黒羽芭蕉の館 (original) (raw)

黒羽芭蕉の館

黒羽芭蕉の館

栃木県大田原市、黒羽藩の藩庁だった黒羽城の三の丸跡に建つのが、黒羽芭蕉の館。黒羽城下には、松尾芭蕉が『奥の細道』途中に14日間も滞在。その芭蕉の足跡と、戦国時代末に黒羽城を築城し、外様大名ながら明治維新まで藩主を務めた大関氏に関する資料を常設展示しています。

芭蕉が黒羽に13泊もした理由は!?

松尾芭蕉が『奥の細道』途中で最も長く滞在したという黒羽。
他の地での長逗留は、尾花沢10日間、金沢9日間、山中温泉8日間なので、14日間(13泊)という黒羽が突出していることがよくわかります。

元禄2年3月27日(1689年5月16日)、江戸深川の芭蕉庵を旅立った松尾芭蕉と曽良は、千住で最初の句(矢立の初め)を詠んだ後、日光街道で日光へ。

黒羽に入ったのは4月3日(西暦5月21日)で、黒羽藩城代家老・浄法寺高勝(じょうほうじたかかつ/俳号・桃雪、あるいは雪桃)を訪ねています。
浄法寺高勝は、松尾芭蕉と曾良を自邸に招き、弟の浄法寺豊明とともに歓待。
父・浄法寺高明が藩の検地事件で引責退身し、寛文7年(1667年)、江戸に隠棲。
江戸暮らしの際に芭蕉の門人となり、後に帰藩して城代家老に戻っていたのです。

芭蕉が黒羽藩を訪れた際に、藩主・大関増恒(おおぜきますつね)は4歳で江戸在住。
黒羽には城代家老として弱冠29歳の浄法寺高勝がいたわけで、城主の代わりを務める人物で、しかも門人が歓待してくれたため、居心地がよかったと推測できます。

『奥の細道』には、
「黒羽の館代浄坊寺何がしの方)に音信(おとづ)る。思ひかけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて、其弟桃翠など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるまゝに、日とひ郊外に逍遥(しょうよう)して、犬追物(いぬおいもの)の跡を一見し、那須の篠原(なすのしのはら)をわけて、玉藻(たまも)の前の古墳をとふ。それより八幡宮に詣(まうづ)。与市(よいち)、扇の的を射し時、別しては我国氏神正八まんとちかひしも、此神社にて侍(はんべる)と聞ば、感応殊(かんおうことに)しきりに覚えらる。暮れば桃翠宅(とうすゐたく)に帰る。」
と記され、「山も庭もうこき入る(る)や夏座敷」と詠んでいます。

この浄法寺高勝の邸宅は、黒羽城の南、大雄寺境内の北隣にあり、跡地には「山も庭もうごき入る(る)や夏座敷」の句碑が立っています。

芭蕉は翌4月5日、雲巌寺に禅の師匠だった住職・仏頂和尚を訪問(「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」)。
4月9日には修験光明寺に招かれて行者堂を拝しています(「夏山に 足駄を拝む 首途哉」)。

黒羽滞在中は梅雨時期のため雨が降ったり止んだりのぐずついた天気。
4月16日になってようやく晴れ上がったので、浄法寺高勝らに見送られて黒羽を後に、高久へと向かっています。
『奥の細道』に「天気能。館ヨリ余瀬ヘ被立越。則同道ニテ余瀬ヲ立、及昼図書弾蔵ゟ馬人ニテ被送ル。」と記される館は、もちろん、浄法寺高勝の邸宅です(13泊という逗留のうち浄法寺高勝邸に8泊、鹿子畑宅に5泊)。

黒羽滞在が長引いた理由には、雨が多かったから、東北の手前で心の準備をしたからなど諸説ありますが、居心地の良さも大きな理由だったことには間違いありません。

雲巌寺、浄法寺高勝邸近くの大雄寺などゆかりの地をめぐる前に、三の丸の黒羽芭蕉の館を訪れ、芭蕉長逗留のヒントを見つけるのがおすすめです。

『曽良随行日記』に記される黒羽滞在

一 同三日 快晴。辰(たつ)上尅玉入(玉生)ヲ立。
鷹内(たかうち)ヘ二リ八丁。鷹内ゟ(より)ヤイタ(矢板)ヘ壱リ(里)ニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ大田原ヘ二リ八丁。大田原ヨリ黒羽ヘ三リト云モ(いえども)二リ余也。
翠桃宅(すゐたうたく)、ヨゼ(余瀬)ト云所也(いふところなり)トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
一 四日 浄法寺図書ヘ被招(まねかる)。
一 五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉(よし)。
一 六日ヨリ九日迄(まで)、雨不止(やまず)。九日、光明寺ヘ被招(まねかる)。昼ヨリ夜五ツ過迄(すぎまで)ニシテ帰ル。
一 十日 雨止(やむ)。日久(ひさしく)シテ照。
一 十一日 小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
一 十二日 雨止。図書被見(みまはれ)廻、篠被誘引(しのはらにいういんせらる)。
一 十三日 天気吉。津久井氏被見(みまはれ)廻テ八幡ヘ参詣被誘引(さんけいにいういんせらる)。
一 十四日 雨降リ、図書被見廻(みまはるること)終日。重之内持参。
一 十五日 雨止。昼過翁と鹿助右同道にて図書ヘ被参(まゐらる)。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参。
一 十六日 天気能。○翁館ヨリ余瀬へ被立越(たちこさる)。則(すなはち)同ち道ニテ余瀬ヲ立、及昼(ひるにおよび)図書弾蔵ゟ(より)馬人ニテ被送(おくらる)ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間二里半余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里余壱里半余。宿角左衛門、図書ゟ(より)状被添(じやうそへらる)。

黒羽芭蕉の館
名称 黒羽芭蕉の館/くろばねばしょうのやかた
所在地 栃木県大田原市前田980-1
関連HP 大田原市公式ホームページ
電車・バスで JR西那須野駅から関東バス五峰の湯線で45分、または、JR那須塩原駅から市営バス雲巌寺・須賀川線で45分、大雄寺入口下車、徒歩10分
ドライブで 東北自動車道西那須野塩原ICから約20km、矢板ICから約27km
駐車場 黒羽城址公園駐車場(50台/無料)を利用
問い合わせ 黒羽芭蕉の館 TEL:0287-54-4151/FAX:0287-54-4188
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

黒羽城址公園(黒羽城)

芭蕉の里くろばね紫陽花まつり

雲巌寺

芭蕉の道

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