西郷隆盛上陸の地碑 (original) (raw)

西郷隆盛上陸の地碑

西郷隆盛上陸の地碑

鹿児島県大島郡和泊町伊延、沖永良部島の北岸、東シナ海に面した伊延港に立つのが、西郷隆盛上陸の地碑。文久2年閏8月16日(1862年10月9日)、薩摩藩主・島津久光の命に背いたことで怒りを買った西郷隆盛は、沖永良部島に遠島となり、この地に上陸したのです。

沖永良部島に遠島になった西郷隆盛が上陸した地

西郷隆盛の遠島は、安政5年(1858年)、島津斉彬没後に京での挙兵計画が失敗した際、薩摩藩が幕府の追討から逃れるため西郷の職を免じ、奄美大島に潜居させたのが1回目。
2回目は、公武合体を目指す島津久光の命で、奄美大島を出立し、鹿児島で大島三右衛門改名。
下関で待機する命を受けたものの、それに従わず大坂へ向けて出航したため、寺田屋騒動直前に捕縛命令が出て、大島吉之助に改名させられ、徳之島へ遠島となったもの。

徳之島で2ヶ月半ほど暮らしますが、江戸で徳之島へと流されたことを知った島津久光は、刑の軽さを叱責し、沖永良部島への遠島、さらには牢込めを命じています。
徳之島の東側にある井之川地区を船出し、沖永良部島の伊延湊へと入りますが、牢込めを命じられていたため、牢ができるまでの2日間を船牢で過ごしています。

それでも、代官・黒葛原源助、付役・福山清蔵、 間切横目(間切は当時の行政単位で、横目は現在の警察署員的な役目)・土持政照が出迎え、牢のある和泊まで馬に乗ることを勧めますが、西郷隆盛は、以降、土を踏むことができないかもしれないと歩くことを選んでいます。

西郷隆盛は沖永良部島で1年7ヶ月を過ごしていますが、和泊港近くには牢獄が復元されています。

西郷隆盛上陸の地碑
名称 西郷隆盛上陸の地碑/さいごうたかもりじょうりくのちひ
所在地 鹿児島県大島郡和泊町伊延
ドライブで 沖永良部空港(えらぶゆりの島空港)から約7km。和泊港から約3.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ おきのえらぶ島観光協会 TEL:0997-84-3540/FAX:0997-84-3966
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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