生國魂神社 (original) (raw)

生國魂神社

生國魂神社

大阪府大阪市天王寺区生玉町にある古社が、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)。社伝によれば神武天皇が九州から難波津到着の際、石山崎(今の大阪城公園あたり)に生島大神、足島大神を祀った場所が神社となったといい、神仏習合の平安時代には出雲大社、熊野大社(熊野三所権現)と並ぶ格式を誇っていました。

桃山様式・生國魂造りの社殿は壮麗

生國魂神社

生國魂神社の祭神とする生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)は、国土の神霊で、『日本書紀』にも記載があることから、難波津にあった古代の都、難波宮(なにわのみや)との関連性も推測されます。
平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも「難破坐生国咲国魂神社二座」と記され、創建時からこの2神であったことがわかります。

平安時代には本地垂迹説(神仏習合)により、法案寺(聖徳太子創建と伝えられる古刹/大阪市中央区島之内2丁目)が神宮寺(生玉宮寺)となり、戦国時代に石山合戦に巻き込まれることに。

天正8年(1580年)、織田信長による石山本願寺攻略で往時の社殿を焼失。
石山本願寺跡地に豊臣秀吉が大坂城を築城する際に法円坂から現在地に遷座しています(江戸時代にも法案寺が別当寺となり、生玉十坊として繁栄)。

明治維新の神仏分離で、生玉宮寺として一体化していた神社と神宮寺は分離され、生玉十坊は合併などして衰微しますが(南坊が島之内で法案寺の寺名・法燈を継承)、生國魂神社はそのままに存続。
明治45年の「南の大火」で往時の社殿を焼失、さらに再建された社殿も大阪大空襲で失われ、現在ある壮麗な桃山様式・生國魂造りの社殿は、戦後の再建です。

境内には建築関係者の崇敬が篤い家造祖神社、製鉄の神を祀る鞴(ふいご=不囲碁)神社、大坂城鬼門の守護神・城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)、淀君が尊崇した鴫野神社など数々の境内社がありますが、近松門左衛門の『曾根崎心中』の生玉の段の舞台で文楽の守護神である浄瑠璃神社はとくに有名。

江戸時代には境内の小屋で大道芸を競う合い、多くの観衆を集め、上方文化、演芸の中心的な存在に。
井原西鶴や、元禄時代に活躍した上方落語の生みの親・米澤彦八(よねざわひこはち)のゆかりの地にもなっています。
『曽根崎心中』「生玉社前の段」でも米澤彦八の物真似興行を見に行くという場面があります(米澤彦八は落語で有名に鳴る以前、神社の境内で大名の物真似をして人気を集めていました)。

井原西鶴は、延宝8年(1680年)、生國魂神社境内の南坊で万句俳諧という句会を催し、俳人700余人を集めたと伝えられています。
大阪落語の祖・米澤彦八の顕彰碑も境内にありますが平成2年に笑福亭一門が中心となって建立したもの。
例年9月の第1土・日曜、上方落語協会は碑前で『彦八まつり』を開催しています。

7月11日(宵宮)・12日(本宮)に斎行される『生國魂祭』は、大阪天満宮の『天神祭』(7月24日・宵宮、7月25日・本宮)とともに「陸の生國魂、川の天神」と称される夏祭りです。

生國魂神社

生國魂神社
名称 生國魂神社/いくくにたまじんじゃ
所在地 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
関連HP 生國魂神社公式ホームページ
電車・バスで 大阪メトロ谷町九丁目駅から徒歩5分、近鉄線上本町駅から徒歩10分
ドライブで 阪神高速1号環状線道頓堀出口から約500m
駐車場 20台/無料
問い合わせ 生國魂神社 TEL:06-6771-0002
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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