「細野ゼミ」番外編 「HOSONO HOUSE」前編|祝リリース50周年!世界中に愛される名盤の魅力を安部勇磨&ハマ・オカモトと探る (original) (raw)

自分の家でダラダラ作った「HOSONO HOUSE」

安部 僕、自分のソロアルバム「Fantasia」を作ったときに「HOSONO HOUSE」をすごく参考にしたんです。「なんでこんなにいいんだろう?」って研究して。それですごいと思ったのが、曲の終わり。最後のサビでそのまま終わったり、フェードアウトで終わったりして、僕の「こうやって終わらせるべき」っていう固定観念を超えてくるというか……“終わり”って感じで終わらない。だからアルバムを通してフワーッと続いているような感覚になって、ずっと緊張感を持って聴けてしまうんです。曲の始まりも、わりとすぐに歌が始まる曲があったりする。それも僕の中の勝手な常識と全然違っていて、そのバランス感覚をめっちゃ研究したんです。

細野 すごいな。それ教えてよ、今度(笑)。

安部 いずれにしてもすごく面白いバランスのアルバムで。どうしてあんなふうに作れたのかが不思議なんです。

ハマ 以前伺った話では、ミュージシャンみんなで集まって、アレンジしながら作っていったとおっしゃっていますけど、やっぱりそれが大きかったんですか?

細野 そうそうそう。自分の家だからダラダラやってたけどね。

ハマ すごく練って、ミュージシャンに「イントロはこうで」と指示を出すわけでもなく?

細野 そういうことは全然やらなかったよ。レコーディング前にちょっと練習して、その場で「あそこはこうしよう、ああしよう」って決めて、それを録音する。まあ、みんなの感覚任せだよね。「せーの」で出した音がもうアレンジになるっていうか。

安部 たまに、細野さんの中で「絶対にここは外せないんだ!」みたいなポイントはなかったんですか? 演奏のイメージがちょっと違ったりして。

細野 いやいや、なかった。ボーッと生きていたんだね(笑)。みんなも僕を頼るわけじゃないし。

ハマ アイデアも、皆さんから出てきた感じ。

細野 そうそう。

ハマ 確かにそうじゃないと成立しない部分も感じますよね。「薔薇と野獣」でも、あのイントロ、尺も不思議じゃないですか。ああいうのは決め切ってやったら逆にできないだろうなって。先ほど練習っておっしゃいましたけど、1セッションや2セッションくらい?

細野 1セッションくらいだったかな。

安部 へええ!

ハマ あのイントロ、ホントにすごいなって思う。改めて。

安部 そうだよね。アルバム通してだけど、「なんでここで終わるんだろう」とか。「バランス的にはここまであってもいい」っていう勝手な感覚で聴いていると、その常識から外れた終わり方でびっくりしたり。

ハマ 細野さんは「みんなに任せた」っておっしゃいますけど、やっぱり勘ぐっちゃうよね。緻密さも感じるから。

安部 そう。緻密さもあるけど気持ちよくて、いやらしくないし、自然に聴けちゃうし。あの不思議さはなんなんだろう。自分だったら考えないとできない。

細野 たぶん、みんな何も考えてなかった。自然なまんまだったと思うなあ。

ハマ 確かに、以前、立夫さんに「どこで入るとか、どう決めたんですか」って聞いたら「みんなでやったことだから、わからないな」って(笑)。勇磨が言ったようなフェードアウトのアウトロもあれば、「薔薇と野獣」のようなすごいイントロもあるし、そういうバランスがアルバムを通してすごい。

細野 僕がラジオでヒット曲を聴いていたときは全部フェードアウトだから。当時フェードアウトは自然な終わり方だったんだよね。今、フェードアウトってあまりないけどね。

安部 厚みのあるイントロって、そのままアウトロにも使われることが多いと思うんです。でも細野さんの曲は、イントロのフレーズがめちゃくちゃ素敵だからもう1回どこかで使いたくなるはずなのに、使わない。1番のサビ終わりとかでもイントロとちょっと違うアプローチをしていたりして、さらにアウトロも違うからぜいたくっていうか。

ハマ リイントロじゃないもんね。

安部 そうそう、繰り返してないの。ドラムも「今、気分でそこ叩いた?」みたいなプレイもあって。「とても計算してできるものじゃないよな」っていうのがすごくある。

細野 計算は誰もしていなかったよね。

スタッフに誘われるままに……

安部 今「HOSONO HOUSE」を聴いて、「ここをこうしておけばよかったかな」などはあるんですか?

細野 いいや、全然聴かないんだよ(笑)。安部くんに言われて「そんなにいいの?」って思いながら聴き返したくらいだから。

ハマ そのタイミングがなかったら、「HOSONO HOUSE」をいつ聴き直すかなんかわからないですよね。50年ですし。

細野 ホントだよ。

ハマ 聴き直すと、「あれが好きだったから、こんな感じになったんだろうな」みたいな当時の感覚がよみがえってくるなどは?

細野 それはあるよ。みんな一緒にレコードを聴いていたりしてる中で、当時はファンクを聴いている人が多かったんだよね。林と僕なんかはそうで。

ハマ 「HOSONO HOUSE」、確かにファンキーですよね。

細野 だからカントリーとファンクが混ざっているような、ワケのわからないアルバムになっちゃったよ。まあ「HOSONO HOUSE」は「ソロ作りましょうよ」ってスタッフに誘われるままに作った感じだったんだ。それでセッティングだけバーッとできて、家で録ることも決まったんだけど、でも「曲はまだ何もないや」って。曲を作りながらレコーディングもやっていたんで、あんまり余裕はなかったね。

安部 僕、「HOSONO HOUSE」を聴きながら「絶対にワウが必要だ」って思って、ワウペダルを買っちゃいました(笑)。さっきも聴いていて、「こんなふうにさりげなく鳴っていたんだ」って気付いたんですよ。「途中でいっぱい面白い音が入ってるんだ。なんて刺激的なアルバムなんだろう」って。遊び心っていうんですかね。そう言えばさ、アルバムを作るときって、発売日が先に決まってることもあるけど、基本的にはある程度曲ができてから「アルバム作りましょう」ってならない? ハマくんはどう?

ハマ ウチは量産オバケなんで、ある程度ストックがあるんだよ。そこからアルバム用に選ぶこともあるし、新しく曲を作ることもあるけど……でも大抵はそうだよね。

安部 僕もデモとかを溜めておくわけだけどさ。でも細野さんの話を聞いていると、曲もないのに「アルバム出そう」ってなるパターンだったわけでしょ? それってけっこうすごいよなって。そういう状況になったことある? 「全然曲がない状態でアルバム作ろう」って言われて、発売日だけは決まってて、みたいな。

ハマ うーん、半分くらいはそうだったりするけど……時代性もあるでしょうね。今はホントにシステマチックだけど、昔はもうちょっとミュージシャンとレーベルの関係もいい意味で一方通行だったり、ぶっきらぼうだったりしたのかなと思う。

安部 そういう状況で作ったからこその勢いとか、細野さんの言う「みんなで作っていったよ」みたいな雰囲気が閉じ込められているのもすごく魅力的だと思うんだよね。自分がその環境に身を置きたいかって言われると、怖くてできないけど。「曲ができなかったらどうしよう」とか「いろんな人に怒られちゃうかも」って考えちゃうから。

Little Featのセッションがもたらした功績

ハマ 「HOSONO HOUSE」はおいくつくらいのときの作品でしたっけ?

細野 23、24歳くらいじゃなかったかな。

ハマ すごいですね……聴くと、細野さんってホントに音楽好きだったんだなって思う。23歳であれを演奏するって。

安部 「ソロを作ろう」って言われてなかったら作ってなかったんですか?

細野 うん、作ってなかったと思う。

ハマ “たられば”ですけど、遅かれ早かれソロを作っていたかもしれないけれど、あのタイミングではそれほど意欲はなかった、みたいなことですか?

細野 そうだね。はっぴいえんどでは、大瀧詠一くんがソロを作っていて。「いいな」と思っていたけれど、僕は歌うのが得意じゃなかったんで、そんなに積極的に作ろうなんて思ってなかったんだよ。

ハマ あの「風をあつめて」を歌ったにもかかわらず、歌うことに対する苦手意識は変わったわけではなかったんですね。

細野 うん。はっぴいえんどで言えば、最後のレコーディングをロサンゼルスでやったでしょ。そのときLittle Featのセッションを見て、その体験がずっと残っちゃって。それが一番「HOSONO HOUSE」に影響したことかな。

ハマ 以前、細野さんに伺ったヘッドアレンジのお話ですね。譜面にバチバチにコードが書いてあるんじゃなくて、コードネームだけあって、その場で「こう」って作っていくのを目の当たりにしたんだって。そのやり方を日本に持って帰ってきたのが細野さんたちで。「HOSONO HOUSE」は、それを自宅でやった感じなんですね。

安部 それでできたのもすごいよね。

ハマ この作品がここまで歴史に残る名作じゃなかったら、「譜面の読み書きできないやつは音楽やっちゃダメ」みたいな世界になってたかもしれない。今の日本の音楽の現場がどうなっていたかわからないですよね。僕、辞めてますよ、もう(笑)。

安部 つまり、考えるだけじゃなくて、流れに身を委ねながらレコーディングすべきということなのかなあ。細野さんの作品から感じる“緊張感があるのに自由”みたいなところ、研究対象ですよ。どうやったら自分はそれができるんだろう。どうもシステマチックにやる癖があって、反省しています。

ハマ 「HOSONO HOUSE」は、そう思わせる威力があるってことですね。

安部 ある!

<後編に続く>

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。

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安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2023年5月に新作EP「Surprisingly Alright」を配信と12inchアナログでリリースした。

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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

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