suzume blog (original) (raw)

予定を立てて実行する

今まで当たり前にできていたことなんだけど

ここ最近暑さのせいか仕事で疲れていたせいか

本当に何もやりたいと思えなくなっていた

疲れていると、何かを計画を立ててやる

そんな事すらものすごくハードルが高く感じる

例えば友達と連絡を取って日程調整してお店を選んで・・

今までウキウキした気分でしていた事すら面倒に感じてしまう

でもたくさん休養を取って

やりたい事だけをやるリスト(やる事リストではなくて

やりたい事リストというのが重要!)を作り

その中でも、どうしてもやりたい事を一つやってみる

ほんの少しだけ気合を入れて一つ実行してみると

何かの流れが変わる気がする

そしてその流れに乗ってしまえれば

また以前のように色々な事が上手くいくように

なっていく

誰が何と言おうとどうしてもやりたい事

たぶんそれがきっかけになる

勿体ない、とか無駄、とか色々な雑念は湧くけれど

自分の直感を信じて動くと自分が喜び自分の脳も喜ぶ

きっかけは人それぞれだけれど

自分の意志を尊重する事は

無意識レベルで自分を元気にしてくれるみたいだ

ネットによると脳は寝ている時にその日あったことの記憶の

保守作業(定着や廃棄)をしているらしい。

今朝、夢かもしれないけれど

寝ている時の脳の状態を一瞬見てしまった気がする

あまり熟睡できていなかったのかもしれない

でも目覚める瞬間に

昨日あった仕事での感情作業?が

まるでスライドショーのように流れていたのだ

一瞬感じた同僚への微妙な思い

思い返せばあまり流して良い事ではなかったけれど

あまり事を荒立てるのもどうかと思い

その場では笑って気付かないフリをしていた

同僚は仕事でミスをしていたのであるが

それについて

「自分もおかしいと思ったけれど〇〇さんがそう言ったから」

とさらりと言っていた。

ミスは誰でもするし〇〇さんが誤指示を出したのは

自分も知っていた。

だけどなんとなく暗に

「だから自分は悪くない」

と言っているのを感じて嫌な気分がした。

だけどその場ではそれについては特に反応せずに

そのまま流していた。

仕事なので一緒に働く人を嫌いになりたくない

できれば気持ちよく仕事をしたい

だから何かあっても目をつぶる

そんな事でその人はわりと問題が多いけれど

できるだけ目をつぶって平常心を保つようにしていた。

昨日も自分の中では忘れたはずだったのだけれど

脳の中では何かひっかかっていたようで

その瞬間がスライドショーのように出てきたのだ。

自分は覚えていても不快であるし、自分も楽だから忘れる

と決めた記憶も脳は流してはいけないと記憶を廃棄ではなく

定着させる作業をしていたようだ。

気持ちと脳は同じかと思っていたが

脳は独立しているのかもしれない。

そして自分の脳を信じて楽だから流す事を

少しやめてみようと反省したのだ。

朝、駅に向かう道を歩いていた。

すると道端でそれぞれ飼い犬を連れた飼い主さんたちが

話し込んでいた。

朝の犬の散歩かな。

と思いながらなんとなく彼らを見ていた。

通り過ぎる時ふと気が付いた。

飼い主同士もたぶん犬を連れていなかったら

話をしないだろうと思われるほど共通点が無かった。

そしてそれ以上に犬たちがそうだった。

片方はまだ若い中型犬。

もう片方は若干お年をめしているのかなと思われるような

おばあちゃん犬。(もしくはおじいちゃん犬)

そういえば連れている飼い主に雰囲気がそれぞれ似ている。

とにかく犬同士も飼い主同様に共通点が無いのだ。

それでも飼い主同士はお散歩の友達なのかなんやかやで

立ち話をしている。

しかし犬たちをよく見てみるとそれぞれが別方向に

行きたがってリードを精一杯反対方向へ引っ張っているのだ。

人間と同様に犬にも相性があるのだろう。

そして友達になれる犬もいればその反対もいる。

ある意味人間と同じで人間よりも正直なだけなんだ。

犬ならどんな犬でも良いというわけではないのだ。

犬たちからそんな事を学んだ朝の時間であった。

ちなみに飼い主さんたちはそんな犬たちの気持ちを

知ってか知らずかまだ話続けそうな雰囲気であった。

生まれて初めてIPOに参加してみようと思う。

まあ株投資自体も今年から始めたばかりなのだけど。

自分には以前から目をつけていた会社がある。

もしその会社が上場する際には投資をしてみたい。

そう思って当初は銀行でしよう思っていたNISAも

どうせなら株もいつか買うかもしれないとネット証券で

始める事にしたのだ。

残念ながらその会社はまだ上場しないようであるが

その会社に資金提供している会社の株を買う事で

間接的にその会社を応援などしている。

とにかくもしその会社が上場するのであれば、

自分の思いを証明する?ためにもきちんとした金額を

投資してみたいと思っている今日この頃である。

そんなこんなでIPOなのだが、

自分から見てかなり手堅いと考えられる会社が

このたび上場するとのこと。

正直とてもメジャーな会社なので既に上場しているもの

かと思っていた。

ただ株主優待などは自分は興味ないので

もし既に上場していたとしたら

買おうとは考えていなかったと思う。

あえて言えば、今回初めて上場するから

その理由だけでなんとなくやってみようか、

そんなテンションで参加を考えている。

ただかなりの大型案件なので抽選で外れる可能性も

高いと思われる。

IPOはどうやら割安の価格が設定されるというのが

通説のようなので、初値で価格が上がり利益が確定したら

すぐに売るのを目的とした投資家も多いらしい。

自分もそんな器用に売買できるか自信が無いが

なんとなく試しに挑戦してみたい気になり

今回ブックビルディングというものをしてみようと思う。

あまり成長性は期待できないような事がネットには

書かれているけれど、明日以降情報を集めながら

参加するかどうか最終決定しようと思う。

最近面白い本を読んだ。

「どうせいつか死ぬのなら〇〇したい」

の〇〇に入る言葉で

その人の人が分かるというものだ。

確かに、と納得してしまった。

どうせいつか死ぬのならものすごく美味しいものを食べたい。

どうせいつか死ぬのなら思う存分お金を稼ぎたい。

どうせいつか死ぬのなら世界中を旅してみたい。

どうせいつか死ぬのならひたすら楽しく生きたい。

思えばいつかくる老後や困った事態(?)にそなえて

みんな働いたり保険に入ったり貯金をしたり。

そんなこんなであっという間に時間が経っている。

そして以前自分が予想していた老後になったとしても

既に今が老後である事に気が付かず

またもやいつかくる老後にそなえて

ひらすら頑張っている。

確かにいつかは老人にもなるし困った事態にもなるだろう。

だけどひたすらその時のためだけに

むしろその困った事態の時のためだけに

今のこの時を使うのはどうなんだろう。

でも仕方ないじゃない。

だっていつか△△の時がくるんだから。

そんな考えももちろん理解できる。

思えば物心ついた時から、いつかくる△△のために

そなえる人生だった気がする。

中に入る△△は受験だったり試験だったり就職だったり

その時どきによって変わってはいたけれど。

もちろんそなえた事で上手くいった事もある。

それほど苦労しなかったと思える事もある。

だけどもし同じ人生が送れたとしたら

同じ事はしないかもしれない。

ひたすらそなえて頑張って獲得した△△は

実際に得てしまえばたいして欲しい物ではないと

気が付いてしまったから。

いつかのため、誰かのため、ではなくて

今自分が本当にやりたい事をするのが正解なんだと思う。

死はいつかではなく確実にもしかしたら次の瞬間に

やってくるのかもしれない。

それならばそなえる人生はそろそろ終わりにして

自分に正直に生きてみるのも良い気がする。

昨日の帰りの通勤電車で。

座れたので、すごく疲れているわけではないけれど

なんとなくいつもの癖で音楽を聴きながら目をつぶっていた。

どこかで「カンッ コンッ カンッ コンッ」

という音が響き渡っている。

自分もそこそこ大きな音で音楽を聴いているので

結構大きな音だと思われる。

電車の不具合なのか。

社内も混んできたので前に立つ人で周りを見渡す事が

できないもののそれでもその音は定期的に続いている。

自分と同じように音の出所を探る人も何人かいるようだ。

電車が揺れた拍子に斜めの座席がチラッと見えた。

どうやら小さい男の子が座りながらけん玉をしているようだ。

人が見ているとか音がとか、そういう大人の事情?なんか

お構いなしに傍目からも分かるくらい集中して

一生懸命けん玉をしていた。

それでもまだ始めたばかりなのか4回くらい続けて玉を

乗せられても必ずその次を失敗してしまうのだ。

だから「カンッ コンッ カンッ コンッ」で

毎回音が切れて少し経ってからまた

「カンッ コンッ カンッ コンッ」

が始まつていたのだ。

音の出所も分かりなんとなく微笑ましい気持ちになった。

それからはあまり音は気にならなくなったが

なんとなく「カンッ コンッ カンッ コンッ」

をただ聞いていた。

自分の降りる駅近くにまで来た時に

「カンッ コンッ カンッ コンッ」から

「カンッ コンッ カンッ コンッ カンッ コンッ カンッ」

に変わっているのに気が付いた。

どうやら彼は5回目の壁を見事克服し今は7回まで

続ける事が出来るようになったらしい。

自分の降りる駅に到着し

なんとなく様子を伺った男の子は

相変わらず集中しておりとても楽しそうだった。

上手く表現できないのだけれど

子供っていいなと思った。

最近、会社のchatの事で嫌な噂を聞いた。

どうやらchatの会話の内容が上司に公開されているらしい、

という事だ。

上司といっても課長や部長以上とのこと。

自分の周りには仲が良い?課長がいないために

実際のところは分からないのであるが、

それでも「このchatの内容、もしかして漏れてない?」

と感じる事が時々あるのだ。

ちなみに別の会社に勤める課長をしている知り合いに

聞いてみたが、その知り合いは特段連携されていないとのこと。

でも会社によって変わるのかもしれないから全く油断はできない。

そんなこんなで、逆にそのシステムを使用して

バレていると気付かないフリをしてあえて仕事の不満を

chatで話しているというツワモノの友達もいる。

上司に面と向かっては言えない仕事上の不満や悩みを

ギリギリ誰かの悪口にはならない程度でぼやき程度に

同僚と個人的なchatで話しているという。

そうすると意外と速やかに不満の元が解決に向かうと

言っていた。

偶然にしては即対応され過ぎているので

たぶん上層部が読んでいるのだろうとその友達は言っていた。

自分はまだそこまで器用に使いこなせていないのであるが、

まずは「この会話は公開されているのだ」という前提で

chatを使うという事から最近始める事にした。

気が付かないうちにSF小説の監視社会が

既に自分の周りでも始まっていたのだ。