新聞のピンボケ批判の前提 (original) (raw)

郷ひろみ「言えないよ」

郷ひろみが所属するバーニング事務所の社長は「Sドン」と呼ばれる芸能界の実力者。

漠然と怖いイメージがあるが、実際に会った事のある音楽関係の友人は

「任侠というより政治家みたいな感じだったね。」と言っていた。

しばらく前の週刊モーツァルトの特集で、元特捜のエースが、Sドンの人心掌握術とカネの使い方の羽振りの良さを褒めていた。

新聞社の政治部や、警察の◯暴が「服装等で相手と見分けがつかなくなる」のは、イカやタコのメティス(知恵)同様、「擬態の能力」が必要な仕事だからだろう。

映画「カサノバ」(フェリーニ

例えば、改憲派の右翼は憲法9条にばかり焦点(ピント)を合わせ、少子化を心配する人道主義者は「皇室典範を改めて、女性天皇を認めるように恒久法として改変すべし」と新聞紙上で語るけど、僕のような演劇上がりの老い先の社会情動的選択性理論上のアリアで踊ってる人間として

「どうせ皇室典範を改変するなら、“天皇の政治参加“も可能にすればいいじゃない。限定的にでもさ。参加すれば“政治利用と悪用”も多少は抑止できるんじゃないの?」

と、年代と知識の地層ごとにブラフ(挑発)をかけてみる。

「それは.....」

と「間」ができるだろう。

藤井聡太名人

新聞に限らず、ラテ新雑等のマス媒体は監督官庁総務省の「免許事業」なので、鬼デスクやオーナー世襲の社長の顔色を伺って

映画「Wの悲劇」で三田村邦彦にプロンプを入れて怒られるのを恐れて

♪大人しくしてるから/解雇しないでください...

と、ストレスで病気になったりする。

文豪:筒井康隆

筒井康隆は「自主規制という名の言葉狩り。自己都合という名の解雇圧力」に抵抗する意志で「断筆宣言」をしたのだが、先生の最期の台詞として覚えておこうと思うのは、

「こんなこと言うと袋叩きにあうでしょうけど、小説家の立場からすれば、戦争は面白いんです。そうでなければ世の中にこれほど戦争映画が溢れているわけがないでしょう。」

この地点からでないと、解決できない事もある。

新聞やマス媒体は国政の代表者である首相や、事件の当事者である犯人を「象徴」として批判の矛先を向けるのがセオリーだけど、隠れ蓑へのピンボケ批判で笑ってる人もいる。

佐野元春「ガラスのジェネレーション」

♪本当の事を知りたいだけ so one more kiss to me...

マスコミがSNSに主導権を奪われそうになっているのは

「陰謀説でもいいから取り敢えず納得したい。明日も仕事だし。」

という人が多いのも一因としてある。

台所のシンク

カビキラー

▶ だからみんな五条先生に憧れるんだと思うけどね。

六眼