湊あくあ回想録 英雄に憧れて (original) (raw)

まえがき

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湊あくあはこの活動が終わることを意識していた。あるいは前向きにすら捉えていた。オリジナル曲『未だ、青い』には「夢が終わっても君がいるなら、理由になるならそれでもいい」という旨の歌詞がある。ここで言う「君」というのは過去の自分のことであり、また今の変容した自分のことでもある。つまり大切にしていた自分(の中の何か)が理由になるならVTuberとしての歩みを止めてもいいし、またVTuberとして成長した自分がいるなら歩みを止めても大丈夫という決意を持っていたのではないだろうか。この歌詞から彼女の心情を完全に理解するのは難しいが、少なくとも彼女は終わりを想定したことがあり、終わっても大丈夫な何かを手にしていた。

湊あくあが引退するという事実は、確かに私にとって青天の霹靂だった。しかし運営との方向性の違いや軋轢というのは以前から言っていたことなので何故か不思議とすんなり受け入れられた。また個人的には進退を賭すほどの尊厳を持って活動していたというのは彼女らしいと思ったし、引退という最悪な出来事の中でもいくらか綺麗な終わり方ではないかと思う。

「彼女らしい」という部分をもう少し深掘りしてみたい。『未だ、青い』を制作する過程で湊あくあと打ち合わせをした作曲者のじんは、彼女を「すごく純粋に感じた」と表現した。これには私も深く首肯する部分があった。まさに引退理由となったように、清濁を併せ呑んで器用に生きるようなことが出来ず、自分の信じた道しか選べないような純真さが彼女にはあった。記憶に新しい「第4回VTuber最協決定戦」への参加もそうだった。少なくないネガティブな反応も予見され、既に安定した立場を得ている彼女が無理をして参加する必要も無さそうに見える中、自分が「必要だ」と思ったから周りを説得して参加に至ったのだ。不必要な苦労を背負いそれでも真っ直ぐに進むところが、彼女の純粋さの源泉であり不器用な部分でもある。だからこそ彼女は「風の強い日を選んで走ってきた」と歌う『Funny bunny』に励まされ、猫又おかゆの「世渡り上手なところ」に憧れたのだろう。

湊あくあの物語性

湊あくあは物語ることも好きだった。いわゆるオタク語りとも言うようなやつで、「あのアニメのこのシーンはこのキャラがこういう想いを持ってて行動してて、それが堪らないんだよね!」という風によく話していた。そういった感性はVTuber/アイドルという道を行く、非常に物語性の強い自身の人生に対しても発揮される。湊あくあ5thLIVEはそれが顕著に現れた音楽ライブ配信だ。

このライブは「ひとりぼっちだった自分(湊あくあ)が仲間を獲得しライブに挑む」という物語調で展開していく。これはぼっちでコミュニケーションが苦手だったという自認がある実際の湊あくあ及び中の人の話であり、自身の人生を横断したかのような成長物語になっている。仲間を獲得していく過程で1人1人と手を繋ぎそこからライブシーンに入るという演出があるのだが、これは彼女自身が考えたものであり手の繋ぎ方一つとっても細部への拘りが凄い。

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先達である白上フブキとは引っ張ってもらうように。プライベートでも仲の良い猫又おかゆとは寄り添うように。今まではいくつかの接点を持ちつつも関わりが深くなかった兎田ぺこらとは「これからよろしく」という意味での握手であったりと実際の関係に寄せ、絵が不得意ながらも自分で絵コンテを描いて作ったものだ。湊あくあはそうやって物語るのである。f:id:suzuno229X:20240829014536j:image

湊あくあの画力は元々このレベルだ...。

ただでさえVTuberと物語性という危うい組み合わせは強い引力を放っており、更に本人から物語へとパッケージングされて表出されるのであれば私も最後くらいは語ってみたくなってしまった。というわけで、私から見た湊あくあの半生を思い返し記録に残してみよう。

実はこの記事は2020年6月にホロライブの無許諾配信が問題となり、所属メンバーの配信アーカイブの多くが消失してしまったときに備忘録として書き始めたメモに加筆を加えたものだ。エンタメとして提供される人格を物語化し消費するというあまりに非道徳的行為に耐えられなくなったり、そもそも書くのが面倒くさくなって放置してるうちに4年も経ってしまった。4年前に書いた記事なので4年前までの出来事が中心になってしまうが、現在の湊あくあを確立するのに重要な時期だと思っているので形にはなっているはずだ。

2018年8月〜2019年3月 夢で高く飛んだ

VTuberブームが起きて暫くし、3Dから2Dへとブームが遷移する中、湊あくあは2018年8月にホロライブ2期生としてVTuberデビューを果たした。カバー株式会社が2DVTuber配信グループを立ち上げると発表した時は話題になったもののその後の「ホロライブ」はあまり軌道には乗っておらず、どういう風にVTuberを扱い、どういう風に活動するかといったロールモデルも少なかった。そのため一口にホロライブメンバーと言っても活動内容も個々人でバラバラで、同じ2期生でもデビュー日が1ヶ月以上離れた人がいたりとあまりグループや同期での連帯感は強くなかった。仲が悪いわけではないが、全員が人見知りであり中々距離が縮まらない。"コミュニケーション強者"の代表格として知られる大空スバルも当時はメンバーと上手く仲良く出来ず、入る場所を間違えてしまったと悩むこともあったそうだ。部外者から見ればそういう距離感や大人しさも微笑ましいものではあったのだが...。

そうしたゆるっとしたグループの中でも湊あくあは人一倍やる気があった。ホロライブデビューへ向けた説明会に参加した際には1人だけ沢山質問をしていたりと、同期からは真面目な人間という印象だったそうだ。確かに過去の配信履歴を振り返ると、配信タイトルが過剰装飾的で興味を惹こうという所謂YouTuber的なものが多くガッツが伺える。ごく最近も「今だから言える」ということで昔はアナリティクスとにらめっこをしてどうすれば伸びるかを考えてたと語っていた。

湊あくあ本人も言っていたように、当時のホロライブにはゲームに熱心なメンバーがあまりおらず、PUBGやLeague of Legends等の対人ゲームのやり込みを得意とする彼女は他のメンバーと接する機会を上手く作れずにいた。半ばネタ的にではあるが当時は自身を「ソロライブ所属」と称していたことからもわかるように、自他ともに認める"ぼっち"ではあったのだろう。

それもあってか湊あくあはゲームを通じてホロライブ外のVTuberと交友を広げて行った。元から友人であった神楽めあは勿論、大好きな漫画家であった犬山たまきや、あにまーれの宇森ひなこや稲荷くろむ。にじさんじの鷹宮リオンや、湊あくあの形成に大きく影響を与えた椎名唯華も忘れてはいけない。今ではお馴染みのあてぃしという一人称は彼女から影響を受けたものだ。

湊あくあが3期生以前は1期生もゲーマーズも同期のような感覚が強いと言っていたように、私は前述した他グループ(や個人)のVTuberにも彼女と同期的な感覚を覚えている。

元々2DVTuberブームはにじさんじ1、2期生が火付け役となり、あにまーれやホロライブ等のその時期に設立されたグループや大量に増えていった個人VTuberにじさんじの影響を少なからず受けての潮流だった。しかしどのグループも内部でコラボをするには充分にメンバーがおらず、グループを越えたコラボが気軽に行われることが多かった。にじさんじ1,2期生はグールプ内で完結することが多く、また後デビューしたにじさんじSeedsやゲーマーズとはあまり関ることがない方針で、ホロライブ3期生以降はある程度VTuber活動のロールモデルが出来つつあり完成されたグループとしてデビューすることが多かったので、この間の世代は壁が薄くぼんやりとした連帯感のようなものがあった。彼女がこの辺りにデビューしたVTuberと特別交流が多いのはそうした理由もあるのだろう。

そうして湊あくあはゲーマーとしての印象をどんどん強めていく。スマブラでVIPを目指したり、PUBGで勝利するまでの耐久配信を行なったり、苦手なマリオ等の2Dアクションへのチャレンジをしたり、今までの女性VTuberではあまり見られなかったチャレンジングな企画やゲームプレイで魅せるスタイルが確立していった。

12月31日、湊あくあに大きな影響を与え、転機ともなる年末ホロライブという配信が行われた。今ではお馴染みとなっているが最初はまだどんな企画をするかも決まっておらず、取り敢えずみんなでスタジオに集まって楽しく遊んで年を越そうというくらいの配信だった。当時の彼女はオフコラボなんてまずすることがなく、このような仲の良さが必要とされるような配信に参加するのは大きな勇気が必要だっただろう。数ヶ月後、彼女はこの配信を本当に楽しかったと振り返った。「年を越す時にみんなで手を繋いでジャンプをしたけど、凄く繋いだ手が温かかった」「私はやっぱりホロライブが大好きなんだ」と。グループ内での立ち位置を見つけられずにいた彼女が初めて、ホロライブメンバーと距離を近づけた配信だった。後に大空スバルも彼女がオフコラボに参加して驚いたことを語っていた。また大神ミオはデビューした直後だったにも関わらず、運営が参加を呼びかけるも中々手が上がらない状況を案じて「ホロライブが盛り上がればいいな」と参加を決めたと語っており様々な想いが交錯した、やる側にとっても見てる側にとっても特別な配信だった。f:id:suzuno229X:20240831014444j:image

2019年に入るとメンバー同士の交流も活発になり、ホロライブはどんどん盛り上がりを見せていく。湊あくあは年末ホロライブをきっかけに「勇気を出して色んな人をコラボに誘ってみよう」と決心したこともその流れの中にあったことは間違いない。今でも語っている「慰安旅行で枕投げをすること」という夢は、この頃に抱いたものだ。是非とも今だからこそ実現を願いたい。

そしてコラボが増えたことと並行して、高難易度ゲームであるダークソウルのプレイがウケて湊あくあは自身の人気を確かなものにした。今では彼女の代名詞ともなったAPEXにハマったのもこの時期だった。

2019年4月〜2019年8月 逆光の夏

4月5日、湊あくあはデビュー前の猫又おかゆに配信外で「しぃしぃの(椎名唯華)の妹だよね...?」と話しかけ夜通し会話をしていた。今でも新人へコミュニケーションの取り方が安定しない彼女の行動としては中々考えられない。不思議な縁だが猫又おかゆは湊あくあを語る上で重要な人物だ。人見知りだった彼女にとって猫又おかゆはホロライブで最初に緊張しないで話せるようになったメンバーで、猫又おかゆと大空スバルはまだ友達が少なかった頃から凄くお世話になったと語っている。2人で何度も難しい問題に向き合ってきたことから彼女は猫又おかゆとの関係を「エモ」と表現している。恥ずかしながら私も2人の関係を全く同じような思いで見ていたので、彼女からその言葉が出てきた時は驚いた。しかしそうしたことは猫又おかゆは全くピンと来ていないようで、またあくまで配信外の話がメインなので視聴者にも伝わっているのかはわからない。湊あくあの視線はメインストリームとは言えないが強い説得力や独創性を持っており、私は彼女のそういった部分に強く惹かれたのだ。

ここからの湊あくあの活動はどんどんと勢いを増していく。日本だけではなく北米や中国でも人気を博しミーム等も沢山作られ、登録者数も増えていきホロライブで2人目の3D化を達成する。今までの彼女からは考えられない、大空スバルとプライベートで2人で遊びに行くという出来事もあった。大空スバルも湊あくあを語る上で重要な人物であり、「あいつがいたから変われた。あいつは本当にいい奴だ」と何度も本人の口から語られるほどだ。この頃の2人のエピソードで好きなのが、湊あくあが大空スバルに誕生日プレゼントを渡した話だ。スパイダーマンのゲームをプレゼントに選んだが、直接渡せず事務所に置いてきたというのが非常に彼女らしく私は好感を持った。

4月14日、私はこの日を湊あくあの最も充実した一日に数えたい。今では一大イベントとなったVTuber最協決定戦に臨み、結果は全く残せなかったが凄く楽しかったと本人は振り返る。大会が終わったのも束の間、ホロライブ内でスプラトゥーンコラボが募集されていたので我先にと挙手をしたそうだ。この頃のホロライブではスプラトゥーンが大ブームになっており、このゲームをきっかけに沢山の交流が行われることが多かった。元々は湊あくあや他ホロメン個人個人のファンで、ホロライブはチェックする程度だった私がグループとしてのホロライブにドハマりすることになったのは、この時期のホロライブは活動者達がとても楽しそうだったというのが大きい。そしてコラボに参加した後、夜には7万人記念で自身の活動を振り返ることになる。4月8日の3D配信が遥か昔に感じられるほど、この1週間ちょっとは毎日が充実していたそうだ。

7月23日、湊あくあとスクエアエニックススマートフォンゲーム『ラストイデア』のコラボが行われた。この時期からは所謂企業案件などの社外業務も増えていき、VTuber活動はれっきとした「仕事」の様相を呈していく。東京を中心としたイベントの仕事も増えていく中で、本人が何度も「ありがたいことに自分のファンは世界中にいるから、グッズ等の形で世界中に自分を届けられるようにしたい」という信念を語っている。私はこうした上辺だけでは済まない、具体的な信念を持てるのは彼女の大きな魅力だ。後に発売される美少女ゲーム『あくありうむ』はそれが1番大きな形で実現したプロジェクトなのではないだろうか。

7月25日、湊あくあは初めて活動休止をすることになる。登録者10万人を達成し力を入れていた24時間配信も成功させるも、増え続ける仕事と配信活動のバランスを取ることが難しくなったのが原因だ。この頃は名のしれたVTuberの引退が珍しいことではなくなっており、VTuberというのは脆い存在だというのがファンにまざまざと突きつけられた時期でもあった。私も湊あくあからの「大切なお知らせ」の内容が発表されるまでは緊張で何も手につかなかったことを覚えている。

しかし湊あくあはただでは転ばなかった。友人と話したり実家でリラックスしつつ、復帰配信では活動休止中に立てていた計画である『湊あくあと夏休み』を発表する。私はもし「湊あくあの配信で1番面白かったものは?」と聞かれたらこの企画の中で行われた一連のマリオメーカーの配信を挙げるだろう。

8月17日、湊あくあの動画の中で最も再生された歌ってみた動画『ダダダダ天使』が1周年記念としてアップロードされた。大天使あくあを自称し、メイドという設定を有しながらもメイド的な仕事が不得意な"ダメ"な彼女のパーソナリティとこの曲は重なる部分があり、湊あくあのアンセム的な存在となっている。設定的な部分の話をしたが、それだけに留まるものではないと私は思っている。この後に発表される初の初のオリジナル曲『あくあ色パレット』もダメな自分とそれを見守る人の関係に焦点が充てられており、「ダメだけど頑張っていて、愛される」というのは湊あくあ自身が大切にするパーソナリティの一つになっているのだろう。

ソロライブを称していたかつての彼女からは考えられないことだが、この歌ってみた動画では当時のホロライブメンバー全員分の合いの手が入っている。これは一人一人に参加をお願いしたわけではなく、ディスコードで全体に募集を募ったら自然と全員集まったそうだ。このことを彼女はとても幸福そうに語っていた。
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馬鹿らしいかもしれないが、私にはこうした湊あくあの姿は彼女の憧れる桐ヶ谷和人と重なって見えた。彼女はキリトの好きな部分として「孤高の存在だが、素敵な仲間に恵まれてまた仲間の為に強くなる」という部分を挙げている。デビューして上手く馴染めなかった彼女がどんどん友人を増やして行き自分の大切なパーソナリティになる、というのはまさに彼女の語ったキリトと同じ歩みを進めてるのではないだろうか。

私はこの頃の彼女の配信では「the last of us」と「Detroit the human」がとても気に入っている。これらのゲームをプレイする彼女はまさにゲームの主人公そのものに見えたのだ。特に「デトロイト」では選択肢によって自由にストーリーを進められ、誰を救うか見捨てるかも自分で決めることが出来る。セカイ系主人公のごとく究極の選択に迫られ、全員救うという困難な綺麗事を実現させようとする姿はゲームの主人公そのものだった。ヒーローに憧れた彼女は、ヒーローとして相応しい性質を持っていた。

2019年9月〜2020年8月 夢から醒めて

活動休止からの復帰以降は暫く安定し、充実た活動が続いていく。9月14日にはlive2Dが今の見た目へと換装された。同じイラストのはずなのに随分印象が違って見える。f:id:suzuno229X:20240828145139j:imagef:id:suzuno229X:20240828145144j:image

10月31日には引っ越しで2週間の休止をした。短い休止期間でも事情を知らないVTuberの友人からは「どうしたの!?」と心配され、「人の暖かさを強く感じる」と語っていた。とにかくこの時期はことあるごとに人の暖かさを語っていた彼女だった。

この時期はMinecraftのホロライブサーバーが閉鎖したり初めて大規模コラボを主催したり様々なこともあったが、やはり湊あくあのパーソナリティや活動というのはここまでで大分固まり、ここからは苦楽はあれど安定した活動が続いていく。もう少し後に実施された2周年記念ライブはその集大成と言えるだろう。

彼女自身も「もうソロライブと言われてもピンとこない」と言っていたようにホロライブ内外に友人はどんどん増えていき、最早この時期には顔が広い方とさえ言っていいくらいだった。12月5日には今では盟友とも言える紫咲シオンとディズニーデートという形で初めてプライベートで邂逅する。ここから2人はどんどん仲を深めて行った。同期であるこの2人が何度も関わりながらも中々距離が縮まらなかったのは、やはりどちらも人見知りだったというのが大きいのだろう。当時から2人は流し目でお互いをずっと見合っているような印象があった。紫咲シオンが2周年を迎えたときに彼女が送った手紙の「きっとシオンちゃんは私のこと危なかっしくて心配してるかもしれないけど、私もシオンちゃんのことを心配しているんだよ」というの部分はまさに二人の関係を表しているだろう。

2020年に入り、湊あくあは今年の目標を「ホロライブメンバー全員と話す!」と定めた。少し遡るが2019年7月7日にはホロライブ3期生がデビューしていた。3期生は今までのデビューとは少し雰囲気が違い、デビューから1ヶ月はグループ内での活動を主とし先輩とのコラボは禁止など様々な方針が決まってからのデビューだった。そういう事情もあってか湊あくあは「初めて後輩が入ってきた感覚」と話す。もちろんそんなグループに彼女からアプローチを書けるのは難しいことで、だからこそこの目標になったのだろう。

またホロライブの活動が大きくなったこともあり、3期生は初めて「ホロライブを見てホロライブに入ってきた」世代でもある。今では湊あくあとセットで"親子"として知られる宝鐘マリンは元から湊あくあが大好きだったこともあり、積極的にアプローチをし今では苦楽を共にする仲となった。しかしそうした仲になることは苦しい姿も見せることにもなってしまう。「かっこいい自分でいたかった」と憧れてくれた後輩の前で情けない姿も何度も見せてしまったことを悔やんでいたのは私の印象に強く残っている。

8月21日、湊あくあ1stソロライブ「あくあ色すーぱードリーム」が行われた。そこで歌われたのはどれも湊あくあが心の底から愛した曲だった。最後に初めてのオリジナル曲である「あくあ色パレット」が初披露された時は、紫咲シオンが同時視聴で感極まっていたように私も名伏し難い感情があった。後輩は次々増えホロライブも加速度的に大きくなっていく真っ只中でのライブで、同じ時期には大規模な24時間配信もありとにかく色々なことが重なった中での1stライブだった。本人も何度も言っていたようにデビューしてからの2年間は本当に目まぐるしく環境が移り変わる激動の2年で、その集大成、ある種の区切りとしてこれ以上ないライブになっていたと思う。

同じく2周年記念としてアップロードされた歌ってみた動画『ワンルームシュガーライフ』は彼女が「無我夢中に走ってきたらあっという間だった」 と話したことを表現するかのうように彼女の大事なものが疾走感のある曲とともに流れていくMVとなっており、とても思い出深い動画だ。f:id:suzuno229X:20240828145901j:imagef:id:suzuno229X:20240828145909j:image

ライブが終わった後、大空スバルは湊あくあを「変わった」と嬉しそうに評していた。その配信では2019年4月に湊あくあが泣きながら「みんなで枕投げをしたい」と語った配信が凄く印象に残っているとも話していた。当時の2人は特段仲が良かったわけではなく距離を縮めている最中という感じで、その配信に大空スバルがコメントを残していたわけでもない。これは完全に裏でひっそりと動いていたことなのだ。当時大空スバルがどういう思いで湊あくあの夢を聞き、1年半が経ち互いに変化した立場からどういう思いで湊あくあの話をしているのかを想像すると私は胸がいっぱいになってしまった。

長く活動していると変わるものも変わらないものも沢山あり、しかし全てが愛おしく思えてくる。今回の引退によってまた湊あくあは大きな変化を迎えることになる。しかしそれでも湊あくあの人生は我々の見えないところで続いていくのだ。残ったものも新しく迎えるものも、どちらもまた彼女にとって大切なものになってくれると幸いだ。

終わりに

時間と筆力が足りず湊あくあを出来るだけ体系的に語ろうと思ったもののここまでしか書くことが出来なかった。スタートエンドと一緒に後輩の集まりに混ぜてもらって価値観が変わった話や、APEXのマスターチャレンジに熱中するあまり仕事を飛ばしてゲーム配信が嫌になったことなど、これ以降も印象深い出来事や好きな配信も沢山あるのだが、しかし「湊あくあ」という人物の大枠は最初の2年で大方形成されたのかな、と思う。これは私が昔の話ばかりしたがる老人というだけで、数年経てばまた違った見方になるのかもしれない。

これ以降は箇条書きの年表など別の形で記事にするかもしれない。残念なことにもう湊あくあの活動はもう更新されることもないので、これからもゆっくり思い出としてまとめていこう。後で出典と脚注つけるかも。