村山貯水池(多摩湖)・第一取水塔 (original) (raw)
村山貯水池(多摩湖)・第一取水塔
東京都東大和市と埼玉県所沢市にまたがる狭山丘陵を利用して造られたアースダム形式の貯水池が、村山貯水池(多摩湖)。東京市の水道事情の切迫を背景に、村山上貯水池(大正13年完成)、村山下貯水池(昭和2年)を築いたもので、村山下貯水池の第一取水塔は、東京都選定の歴史的建造物に選定。
「日本一美しい取水塔」とも
大正14年に完成した第一取水塔は、高さが27.1m、外径8.8m、ドーム屋根、アーチ窓でアクセントをつけたタイル張りの外壁で、村山貯水池(多摩湖)のシンボル的存在(設計は、玉置岩男)。
その大部分が水面下にあり、7口ある取水口はまったく見ることができません。
管理用のトラス橋で陸側と結ばれています。
建物入口には、明治22年12月の東京市会で市のマークとして決定された紋章(太陽を中心に六方に光が放たれている様を表現)が付いています(昭和18年の東京都制施行に際し、東京都の紋章に)。
取水した水は境浄水場へと送られていましたが、昭和35年からは東村山浄水場に送水されています。
第二取水塔もよく似たフォルムですが、昭和48年の完成、第2村山線を通して東村山浄水場へ送水。
戦時中は、水源を空襲から守るため、堰堤に玉石を2.5mほどかさ上げし、さらにコンクリートで固めた耐弾層を設け、コールタールを塗って爆撃機から堰堤と分からないように偽装工作、湖畔に高射砲(防空第六連隊独立高射砲第二大隊の山口高射砲陣地=狭山富士の北側、狭山湖の半島部)が設置するという防御体制をとっていましたが、それでも昭和20年4月から終戦までの間に5回の空襲を受け(4月4日に焼夷弾と250キロ爆弾50発が投下、5月25日には取水塔めがけて爆撃)、第一取水塔には爆撃の痕跡が残されています。
村山貯水池(多摩湖)・第一取水塔は、「日本一美しい取水塔」とも呼ばれていますが、金町浄水場の取水塔の第二取水塔(トンガリ帽子の屋根で有名、昭和16年完成)とともに、被写体としても人気です。
第一取水塔は湖畔に整備された都立狭山公園からトラス橋で結ばれているので、散策途中の見学にも絶好です。
入口上部には東京市(現・東京都)の紋章が
村山貯水池(多摩湖)・第一取水塔 | |
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名称 | 村山貯水池(多摩湖)・第一取水塔/むらやまちょすいち(たまこ)・だいいちしゅすいとう |
所在地 | 東京都東大和市多摩湖4-644 |
電車・バスで | 西武多摩湖線武蔵大和駅から徒歩15分 |
ドライブで | 関越自動車道所沢ICから約13km |
駐車場 | 都立狭山公園駐車場(13台/無料) |
問い合わせ | 東大和市産業振興課商工観光係 TEL:042-563-2111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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