繁の野球子屋 (original) (raw)

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ピッチクロック

TVでメジャーリーグの試合を観る機会が多くなった。すると画面右下に今まで見たことのない数字が表示され、しかも刻々と動いている。「ピッチクロック」である。試合の迅速化を図る狙いでMLBメジャーリーグ)では2023年オープン戦から採用している。ピッチャーは走者がいない場合15秒以内、走者がいる場合18秒以内に投球しなければボールと判定される。実際にボールと判定される場面があった。確かに試合のスピードアップを担っていることは間違いない。

チャンネルを替えるとNPB(日本プロ野球機構)の試合が映し出された。MLBのピッチャーに比べ明らかに投球間隔が長い。20秒を優に越えるピッチャーも見受けられる。

プロ野球選手のTV解説者は日本野球の投球の「間の大切さ」を強調していた。相手との駆け引き、心理戦が野球の醍醐味であり、妙技であると力説している。それがベースボールと野球の違いだとでも言いたげな口ぶりである。残念ながらそこに最も重要な観る側の倫理は存在しないようだ。

バスケットには「ショットクロック」と呼ばれる24秒ルールがある。これは自分たちの攻撃権に移った時に24秒以内にシュートを打たなければ攻撃権が相手に移るというルールである。ベンチ・選手は素早い戦略の対応を迫られることになった。以前にも増してスピーディでエキサイティングな試合展開が目の前で繰り広げられることになった。このルールに一番喜んだのは勿論観客である。

プロスポーツである以上第一に考慮すべきは観客が退屈しないで楽しむことである。つまらない試合で観客がストレスを抱えて帰るようでは本末転倒である。観客ファーストがあり「show」が成り立つのである。

IOC国際オリンピック委員会)のオリンピック新種目を見ると「時間が短い」「ルールが分かりやすい」スポーツが好まれている。「時間が長い」「ルールが複雑」な野球は時代に逆行したスポーツになりつつあるのか。

「ピッチクロック」の採用によりバッテリー間のサイン交換も迅速に行わなければいけない。ピッチャーの肩・肘の回復時間に問題はないかなど選手のリスクも問われる。しかしスピーディな試合展開に不満を漏らす観客はいないだろう。バスケットやサッカーのように試合終了時間が分かりやすくなれば次の予定も立てやすいだろう。長い野球の試合途中で泣く泣く次の予定のために帰宅を急がなければいけない事も少なくなるだろう。MLBではピッチクロックの採用により20分以上試合時間が短縮されているというデータも出てきている。

「ベースボール(野球)離れ」は日米共通の悩みである。MLBはこうした状況を打破するためにルール改正にとどまらず、日本や韓国で開幕戦を開催するなど着々と世界進出を目論んでいる。ヨーロッパ各国、ドバイ(UAE)や上海(中国)などベースボール後進国ながら豊かな都市での市場調査はすでに開始し、各種大会などのイベントを開催している。

「ピッチクロック」は単なるルール改正ではなく、MLBの世界戦略の一つに過ぎない。

By佐藤 繁信

日本人初のメジャーリーガー

―マッシー村上氏の始球式―

ホテルから出てきたその人の凛とした立ち姿に圧倒された。私の想像した80歳の姿はそこになく、思わず「メジャーリーガー」と叫びたくなるほどであった。

「来週サンフランシスコに行くんだよ」とこともなげに話してくれた。

1962年(昭和37年)法政二高3年生の村上氏は大学進学を決めていた。当時スカウトに来た南海・鶴岡一人氏にプロ入りを断った。しかし「もし、南海に入ったらアメリカに行かせてやるぞ」のひと言に心を動かされる。翌1963年南海ホークスへ入団する。

1ドル360円、高卒の初任給15,000円、アメリカ往復は30万円ほどの時代である。

1964年(昭和39年)村上氏は渡米。SFジャイアンツ1Aフレズノで活躍する。この年の9月からメジャー枠が25人から40人に拡大したこともありメジャー昇格を果たす。そして9月1日ジャイアンツ対メッツ戦で1イニング無失点に抑えデビューする。ナンと20歳の日本人メジャーリーガ―誕生である。この年、9試合15イニングスを投げ防御率1.80と見事な成績を残す。2年目。南海は、メジャーリーグで通用する投手をそのまま海を渡らせるわけにはいかない。南海との二重契約を盾にメジャー行きを阻止する。夢の夢であったメジャーでの活躍など想像できなかった時代である。南海の迷走ぶりがうかがえるが話し合いの結果、少し遅れながらも渡米することになる。こうして2シーズン通算54試合に登板5勝1敗9セーブの成績を残している。

3年目。自信も深まり更なるメジャーでの飛躍を誓うところであるが、何とメジャーからのオファーを断る。これは入団時の口約束に過ぎなかった約束を守ってくれた恩師鶴岡一人氏への恩義から南海ホークスで日本プロ野球に復帰した。

2024年5月17日、SFジャイアンツの本拠地オラクルパークのマウンドに“マッシー”の愛称で親しまれた村上氏の姿があった。デビューから60年の節目でSFジャイアンツからの招待を受け、ロッキーズ戦の試合前、始球式を行ったのである。キャッチャーミットを見据える目の鋭さと左腕の振りは往年の雄姿を彷彿とさせる。見事というほかない。

野球の歴史やキャリアを残した選手に対する畏怖の念を忘れないメジャーリーグ。そこにメジャーリーグの懐の深さとおしゃれさを感じる。

1995年5月2日。キャンドルスティック・パーク(カリフォルニア州)のマウンドに喧騒の中、日本人投手が姿を現した。「裏切者」「わがまま野郎「無謀」」など数々のレッテルを貼られ日本を飛び出した26歳の若き野茂英雄投手である。この年、彼は13勝を挙げ新人王となり、オールスター戦にも出場した。彼は1年にして裏切者から日本の国民的ヒーローとなる。

「だれかがやらなければいけないことをやったまで」と野茂英雄投手はこともなげに言う。村上氏のメジャーデビューから実に31年の歳月が流れていた。

高い理想を掲げ前に進もうする若者を応援したい。全ての人が成功者にはなり得ないだろう。しかしたとえ結果が出なくともその勇気を称賛できる寛容さを持ちたい。

村上氏のアメリカでの60年後の始球式と野茂氏に対する日本のマスコミの扱い。日本人の変わり身の早さ刹那主義を思い、いつまでも埋まらぬ民度の低さを嘆く。

24/7/jun. By佐藤 繁信

NEW 2024.6.26 ひとり言「 ピッチクロック」を掲載しました。

“野球子屋”設立にあたり

【設立の目的】

子ども達を取り巻く環境は一昔前とは大きく異なってきた。公園で遊ぶ子ども達を見ても野球やサッカーなどで汗・泥まみれの姿にお目にかかることはめったにない。親子でのキャッチボールもしかりである。子ども達が公園に集まり興じるのはゲームに他ならない。

こうした環境を与えてしまったのは何を隠そうおとなである我々の責任である。

庄内の子ども達に元気になって欲しい。日本はおろか世界に通用する人材に育って欲しい。これまでの人生を振り返り、スポーツの原点(スポーツは楽しいものであること)、人生の原点(学ぶことの喜び)を野球指導を通し、微力ながら伝えられたらと思い設立する。

2018.3.9

【時代背景】

小・中学校の教師の働き方改革が叫ばれている。授業以外での負担が大きすぎるという背景がある。その一つが課外活動である。専門知識のない部活動の顧問となった時の教師のストレス、負担は計り知れない。外部指導者によるスポーツ少年団の衰退も著しい。少子化ばかりが問題とされるが、根本にはそれだけでは解決できない問題が山積している。原因は何であれ、最も大事な時期に中途半端な指導を受けざるをえない子ども達にとってこれは大きな悲劇である。専門的知識を持つクラブチームへ才能あふれる子ども達が加入することは自然の流れである。

【野球を取り巻く環境】

2007年からの10年間で約30万人いた中学男子の野球部員は12万人に減少している。野球部員減少の要因は「野球に最初に触れる小学生時代の親しみにくさ」「中学校での指導者の絶対的な人数不足」(朝日新聞より)などが挙げられている。さらに野球離れの主な要因として「親の負担」(高価な道具、土日の練習など)「勝利至上主義」「野球漬けの生活」「暴力・パワハラ」などが挙げられている。しかも日本の野球界は未だ精神主義・根性主義がはびこり、経験だけに頼る非科学的な指導が行われている。

IOC国際オリンピック委員会)のオリンピック新種目を見ると「時間が短い」「ルールのわかりやすい」スポーツが好まれている。「時間が長い」「ルールが複雑」な野球は前近代的なスポーツと捉えられていないか。

しかし、幼少期からの野球少年が今に至っているのは野球が「楽しかった」からに他ならない。その野球の持つ魅力、奥深さを子どもたちにも知って欲しい。

【結 論】

ゴールデンエイジと呼ばれる年代にしっかりとした人類普遍の物理・科学に基づく野球理論を指導することは必須である。小学生、中学生に「理論を教えてもわからない」「練習あるのみ」「走れ!走れ!!」は理論を知らない指導者の逃げ口上に過ぎない。野球理論に基づいた正しい体の使い方(投げ方・打ち方・走り方)を理解した上で子どもたちを指導したい。それが指導者としての責務である。

【活 動】

主に小学生と指導者を対象に指導していきたいと思う。プライベートレッスンでもチーム指導でも構いません。それぞれ個人・チーム事情に合ったアドバイスができればと思う。

小学生は野球理論を理解できます。また理論や動作を一番吸収する時期でもあります。指導者の皆さん、経験だけの指導では大切な子どもを守ることにはなりません。共に考えることが大切です。

【講習会テーマ】

④「打つ動作とその練習」 ⑤「少年野球の練習方法」 他

*これらのテーマでパワーポイントを使って解かりやすく解説、実技を行います。

【連絡先】

塾長 佐藤 繁信 酒田市千日町6-21 080-1677-2948

略 歴

1970年(昭和45年)3月 酒田市立第五中学校卒業

1970年(昭和45年)4月 千葉県習志野市立習志野高等学校入学

1972年(昭和47年)8月 第54回全国高等学校野球選手権大会出場

1977年(昭和52年)3月 芝浦工業大学卒業

飛び出せ海の外へ

―佐々木麟太郎選手へのエールー

花巻東高校・佐々木麟太郎選手のスタンフォード大学への進学が決まった。世界第2位の超名門校(2023年、東京大学39位)である。海外の大学での文武両道の道とはなんと素晴らしい選択だろうか。世界のトップ大学が日本の高校球児を高く評価したことは誇りである。アメリカの懐の深さに今更ながら感心する。同時に日本の大学は、国内最高選手の「海外流出」を防ぐことができなかった。

日本の高校を卒業後、アメリカの大学でプレーを続けている学生は結構いると聞く。

彼らが一堂に戸惑うのはプレーそのものではなく「学業」にある。一定の単位を取得できない場合、容赦なくプレーを中断させられる。いくらベースボールの技術に優れていても学業が伴わないとアメリカの大学ではプレーできない。あくまでも学業優先のようだ。

日本の大学野球に目を向けてみよう。最近の大学野球の隆盛は目を見張るものがある。特に地方大学の野球部の躍進は著しい。これは学生の定員確保つまり経営戦略の一環でもある。子どもや野球人口が減少傾向の中、大学はといえば2023年現在、国公立私立合わせて793校(2,000年:649校)ある。大学にとって学生数確保は最優先課題であり、野球部員の獲得は定員確保の一役を担っている。他のスポーツに比べるとメディアの扱いも大きく、大学選手権など活躍は全国区への仲間入りの絶好の機会である。

地方の大学は学校の近くに素晴らしいグラウンドを有し、室内練習場や寮などの恵まれた野球環境で選手を迎え入れている。特に高校時代不完全燃焼に終わった?選手たちは伸び伸びと「野球だけ」に専念できる。

一方東京六大学、東都六大学など知名度のある大学には中央・地方から有能な選手たちが挙って集結する。しかし都心の大学は決して恵まれた野球環境ではない。多くの大学では学校―グランドー寮の一体化は困難である。十分に選手の能力を伸ばす環境にはない。多くの有能な選手がその才能を伸ばしきれないのも現実である。

学生の本分である学業はどうか。総じて日本の大学野球選手はアメリカの大学野球選手に比べ学業に対する取り組みが希薄のようだ。日米のアスリーツ学生の成熟度の違いを感じる。日本のアスリート学生にはスポーツさえやっていればいいというアナクロニズムが未だ色濃く残っている。

日本の大学スポーツ界は学業に対する考え方を今一度考え直さなければ世界の潮流から取り残されるだろう。大学スポーツ部の薬物問題が浮上している今、同時に学業を軽視したスポーツ活動への偏りの是正は必須項目である。

佐々木麟太郎選手は未知の世界に飛び込もうとしている。そのチャレンジ精神に拍手を送りたい。また彼はSNSなどでかなりの誹謗中傷を受けていたと聞く。こうした妬み僻みの感情でしか表現できない島国から脱出し、その才能を遺憾なく発揮して欲しい。

居心地の悪い日本からこれからも多くの有能な若者が海の外を目指すことだろう。彼らに失敗など何一つない。これから経験するすべてが人生100年時代を生きる糧になるのだから。

2024.2.4 BY佐藤繁信

監督就任後最短での甲子園出場

1972年5月8日(月)晴れ。グランドには2日前の春季高校野球千葉県大会で敗退し、憔悴しきっている部員たちがいた。しかもその試合は相手投手のボールをバットに当てることすらできないという完敗であった。そんな活気のないグランドにゆっくりとその人は現れた。石井好博さんである。5年前、第49回夏の甲子園優勝投手石井好博さんが母校習志野高校のグランドに帰ってきた。その瞬間グランドの空気は一変する。それは歓喜というよりもむしろ安堵に近いものであった。

前年秋の県大会。新チームは対外試合を20勝5敗と大きく勝ち越した。そんな秘めた自信を胸に県大会に臨んだ。二回戦6対2とリードし9回2死ランナーなし。あと1人の場面で大逆転負けを期す。選手達は何が起きたかわからず、奈落の底に突き落とされる。

試合後のミーティングで監督の口から出た言葉は「二年生はもういらない!」

この言葉に二年生は即座に反応、「シタッ!」(お疲れさまでシタッ)と言い残し、その場を立ち去った。

翌日から2年生は誰一人グランドに現れることはなかった。学校を辞めよう。転校しよう。懊悩する部員もいれば、ルンルンと自動車教習に通う者もいた。

一方、強力なメンバーがそろっていた1年生は喜んだ。目の上のたん瘤が自然消滅したのである。1年生チームはその後の練習試合で上級生の強豪チームにも何ら臆することなかった。連戦連勝を重ね、我が世の春を謳歌する。

悶々とした日々を過ごす2年生を見かねたのは越川道弘部長である。その間越川先生はあらゆる手段を尽くしてくれたのだろう。1か月も過ぎた頃「グランドに戻れ!石井君を呼んでくるから2年生はグランドに戻りなさい」越川先生から天の声が届いた。「信じよう!先生を信じてまた野球をやろう!」

そうは言っても監督との確執はそうたやすく消えるものではない。2年生は1人、また1人とグランドに戻ったものの日々ジャージ姿での球拾い。練習といえばランニングのみであった。傍らで1年生は元気に野球をエンジョイしていた。数日後2年生は監督の「復帰ノック」を受けることになる。それは本人のみならず1年生さえも涙する凄まじいものであった。

入学時30人程いた部員はいつしか14人に、そしてこの事件をきっかけに8人となった。

耐えるしかなかった「石井さんがグランドに戻ってくる」ことを信じて。

石井さんは内定していた就職先を辞退し、教職課程を取るために留年、大学5年生であった。グランドに足を踏み入れてくれたとはいえ、監督でもなければ勿論部長でもない。このままでは夏の県予選のベンチに入ることはできない。ただ監督と衝突しないか?最後まで練習をみてくれるだろうか?明日は来てくれるだろうか!?3年生になった8人の心は石井さんのベンチ入りを願い日々揺れ動いていた。

6月29日(木)石井さんのベンチ入りの報が飛び込んできた。越川部長が自ら身を引き、監督が部長へ、そしてここに「石井好博監督」が誕生する。

7月15日(土)第54回千葉県高校野球大会開幕。石井監督率いる習志野高校はBゾーンを勝ち上がり、東関東大会(千葉県―茨城県)へと勝ち進む。31日(月)の決勝戦、強豪銚子商業を撃破、155校の頂点へと駆け上がる。石井投手を擁し全国制覇した49回大会以来5年ぶりの甲子園出場を果たす。

「あの石井が帰ってきた」「学生監督石井」「兄貴監督」マスコミは挙って称賛の声を上げた。

翌年「習志野にいけば銚子商業を倒せる」そんな強い思いを胸に入学した選手は3年後、宿敵銚子商業を倒し甲子園へ、そして全国の頂点へと駆け上がる。ここに105年の高校野球の歴史の中でたった1人の夏の甲子園優勝投手―優勝監督(母校を率いて)が誕生する。ここにもう1つ付け加えて欲しい。監督就任後最短での甲子園出場と。

2023年11月26日、石井好博監督が74歳という若さでこの世を去る。

2024.1.19

By 佐藤 繁信

*追伸:前監督は習志野高校を2年後に転勤、翌年この世を去っている。その知らせを聞いた当時の三年生8人は大粒の涙を流し、別れを惜しんだ。

北 朝鮮サッカーに学ぶ

10月1日から中国・杭州で開かれているアジア大会・男子サッカー準々決勝で日本は2-1で北朝鮮から勝利を収めた。

この試合は北朝鮮選手のラフプレー、マナーの悪さが国際社会からも指摘された。通常のサッカーではありえない危険なタックルは素人目に見てもスポーツの度を越していた。また給水で飲料水を要求し、威嚇する姿は確かに目に余るものがあった。

翌日の新聞各社、日本だけでなく世界中が北朝鮮の試合ぶりを非難した。なぜ北朝鮮の選手があのような狼狽ぶりを働らかなければならなかったのか。

「なんて恐ろしい国だ!」それだけが独り歩きしている。

10月28日の天声人語に前日亡くなった中国前首相李克強氏の生前の歴史問題の発言が載っていた。「日本人が悪ではない。人類はなぜ、あんな残酷なことをしたのかという視点で考えるべきだ」

この記事を読んで前述の日本対北朝鮮の試合を思い出した。選手を責めることはできるのだろうか?視点を変えて考えたい。

北朝鮮は5年ぶりの国際試合への参加であった。にもかかわらず日本サッカーとなぜ互角に戦えたのか。サッカーの専門家によると個人の筋力・技量は北朝鮮が上回っていたという。彼らのメンタルやトレーニングはどのように形成されているのか興味は尽きない。

今スポーツ界はアメリカなどを中心に結果を求める重圧から選手たちを解放しようという考えが広まりつつある。そんな時代に北朝鮮の選手は決して負けることが許されない「結果」を求められている。

負けを許されない教育、処罰か報酬か。日本人の過去の残虐な行為をたたきこまれた反日感情北朝鮮のサッカーチーム、個人を非難するのはあまりにも安易ではないか。深層心理を正しく理解しての非難でありたい。

今更ながら「教育とは何か」その大切さを思う。

2023.11.26

By佐藤繁信

変わりゆくJAPAN野球

第105回全国高校野球選手権記念大会の決勝戦仙台育英VS慶応高校の間で争われた。

私はこれほどまでに冷めた目で決勝戦を観たことはなかった。なぜか両校とも応援する気になれない。

恵まれた環境と潤沢な資金。そうしたすべての条件を満たしたエリート集団同士の戦いは応援も含め、人生の「勝ち組」を栄華するかのような球場全体の雰囲気に馴染むことはできなかった。

それはすべて嫉妬からきていることは理解できるが、目指すところがどこか違う。

東京大学の学生の40%以上が親の年収が1000万円以上だという。経済的優位な親の子は教育分野でも当然優位にあるという事実である。いわゆるエリート層である。

中央と地方の経済格差はイコール教育格差として顕著に現れている。その差は広がるばかりでスポーツの分野でも同様の傾向にある。地方には子どもの才能を伸ばしてやりたくともできない事情が多々存在する。

「甲子園」という舞台で踊る?意義を問いただすべきである。

U18世界大会で日本は初優勝した。素晴らしいことである。この大会で特徴的な出来事は甲子園不出場組の選手達の輝きであった。

知的な指導者は多くを語らないが、これからの日本野球の在り方を憂いている。

多くのスポーツが「世界」に目を向ける中、日本の少年野球の目指すところは「甲子園」である。始発であるべき時期に終点を迎えようとしている。

今回のU18で監督が掲げたのは「スモールベースボール」である。世界のベースボールに逆行したスローガンのように思える。この言葉の持つ意味の一人歩きが心配される。「それバントだ!スクイズだ!!」と。打席に立ったら打つことである。「ホームラン」を打つことこそが野球の醍醐味であり、楽しさの原点である。子供の成長は異なるがその楽しさの原点は同じであるはず。

南米の国々では20歳までスライダーは投げさせないという。それは将来の投手の故障を考慮してのものである。勝ち負けは重要な要素であることは間違いない。しかしそれよりも大事なことはその選手のピークを十分に把握し指導することである。

世界を見据えた指導こそがこれからの本来の姿である。高校野球で人生が終わるわけではない。日本野球のどこかに澱む商業主義からの脱却を願う。

2023.9.16

By佐藤繁信