昭和の忘れもの (original) (raw)

「懐かしき声」

【ファッション電話】モノ・コト編⑲

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何かの企画で10代の若者たちに昔の黒電話を見せたところ、ほぼ全員が目にした事が無く、かけ方もわからなかったという。

確かに、生まれた時から携帯電話・スマホが存在している世代には、回転式ダイヤルの意味すら理解できなかったに違いない。しかし、半世紀前に思春期を生きた世代には、電話にまつわる悲喜こもごもは共通体験と言えるだろう。

男友達から娘に掛かってきた電話を父親が取り、問答無用で切ってしまう―――昔のドラマ等で度々見られた場面だが、これはギャグではない。理解ある親だとしても、通話内容には聞き耳を立てずにはいられなかった。相手の話は聞こえなくても、我が子の普段とは違う言葉遣いや声音からあれこれと想像を巡らせていたのだろう。

そんな状況の解決策のひとつが親子電話で、これには切替式とコンセント式の二通りがあった。自身は、工事費を負担して2階の自室に電話コンセントを増設した。プライバシー確保のための投資と割り切ったのだ。当初は使用の度に階下から電話機を自室に持ち込んでいたが、さすがに不便さを感じて自分用の電話機を買うことにした。

当時、“インテリア調”の電話機が多少は出回っていたが、殆どは外国映画に出てくるような装飾過剰な物か有名な某キャラクター商品であった。そんな中でようやく見つけたのが写真の電話機である。今となってはメーカー名もわからないが、ライトブラウンとベージュのツートンカラーで、それなりに洒落ていた(と自分では思っている)。ともあれ家人の目や耳、都合を気にせず電話できるようになった。

気は心と言うが、マイ電話機を設置してからというもの、掛かってくる電話の相手との関係性が急に接近したように感じられた。自分一人の空間で相手と(電話で)繋がっている・・・そんなパーソナル感による錯覚だったのだろう。単なる友人の女の子からの事務的な連絡なのに妙に心が浮き立ったり、空回りして余計な一言を付け足して気まずくなったり・・・。

年を追ってプッシュホン、コードレスホンが登場すると、その度にまんまとメーカーの戦略に嵌まって新機種に手を出してしまった。機種によって契約更新が必要だとか、親機から5メートル離れたら電波が届かないとか・・・そんな不平不満が解消される間もなく、時代は携帯電話へと移った。

当初は待望の製品が登場したと快哉を叫んだものの、今さらだが、アナクロのロマンチストにはコミュニケーションの容易さが逆に空疎に思えることがある。古いメールを読み返すことはないし、携帯の電話(通話)で記憶に残っているものがないことに気付くのは寂しい。そこには、有線の距離感・親近感との差があるのかもしれない。要は年齢や立場という条件の変化があったとはいえ、1本の電話(通話)の”重さ”が違っていたのだろう。

そんな思いが強いせいか、古い写真の片隅に写り込んでいただけのこの受話機から、かつて思いを寄せていた彼女の声さえも聞こえてくるような気がしてならないのだ。