきて、「今日は若鶏の半身の唐揚げを食べよう」と店へと向かい、建て付けの悪い引き戸を開けて、おかみさんが案内した入り口近くのカウンターに座る。鳥刺しと半身揚げを頼んで、ビールをやる。

「鳥房」も立ち退き対象に入っているそうなので、この情緒漂うくたっとした店で半身揚げを食べられるのは、あと何回か。店内では、おかみさんたちがお客に聞かれたのか、再開発とか立ち退きの話をしている。移転先は決まっていないらしい。「こういうのがいいんだけどねぇ」なんて話が飛び交う中、お客がどんどん入ってくる。

ガラガラガラ、ガタッ。
「いらっしゃいませ~」
「あ、扉すいません」

建て付けが悪いから、お客が来るたび引き戸が外れて、隙間風が私の背中を冷やした。

「いいのいいの! そのままにしておいて~」

まっすぐなおかみさんの声が何度も飛び交った。半身揚げを箸で解体しながら、今日は冷えるなぁと思いながらビールを飲んだ。

その後は、かつてのバイト先へ向かった。そこも立ち退きで、私が働いていた当時とは別の場所に移転していた。あのころのオープンな雰囲気ではなくなったものの、席も増えて、おしゃれな雰囲気のステキな店になっている。

「あれ、久しぶり~」
「お久しぶりです。近くに越してきたんで、飲みに来ました」
「そうなんだ~! いらっしゃい、いらっしゃい」

よくしてくれていたお姉さんが笑顔で出迎えてくれた。こっちに移転してから、新しいメニューもたくさん増えたけど、いつも頼むカルパッチョと炙りレバー、ハイボールを頼む。あまりレバーは得意ではないが、ここの炙りレバーは格別。特有の臭みが全くないし、身がプリプリしていて永遠に食べていたくなる。

ハイボールがぐんぐん進む。お姉さんやオーナーと今何をしているのか、どこに引越したのか、仕事はどうだとか、2年半分のハイライトを話しながら、ぐんぐん進む。私自身は凪の2年半を過ごしたな、と思っていたけれど、こうして誰かに話してみると、変わらない部分を残しながらも、確実に変わっていた。

「駅、だいぶ変わりましたね」
「お店もいくつか移転したしねぇ。駅、商店街側の階段使えなかったでしょ?」
「はい。これからどんどん変わっていっちゃいますね」

しんみり、するかと思ったら「早く高架化してほしいよ」とお姉さん。どうやら、高架化の工事の影響で、いくつか道に規制がなされ、店の買い出しに使っていたスーパーからの近道が封鎖され、不便なんだとか。そりゃそうか。私はもう立石には住んでいなくて、観光客的な目で感傷に浸っていたけれど、ここで暮らしている人からしたら、生活が続くことに変わりはない。

おなかがパンパン、心も満たされた私は「また」と店を後にした。

駅に向かって歩いて行くと、カーンカーンカーンカーンと踏切がけたたましく鳴る。走り去る電車を追いかけるように今度はカンカンカンカンと倍速で鳴り始めると、反対側の電車が通り過ぎていく。自転車に乗ったおじさんがチリンチリン、と私を追い越していく。別の店で飲んでいた人たちが、次はどこに行こうかと相談しながら歩いている。

久々に外で飲んだ帰り道、忘れようにも忘れられない、懐かしい音がした。

著者:田中鈴

田中鈴

1992年生まれ。編集者。趣味は映画鑑賞、猫を撫でる。キャンプにハマりつつある。

編集:岡本尚之