奥深沼はそこかしこ-アイドルオタクが野球オタクになった沼落ちブログ- (original) (raw)

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世の中には、数えきれないほどの「沼」が存在する。

今回の「沼」は、印旛沼とかそういう物理的な沼ではなくて、精神的な話。

(精神的という表現があっているかは微妙だが、あながち間違ってはいないと思う)

はじめまして。「塩味のXO醬」と申します。豆板醬と打たないとこの「醬」の文字が出ないことを、このブログ開設時に気付いた大学生(終わりがけ)です。

どうでもいいですね。

このブログがはじめての投稿なので、自己紹介にも近い話を書いてみようと思い至りまして、今回のタイトルをぶち上げました。

「アイドルオタクが野球オタクになりました」

は?????????

という感じですね。

おそらく5年くらい前の私(まだプロ野球の沼に気付いていない頃)が聞いたら言いそうな言葉ランキングぶっちぎりの第1位です。

野球に落ちた経緯について語る前に、そもそも何のオタクだったか。

何を隠そう、現在事務所名が変わるだのなんだのとバタバタしているあの事務所のオタクをしていました。今もしていますが。

ここから登場する方々は基本的に同時進行的に推して行きます。担降りという概念を知らないので、どんどん増えます。プラナリアかな?*1

はじめて「あっ、この人かっこいい」と思ったのは、

松本潤さん(嵐)

当時私は5歳頃。

ませてますねぇ。

入り口それかいって感じです。

茶店でモーニングを食べている時に偶然テレビで流れていた「花より男子」の再放送でした。かれこれ20年近く前なのにここまで鮮明に覚えているという時点で、それだけ当時の私が衝撃を受けたことが伝わるでしょうか。(早口)*2

「推し」という言葉を知らない当時の私は、「この人かっこいい」「好きー」くらいの軽ーいノリです。まさかそこから数十年という時を経て、大学生になった私が暮らす街の祭りに、騎馬武者行列で来るなんて夢にも思いませんて。

家康殿になるとか誰が予想できますかって話です。

それはともかく。

その当時「VS嵐」とポケモン*3が木曜夜7時という丸被り状態だったことから、私はポケモンを卒業、ここで一気に嵐のファンへの道を歩き出します。ポケモン卒業というだけでなんとなく大人になった気分になったものです。

また、小学校の同級生で嵐ファンを5人集めたら全員推しが違う、なんていう奇跡も起こりました。それ以降はそのメンツで遊ぶことが増えたので、嵐様々です。小学校卒業時にはそのメンバー+1人でプリクラを撮ったことも覚えています。

余談ですが、実は私の母も元々同事務所のファンで、アイドルオタクになる土壌はかなりしっかりしていました。ただ、「今まで行ったライブで一番印象的なのは?」と訊くと当時は「**ALFEE**」*4と返ってきました。今でも歌うと上ハモに進むのをよく見るので、高見沢俊彦様の力は偉大です。

閑話休題

そしてほぼ同時期(数年は誤差というガバガバ認識)に観ていた番組が、

関ジャニの仕分け∞

でした。真っ白なプシュー(多分炭ガス)を容赦なく顔面に吹きつけられる画が大好きでした。まあまあ鬼畜な小学生ですね(自覚あり)。当時「Qさま」も観ていたので、テレ朝さんで高確率でプシューを観ていた気がします。

そして気付いたらハマっていたのが

村上信五さん(関ジャニ∞)

なぜかまたしても紫。

∞さんは比較的全員を平等に推しているはずが、気付けばしっかり紫eighterに落ち着いていました。そしてこの頃、初めてCDを手にします。

嵐「5×10 ALL THE BEST 1999-2009」

関ジャニ∞関ジャニズム」

チョイスが独特。

これ、実はクリスマスプレゼントだったりします。ここで「Love so sweet」と運命の再会を果たした私は、それ以降なんやかんやでアルバムを年に各グループ1枚程度の速度で少しずつ買い始めます。

この後に一気に事務所全グループを調べ、一通り推した時期がありましたが、ここでは長くなりすぎるのでちょっと割愛。その中で特にターニングポイントとして取り上げるのは、

河合郁人さん(A.B.C-Z)

五関晃一さん(A.B.C-Z)

紫多いな!?!?!?!?

ちなみにNEWSは小山さん推しです。圧倒的紫。紫を担う人はある程度MCを回せる人じゃないといけなかったんでしょうか、と当時は結構本気で思ったものです。

そんな中で突如降臨した五関様。この頃から推し条件に「顔(ビジュアル)」、「賢さ(立ち回りの上手さなど、頭脳派とは限らない)」に追加して、「ダンスの華麗さ」が入った気がします。

この結果見始めたのが

「ザ・少年俱楽部」

です。ここで私が出会ったのが当時まだJr.として活動していた

松村北斗さん(SixTONES)

比較的頭脳派(だと思っている)。当時中学生の私がハマった理由は、

「顔」

ですが、それ以降はダンスの綺麗さに目が行くようになります。やはりこの頃からダンスへの情熱はあったようです。

それと同時に、「がむしゃらに頑張る人」が好きになります。逆に、カッコつけた結果ダンスで手を抜く人を拒むようになります。そして気付く。

関西ええな

俺が俺がの感じでガンガン来るあの雰囲気。大好物です。

そして人生を変える出会いもこの時期。

中間淳太さん(WEST.)

黄色文字って読みにくいですね。

今のアイドル界隈の最推し・中間さんに出会います。ここからアイドル界隈で推しが増えることはなく(強いて言えばグループ箱推しになった程度)、淳太君可愛いねしか言わないタイプの全肯定黄色ジャス民として歩んでいきます。桐山さん、同担として語り合いませんか?()

そして古めの曲をこよなく愛するやや厄介なオタクが爆誕するという流れです。BBVは正義。BBVの「BIG GAME」でどんぶり3杯行ける。分かりやすくB.A.D.担になったのもこの影響でしょう。「アメフリ→レインボウ」は教典です。

そして布教が成功、FC入会を果たした友人が連れて行ってくれたのが

「WESTival」

私の初めてのコンサート経験にして、生で推しに会うという経験です。当時高校1年生。なぜか予定が合わず平日にしか公演をさせてもらえないでお馴染み(?)、名古屋・日本ガイシアリーナです。

そして、初めて生で観た最推し・中間さんからファンサービスを頂いた奇跡の現場。

クレーンに乗った中間さんと「バチっ」と音がしたような気がする勢いで目が合い、フッと笑った中間さんから、ヒラヒラっとお手振りを頂きました。一応開演前に確認した限り、私の周りはなぜか重岡担が多く、同担はすぐ隣に座っていた友人のお母さまだけ。

これは確定ファンサでしょう。そのお母さまと「今の、今のは!!!あれは醬ちゃん(お母さまからの呼び方があだ名だったので、ここでは「醬ちゃん」と表記します)だよ!!!!」と大興奮できゃあきゃあしていたのを鮮明に覚えています。ちなみにスタンドトロッコで全然こちらを見てくれない悔しさから*5、喉が枯れる覚悟の全力で「**しげ!!!!!!!!!!**」と呼んだら振り返ってくれたのはかなり嬉しかったです。周りの重岡担の子たちのために一仕事しました。

この布教、実は母にも成功しており、つい4年ほど前に母がFC会員になりました。豪運*6の母は、すべてのLIVEのどこかしらの公演(ドーム公演含む)に参戦しています(復活当選・制作開放席含む)。名義1つなのに。

なんでや。運どうなっとんねん。

私もその運のおこぼれにあずかっているので何も言えませんが。

ちなみに唯一当たらなかった「W Trouble」はオンラインになり、結果として母は3公演、私は1公演参戦しました。ほんっとに運どうなってんの??????

そして、本題に戻ります。

人生の約4分の3を男性アイドルのオタクとして過ごしてきた女が、なぜ「プロ野球」という沼に気付いたのか。

そう、全てはコロナ禍のせい。

STAY HOMEが呼び掛けられた2020年。ちょうど大学生なりたての私(一人暮らし開始直後)。外に出られず、友達もおらず、時間が有り余っていました。

そしてなぜかYouTubeが勧めてきたのが、

パ・リーグTV」

でした。今思えば、あまりにも私のスマホYouTubeがいい仕事しすぎです。なぜなんの脈絡もなくそれを勧めようと思ったのか小一時間問い詰めたい。本当に。

そしてそこで見たのが、

大田泰示さん(当時F 現De)

なんやこの筋肉イケメンは!?!?!?!?

結構本気で思いました。

顔よし、スタイルよし、パワーあり、ムキムキマッチョからのキュートな笑顔、ヘッスラのような泥臭いプレー、バックホームのような強肩プレー、声が良い、そして顔が良い(2回目)。

推すしかなくない??????

そう思って、Google先生YouTubeに全力頼りして色々調べました。

既婚かーい!!!!!!!!

アイドルを推していた私にはなかった概念です。既婚だし、なんなら超きゃわいい娘ちゃんいる。高い高いした結果高すぎて奥さんが不安になるという「ごちそうさまです!!!!!!」なエピソードつき。とんでもねえイッケメンパパやないか...。

そしてほぼ同時期に、「パ・リーグTV」さんにおんぶにだっこ状態で見つけたのが、

金子侑司さん(L)

とんでもないイケメンを見つけてしまいました。

私は未だに彼を超えるドストライクなイケメンを見つけられた試しがほぼありません。全くとは言いませんが。だって最推し中間さんは殿堂入りですもん。

さらっさらな髪、方言や言動から定期的にあふれる関西感、飛ぶ帽子すら愛おしく感じるレベルで推しています。いよいよ末期感は否めません。「華麗奔放」も本屋で見つけ次第速攻で買いました。いつぞやの私は「来世はねこさんが笑った時の目のしわに住みたい」とか言っていました。こいつは頭大丈夫でしょうか。

結婚発表があった日には、仲のいい友人(偶然その日にアルバイトのシフトが入っていた)に結婚おめでとうプレート(抹茶ティラミス)を作って貰いました。その節は本当にありがとう。

お気付きの通り、色んなグループのメンバーをつまみ食い状態でアイドルオタクをしていたため、1つの球団だけを推すという行為が全く頭にない。私は、それ以降上記のお2人以外にも各球団に推しを見出します。結果、

多いな

推しが一気に増えました。沼って恐ろしいですね。

そんな中、私が特に入れ込んだのが、

明石健志さん

個人的に、愛をこめて「あかぴ」と呼んでおります。現在はホークスの二軍打撃コーチをされている明石さん。牧原大成さんのお師匠という認識です。あと登場曲がよい。Ms.OOJAさんはとても、とっても、よい(語彙力)。

ホークスとテレQさんとのコラボで発売された選手イラストのスマホケース、私は今も愛用しています。定期的に話題のネタに(年齢層高めの方だと特に)なるので、推しを愛でる以外にも重宝している代物です。

引退発表から引退試合までがあまりにも短かったこと、そしてその日帰省していた私は、台風直撃の可能性から福岡に向かうどころか家すら出られなかった、という悔しすぎるオチまでセットで一生忘れられないお方です。いつか筑後のタマスタでコーチしてる推しを拝むという目標のもと、社会人生活を送る所存です。

約5000文字で語ったおよそ20年の私の推し遍歴。文字しかない上に読みにくい部分もあったかと思いますが、ここまでスクロールをしてくださった皆様、最後までありがとうございます。

今後もたまに推しが尊い的な内容でつらつらと文章を書いたり書かなかったりするかと思いますので、気が向いたらのぞいていただけると幸いです。

それでは。